#490 流れ出る鉄の川
高炉に鉄鉱石を投入すると途端にやることが増えてくる。
反射炉の余熱も行わなければならないし、スラグを受けるプールにも水を張らねばならない。
高炉内は白く輝くように見えるらしい。作業員が観測用の小窓を通して銑鉄の溜まり具合を1時間おきに見ているが、防照用の黒い耐熱ガラス越しでも長時間見続けるのは耐えられないと言っていた。
耐熱用の白い厚手の作業服と手袋、それに防護面を着けた姿を見ると、何か別な世界に紛れ込んだような錯覚を覚える。
「だいぶ溜まってきたぞ。そろそろ高炉から鉄を抜けねばなるまい。」
「容量的にはトロッコ8杯分はありますから、まだ大丈夫ですが…。試験ですからね。次の反射炉の方の温度は大丈夫ですか?」
「先の報告では1000じゃ。後200程上げておくか。鉄の投入で更に温度を上げねばなるまい。一気に上げるよりは良いじゃろう。」
「明日には安定しますね。それでは明日の昼に鉄を取出す事にしましょう。」
俺の言葉に、ヘンケンさんがニカって顔をほころばせる。
「分った。明日の昼じゃな。連絡を入れておくぞ。」
そう言ってヘンケンさんが櫓を下りて行った。
事務所に伝えて、事務所のデリムさんから関係者に連絡して貰うのだろう。
別荘には待ちいれない王族達が昨日から逗留してるから、知らせを受けて喜ぶに違いない。
だが、灼熱した鉄の溶融体だ。あまりの暑さに直ぐに帰るとは思うけどね。
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危険防止の為に、高炉から30m程離れた場所にロープを張って、絶対に中に立ち入らぬよう説明したが、ややもするとロープを伸ばしてもっと近付こうとしているのを見ると、小学生の遠足を思い出すな。
作業員と俺とヘンケンさんは白くてぶ厚い綿のつなぎを着て靴も革靴の上に綿で作った雪靴のような物を履いている。黒い防照ガラスの着いた面を頭の上に跳ね上げて、キッチンミトンのような手袋をしながら、作業員と最後の打合せを終えた。
「まぁ、こんな段取りだ。最初にスラグをプールに抜取る。スラグは高温だ。そしてプールからは高温の蒸気が発生する。余り近付かないようにしろよ。
次に、銑鉄を専用のトロッコで受ける。上手く流れを止めて溢れないようにしてくれ。
トロッコは4人で動かす。反射炉の投入口でハンドルを回して傾ければ炉内に入る筈だ。
反射炉は銑鉄が投入されると同時に風量を6割から8割に上げてくれ。…質問は?」
「鉄がこぼれたらどうしますか?」
「放っておいて良い。出来れば、その鉄の棒で邪魔にならないところに転がしてくれ。」
「では、始めるぞ。相手は高熱体だ。十分注意してくれよ。」
全員が俺に頷くのを見て、俺も大きく頷いた。
指揮所を兼ねる櫓に上ると高炉を見渡す。
ピィーっという甲高い笛の音が響き、スラグの排出口にある台のところで緑の旗が振られた。
準備完了という合図だ。櫓の後ろの連中の生唾を飲み込む音が聞こえたような気がする。
「いよいよじゃ。始めるぞ。」
手すりに俺と並んだヘンケンさんが、そう呟くと白い小旗を振る。
スラグ取出し口の台に立った作業員が再び緑の旗を振ると、レバーを動かした。
深い雨樋のような耐火レンガで出来た斜路の上部が輝いて見える。
どうやら勢い良く流れ出したようだ。
5m程離れたプールに流れ落ちて轟音と共に水蒸気が放出される。
水蒸気爆発を恐れてプールの上部には太い丸太が敷き詰めてあるがその間からとんでもない量の蒸気が噴出していた。
水位計のフロート付の棒がどんどん下がっていく。
それを見た作業員が規定値まで水を注入している。
そして作業員の振る旗と共に、スラグの流れが止まった。
ヘンケンさんが再び白旗を振る。作業完了を了解した、という印だ。
「さて、今度は鉄じゃ。」
ヘンケンさんが笛を吹きながら緑の旗を振ると、反射炉の投入口で待ち構えている作業員が同じ色の旗を振った。
「反射炉は問題ないようじゃ。いよいよだぞ。」
今度は笛を吹きながら赤い旗を振る。すると、トロッコが1台ゴロゴロと音を立てながら高炉の前に動いてくる。そして、銑鉄の取出し口の前に停車する。トロッコを押してきた作業員の1人が素早く、トロッコの車輪をレバーで固定すると、トロッコの近くで待機している鉄の棒を持った責任者に準備完了を報告している。
責任者が片手を上げると、銑鉄の取出し口が近くの台にいた作業員のレバー操作によって開いた。
白く光る川がトロッコの専用容器に流れ出る。
俺達にまでその熱気が伝わってくると、後ろで眺める観客の感嘆の声が聞こえる。
「鉄の川は始めて見るぞ。綺麗な川じゃが直視はキツイのう。」
「目がやられますよ。面を着けてください。」
ジッと鉄の川を眺めていたヘンケンさんに注意する。
トロッコの傍の責任者の片手が上がると鉄の川の流れが止まる。
ゴロゴロと4人で銑鉄が反射炉の投入口に運ばれていく。
そんな中、1人の作業員が鉄の棒を下げてやってきた。
「見てみるか?」
ヘンケンさんが俺を見てにやりと笑う。
2人で櫓を下りる中、次のトロッコが高炉の銑鉄取出し口に止まる。向うは任せておいても大丈夫だな。
鉄の棒の先には銑鉄が付いていた。
まだ赤熱しているそれを、近くのバケツに入れて急冷すると、棒の先からポロリとバケツの中に落ちた。
そのバケツを持って観客の傍に行くと早速皆がバケツを覗き込んだ。
「これが先程の川の正体か。まだ持てぬのか?」
「まだ無理です。工房の主はいるか!」
誰からか発せられた問いに答えると、直ぐにヒゲだらけの小柄な男が現れた。
「俺が工房の主だ。これか?」
そう言うと、近くにあるカナテコを持ってこさせ、ヤットコで鉄の塊を挟むとカナトコの上でハンマーを振るった。
ゴン!と言う音と共に鉄が砕ける。
その砕けた断面を数人が手に取って眺め始めた。手袋をしているが熱くは無いんだろうか?
「良い出来じゃ。ここまで不純物を巻き込まない鉄は久しぶりじゃわい。」
「これなら、鍛える甲斐があります。取り出した鉄を次の炉に入れていますが、そんな必要もないと思います。」
「確かに、王都で年に1、2度しか目にすることが出来ない鉄じゃ。このまま我等に渡して貰う訳にはいかぬのか?」
この世界の鉄の精製はタタラ炉だ。鉄も出来るが単独ではなくどうしても不純物をその中に巻き込む。そのため小割りにして不純物を取り除いた後、再度熱して叩いて火花の形で精製しているようだ。
断面に余分な不純物が無い事だけでも彼らには役立つと言うのだろう。
だが、俺達はこれを更に精製して軟鉄にするのだ。
「剣を作るなら、これを貴方達に渡せば普通に鍛造して鋼にする事が出来るでしょう。ですが、それでは大量に作れません。
これを更に精製して軟鉄にします。青銅と同じように鋳物が出来ますよ。そして、軟鉄をあの奥にある大型ハンマーで鍛造すれば鋼を大量に作れるでしょう。
貴方達に渡せる鉄は、3日後にあの反射炉から取り出す軟鉄になります。もちろん鍛造鉄も引き渡せますよ。」
俺達の会話を聞いていた御用商人達も前に出てくる。
「今の話ですと、3日後には製鉄所の製品である鉄が2種類出来るのですな。10個程試供品を頂く訳にはいきませんか?」
「我等もそれは欲しいぞ。工房で具合を確認せねばなるまい。」
つかみはバッチリみたいだな。
これで、次の軟鉄を見たらどうなるんだろう。
そんな工房の主と商人達を残して姉貴達は観客を率いて高炉の建屋を出て行った。お祝いでも始めるのかな。
まぁ、そんな役目は姉貴達に任せて俺達は次の作業を始める。
と言っても、ヘンケンさんが指図をして作業を見守っている。俺は引き続き工房の主達と相談だ。
「あの炉で3日と言ったな。軟鉄とはどんな物だ?」
「簡単に言えば柔らかい鉄です。この鉄は叩くと割れましたね。次に出てくる鉄は割れませんよ伸びるんです。
その軟鉄を熱して何度も叩いては伸ばし、それを曲げて更に叩く。何度も繰り返して出来る鉄で作った物がこの短剣です。」
そう言って、ダマスカス鋼のクナイを見せる。
「これは…ダマルカス!」
それだけで出来るような簡単な物ではないんだけどね。まぁ、作り方は同じだと思うぞ。
「これが、あの伝説の鋼ですか…。まるで、漣のような刃紋ですね。」
「それだけではないぞ。鉄をも斬ると言う伝説もある。もしも、俺がこれと同じ物を鍛えたなら、ドワーフの長老さえも望めると言うものじゃ。」
「まぁ、これもそんな伝説がありますから、作るのは容易ではないと思います。それでも、純度の極めて高い鉄を鍛造して作る鋼は今まで以上に強靭だと思いますよ。」
「ふむ、ならば試供品を王都に持ち帰り、王都一番の工房に競わせるのも面白そうですな。」
「何の、サナトールが一番じゃ。比べるまでもない。」
「いやいや分らぬぞ。何せ鉄は何れも同じ物じゃ。製鉄の腕に左右されぬならば、勝負は鍛える工房の腕で決まる。それなら我が王都にも有能なドワーフはまだ沢山いるぞ。」
要するに商品価値を高めるにはどうしたら良いか、と言う事だな。
その辺は、御用商人の商才の見せ所になる筈だ。俺はここで見ていよう。
「ところで、我等にはどの程度の鉄を分けて頂けるのですか?」
「そうですね。腕位の太さと長さの棒状の鉄を5本で良いですか? 鋳物の型を持ってくればそれにも取り出せますよ。型の大きさは2D(60cm)程なら問題ないでしょう。商人の方々もそれで良いですね。」
まさか、それ程貰えるとは思っていなかったようで、直ぐに皆が頷いた。
何せ、高炉は止められないから次々と製品が出てくる。早く使い道を探って貰わねば、俺達だって大量の在庫を抱える事になりそうだ。
線路用の鋳型も作ってはいるが、それ程大きな物ではない。鋳型作りは面倒だから、精々1日数本が限度だな。
連続鍛造技術があれば良いのだが、それが出来るのは次の高炉を作る頃になりそうだ。
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鉄の取出しが終って、高炉は再び鉄鉱石とコークスを交互に投入している状態だ。
まだ、本格稼動ではないから、次の取出しは4日後辺りだな。
一仕事を終えて、俺とヘンケンさんは事務所でのんびりと冷たいお茶を飲みながらタバコを楽しんでいる。
もうすぐ夕方だから、高炉では直の引継ぎが行なわれているだろう。
「何とかなったのう。鉄が川似成って流れる光景は今思い出しても武者震いがしおるわい。出来れば全体の指揮が出来る人間を2人程ふやしたいのう。」
「レジナスさんとバリスさんが適任でしょう。今まで屯田兵を率いてきた人です。それだけ人望もあり、切れる人だと思います。」
「そうじゃのう。明日にでも相談してみるか。ワシとアキト殿ではこの先何があるか分らぬ。それにアキト殿はハンターじゃ。何時までもここにおるという訳にもいくまい。」
確かにそうだ。冬に村に戻るのも考えものだから、春まではここにいようと思うけど、その後はヘンケンさん達に運営を頼むしかない。作業の責任者育成は急務だぞ。
そして、各作業のマニュアルも整備しなければなるまい。
通常時、そして特殊な作業時、さらには予想されるトラブルの回避策まで考えねばならないようだ。
まぁ、ディーと相談しながら書いていけば良いとは思うけどね。
姉貴の町作りも、どうなってるのか確認しとかないといけないだろう。アルトさんにリムちゃんがいるから、別な視点で見ている者がいる強みもあるし、変な事にはなっていないと思うけどね。こればっかりは見ないと分らないな。