#485 信じる者は救われる
デリムさんとヘンケンさんと一緒に事務所でタバコを楽しみな世間話をするのも楽しみの一つだ。
コニーちゃんが入れてくれたお茶ををちびちび飲みながら何時しか蜂蜜酒に中身が変わってるのも、何となくサボリを共有している悪友仲間のような感じがするな。
女性が多いから必然的に俺達は暖炉の傍にあるテーブルに映っているので、仕事に関係ない話でも屈託なく話が出来る。
「父達から知らせでは、望遠鏡を150L、コンパスを25Lで売りだすようです。製造原価はそれぞれ60Lに8Lと聞いています。アキトさんの取り分は望遠鏡1個に付き50L、コンパスは10Lでお願いしたいと言っていましたよ。」
「商人の取り分が少ないように思えますが、それで大丈夫ですか?」
「アキトさんの目的が町の建設資金と聞いて、そのように決めたと言っていました。試作したそれぞれの100個は1日で完売したそうです。」
そう言うと、バッグから小袋を取出してテーブルの上を滑らせるように、俺の前に押し出した。
銀貨60枚は貴重だよな。帰ったら姉貴達に渡してあげよう。
「それで、売れ筋はやはりハンターですか?」
「半数はハンターですが、行商人や船乗りもいたようです。次の販売は何時か?と王都の店は大変な騒ぎになっていると聞きました。」
「とは言っても、ユリシーさんの所の加工しだいですね。頑張っても月に50と言うところでしょう。」
「父達が協定を結んで買取っているようです。中規模の商人はそれを眺めているばかりですから、その内、王族に直訴文が届くんじゃないでしょうか。」
それ程、売れるものなのかな?
望遠鏡は伸縮式のガリレオタイプで倍率は5倍だし、コンパスは俺が持っているようなオイル封入型でもないぞ。単に針の上に磁石を乗せてガラスで覆ったものだしな。
「中には、軍の使っている望遠鏡を欲しがる者もおります。あれは作れないのですか?」
「今の製品はどちらかというと、玩具のようなものです。望遠鏡の設計が出来るようになればもっと良い物が出来ますよ。あれにはレンズが2枚しか使われていません。ですが、この望遠鏡には少なくとも5枚以上のレンズが使われているんです。そして、ネウサナトラムの村にある天文台の望遠鏡は更に枚数が使われてますよ。」
そう言ってバッグの中から双眼鏡を取り出して2人に見せる。
「何故、そのようにレンズを増やすのじゃ? この前の説明では2枚あれば出来るという事じゃったが。」
「それは、光の特性にあるんです。レンズの焦点であたかも一点に光が集中しているように見えますが、実はそうではないんです。」
意外と光学の話をするのは難しい。それでも、倍率を上げれば視野が狭くなるのはどうにか説明したぞ。もっとも、2人が理解したかどうかは分からないけど…。
ガラスの屈折率の違いを虹で説明したけど、これは絶対理解出来ていないな。俺だって良く分からないところがあるからな。
とは言え、対物レンズを単レンズとした場合は、それが問題になる事は経験で知っている。
「直ぐには無理でも、その内作れるという事ですか?」
「今回の品が作れるなら、10年も過ぎればもっと良い物が出来ますよ。」
俺の言葉に、デリムさんは満足したようだ。同じ物を何時までも売るのは良い商人とは言えない。商品の供給バランスを考えて次の手を打っていかねば他に出し抜かれる。それを分かっているのだろう。
「春には、丘の上の貯水池に水を引けるぞ。今年は農家も作物を作れるだろう。そして、用水路を使った運送と送風機の試験も出来る。」
「上手く行けば、秋には試験稼動が出来ますね。最初は半分の量でやってみましょう。ですが、一旦動かしたら例え試験でも止められませんよ。止めるのは20年後です。」
「それは分かっている心算です。石炭は数ヶ月の余裕がありますし、コークスもフル稼働時で2か月分の備蓄があります。半年あれば更に蓄えられるでしょう。」
「鉄鉱石も同じじゃ。2ヶ月分の備蓄がある。用水路を利用した運搬で間に合わなくなれば荷馬車も使える。石炭よりは近くで取れるだけに楽じゃな。」
「後は作業員の訓練ですね。ヘンケンさんにはそのまま残って貰って良いですね。」
「根っからその心算じゃ。作業員と水車等のお守で老後を過ごすのも面白そうじゃ。」
「神殿はまだ完成しませんが、夏に作業員を呼び寄せましょう。そちらは私が手配します。」
俺達をたまに見ているお嬢さん達もこのまま製鉄所の事務を引き受けてくれるそうだ。シグさんも数人のハンターを雇って将来は製鉄所の警備をすると言っていた。
確かにここは辺境だ。たまに西から小型のガトルがやって来るけど、アルトさん達が片っ端から始末してる。
いまはそれで良いけど、俺達がここを去った時にはそれらの脅威に対処しなければならない。町にもギルドは出来るだろうが、製鉄所位は自分達で守るのがスジだろう。
世間話をしながら思い出したように本来の仕事の話をする。
作業が順調だから、互いに余裕があるのが分かる。まぁ、今の内はこれで良いと思う。試験を始めれば眠る間もない程の忙しさが俺達を待っている筈だ。
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「ただいま!」
リビングにそう言って入ると、ディーが1人で図面を描いていた。
「ご苦労様でした。今、お茶を入れます。」
そう言って立ち上がると、暖炉に歩いて行く。
ディーの作業していたテーブルに広げられた図面を眺めると、ちょっと複雑な機構が描かれている。
何なんだ? 興味半分に図面を見ていると、ようやく理解できた。簡単な蒸気機関のようだ。だが、これを実用化するには色々と大変だぞ。
どう考えても、旋盤、フライス盤そして加工するための鍛造工具が必要だ。
「どうぞ!」
そう言って図面を見詰める俺の前にお茶が差し出された。
「あぁ、どうもありがとう。…これって、蒸気機関だよね。でも、これは少し早いんじゃないかな?」
ガタンと座った椅子を直しながら俺を見るディーに聞いてみた。
「マスターの言う通りです。ですが、鉄道を作るならば、思い私が簡単な図面を描いてみました。」
まぁ、ディーの言う事も理解出来る。
鉄道馬車であれば、輸送量は荷車を使った場合に比べて精々3倍程度に上げる事は出来るだろう。
だが、蒸気機関を利用すれば一気に5倍から10倍に跳ね上がる。
将来的には確かに欲しい技術ではある。
「まぁ、目標と言うことで、ユルシーさんの宿題かな。鉄道だと課題が多いぞ。その前に船の動力にすれば、運河を上手く使えるかも知れないな。」
「ですね。…実用化された最初の蒸気機関はポンプ用の動力だと記憶槽にありました。その次が船ですね。」
蒸気機関の難しさはボイラーで作り出される圧力の問題だ。馬力はその発生する圧力に比例する。そして、現在作る事が出来るボイラーの耐圧がどれだけあるか全く判らない。数気圧位ならボイラーが破裂する事は無いだろうが、その数気圧を安定に保つ事だけでも至難の業だ。
何度も作って事故を起こしながら経験則で作る事になるだろう。そして圧力が低ければシリンダーの口径は大きくなる。
原理を教えておくだけでも技術は発展する。この図面はそのような目的で使うしか無いだろう。
イオンクラフトの荷台の荷重は2tだ。これを作る工作機械をバビロンは用意出来るだろうが運ぶのは困難だ。
「「ただいま!」」
元気な声で入ってきたのは姉貴達だ。
町作りは順調みたいだな。製鉄所に行く前にチラッと見た感じでは、庶民用の家や長屋が建ち始めていた。
御用商人達も貯水池の東に作った広場に面して商店を建て始めている。もっとも、姉貴達と違ってこちらは石作りのようだ。
そして、戦闘工兵の一団が役所をレンガで作っていた。
姉貴達がテーブルに着くのを待ってディーがお茶を用意しに行った。
姉貴達もテーブルに広げられた機械の図面を興味深々で覗いている。
「これを作るの?」
「いや、ディーが先行して図面を描いたんだ。幾らなんでもこれはちょっと手が出ないよ。」
「これは何の機械なのじゃ?」
俺と姉貴の会話にアルトさんが割って入ってきた。
「馬や牛を使わずに荷車を動かす為の仕掛けさ。でも、これは複雑なんだ。そしてただ作れば良いと言う訳ではなくて、付随した物も作るだけの技術がいる。こういうものも作れるぞ、という事で科学技術を志す者達の道標になれば良いと思ってる。」
「ユリシーさんでも無理なんですか?」
「道具が必要だ。望遠鏡位なら、バビロンから持ってきた旋盤で銅板を加工する事は出来るだろう。でもね。この機械の部品一つ一つが俺達の剣位の強度を持っている鋼で作られる。そうなると加工する事は今の技術では無理だと思うよ。」
俺の言葉に、リムちゃんはちょっと残念そうな顔をしている。
とは言え、この図面をユリシーさんに見せたら果たしてどんな行動を取るか、ちょっと楽しみだな。
「そうそう。これが望遠鏡と、コンパスの利益だと言ってたよ。銀貨60枚だ。」
姉貴にデリムさんから受取った小袋を渡す。
「ありがとう。でも、ちょっと足りないなぁ。次の資金集めも考えなくちゃならないわ。」
そんな事を言ってるが、小袋を受取る姉貴は嬉しそうだ。
だけど、そんなに簡単に商売のネタが転がってると思わないけどね。
「次の商品じゃな? リムは何が欲しいのじゃ?」
「ん~。やはり、美味しい物が良いと思う。」
リムちゃんの言葉にアルトさんもニコリとしている。
「という事で、アキト。頑張ってね!」
2人を微笑みながら見ていた姉貴が俺に呟いた。
俺が探すのか? そう言われても直ぐには思い浮かばないぞ。
まぁ、製鉄所の皆と雑談でもすれば、何か思いつくかも知れないな。
それに、戦闘工兵が来ていたから、酒を持って訪ねて見るか。
「あまり期待しないで欲しいな。ちょっと、出掛けて来るよ。町作りの現場で戦闘工兵をみ掛けたから、挨拶してくる。」
「エイオスが中隊を率いて来ておったぞ。役所近くで天幕を張っておるはずじゃ。」
俺にアルトさんが教えてくれた。
片手を上げて謝意を示すと、リビングを出て、バジュラを猟師町に走らせた。
やはり、挨拶に行くなら手土産は必要だろう。
エイオスとて今は戦闘工兵を束ねる上級仕官だ。酒と魚を適当に買い込もうと町に乗り入れる。
酒場で酒樽を2つ買い込んで魔法の袋に詰め込むと、今度は魚屋だ。
結構、トラ族の人達がいるから、魚は喜ばれるんだよな。
魚屋に向かって、笊に入れられた魚を物色する。
「どうだい。どれも今朝取れた奴だから新鮮だよ。」
俺に恰幅の良いおばさんが魚を勧める。
「確かに、獲れて直ぐにしめてあるようだ。鰓も真紅だから新鮮だな。」
「へぇ~。魚の目利きが出来るのかい。恐れ入ったね。で、買うのかい?」
「これと、この笊。それにあの笊。全て貰うよ。北西の町で働いてる奴等にお土産にするから、何かに包んで欲しいんだが。」
「分かったよ。紙に海草を敷いて包んであげるよ。」
大人買いに気を良くしたおばさんが俺にそう言うと、早速魚を包みだす。
ふと、その海草を見た俺は吃驚した。
慌てて、その海草を手に取る。
「どうしたんだい? そんなに海草を見つめて。」
「この海草を沢山買いたいんだが?」
「これは、魚を飾る海草だよ。見た目は良いが、味は良くないよ。売ってあげたくても、今店にあるのは…、これだけだよ。」
そう言って笊に山盛りの海草を俺に見せてくれた。
「それを売ってくれ。そして、これを手に入れるにはどうしたら良い?」
「知り合いの海女に頼んであげるけど…、もの好きだねぇ。」
魚の代金は全部で120L。俺は銀貨を2枚渡して、海草を頼み込む。
「こんなに要らないんだけど、まぁ知り合いは喜ぶと思うよ。背負い籠1つの分量で20Lが相場だよ。」
「とりあえず一籠を頼みます。別荘に届けて貰う訳には…。」
「この代金で十分さ。喜んで届けると思うよ。」
俺はおばさんに頭を下げると魚と海草を受取って漁師町を後にした。
まさかこんなところで天草が見つかるとは思わなかった。
これで、ちょっとしたデザートが作れるぞ。
神は、姉貴達の仕事を良しと判断したんだろうな。資金不足に陥ると直ぐに解決策が用意されているように思えてきた。
青のモスクは神殿とは違うような気がするけど、そこは信心と言うものなんだろう。信じる者は救われる、とは正にこのような事を言うのかも知れない。