#373 イオンクラフト
ユグドラシルの住人は、どうやらサイボーグのようだ。
ユグドラシルの中央電脳へのアクセスと管理を行うフレイヤと名乗る巫女が3人。各人が10人の従者を従え、従者は20人の要員を従えている。そして、要員には5台の作業用オートマタを操ってこの施設を維持しているらしい。
という事は、サイボーグが600人、オートマタが3000台稼動している事になる。
アルマゲドン直後には30万人程が暮らしていたとすれば寂しい限りだ。
住民達が次々と去って行ったユグドラシルに、何があったのかを詳細には語ってくれなかった。
しかし、多数の住人がユグドラシルを去る事態は3度起こったようだ。
エルフと呼ばれる魔法を使える住人の追放…。石で追い払うような事態であったらしい。
次に肢体の異なる者達の強制移住…。半ば動乱と化した状態まで行ったようだが、最終的には病人でさえユグドラシルより追い払ったようだ。
この辺りの話は、エルフの長老との話しに符合する。
そして、最後の出来事はユグドラシルに残った誰もが予想しなかったらしい。
「ある日、海底資源の掘削孔より突然の漏水が発生した。次々と有用な区画を閉鎖して行ったが、その閉鎖により地上への出口までもが閉鎖する事態となった。」
多くの住民が溺れて亡くなり、残った住民は2万人にも満たなかったと言う。
食料生産プラントの壊滅、工場類の浸水…残った人達は将来を絶望しただろう。
「その時、我等の中に肢体を変えようとする者達が現れた。」
奇跡的に破壊を免れた医療区画と人工臓器の生産工場…サイボーグ化は比較的容易だったようだ。
ユグドラシルコロニーでの平均寿命。約200年の半分を生きた者…。そんな人達が次々とサイボーグ化していった。
サイボーグ化したその姿…。水中作業に特化した上で、海中の獲物を捕らえて残った者達へ食料を供給出来る姿…、半漁人だ。
100年以上掛けて食料生産プラントを復旧した時に、大規模な動乱が発生した。
原因は半漁人と化す者達のサイボーグ化拒否が発端らしい。
しかし、体力的に劣った人間側は完敗し、ユグドラシルに残った人達は全員が半漁人に姿を変えコロニーを去る事になったという事だ。
「それでも何人かの人達が、ユグドラシルに残ることになった。乏しい知識と資料を基に、電脳に助けを借りて、自らをサイボーグと化した。さらに、将来の地上進出を図る目的で胚の形で保存されていた者達を使って、今のユグドラシルのシステムを構築している。
厳しい環境に放逐した者達をこの段階で反省し、援助の手を差しのべた。それは今でも続いている。
エルフの里との交流は半漁人の手を借りて行っているから、幾分かは半漁人達の手にも渡っているだろう。」
ユグドラシルと言っても理想郷では無かったようだ。
しかし、歪みがこんなにも近くに無かったら…。歪みから現れた者達を保護しなかったら…。
或いは、理想郷になっていたのかも知れない。
「半漁人として定着を図った…。」と最後に言ったフレイヤの言葉は衝撃的だ。それは意図的な遺伝子の改良。新しい種族を自ら作り出した事になる。
バビロンでは無かったのか?…そのような話は聞く事が無かった。
それでも、ネコ族やトラ族等の種族が出来ているし、獣だって変わってるのが多いぞ。
コンロンの事態は遺伝子改変ナノマシンの暴走によるものだ。
リザル族や小人族…あのマンモスもそうかも知れないな。
だとしたら…、ユング達の向かっているアメリカ大陸はどうなっているのだろう。
あの2人の事だから大丈夫だとは思うが、とんでもない種族や獣が待ち構えている可能性が高い筈だ。
「電脳との協議を行う。明日再度話し合いの場を持つ。」
そう言うと3人は壁の一角に開いた扉の向こうに去って行った。
そして、俺達の入って来た扉から、俺達を案内してくれた長衣を纏った女性が現れると、俺達を「こちらです。」と言って案内してくれる。
通路を再び歩き始めて通された場所は、居住区画のようだった。
10人程度の人間が暮らせるように1部屋が作られている。
「食事は後程お届けいたします。」
そう言って案内してくれた女性が立ち去った途端に、嬢ちゃん達が部屋の探検を始めた。
「棚のようなベッドじゃな。」
「これって、お風呂?」
台所が無いだけで、俺達の住処とそれ程代わりの無い部屋だ。
真ん中のテーブルに集まると、早速嬢ちゃん達が俺達に質問を始める。
「結局、湖から現れた魚のような者達はユグドラシルの子孫になるのか?」
「そうなるね。最初は作業に携わった者だけだったけど、あの肢体に変化させたと言っていたね。」
「ジュリーの先祖は最初にユグドラシルを追い出されたのじゃな…。」
「自分達に無い能力を疎まれたんだと思うよ。…今はどうだか判らないけど、昔はちょっと違うだけで迫害されたんだ。」
それでも、最後までユグドラシルに残った者達が1番異形化したのは皮肉なものだ。
現在残っているサイボーグ達でさえ、ある意味異形ではある。
1時間程経って運ばれてきた食事は質素なものだった。
これだと、嬢ちゃん達がお腹を空かせるだろうと、この部屋で調理が可能かを確認した。
「排煙システムは強力なものです。焚火をしても問題ありませんが、出来ればこちらで用意する加熱器をお使い下さい。」
そう言って、持って来てくれたのは、電磁調理器だった。
小さな鍋と、ポットも専用の物を用意してくれた。
電磁調理器でスープを作り始めた俺を嬢ちゃん達が興味深く眺めている。
火も無いのにお湯が沸くのが不思議でしょうがないらしい。
進んだ科学は魔法と一緒だと誰かから聞いたことがあるが、これも嬢ちゃん達には魔法と割り切るんだろうな…。
スープに硬いパンを1枚ずつ落とし込んで、各人に配ると直ぐにスプーンで食べ始めた。やはり、お腹が空いてたみたいだ。
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「ユグドラシルの電脳は協力すると言っている。問題は歪の波動の解析には、2つの歪の相互の比較が是非とも必要になる。」
「ユグドラシルの通信設備復旧には時間が掛かるだろう。復旧次第、バビロンの神官に通信を送る。バビロンの歪の観測記録と南の歪の観測記録を比較してもう1つの歪の性状を推測する事になろう…。」
「我等はこの場より動く事は出来ぬ。歪の除去はそなた達に頼むことになろうが、その除去に必要な物を探す事がもう1つの仕事になろう。…当てはある。その時に教えよう。」
次の日の会見で、3人のフレイヤさんが俺達に言った。
ユグドラシルとしても、直ぐに除去する事は出来ないみたいだ。
2つの歪の性質を調査して、それを消し去る何らかの方法を編み出すように聞えるが、どれ位の年月が掛かるのだろうか…。
ユング達は、まだアメリカ大陸には渡っていないと思うが、場合によっては歪に到着してもしばらく待つことになるのかもしれない。
「ところで、そなた達は歩いて来たのだったな…。イオンクラフトが残っておる。乗って行くが良い。」
「操作は、そこのオートマタに任せれば問題は無かろう…。」
「元は貨物の輸送用だ。頑丈ではあるが、長時間の運用には向かぬ。動力は核融合、その燃料となる重水素は水より得られる。1日で得られる燃料で飛行距離は300km程、連続でも500kmが精々だ。」
1日で300kmならガルパスでも出来そうだ。便利そうで、意外と…って奴かな。
「高く飛べるかの?」
「30mの高さまで上昇できる。」
アルトさんの質問に即答してくれたけど、これもまた微妙な所だな。
ディーにアルトさんの使う単位に変換して貰った数値を聞いてガッカリしている。イオンクラフトと聞いてディーと同じように高く飛べるものと思ったらしい。たぶん兵器として利用しようと思ったのだろうけどね。
「頂いても宜しいのでしょうか?」
「構わぬ。持っていくが良い。システムは2重化しているから、不具合が生じてもここまで来る事が出来よう。ここでなら修理は可能だ。」
「他に欲しい物があれば用意するが…。」
その言葉に、俺達は色々とおねだりする事にした。もっとも、武器は断わられたけど、これは仕方が無いだろう。
ユグドラシルが用意してくれたのは、ゴーグルと距離計、それに時計と磁石だった。
それぞれ、20個を有難く頂くと、欲が無いとフレイヤさんに言われてしまった。
でも、この4つの品は嬢ちゃん達が強請った物だ。是非とも必要と各自が考えた筈だから、結構欲が出てると思うぞ。
俺と姉貴はノートに筆記用具だ。学校が始まれば必要になるだろうし、その前にユリシーさんに作ってもらうにしても現物があるのと無いのでは出来上がりが違うだろう。
ディーは、温度計を数種類と照度計だった。…何に使うんだろう?
そして強請った品物が揃った時、俺達はフレイヤさんに礼を言ってユグドラシルを去る事にした。
フレイヤさん達の案内でエレベーターを乗り継いで地上へと向かう。
「今は、何も無いところになってしまった。昔は大勢の人々に溢れていたのだが…。
それでも、海流発電と海底鉱床のおかげで、このまま更に数千年は維持できるであろう。たまには顔をみせるが良い。」
そう言ってくれたのは寂しさだけでは無い筈だ。
困れば助けてやろう…という事だろう。
そんな言葉を呟いたフレイヤさんの1人に俺は小さく頷いた。
確か、この通りを進めばピラミッドの扉に出る。そう思って歩き出そうとしたら、「こちらだ…。」と後ろから声がした。
振り返ると、エレベータの出口の左側の扉が開いている。俺は慌ててその扉に入った。
「これが、イオンクラフトなのじゃな?」
アルトさんの言葉にフレイヤさんの1人が頷いた。
「本来は、運搬用の品だ。最大積載量は4t。荷台があるから、そこに乗れば良い。運転席と助手席は椅子があるが、それ以外の者は荷台に毛布で椅子を作れば良い。
落ちぬように、腰のベルトにこれを付けてロープを通しておくのだ」
そう言ってカラビナを10個程渡してくれた。
俺達が強請った物は箱詰めされて荷台に載っている。ロープで動かないようにしばってあるから、このロープを余った部分で俺達の安全を担保すれば良いだろう。
「運転はこのマニュアルを読めば何とかなるだろう。最初は高度を取ってゆっくり進めばよい。但し、外に出たら、先ずは東に進め。そして南に向かえば歪に巻き込まれる事も無いはずだ。」
ディーが素早くマニュアルを読み終える。そして、マニュアルを姉貴に渡した。
「飛行は可能です。全員席にお付下さい。」
姉貴はディーの隣に乗り込み、嬢ちゃん達と俺は急いで毛布を丸めると、その上に座ってベルトにカラビナを取付ける。そのカラビナにロープを通してしっかりと荷物のロープに結び付ける。
「準備は良いな。…この扉を開くのは久しい…、はたして開ける事が出来るか…。」
そう言いながら壁近くで何かを操作している。
キュルキュル…鉄の軋むような音が響くと、俺達のいる部屋の天井が大きく開いていく。
なんか、こんなアニメがあったような…。そんな気がして嬉しくなってきた。
「良し、全開だ。…先ずは東、そして南だ。…行け!」
フューン…不思議な透明な音がすると、俺達を乗せたイオンクラフトはピラミッドの屋上から3m程の高さに上昇した。
そして、何の前触れも無く一気に東へ移動し始めた。
「「「きゃー!!」」」
荷台は急な方向転換と加速で嬢ちゃん達が悲鳴を上げる。
しかし、だんだんと速度が落ちてガルパスが駆ける速度程度で進みだすと、周囲を見物する余裕が出来たみたいだ。