#369 スマトルとカラメルの諍い
初夏の朝は早い。5時には起き出して軽い朝食を食べて6時には出発する。
昼は、パンと干した杏のような小さな果物とお茶で過ごす。
そして、5時過ぎまで歩くのだ。途中2時間おきに10分程度の休みを取るが嬢ちゃん達は不満も言わずに従ってくれる。
1日約10時間は歩いている勘定だが、それでも進める距離は40kmに満たない。
ディーの計算ではユグドラシルまでの行程は約2千km…2ヶ月を要するという事だ。
まだ、歩き出して10日目だから、それでも2割程度は進んだ事になるのかな。
ディーの生体探知機能は、1度出合った人物、獣等をライブラリーとして照合出来るので、周囲1kmの偵察は移動しながらでも行なえる。
ここまで出合った獣で危険性があるのはガトル位の物だった。それも、数匹の群れだから俺達の敵ではない。
それでも、姉貴は嬢ちゃん達に武器を装備するように指示した。
今は背中にクロスボーを背負って歩いている。俺と、姉貴、それにアルトさんは最初から拳銃を腰のバッグで隠すように装備しているから問題は無いと思うんだけど、アルトさんも姉貴も背中にはクロスボーを背負っているぞ。
「2時の方向距離600、グライザム単体です。…こちらに気付いておりません。」
「気付いてなければ、先を急ぎましょう。追って来たら早めに知らせてね。」
「了解です。」
グライザムと聞いて一瞬皆の顔に緊張が走ったが、俺達は狩りに来た訳ではない。
襲ってこなければ無視して先を急ぐのが賢明な選択だと思う。
俺達が歩いているのは、森の外れで荒地の手前というところだ。
荒地の獣は森の獣を恐れて近づかないし、森の獣には獲物が乏しいところでもある。そして、いざとなれば立木に身を潜める事も出来る。
難点は、少し歩き辛いところではある。だが、それは荒地に比べればの話で、森の中よりは格段に歩き易いと思う。
ひたすら西へと山裾を歩いているのだが、たまに嬢ちゃん達が小走りに歩いて山菜を摘んでいる。
「お婆ちゃんに教えて貰ったの。長い行軍の時には山菜をとって食べるんだよって!」
そう言ってリムちゃんが教えてくれた。
アテーナイ様とギルドの依頼をこなす内にそんな事を教えて貰ったんだろう。
俺にはどれが食べられるかさっぱり判らないぞ。
昼を過ぎた辺りで、前方に岩山が見えてきた。今夜は岩場の影に野宿する事になりそうだ。
夕方近くになって大きな岩が張り出した場所を見つけた。
丁度前回休息を取って5日目に当たるという事で、明日はのんびりと休息を取る。
岩の奥に天幕を張ると、丁度天幕が張り出した岩の中に入る。
これなら、安心して眠れそうだ。
早速、焚火を作ると水をいれた鍋を乗せる。
今夜はディーの取ってきたラッピナと途中で嬢ちゃん達が採った山菜を使ってシチューが出来そうだな。
俺は、ポットに水筒の水を入れると焚火の傍に置いた。
「先行偵察に行ってきます。」
ディーが籠に水樽を2個入れると、滑るように西に向かって移動していく。
明後日の行軍の状況偵察と水の確保をするためだけど、…ディーがいなければどうしようもない事だよな。
水は水樽を3つ持ってきているが、これで2日分と言ったところだろう。ダリル山脈の北にもそこそこ水場があることが判ったので、今回はそれ程水筒を持って来ていない。全員が1ℓの水筒を持っているから、予備の水は10ℓの小さな樽3つで何とかやりくりしている。
しばらくしてディーが帰ってくる頃にはお茶が沸いていた。
ディーの持ち帰った水樽と水筒を配り終えると、リムちゃんが皆にお茶を入れてくれる。今回は木製カップではなく、全員がシェラカップだ。
俺達が持っていたチタン製のキャンピング用食器と先割れスプーンをバビロンで複製してきたようだ。
お茶を配り終えたところで、リムちゃんとアルトさんが自分の水筒の残りの水をポットに入れて再び焚火の傍に置いておく。
ジッとシチューを煮込み続けて、周囲が真っ暗になって獣の遠吠えが聞え始める頃に俺達の食事が始まった。
「ユグドラシルもバビロンのようなのじゃろうか?」
「たぶん、それ程変らないと思うよ。でも、エルフの長老のは区画を閉鎖しながら地上に出たと言っていたのがちょっと気になるな。」
「どういうことじゃ?」
「内部で抗争があったんだと思うよ。リザル族はコンロンでの抗争を嫌って西に逃れてきたと長老が言っていたよ。
急激な肉体変容はコロニー内で深刻な対立を引起したんだろうね。」
「だとしたら、バビロンのコロニーは奇跡的に抗争が起きなかったのね。」
「たぶん、歪みの発生場所から遠かった事と、何らかの遺伝子変容の嵐に1番遠かったせいなんじゃないかな。
ユグドラシルは歪から現れた人達と暮す内にエルフ族とマンモスを狩っていた原始人に分かれたと思うんだ。
コンロンはリザル族、それにノーランドの小人族に分かれたと思う。
バビロンは人間と獣人に分かれたようだ。でも、人間と獣人の抗争はアテーナイ様にも聞いた事が無いし、相互に仲が良いよね。」
「すると、魔族は…ククルカンという事になるのか?」
「たぶんね。…ユングの旅が進めばその辺の情報は入ってくるかも知れないけど、俺はそれが真相だと思うよ。
そして、気になることがもう1つ。
2つの歪の繋がる世界は同じなのか?…もし、同じ世界なら同じようにエルフ族がククルカンに生まれてくる筈だ。だが、現実はおぞましい魔族だ。幾ら遺伝子変容でもあれほど酷くはならないと思う。どちらかと言うと遺伝子変容の影響は少なかったはずなんだ。」
遺伝子改変ナノマシンが暴走したのはカラメル人の調査隊が原因だろう。今となってはどうしようもないが、結果的には動植物の種類が爆発的に広がったのだから、ジェイナスと言う世界全体で考えると良い結果になったのかもしれない。
ジェイナスにとっては、人類も動植物の1つに違いないのだから。
嬢ちゃん達は小型のサイコロゲームを持ってきたようだ。
天幕の中でゲームをしながら小型通信機を操っているんだから器用なものだ。
「実際のところ、アキトはユグドラシルをどう見てるの?」
「どこまで知っているか…それを俺達に教えてくれるのか…。その辺が良く分からないな。エルフの長老もバビロンの神官も同じような事を言っているけど、それは俺達の都合でしかない。
バビロンの住民は世界に散って行った。それは、もう一度外の世界で暮らそうとした人達の総意に違いない。
でも、ユグドラシルは違ってる。住民が2つに分かれて、エルフ族は原始人達を切り捨てて出て行ったんだ。
最終的には、原始人達もユグドラシルを去ったようだけど、それはたぶんユグドラシルの意思によるものだと思う。
ユグドラシルの電脳が、人類を庇護するにそぐわないものと判断していたらちょっと面倒だと思うな。」
「閉じ篭っちゃった…。という事?」
「それが気になるんだよね。」
電脳が生きているのなら、バビロンとユグドラシル間での交信は可能なはずだ。
コンロンはたぶん破壊されたと考えられる。そして、ククルカンは一方的に交信を途絶した。
燃料の枯渇は他の代替手段がある筈だし、最低限の電脳の維持管理だけなら長時間の活動が可能だろう。
何故、バビロンとの交信を行なわないのか…。その辺が気になるんだよな。
「母様からの連絡じゃ。ニードルからの連絡が入ったと言っておる。
南進軍は帰路についた。爆裂球の供給を廻ってカラメルとスマトルが戦闘。カラメルはスマトルから撤退…。以上じゃが、カラメル族はそれほど弱兵とは思えぬのだが…。」
アルトさんの話を聞いて俺は姉貴を見た。嬢ちゃん達も天幕の入口から顔を出している。
「カラメルは戦闘を嫌がったのよ。子供が喧嘩を挑んできても、大人は適当にいなして去っていくでしょう。それと同じ。」
「戦闘の原因は爆裂球の供給にあるのか…。確かに、爆裂球はカラメルとの取引でしか手に入らないよな。アルトさん。爆裂球の購入数に上限ってあるの?」
「一応はある。年間1万個がその上限じゃ。…面白いのは、それが1つの国に対しての上限である事じゃ。
スマトルがいかに巨大でも、爆裂球の数は年間それだけしか購入出来ぬ。
じゃが、我等は連合王国。各国がそれぞれ上限を適用されようともスマトルの4倍の数を手に入れる事が出来る。」
「でも、スマトルからカラメルが去ったという事は、スマトルは爆裂球を購入出来ない事になるのね。」
何時の間にか嬢ちゃん達は焚火の周りに集まってきた。
確かに、まだ8時だから寝るにはちょっと早すぎるかもね。
「お婆ちゃんが、そこが問題だと言ってた。」
「カラメル人達と諍いを起こしてまで欲しがったのは、数なのかそれともって…。」
焚火の風下に移動してタバコに火を点ける。
そこまでして欲しがったのは、たぶん爆裂球の改造だろうと想像は出来る。
数に制約があるなら、より威力があるほうが良いし、空から落とすなら、5秒の制約を長く出来れば大蝙蝠の消耗も防げるはずだ。
しかし、結果的にカラメル人がスマトルを去ったとなれば、新たな爆裂球の購入は出来なくなる。
これ以後は、他の諸国から爆裂球を輸入する外に手は無いだろう。
他国にしてみれば売り手市場。ぼろ儲けが出来るだろうが、そう喜んでいられるのか?
「問題は、スマトル軍が爆裂球に変化を持たせたいと思っている事ね。」
「だけど、この世界には科学が無い。直ぐに火薬は出来無いだろうし、カラメルの供給している爆裂球は初期の火薬より数段先の物だ。黒色火薬を作っても使い物にならないと見放されると思うよ。」
「アキトの話だと、アキト達は爆裂球を作れるように思えるのじゃが…。」
アルトさんが俺の顔を不思議な面持ちで見つめている。
「爆裂球は無理だよ。俺が出来るのは火を着けると爆発する粉薬だ。でも、作らないよ。この国にはそれより数段便利な爆裂球があるからね。」
「それを教えるのは…。そうであったな。大砲を最後に武器は教えぬという事であった。じゃが…それをユグドラシルが教えるとするならばどうするのじゃ?」
「聞かなければ良い。学校で庶民が勉強を始める。そして、色々と疑問を持つだろう。観察して、その原理を探る俺はそれが大事だと思う。」
「種は播いた…。という事じゃな。」
アルトさんの言葉に俺は頷いた。
「やはり、自分達の事は自分達でやるべきだと思うな。教える事は簡単だけど、いつかそれを越えるものが他国で作られるだろう。国力を高めるのは、技術力であり科学力だと思うけどな。」
自然科学の曙って感じだな。
地図作りをしながら三角形の不思議があの連中に理解出来るだろうか。三角関数を使いはしているがその理論は理解していないだろう。
陶器を焼いて酸化・還元の化学をどこまで理解するだろうか。星図を作ってそ位置を三角関数で求めた時、誤差が大きいのに気が付くだろうか…。
何故?と疑問が生じた時から、神に変る科学が生まれてくる筈だ。