#350 バビロンへの依頼
その夜。姉貴とアルトさんそれにディーの4人でテーブルに着くと、何となく寂しく感じるのは、俺だけではないようだ。
姉貴もアルトさんも口数が少なく沈んでいるように思える。
屋台の売れ残りで夕食を済ませると、ディーの入れてくれたお茶を飲みながら姉貴達にフリーネさん達の話をする。
「そうなんだ。…いよいよ天文台が稼動するのね。科学の始まりよね。」
「天文台は科学なのか?…我等の持つ望遠鏡よりも大きなものがあるだけに思えるのじゃが。」
「あの望遠鏡で観測すると色々な疑問点が出てくる筈なんだ。その疑問をときあかそうとする行為が科学と言われる学問になる。…少なくとも出発点の1つになるのかな。」
「疑問を持てば、何らかの解釈をする事になろう。その解釈が現在の我等に出来ぬという事になるのか?」
「一応、その事についても、釘を差しておいた。疑問を持った段階で公にした方が良いとね。解釈をした場合にその解釈が誤解され易い。」
姉貴が頷いた。
「宗教裁判ね。確かにそうなるわね。…アテーナイ様は何て言ってたの?」
「神殿側が教義を変更するだろうと言っていた。真実審判はそれについても有効だと…。少なくとも火刑になる事は無い。」
「何処まで教えたの?」
「ジェイナスが球体で、傾いた軸を中心に回転している。そして1年掛けて太陽を回っている事は話しておいた。」
「ちょっと待て、ジェイナスの大地は平面じゃ。それに太陽は1日1回この地を廻っておるのだぞ。そのような考えは…。母様にも告げたのじゃな?」
アルトさんの問いに俺は頷いた。
「しかし、その考えが王国内に広まれば、教義と対立するという事であらかじめ話しておいたということか…。真実審判官が自信を無くすじゃろうな。」
アルトさんはそう言って遠い目をしている。
裁可の場を想像しているのだろうか。そして、その場で「それでもジェイナスは回っている。」とフリーネさんは言うのだろうか…。
「それで、観測用の機器が足りないんだ。出来ればバビロンから調達したいんだけど…。」
姉貴に向き直ってそう告げると、姉貴は少し驚いていた。
「あれだけじゃダメなの?」
「出来れば、時計が欲しい。正確な奴をね。年差で1秒クラスが観測には必要だ。それと合わせてストップウォッチ、アイピースの予備、筆記用具と製図用具当たりは必要だ。出来れば製図用具は複数欲しいな。クオークさんの地図作りにも必要になる。
地図作りといえば、簡易測量が可能な器具も数セット欲しいぞ。現在の測量点を元に展開出来れば早く形になる。」
「ならば、これも必要じゃ。亀兵隊の中隊長クラスには渡しておきたい。それに偵察を任務とする部隊には必携だろう。」
アルトさんが追加を要求してきた。
「そして、最後に俺からの依頼はバビロンの神官に知恵を借りる事だ。遠距離通信の方法がどうしても上手く行きそうにない。知恵を借りたい。」
「そんなに沢山は、バビロンでも直ぐには対処出来ないかも…。ディー。確かバビロンとの通信が出来るんだよね。」
ディーは頷くとテーブルの正面を見た。そして、その顔に表情が無くなる。
「…依頼の件は了解した。直ぐに取りに来ても問題はない。
…少し課題があるのはアキトの依頼だ。光を使ったモールスであれば初期の通信機でよいのであろうが、その資料が記憶槽に見当たらぬ。数十年後の機材となってしまう。
故障対応はバビロンからオートマタを2体派遣する。それで、対応は可能だろう。
我と通信するのにディーを介さずとも通信が可能なように別途機材を送る…。」
ディーの無表情な顔が元に戻った。
「早速、出かけますが、何か追加する物はありますか?」
「私は…無いわ。アキトは?」
「手回し式の計算機に計算尺。それと三角関数表だな…。」
「我は、食器が欲しいぞ。アキト達が野外で使っておる金属製の奴じゃ。」
「あれか…、軍用食器を5セット追加ね。」
「了解しました。」
そう言ってディーは部屋に戻っていく。やがて出てくると、エルフの里を訪ねた時に持って行った肩に背負う簡単なバッグを持っている。
どれ程の量になるか分からないから特大の魔法の袋を持っていくようだ。それと腰のバッグの魔法の袋で対応するみたいだけど、間に合うかな。
そして、リビングを出て行った。
たぶんイオンクラフト全開で飛んで行ったんだろうな。
サーシャちゃん達が帰ってくる時にはディーも戻って来るだろう。
「…少し気になる事を言っていたのじゃ。オートマタ2体とはディーが更に2人増えるという事になるのじゃな?」
そう言えば、そんな事を言っていたな。
姉貴の顔を見ると、困ったような顔をしている。
「ディーとは違うと思うの。…ディーはある意味戦闘用よ。バビロンの神官さんは故障対応って言っていたわ。修理専門のオートマタだからユリシーさんみたいな感じじゃないかと思うんだけど…。」
姉貴も自信が無いみたいだな。
「でも、どこに居場所を作るの?…ここは、無理だよ。」
「天文台か会社…場合によっては通信所を作るのも良いかもしれないわね。そこで、通信機の面倒を見ながら、通信機の修理を行なうのも良いかも知れないわ。」
となれば、この村に通信所を作らねばならないな。早速、明日にでもアテーナイ様に相談してみよう。
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次の日は朝からのんびりとアズキモドキを煮る事になった。
明日にはサーシャちゃん達が1回目の狩りを終えて帰って来るからね。疲れた体には甘い物が一番なんだけど、問題はこれをどうやって防衛するかだな。
昼には差し入れじゃ!と言いながら様子を見に来ているから油断は出来ないみたいだ。
そんな事を考えながらアズキを掻き混ぜていた時に突然閃いた!
完成させるから狙われるんだ。半完成品ならタダの豆のスープになる。という事で、砂糖はサーシャちゃん達が戻ってから入れる事にして、このまま置いておく事にした。
ちょっとした安心感を抱いて皆の状況を見に行く。
通りに並ぶ出店は、殆どが屋台だ。何時の間にかこれ程の屋台が作られているとは知らなかったぞ。
薬草を商う見知った夫婦も屋台を手に入れたようだ。
俺達の屋台と違って手前に大きくテーブルを張り出せるような工夫がされているし、屋台の後ろ部分はせり上がって、陳列棚のようになっている。簡単な碾き臼が積まれているのも特徴だな。
「やはり、屋台は良いですね。見掛けも良いし、テーブルも広げられます。客の要求をその場で対処出来るように碾き臼も詰めました。それにこの屋台の中に薬草を積んで置けますから雨が降っても慌てる事はなくなりましたよ。」
挨拶した俺にそう言って笑いかける。奥さんも嬉しそうだな。
そんな2人に手を振って西に進むと、俺達の屋台が見えてくる。
今回は、アテーナイ様達も大人しい綿の上下で売り子をしている。幾らなんでもあの格好をしないだけでも俺としては安心なんだけど、イゾルデさん…、御后様は不満そうだ。何だかんだ言いながらも、夫の言う事はちゃんと聞くみたいだな。
そんな俺を見て、スロットが休憩所を指差す。
何だろうと、思いながらも休憩所で待っていると、スロットがミタラシ団子を持ってやって来た。
ホイって俺に1本を分けてくれる。
「あのアン団子が欲しいって、女性の客が引っ切り無しだ。何とかならないのか?」
「やはり…。ところで、家の連中もそうか?」
「ネビアは初日に5本食べたぞ。アテーナイ様達が4本だ。最初の20本は焼ける傍から家の連中が食べたようなもんだ。」
「困ったな…。山荘の調理人に頼むか…。まだ砂糖があったはずだ。あれには大量の砂糖を使うからな。」
「団子の話か?…俺にも教えてくれると有り難い。あれは売れるぞ。」
そう言って近づいてきたのはグルトさんだ。
「確かに売れるとは思いますが、作るのが面倒ですよ。これから山荘の調理人に頼む心算ですから、ご一緒しましょう。」
そう言って2人で山荘に歩き出した。玄関前では大鍋でうどんを煮ている。結構売れてるみたいだな。
その近くのテーブルでサレパルの生地を作っていた調理人に訳を話すと、快く承知してくれた。
「実は、アテーナイ様からも作るように言われてまして…。今夜にでもアキトさんを尋ねようと思っていたところなんです。」
俺達は早速、山荘の台所に行ってアズキを洗い始める。
「良く洗って、一晩水に浸けるんだ。それからでないと、豆が軟らかく煮えない。今日はここまでだな。明日の朝からアズキを煮る事になる。」
「なるほど、2日掛かりで作ることになるという事ですか。ここまでは了解しました。」
明日の早朝からアズキを煮る事にして、俺達は山荘を後にした。
山荘の出口でグルトさんと別れて、先に進む。
通りの両脇にはずっと屋台が続いており、所々に休憩所が設えてあった。
北門の広場が近づくと、威勢の良いセリの声が聞えてくる。
広場には北門から続く柵が広場中央の柵に続いており、ハンターが仕留めた獲物を乗せた荷車がその広場中央の柵へとスムーズに運搬出来る用になっている。柵の手前には商人の手代達がずらりと並び、配下の者達と相談している。その対面にはセリを担当する村人と、その状況を見るセリウスさんの姿があった。隣にルミナスちゃんがちょこんと座ってセリの記録を取っているようだ。
「荷馬車が来るぞ!」
楼門の上から村人が怒鳴り声を上げると、広場が一段と騒がしくなる。
これが、狩猟期の姿なんだな。
楼門の広場側には何時もの看板が上がっているぞ。
どれどれとそれを見る自分に少し笑いがこみ上げてくる。本来ならば俺もここに名前を連ねられるのだが…。
6チームの名前がそこにあった。
まだセリの合計金額が2000L程度だから、近場の狩りを終えたハンター達だな。
明日には、遠方に狩りに出かけた連中が帰ってくるから、一気にこの順番が入れ替わるんだろうが…。さて、サーシャちゃん達はどれ位に着けるんだろうか。そして、サラミス達の順位も気になるところだ。
さて、戻ってシュタイン様に付き合うかな。黒リックは何匹あってもこの季節は困らないだろう。
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朝から山荘の調理人とグルトさんの3人で大鍋でアズキを煮始めた。
最初は強火が俺の基本だが、調理人は豆はゆっくり煮るんですと言って自説を曲げない。おかげで長時間煮詰める事になってしまったが、結果としてはこれが良かったようだ。何時もよりアズキが柔らかく仕上がっている。
問題は、俺達が作るのがゼンザイではなく粒アンであるという事だ。この状態から更に煮詰めねばならない。そして、アズキを焦がしたらお終いだ。
慎重にグルトさんが鍋を大きなヘラで掻き混ぜている。
砂糖を投入して、塩を入れ…更に掻き混ぜると少しずつ粘りが出てくる。
掻き混ぜた後に汁が出なくなった時、俺は鍋をカマドから下ろす事にした。
俺たち3人がヘラに付いたアンを指で掻きとって口に入れる。
俺達は顔を見合わせて微笑んだ。
「出来たな。…さても面倒な事だが、作った甲斐はある。早速、スロットのところに持っていくぞ。」
「これで、アテーナイ様の注文に答える事が出来ます。私は、あの粒アンをサレパルに包んだらと思うのですが…。」
「それは試してみましょう。直ぐに結果が出ますよ。」
俺と調理人もグルトさんの後を追って通りへと歩き出した。
その結果…。新しいサレパルが誕生した。
ケークとはちょっと違ったスイーツの誕生だ。
「婿殿…。表彰ものじゃぞ。これで、婿殿を悪く言う者は王国中の女性の敵と認識されるに違いないのじゃ。」
アテーナイ様は手放しで喜んでるけど…あまり食べると太ると思うよ。
そんな所に、カチャカチャと爪音を立ててサーシャちゃん達が帰ってきた。
早速、イゾルデさんが粒アン入りのサレパルを皆に配っている。
サーシャちゃん達はガルパスを山荘に戻して、休憩所にサレパルを片手に持って歩いて行った。
タケルス君たちが急いでお茶を用意してるのが微笑ましく、姉貴達が顔を綻ばせている。
「狩りはどうだったんだろうな?」
「狩りは2の次。今回はミクとミト、それにリムちゃん。更にはロムニーちゃんやルクセム君まで参加してるんだから。ある意味、世代交代の様子見って所よ。無事で狩猟期を過ごせれば良いわ。」
確かに世代交代だな。と言っても俺達がザナドウを狩ったのはそれ程前のような気がしないぞ。
そんな事を考えながら家路に着く。
今夜は約束のゼンザイを作らねばならない。後は味付けだけだからそれ程時間は掛からないだろう。