#349 天文台
山荘の玄関先では、近衛兵がテーブルで小麦粉を叩いている。何となく仕草が様になって見えるのが嘆かわしくもあるが、それだけ平和なんだと考える事にしよう。
山荘に入りリビングの大きなテーブルに座って待つ。
少したって扉が軽く叩かれ、2人の女性が入ってきた。
背の高い、少し痩せぎすな30代と思われる女性だ。
テーブルの反対側に立つと俺達に軽く頭を下げると、アテーナイ様の指示に従って椅子に座って俺を見ている。
「初めてお目に掛かります。私はフリーネ。そして、隣は友人のテルミーと申します。」
「俺は、アキト。ハンターだ。故あって、アテーナイ様と懇意につき合わせて頂いている。」
とりあえず名前は紹介しておかないとな。
「婿殿。この2人じゃよ。例の天文台と言う物の管理を行なわせようと思うておる。地図を作らせようと思うておったのじゃが…、クオークが名乗りを上げての。国の将来に直結するなら是非にと言うておった。
そこで、同じような地図作りを企んでおる婿殿にフリーネ達に手伝わせようと思っておるのじゃが…。」
そこまで洞察力がアテーナイ様にはあるのか…。それとも長い人生経験から来たものなのだろうか。
だが、俺が考えていたのは星図作り、正しく空の地図作りに外ならない。
「この世界で、これから貴方達が行なう仕事はあまり役立ちませんよ。これが役立つようになるのは…。1つ目は時間を正しく知ろうとする時です。2つ目はこの世界の成り立ちを考える時になります。3つ目は星の世界に旅立つ時になりますね。」
「何とも壮大な話よのう…。星の世界に旅立つとはのう。じゃが、バビロンの事もあるあながち夢物語ではないのじゃろうが、我等の生きている間には不可能な事じゃ。
となれば、当分は時間を正しく…となる訳じゃが。それがどのように関連するかを説明して欲しい。」
アテーナイ様が俺にそう言った時、侍女がお茶を運んできた。
何時もの服装じゃないから、姉貴達を手伝ってるのかな?
「後は、我等に任せるが良い。3人も女子がおるのじゃ。お茶ぐらいは我等で作れる。…早く屋台の手伝いをしてあげるが良い。」
アテーナイ様の言葉に、嬉しそうな表情を浮かべて侍女はリビングを出て行った。
「狩猟期にアテーナイ様が屋台を出していると聞いて驚きました。本当だったのですね。」
「婿殿の発案でな。…中々面白いぞ。直に民衆と楽しめるのが何よりじゃ。売り上げは、屋台を切り盛りした連中で分かち合うが、我の取分は4つの神殿に均等割りじゃ。それで少しは孤児達の食事が良くなればと思うてな。」
そう言いながら、俺達にお茶を入れたカップを配ってくれる。
そんな事をしてたのか…。これは姉貴にも知らせておいた方が良いな。
配り終えたアテーナイ様が席に着いたのを見計らって話を始める。
「時間…と簡単に言いますが、詳しく考えた人はいないでしょう。時間の基本は1日です。1日の経過をきちんと知る一番良い方法は太陽です。
柱を立て、その柱の影が一番短くなった時から、次の日に柱の影が一番短くなった時が、この世界で知る一番正しい、1日の時間経過になるでしょう。
ここから先は、1日を何分割するかによります。姉貴が作った鳩時計は、1日を24分割にした時間経過を1時間。1時間を60分割した時間を1分として知る事が出来ます。
ここで、1つ問題が起こります。その時計は正確でしょうか?
機械仕掛けのカラクリには必ず誤差が出ます。その誤差が積み重なると全く使い物にならなくなります。その誤差を補正する方法が星の観察になります。」
3人は興味深く俺の話を聞いている。
「ところで、皆さんの知識を知りたいのですが。何故この世界に昼と夜、そして季節があるか判りますか?」
「お日様がこの世界を、朝東から上って夕方に西に沈むからですわ。季節は4つの神殿の神の賜物と聞いていますが…。」
フリーネさんが、さも当然と言う感じで俺に言った。
天動説か…。ちょっと厄介だな。
「アテーナイ様。ひょっとしたら今から話す事が神殿の教義に反する事になるかも知れませんが、それを話す事は神殿を冒涜する事になりますか?」
「何の話か分らぬが、神殿の教義にも真実審判の裁可が適用される。若し、婿殿が神殿の教義に反する事をこの場で話したとしても、我等は誰にも話す事はない。話したとしても教義と異なると言って神殿はその者を訴追はせぬ。どちらかと言うと、その確認をするじゃろうな。そして教義と相容れなければ教義を変えるはずじゃ。」
良かった。少なくともガリレオにはならずに済む。あれで、火焙りになった者もいるって聞いた事があるからな。唯一神ではなく、4つの神を持ってるだけでもその違いがあるのかも知れないな。
「先ず、この大地…ジェイナスは大きな球体です。これは、海に行って水平線を見れば直ぐに分かりますよ。水平線は直線ではなく僅かに曲面を描いています。
そして、太陽は動かずにこの球体が1日に1回転…ゆっくりと回っているのです。
太陽に向いた面が昼に反対側は夜になる訳です。
次に4季ですが、このジェイナスという大きな球体は垂直に回転している訳ではなくて少し傾いて回っています。
傾く事で、太陽との見かけの角度が違ってきます。太陽の高度が高い時期は夏に、低い時期は冬になります。
この角度の相違は、ジェイナスが太陽の周囲を1年掛けて回る事から起こります。そして、この間にジェイナスは365回と四分の一回転する事になるんです。」
3人は呆然とした表情で俺を見ている。
「さては、見事に教義を否定した物じゃ。じゃが、我等が広めねば済む事。安心するが良い。…しかし、この話とフリーネの仕事が関係するのか?」
「関係するというよりも、その仕事をするとこの事実を何れ知る事になる。という事です。あらかじめ知っておいた方が良いでしょう。」
「私達がする仕事とはそのように恐ろしい仕事なのでしょうか?」
フリーネさんが恐る恐る聞いて来た。
「いえ、測量とクオークさんが作っている地図作りと変りませんよ。クオークさん達はジェイナスの地図を作っています。たぶんジェイナス全体の地図を作るには早くて300年は掛かるでしょうね。
フリーネさん達に作ってもらうのは、ジェイナスを取り巻く星の地図です。
俺達の国でも古くから星の地図を作ってきました。簡単な観測装置でね。そして、科学の発展に合わせてその装置は高度に発展しました。
貴方達に使って頂く装置は近代的ではありますがそれ程大掛かりな物ではありません。それでも、この観測をすれば先程の事柄が洞察出来るのです。
観測結果を公表するのは問題ないでしょう。でも、そこから洞察出来る事を発表するのは十分注意してください。
俺の国でも、この発表をする事により時の権力者によって幽閉、火焙りとなった者たちがおります。」
「確かに、神殿は大いに慌てるじゃろう…。じゃが、そこまではせぬと思うが、フリーネ…。婿殿の忠告、心しておく事じゃ。」
「畏まりました。少なくとも星の地図は星座と考えて宜しいのでしょうか?船乗り達が星の連なりを神話や獣見立てて記したものがあると聞いた事があります。」
「基本はそれで良いはずです。俺達も黄道12宮と言って月毎に星座を定め、そこから星座を発展させた経緯があります。
どの星がどの星座に属するかを決めれば良いはずです。」
「それは、直ぐにでもクオークに調べさせよう。後は何が必要じゃ?」
「あの2人が作ったものですから、生活するという概念は無かった筈です。天文台を見て貰って、フリーネさん達にその辺はお願いしたいですね。俺が、気になったのは、時計類が無かった事ですが、観測を始める前にバビロンで手に入れてきます。ディーを使いに出せば3日も掛からないでしょう。」
「ならば、早速出掛けてみるか。実際に見なければ分からぬ事も多いじゃろう。」
という事で、俺達は天文台に出掛ける事になった。
フリーネさん達がスカートではなく、薄手のパンツルックなのがありがたい。あの道は、道と言う感じじゃないからな。
通りに出ると、俺達の屋台の脇にある休憩所でちょっと腹ごしらえだ。
早速、姉貴が「誰なの?」って聞いてきたから、教えてあげた。
ディーが、サレパルに団子それにお茶を運んでくる。
「婿殿。これは美味しいのう!」
そう言いながら、アン団子を食べているアテーナイ様の口の周りにはアンコが付いてるぞ。
「サーシャちゃん達が帰ってきた夜に、それを使った料理を出しますから楽しみにしていてください。」
そう言ってとりあえずその場を満足させる。さもないと売り物を全て食べられそうな気がするぞ。
食事が終ると、通りを東に歩いて東門の広場に出た。
そこから北に抜ける小さな扉があったはずだが…。北に向かってずっと塀が延びている。
「天文台まで東門の塀を延長したのじゃ。湖に面して数軒分の別荘が立つじゃろう。各国の王族が煩くてな。」
確かに、作るなら湖に面して…となるだろうな。
となれば、あのとんでもない道は…。土を入れて綺麗になっていた。
馬車1台が通れる道が少しうねりながら続いている。
俺達はその道を歩いて行った。
道の突き当たりに石作りの建物がある。
「これが天文台になります。2つのドームにそれぞれ観測装置が収められています。」
「あの黒い線は何の目印なんですか?」
フリーネさんが経緯台を収めたドームの壁に描かれた1本の線を指差して聞いて来た。
「ほら、この広場のこの線に繋がってるでしょう。そして、この線は東門の中央にある石作りの東西南北を示す、南北線に繋がっています。
この線が、クオークさんの地図作りの原点になってるんです。経度という基準点をあのドームの中の装置を元に決めたんですよ。」
「中に入るぞ。」
俺達をアテーナイ様が天文台の玄関の鍵を開けて呼んでいる。早速、建物の中に入ると、前回よりは建物らしくなっていた。
「あやつら、人の暮らしを理解しておらぬ。中は我等がもう一度直しておいた。2家族なら十分に暮らせるじゃろう。ここがリビングと仕事場を兼ねた物じゃ。」
教室程の広さの暖炉のある部屋は窓際に3つの机が置いてある。そして北壁には本棚が4つ。今は何も無いが、観測記録がここに収まるんだな。
暖炉の傍には大きなテーブルがあった。10人位は座れるだろう。そして何も置いていない壁には鳩時計が下がっている。
「後の部屋はフリーネ達で分けるが良い。ただし、この建物は国の物じゃ。観測が出来なくなったら、次の者に交替する事になる。そこは弁えてくれ。」
「十分です。老後は子供達に見て貰いましょう。でも、子供達がこの観測を続けるなら、ここにいても宜しいのでしょうか?」
「それで良い。ここは観測者が暮らす場所。その家族ならば何ら問題は無いはずじゃ。」
俺はフリーネさんを経緯台に案内する。
「これが、地図作りの基本となる観測装置です。このドームのこの紐を引くと…扉が開き外を見ることが出来ます。経緯台の横の動きは出来ません。経度の原点維持の為です。高さはこのハンドルを廻すと上下します。」
俺は望遠鏡の蓋を外して接眼部にアイピースを入れた。倍率20倍で良いだろう。
遠くの山を望遠鏡の視野にいれると2人を招いた。
「覗いてみてください。」
フリーネさんが恐る恐る覗き込む。
「あ!」っと言いながら望遠鏡から離れると、その先を見る。そして再度、望遠鏡を覗き込んだ。
直ぐにテルミーさんに代わると、彼女も同じような反応を示す。
「あの山並みが隣にあるように見えます。不思議な魔道具ですね。」
「望遠鏡というものです。これで見ると対象物を近くで見ることが出来ます。夜にこれで星を見るとまた違ったものが見えるはずです。」
その後は赤道儀を見て、再度リビングに戻った。
「天文台はこのような施設じゃ。暮らしに不足する物があればこれで手に入れるが良い。」
そう言ってアテーナイ様は、フリーネさんに3枚の金貨を渡す。
「給与は毎月、山荘から渡す事にする。先ずは婿殿に装置の使い方を学ぶが良い。」
「分りました。王都の屋敷を早々に引き揚げてまいります。…テルミーもそれでいい?」
「面白そうだし、誰もやってないんでしょう。下級貴族にも属せない私達には勿体無い位の仕事だわ。」
こうして、ユングの作った天文台がようやく活動する事になった。
時間が曖昧なものでなくなると、色々と便利に使える。この段階ではアテーナイ様も気が付かないだろうけどね。