#340 祭りが終って
モスレム新国王夫妻が主催する晩餐会は、まだ7日間に渡って行われた第1回人間チェス大会の興奮が収まっていなかった。
早くも来年の開催を待ち望む王都の市民の声を、大会の警備を担当した近衛兵の隊長から聞いたクオークさんは満足げな顔をしている。
「でも、賞品がメダルだけで良かったんでしょうか?…このような大規模な大会であれば、賞金が付き物と思っていましたが。」
食事が一段落した時に、クオークさんが俺達に聞いてきた。
「十分な筈です。優勝者が金メダル。準優勝が銀メダル。そして3位と4位が大きさの異なる銅メダル…。この大会は賞金目当てのものではありません。名誉を得る為の大会です。
名誉はお金ではありませんからね。名誉を記念するもので良いのです。」
姉貴は銀のカップに注がれたブドウ酒を1口呑んで、そう答えた。
「なるほど…。名誉か。狩猟期はハンターの祭典と考えれば、獲物の販売額で順位を決めても問題は無い。今回は、暮らしに直結するものでもないでからそれでも良いという事か。」
エントラムズ国王はそう言って頷いた。
「でも、まさか妹が金メダルを取れるとは思っていませんでした。」
クオークさんは、俺達に近い席に座ったサーシャちゃんを不思議そうに見ている。
「クオークよ。サーシャは4年以上ミズキの薫陶を受けているのじゃ。そのミズキが用兵に一目置く存在になっておる。何時までも、子供と思うでないぞ。」
アテーナイ様がそんなクオークさんをたしなめている。
「子供でないという事で、この場を借りて皆に発表する事がある。トリスタン殿も良いな?」
そう言ってエントラムズ国王が椅子から立ち上がった。
「我の息子タケルスとサーシャ姫との婚約が整った。そして…。」
今度はサンドラさんが立ち上がる。
「私の孫のディートルとミーアさんの婚約もここで報告したいのですが…。ここで問題が1つ発生しています。それは、アキト様を倒さない限り、アキト様が婚約をお許しにならないとか…。」
サンドラさんの悲しそうな顔は演技だから放っておくとしても、晩餐に集まった全員が俺の顔に注目する。姉貴や嬢ちゃん達まで俺を見てるぞ。
「…それは、身内ならの感情です。祝いたい気持ちで一杯ですが、何か大切なものを持っていかれる気がしないでもありません。その気持ちにケリを付けるために、俺を越える何かを求めたいのですが…。これは兄としての我が侭なんでしょうか…。」
「それは、兄として当然の感情だろう。ワシには判るぞ。」
アトレイム国王がそう言って、俺を見ている。でも、イゾルデさんがいなくなってホッとしたのが本当なんじゃないか。他の国王達も疑いの目でアトレイム国王を見ているぞ。
「僕も少しアキトさんの気持ちは理解できます。確かにたった1人の妹を嫁がせる事になるんですからね。…僕も、遅ればせながらタケルス王子との一戦をここで正式に申し込みますよ。」
ここに来て、緊張した場が少し解れてきた。
どうやら、晩餐会の席上に集まった人達も俺とクオークさんが望む戦いが、婚約者を得る為のイベントだと気が付いたらしい。
「じゃが、婿殿。1つ問題があるぞ。婿殿の強さは万夫不当…。ここに集まった王国内で、婿殿を倒せるものはおらぬはずじゃ。」
「何も、強さだけが勝負ではありません。今回のチェスは頭脳の勝負です。しかし、チェスの考案者である俺がチェスで相手を負かしても面白くはありません。
そこで、リオン湖でのトローリングで勝敗を決めたいと思います。道具はこちらで準備しましょう。トローリングは腕よりも運に左右される釣りです。
俺より、大きい魚を釣るか、釣った総量が俺より上なら喜んでミーアちゃんを送り出しますよ。」
「運も強さの内という事ですね。これはディートル、受けねばパロン家の名折れとなりますよ。」
「はい。是非受けさせて頂きます!」
ディートル君の言葉に会場の王族達の笑みがこぼれる。
「となれば、今年の狩猟期に村に来るが良い。勝負する前にミーアにコツを伝授して貰う事じゃ。今までの例じゃと、一番の大物はアルトが釣り上げておる。そして、一番多く獲物を上げたのはアンとアルトの2人組みという事じゃ。」
アテーナイ様が王族に過去の状況を説明している。
確かに、そうだけど俺だってその気になればもっと釣れると思うぞ。
そんな事でひとしきり場が盛り上がった所で、姉貴が面白い物を見せたいと言い出した。
「何じゃ?…この間聞かせて貰った平家物語は、未だに我等の心に響いておる。あの続きを聞かせてくれるのか?」
アテーナイ様が姉貴を見て言った。
「いいえ。別の物です。道徳をいかに子供達に教えるかを考えまして、昔話を以前披露しました。今回はあの話をこのような形で広めたいと思いまして…。」
姉貴が近衛兵にお願いしますと頼むと2人掛りで大きな木箱と小さなテーブルを運んで来た。
さっそく姉貴が席を立って、俺達がいる大きなテーブルを少し離れた場所に据えられたテーブルの上に木箱を乗せると皆に一礼する。
「これからお見せするのは、紙芝居というものです。昔話の情景を絵に描いて話の臨場感を高める手法なのですが…。皆さんに初めてお目に掛けます。」
そう言って木箱の全面の蓋を横に引き抜いた。
そこにはダイダイ色の地に『コーラルの恩返し』と書かれている。
「ゴホン!…では始めます。昔々、ある所に貧しい若者が住んでいました…。」
題名の板を半分引き抜くと、そこには山村の風景が描かれていた。そして、全てを引き抜くと最初にミーアちゃんが暮らしていたような粗末な丸太小屋と、若い男が現れた。
テーブルの全員が食い入るように絵を見詰める。
「ある日、村の外れの沼に水を汲みに出掛けると…。」
少し、話が違うような気がするけど大筋は合ってる筈だ。この国には田んぼが無くて畑だからこんな形にしたんだな。
「…と言うお話です。」
最後にそう言って姉貴は頭を下げる。
「素晴らしい!是非とも、他の昔話もそのような絵を作って語って貰いたいものだ。」
「絵は動きませんが…お話を聞くことで、まるでその若者を傍で見ているような錯覚を覚えましたわ。」
「ところで、まだ残りの板があるようじゃが、もう1つ披露してくれるのじゃろう?」
アテーナイ様は期待しているようだけど、もう1つは怪談だぞ。
「このお話は、夏の夜にするものですけど…。」
そう言って、とある山村のハンターの話を始めた。
冬山で仮小屋を作って3人が寝ている時に…。
嬢ちゃん達は抱き合って震えながら聞いてるぞ。アン姫もクオークさんに何時しか寄添っている。
「…良いかい。ここで目にした事は誰にも言ってはいけないよ。」
リムちゃんなんか殆ど絵を見ていないぞ。たまにチラって見るから気にはなってるのかな?
「…あれほど言ってはならぬと言い聞かせた筈なのに…。そう言って雪の中に消えていきました。若者は叫びました。待て!それは俺が悪かった。だが、この子供に罪はない。お前は子供を置いていくのか!…でも、雪の精はもう2度と現れませんでした。…お仕舞い!」
姉貴のお仕舞いの言葉に全員が安堵の吐息を漏らす。
「誰でも良い。熱いお茶を持参いたせ。まるで心が冷え切っておるようじゃ。…この季節に体が震えおる。」
王族達が頷いた。嬢ちゃん達は半ベソ状態だぞ。
「これは、ミズキの国の物語なのか?…不可思議でまるで冬の分身のような者が深い山には住んでおるのか?」
「これも、昔話なんです。ちょっと怖いお話ですが、約束とはそれだけ大事であると教えてくれます。それは人間同士に限らないという事ですね。」
「そのような話を子供の頃から聞かされて育てられば、約束を違えるような者にはならないでしょうね。」
「情操教育には良いですけどね。それでも、全員と言う訳には…。」
イゾルデさんに姉貴が無理な人には無理と言っているようだ。
まぁ、何もしないよりは良いけれど、全てが上手く行く訳ではない。その辺は判っているだろう。
「前に話していただいた昔話もこのような形に出来るのでしょうか?」
「もちろんです。これは、紙芝居という表現方法の1つです。これを更に発展させると、登場人物になりきった役者が演技をする形の劇になります。…劇場で発表すれば大勢の市民が楽しめるでしょうね。」
「それは良い事を聞いた。わが国でも早速始めるとしよう。…ところで、その紙芝居はどこで手に入れられるのだ?」
サーミストの国王が姉貴に尋ねると、姉貴はチラリと俺に目配せをした。
「工房街の壁絵職人に頼みました。先程の2つの物語と木箱を含めて銀貨3枚で請け負ってくれました。同じ物を作れば少しは安くなるかも知れません。物語は神殿の神官が書き留めているはずです。」
「そうであったな。早速作らせるとしようぞ。各国への土産に丁度良い。」
「出来れば、その物語の模写もお願いしたい。どの位あるのじゃ。」
「数十はあるはずじゃ。しかし、これも、祭りの為にそこまでにしただけの事。婿殿は更に話を知っておるようじゃ。」
アテーナイ様の話を聞いてラミア女王が俺に顔を向ける。
「祭りにお招き頂き、更には金のメダルまで手に入れました。私は明日にテーバイに戻ります。はなむけに、1つお話くださいませんか?」
「どのようなお話が聞きたいですか?」
俺の問いに顔を伏せてしばらく考えていたが、やがて顔を上げた。
「勇ましいお話が聞きたいですわ。」
俺はラミア女王に頷くと、話を始めた。
「昔、とある国の国王に1人の王女がおりました…。」
国王に告げられた予言。それは自分の孫に殺されるという事。
国王は王女を幽閉したが神がその娘と契りを結んだ。
国王は娘共々孫を箱に閉じ込め川に流したが、漁師がそれを助けた。
俺が間を取って銀のカップから葡萄酒を一口飲んでいると、クオークさんが俺にもう少しゆっくり話してくれと頼んできた。
どうやら、話を筆記していたようだ。
何時しか赤子は青年になり、神々の助けを借り、ゴーゴンの首を取る。その首を使って、海獣の生贄になったアンドロメダを助けた。
そして、とある競技会の場で彼の投げた円盤が観客に当たり、観客は絶命した。その観客こそ、彼の祖父だったのだ。
「…とこのような冒険談です。お気に召しましたか?」
「初めて聞くお話ですが、何故そのように詳しく話す事が出来るのか。の方が不思議でなりませぬ。」
「しかし、その話も紙芝居じゃったか、そのようにする事が出来れば子供達は喜ぶじゃろう。良い話を聞かせてもろうた。」
これも作るのか?思わずそう思ってしまった。
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館に帰ると、早速俺達は荷造りを始める。
騒がしかった祭りも終わり、サーシャちゃんとミーアちゃんはこの館で暮らす事になる。ちょっと寂しいけど、ミーアちゃんだって何時までも子供ではない。
「寂しくなるね。」
「ガルパスで1日じゃないか。頻繁に遊びに来るし、俺達だってそうだ。」
俺がそう言っても、姉貴は聞く耳を持たない。
「男の子には判らないのよ…」
そんな事を言って、自分の世界に入っている。
少なくとも秋には帰って来る筈だ。そして、冬には俺達がこの館にやって来る。
中々妹離れが出来ない姉貴を放っておいて、今夜は早々に寝る事にした。