#311 迎撃準備
名も知らぬ川だけど、魚は豊富だ。
もっとも、このハヤに似た魚は俺も初めて見る。最初はハヤだと思ったんだけどアブラビレを持っているし、口にはざらついた歯のようなものもある。まぁ、噛まれても何とも無いけどね。これがピラニアみたいな歯だったら嫌だけど…。
バッグの中からザルを出して釣った獲物を入れて置くけど大分溜まってるよな。殆ど入れ食い状態だ。
この世界がこれほど釣り師の天国だとは思わなかった。
老後はのんびりと釣り三昧なんて考えていたが、俺って歳を取らないんだよな…。という事は、ちょっとした休暇を使って釣りを楽しむ事しか出来ないのか。
そんな事を考えて沈んでいると、浮きも沈んだ。慌てずに竿の握り手を返すと、腕に心地よい引き応えが伝わってきた。
一辺に沈んだ気持ちが吹き飛んで全神経が腕と竿に集中する。
魚をいなしながら岸に近づけると、最後はゴボウ抜きだ。
パチパチと手を叩く音に後を振り返ると、ミーアちゃんが立っていた。
パタパタ跳ねている魚を押さえて針を外すと、ザルにポイって入れた。
「川原で魚釣りをしている人がいるって聞いて、急いで来たんです。やっぱりお兄ちゃんだった。」
そう言って俺を見る目はちょっと嬉しそうだ。
「大分釣れたから、柵の内側で焚火を作ってくれないかな。警備の連中にも分けてあげよう。」
「抜かりないみたいですよ。ほら!」
ミーアちゃんが指差した方角には薄らと焚火の煙が上っている。
「なら、待たせちゃ悪いな。先にザルを持っていてくれないか?俺もそろそろ竿を畳む…。」
何て言いながら、次の獲物を水面から引き抜いた。
釣った魚をザルに入れると、ヨイショってミーアちゃんがザルを持ち上げる。何か重そうだけど大丈夫かな。
すると、柵の向こうから2人程急いでやってくる。ザルの運搬を手伝おうというのだろう。ミーアちゃん達に魚は任せて、急いで竿を畳むと川に近づき手を洗う。
タバコを取り出して火を点ける。プカリと煙を吐き出すのも気分が良い。
水量が豊かな川だ。良い水源になっているのだろう。
川原の柵にある小さな門の警備人に片手を上げて挨拶すると、ニコニコしながら扉を開けてくれた。あの魚、食べられるのかな?ちょっと心配になってきたぞ。
どう考えても、焼き魚を有難うって顔で開けてくれたもんな。
焚火の所に行くと、周りに沢山の魚の串が刺してある。
ほんのりと生臭い匂いが漂っているが、だんだん魚の焼ける匂いに変わってきた。焚火を囲んでいるのは全てネコ族って事は、ミーアちゃんの部隊だな。
ミーアちゃんがその焚火の一角に座り込んでジッと焼ける様子を見ていたが、俺に気付いて、隣の空いた席をポンポンと叩いた。
ここに座れって事だよな。
「沢山釣れたから、今川辺の見張りをしている隊員全部に食べさせられる。有難う。」
「まさか、あれ程釣れるとはね。…全員には回らないけど大丈夫?」
「残りをスープにして夕食に出すから大丈夫。40匹近く釣れてたよ。お兄ちゃんと一緒なら何処でも魚が食べられる。」
そんな事を言ったミーアちゃんの頭をクシャクシャと撫でると、顔を赤くしてる。
俺にとっては何時までも可愛い妹だ。
そんな俺達を焚火集まった夜襲部隊の隊員達が微笑みながら見ていた。
「所で、誰かこの魚の名前を知ってる?」
「知ってるにゃ。ラミーって言う魚で焼いても煮ても美味しいにゃ。」
焚火の反対側から答えが返ってきた。
リリックはネコ族の垂涎の魚だが、これもそれなりに美味いという事なのかな。
遠火で塩を振ったラミーが焼きあがったのはそれから30分も経ってからだ。
皆が一斉に焼き串に齧りついた。そして一心不乱に食べ始める。こんな時に襲撃があったなら簡単に全滅しそうだけど、そうならないように数名の見張りを立てている。見張りのネコ族の人がたまに羨ましそうにこちらをチラって見てる。
食べ終わった所でお茶をご馳走になる。ミーアちゃんは焼けた魚の串を数本持って柵の扉を見張っている者達に届けに行った。
「隊長から、マケトマムでリリックの食べ放題をしてもらったと聞いたにゃ。本当だとは思ってなかったにゃ。でも、ラミーを短時間でこれだけ釣れるなら、あの話は本当だったにゃ。」
「そんな事もあったね。確かミケランさんもいたな。」
ネコ族の人達は皆、良い連中が多い。人間のように悪巧みをしたり、それに加担する者を俺はまだ知らない。本当はのんびりとした狩猟の民なんだろうな。
それでも、他の種族と一緒に暮らす内に、軍隊に入って暮す者達も増えたんだと思う。畑を耕すネコ族って余り見かけないぞ。セリウスさんが畑を始めていたけど余り開墾が捗ってなかったみたいだし…。
「何の話をしてたんですか?」
俺の隣に座りながらミーアちゃんが言った。
何時の間にか『ね』が『にゃ』になるのは治ったみたいだな。俺は好きだったんだけどちょっと残念だ。
「昔話だよ。…そういえば、姉貴が夕方には本部に来いって言ってたから、そろそろ戻ろうかな。姉貴の作戦が早ければ今夜始まる。ミーアちゃんも部隊を整えておいてくれ。」
「了解です。こちらで夕食を食べてから本部に向います。」
ミーアちゃんの肩をポンっと叩いて焚火の傍から立ち上がると本部に向かって歩き出した。
後から、ご馳走様にゃー!って声が聞えて来た。振り向かずに片手を上げてそれに答える。俺の休息は終わりだ。これから戦場に戻る。
大天幕にはいると皆がお茶を飲んでいた。
「どう?…釣れたの?」
姉貴には分ってたみたいだな。
「あぁ、ラミーという魚が沢山連れた。ミーアちゃんの部隊が川辺に展開してたから、皆で焼いて食べたけど美味しかったよ。残念ながらこっちには持ってこれなかった。残りは夕食のスープに入れるってミーアちゃんが言ってたから置いてきたよ。ミーアちゃんは夕食の後に本部に来るそうだ。」
「ネコ族の人達って魚が大好きだもんね。私達は後で良いわ。それに敵が動くとすれば深夜を過ぎた頃だと思うから、ミーアちゃんも急いでくる必要は無さそうだしね。」
姉貴の前のフィギュアの配置は変わっていない。だが、敵の数字が増えていた。
「サーシャちゃんの報告で町の北東に展開している敵部隊が増強しています。」
俺の視線に気付いたアン姫が教えてくれた。
北の村から脱出した敵兵が合流したのかな。人間の数が増えている。
「そして、輜重隊を率いてリムちゃんが帰ってきましたから、亀兵隊がこちらも増えています。」
アン姫が教えてくれたけど、それは姉貴が既に計算に入れている。その通りになったというだけだな。
後は、林の防御だが…。
逆茂木を作ったのか。それに頑丈そうな柵を作ったようだな。
「柵も作ったのか?」
「部分的にです。それを使って可動式の柵で補う心算です。」
エイオスが少し離れた天幕の壁にある席から答えてくれた。
「どうにか、迎え撃てそうね。…小隊長達もテーブルに来て。カルナバルの配置を食事の後に決めるわ。」
姉貴の言葉に従兵が天幕を出て行く。どうやら食事の準備をするようだな。
しばらくして、何時も通りの食事が始まったが、パンを毎日焼いているのが少し嬉しい。そして、夜のスープは少し肉が多いのも気に入ってる。
戦場の食事だけど、俺達の家で食べる料理とそれ程変わりないな。
食事が終わりかけた時、本部にミーアちゃんとリムちゃんが副官を連れて現れた。俺達も残りのスープを急いで飲み干してテーブルの上を片付ける。
「これで、全部ね。もう少しするとディーも帰ってくると思うけど、先に始めましょう。」
そう言って姉貴が地図を見る。俺達も、姉貴の言葉を聞き漏らさぬように静かに耳を澄ませた。
姉貴が口を開こうとした時、本部にディーが入ってきた。
俺の隣に着くと早速状況報告を始める。
「周囲20kmの偵察結果を報告します。
北部の敵は見当たりません。村を出て行った敵兵は、町の北部に展開する敵兵に合流したものと推定します。現在の兵力は4,300そして獣の集団が5,000に膨らんでいます。
町の東及び南部に展開する敵兵は見当たりません。
そして、カルナバルの周囲ですが、西に騎馬を主体とする兵力が1,200に膨らみました。カルナバルの直ぐ西500m程に展開しています。
川の上流、下流とも20kmの範囲では敵兵は西の部隊だけです。
また、川を渡り林に潜む敵兵は見当たりません。以上です。」
アン姫が報告に合わせて敵兵の位置と数を修正している。
それを姉貴がジッと見つめていた。
敵の配置を修正するとアン姫が姉貴の顔を見る。だが、姉貴は静かに地図を眺めているだけだ。
やがて、ふーっと溜息をつくと俺達を見回した。
「殲滅は無理みたい…。でも、かなり良いところまでは行けそうね。」
ひょっとして敵兵をすべて殲滅しようって考えてたのか?どう守るなんて事は考えてなかったようだ。
「とは言え、カルナバルあっての事だから、先ずは守りの配置から進めましょう。
西の川原はリムちゃん達に任せたわ。ブリューさん達の2分隊も協力してください。
林の防御は戦闘工兵を1小隊ずつ北と南に配置します。東の3分隊及び西の3分隊は援軍として何時でも移動出来るようにしてください。援軍の行き先は川原と東の守りになります。
サーシャちゃんのバリスタ部隊は北に3台、東に7台を配置します。
アルトさんの小隊は北の柵、アキトの小隊は東の柵、そしてセリウスさんの小隊は南の柵に配置します。セリウスさんの小隊は3分隊程援軍として何時でも移動出来るようにしてください。ミケランさんの5分隊はアキトの指揮下に入ってください。
ミーアちゃんの部隊は、急いで北の村に移動して頂戴。カルナバルから合図があり次第、敵を北から襲撃して欲しいの。
アン姫の部隊は信号塔に移動。本部もそこに仮設します。
各小隊毎に1名を伝令として本部に集めます。
ディーは本部に詰めてね。…以上です。」
「敵の総攻撃に対して東の守りが少ないような気がしますが?」
「本部の50。戦闘工兵の60。そして西の30合わせて140人が臨機応変に対応できます。
小隊長の1人が疑問を口にする。姉貴はイザとなれば2倍に出来ると答えたようだ。
そんな所に伝令が飛び込んできた。
「サーシャ様から連絡です。…バリスタを2分隊とバリスタ防衛隊を5分隊を派遣可能。穴埋めはケイモスから1小隊を移動させたい。」
「流石、サーシャちゃん。分ってたみたいね。了承する。直ぐ移動せよ。と連絡して!」
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深夜になっても敵軍の動きはまだないようだ。
俺はバリスタを移動してきたミケランさんと一緒に東門に作った焚火を小隊長達と囲んでいる。
盾を並べた塀の先にはフワフワと光球が浮んで周囲を照らしている。そんな照明でカルナバルの全体が闇の中に浮んでいるような感じだ。あちこちに見える焚火は俺達と同じように焚火を囲んでいる者達がいるはずだ。
小高い樹の根元に小さな天幕が見える、あれが仮設の本部で姉貴達が待機しているはずだ。
その樹の上で絶えず光が瞬いている。
ミクとミトの2人があちこちに点在している伏兵達に情報を送っているのだろう。
この調子だと明け方を狙うのかな?なんて皆で話していると、ミケランさんが仮設本部を指差した。
数名の伝令が飛び出したようだ。樹の上から何かが落とされている。
そして、伝令が俺達の所にもやって来た。
「報告します。サーシャさまから連絡。敵に動きあり。以上です。」
それだけ言うと急いで本部に戻って行く。
「動いてもここまでは時間が掛かるにゃ。」
ミケランさんの言葉に皆が頷いた。
「もう1つの部隊が連動すると厄介だぞ。」
「本部から発光信号だ。…西の部隊が川に移動中…。」
やはり、東西から同時攻撃を仕掛ける心算だな。
「西は俺達の仲間が6分隊援護出来る。後に構わず俺達はこれから来る連中を撃破するんだ。門から南はミケランさんの指揮に従ってくれ。…エイオス。3分隊をミケランさんに加えてくれ。」
エイオスは俺に頷くと早速部隊に走っていった。
「後はセリウスの小隊から3分隊を回してもらうにゃ。バリスタが10台あれば何とかなるにゃ。」
何時ものように軽い言葉だがその顔は厳しいものだった。
何とか西の部隊を凌げれば戦闘工兵達を東に移動出来るのだが…。