#305 カナトールへ
亀兵隊2,000人の隊列は壮観だ。着ている鎧のせいもあるのだろうが、朝日を浴びて照らし出される鎧の光沢が眩しいほどだ。だけどそれだけ目立つって事だよな。俺としては迷彩色に染め上げた方が良いと思うんだが、彼等の美的センスがそれを許さないみたいだ。
「ついに我等ジェイナス防衛軍の出動が決まった。我等亀兵隊の力を今こそ周辺諸国に知らせる時が来たのだ。
今回の総指揮を執るのは、ミズキ・ヨイマチ指令官。国境紛争で20倍の敵を破った実績を持っている。そして、お前達部隊を直接指揮するのは亀兵隊の生みの親であるアキト達だ。
更に今回は、司令部の防衛にアン姫の部隊が参加する。
負ける要因は何処にもない!…我等の手でカナトールの領民に平穏な暮らしを与えるのだ!」
壇上のセリウスさんの言葉が終ると同時に、練兵場にウオオォォー!!と言う蛮声が上がった。
セリウスさんは片手でそれを静めると、更に話を始める。
「各部隊の指揮官を紹介する。
先ずは司令部の防衛を担当するアン姫。弓兵達を指揮する。
強襲部隊は大部隊だ。アルト様の指揮に俺が副官として着く。
バリスタ部隊はサーシャ様が指揮を執る。副官はミケランだ。
夜襲部隊の指揮はミーアが執る。そして輜重部隊の指揮はリムが行う。
戦闘工兵はアキトが担当する。…以上だ。」
俺達はセリウスさんの紹介の都度、壇上に上がり片手を上げる。
その度に蛮声が上がるのは仕方が無い。嬢ちゃん達は人気があるからね。
そして最後は姉貴の番だ。ちゃんと挨拶が出来るのかと心配しながら壇の下で見守ることにした。
俺の腰ほどの高さの壇上だが、姉貴の姿は全員が見れるだろう。どんな挨拶をするのかと、皆が心待ちでいる事が分る。
だが、肝心の姉貴が黙ったままで、亀兵隊2,000人を見渡している。
挨拶文を忘れたのかな?…そんな思いが頭に浮かんだ。
「皆さん!これを肝に刻んで下さい。」
そう言って長い旗竿をミーアちゃんから受取った。クルクルと丸められた旗を解くと、自分の脇に立てる。
すると周囲に風が巻き起こる。いや、風と言うよりは、気の流れだ。アクトラス山脈から流れ出し、南の海に穏やかに流れる気の流れが、姉貴の持つ旗に勢い良く流れ込んでいる。その流れが余りにも強い為に風を伴なっているのだ。
「一度しか言いません。私が貴方達に望むものはこの文字の中にあります。」
そして姉貴は、朗々とその言葉を練兵場に放つ。
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
そして姉貴が言葉を結んだ時、旗に集中した気の塊が爆裂して練兵場に降り注いだ。
「何なんですか?…あんなに魔気を集めるなんて、何時の間に魔道具を作ったんですか?」
マハーラさんが俺に詰め寄る。
「あれは、軍隊の理想とする姿を文字にしたんだ。姉貴が書いたから下手な字だけどね。」
「意味があると言う事じゃな。」
アルトさんの問いに俺は頷くと、その意味を教えてあげた。
「あの旗に書かれた文字の意味は、…軍を動かすときは風のように早く動かし、軍を潜ませる時は林の中のように静かに待つ。ひとたび攻撃を加えるときは烈火のように激しく、軍を止める時には山のように威圧を与えて動かない。俺はそう聞いた事があるけど、俺の国の隣国で活躍した軍略家の言葉だよ。その場に応じて色々と解釈できる言葉だから、俺の国では知らない人はいないんじゃないかな。」
「風、林、火、山…ですか。林は水あってのものです。そして山は土である事を考えれば、あの旗には4つの神殿を模した物でもあるのです。…なるほど、それであれだけの魔気が流れ込んだのですね。」
「出発~っ!」
左手で旗竿を握り、右手の指揮杖で練兵場の出口を姉貴が指した。
オオォォー!と言う蛮声の轟く中を、ガルパスに乗った鎧姿のアルトさんとセリウスさんを先頭に亀兵隊が出陣を開始した。
2番手はサーシャちゃん達で、その後をミーアちゃん、リムちゃんの部隊が続く。そして、アン姫の部隊と姉貴達が馬車に乗り、最後は俺と亀兵隊300人が続く。
王都を通常の馬車位の速さで通り抜け、街道に出ると一段と速度を上げる。馬車の御者が置いて行かれまいと懸命に手綱を捌いている。
あれじゃぁ、その内に車軸を傷めるのは確実だ。
そう思って、俺の隣を走る副官のエイオスを呼ぶと、アルトさんに速度を抑えるよう伝言を頼んだ。
エイオスは車のギアを切り替えたかのように一気にガルパスを加速して前方に消えて行った。
やがて、ガルパスの速度が落ちてきた。どうやら、アルトさん達が進軍速度を押さえてくれたらしい。
「納得してくれました。…そうか。馬車がいたな。と言って直ぐに速度を落とされました。」
エイオスがそう報告して、俺の横に着く。
「このまま戦場に乗り込むのでしょうか?」
「幾らなんでもそれは無いよ。馬車の速度からすれば今夜はエントラムズの王都を過ぎた辺りで野宿。そして次の日の昼頃に戦場に着くように姉貴は考えてると思うよ。」
少しホッとしたような表情を見せたが、革の帽子に隠れて余り表情が見えない。
俺の率いる戦闘工兵は何故か全員皮の鎧だ。胴丸では金具が重くて作業がし難いと、支給された胴丸を全員が拒否して、革鎧としたようだ。
まぁ、主目的が迅速な陣地の設営だから、あまり積極的な戦闘行動が無いと俺は思っているんだけど、用兵担当が姉貴だからねぇ…。ひょっとしたら最前線に行かされる事も考えておかねばなるまい。
エントラムズの王都の中央通りを風のように移動していく。あらかじめエントラムズに伝令を走らせていたのだろう。近衛兵が通りに立って通行人を俺達が通り過ぎるまで止めていた。
エントラムズ王都を離れて1時間程過ぎた所で、街道の周囲が畑から荒地に変わる。ここで行軍が停止した。今夜の野宿場所に到着したのだ。
そして、俺達を懐かしい人達が待っていた。
「お久しぶりですね。」
そう言って、大型天幕に入って来たのは、3人の女性だった。
アトレイムのブリューさんとシグさん。それに移民団の魔道師部隊を率いていたミレアだった。
「魔道師部隊から【サフロナ】を使える者を10人率いて来ました。戦闘には参加しませんが救護は任せてください。」
テーブルで難しい顔をしていた姉貴にミレアさんが報告している。
多分、アルバイトなんだろうな。これからの村作りに資金は幾らあっても足りない位だ。少しでも、雪解けを待つ間に資金を稼ぐ心算なんだろう。
折畳みが出来るテーブルを囲んで、明日の打合せを始める。
アン姫の従兵が俺達にお茶を入れてくれた。
「ディーは先行偵察をしています。明日には戻るでしょう。そして、戻り次第出発します。」
「目的地は何処じゃ?」
姉貴の話に、すかさずアルトさんが問うた。
姉貴はテーブルに広げられた絵図を指差す。
「この、タリム川の川岸を目指します。」
「位置的にはカナトールにかなり入る事になるな。敵兵との戦を明日にも始めるのか?」
「いいえ、戦闘にはならないでしょう。近くの村まで100M(15km)以上も離れています。狩猟民族の騎馬隊は脅威ですが、ノーランドは歩兵ですから、戦闘半径が小さいんです。」
セリウスさんに姉貴が応える。
そして、姉貴がエントラムズ国境へ指を伸ばす。
「このように補給線を確保します。このルートに森はありません。荒地ですから周囲の見通しは良いでしょう。」
「なるほど、補給が容易に出来るところまで進出するのじゃな。そこを本拠地にして北東を目指すという訳じゃな。」
サーシャちゃんは姉貴の考えを理解したようだが、他の連中は首を捻るばかりだ。
「こうやって進むのじゃ。」
サーシャちゃんが指をコンパスのように使って半円を次々に描いて行く。
「なるほど、解放区を作りながら進むのか!」
「そんな感じです。エントラムズ側にはケイモスさん達の歩兵部隊がいますから、南をあまり心配しないですみますからね。
そして、この作戦の要はいかに敵に知られずに陣地を構築するかになります。」
それって、俺の部隊が一番忙しいって事にならないか?…嫌な予感がするぞ。
「と言うわけで、明日の出発はアルトさんが部隊を率いてこの川辺の北方に展開。その間にアキトの部隊がここに陣を築きます。他の部隊はゆっくりと移動します。川辺に着く頃には陣が出来ていますから安心して休めます。」
やはり、これは早急に準備をしなければなるまい。エイオスを誘って天幕の外に出た。
「大変な事になりましたね。」
「こんな事だろうとは思ったけどね。さてと、…姉貴は陣を造れと言っているが、簡単な陣なら柵とロープで十分だ。どの位準備してある?」
「1人数本の杭をガルパスに積んでいます。ロープは1M(150m)を3本袋に入れてあります。その他にはテーバイ戦で使った盾が2枚。それよりも1周り大きな盾を1枚入れてあります。地雷用の爆裂球は1人5個。戦闘用には別に持っています。」
「大型の盾ってどれ位の大きさなんだ?」
俺の質問に、エイオスは自分のガルパスまで俺を連れて行った。
鞍に取り付けられた大型のバッグから魔法の袋を取り出す。
これです。と言って取り出したのは、俺の身長程もある。そして、横幅もテーバイで使った盾の倍はあるだろう。
「道具も持ってきたよな?」
「ツルハシ、スコップ、斧にノコギリそれに大槌を用意してます。簡単な小屋なら1週間もあれば作れますよ。」
300人の工事でどれだけの事が出来るだろう。
精々、杭を打ちロープを張る位しか出来ないんじゃないか?
そんな事を考えている時に、ふと気が付いた。
「エイオス。エイオス達が戦闘工兵だから盾を沢山持っているのは判るけど、他の連中は持っていないのか?」
「そんな事はありません。全員がテーバイ戦で使った盾を持っていますし、サーシャ様の部隊は大型を持っているはずです。」
という事は、アルトさん達の盾を使えば良いわけだ。横幅は確か60cm位だから、2,000枚として1.2kmになる。川と林を利用して『コ』の字型に盾を並べれば立派な城壁になるな。
「アルトさんの部隊の盾を一時的に借用しよう。こんな感じに盾を並べれば城壁が作れる。壁の前に乱杭を打てば騎馬の突撃を防止出来る筈だ。」
「なるほど、これならそれ程時間を掛けずに出来そうですね。」
エイオスと分かれて俺は天幕に戻る。エイオスは部隊に戻り、作業の準備を行なうそうだ。
天幕に入ると、皆が俺を見る。
「どうしたのじゃ。怖気づくにはまだ早いぞ。」
相変わらず口が悪いが、俺を励ましてるんだと思っておこう。
「明日の相談していたのさ。…アルトさん、申し訳無いけど、強襲部隊が持っている盾をしばらく貸して貰えないかな?」
「我等の部隊は盾を持っておるのか?」
俺の質問に、アルトさんは答えをセリウスさんに聞いた。
「持っている。あれはテーバイで役に立った。ミーアの部隊は持たぬが、他の部隊は戦闘工兵を除いて1人1枚を持っている。」
「現地で渡そう。それで良いな。」
アルトさんが俺に約束してくれた。
これで何とかなりそうだ。