#302 懐かしい我が家
年が明けても、新年の行事は特に無いようだ。
姉貴に連れられて、俺達は修道院の建設現場に元日早々に出かけると、そこには新年の礼拝をしているディオンさんとマリアさん達修道女達の姿があった。
俺達は、そんな彼女達の邪魔をせずに土台の端の方で、全員で彼女達に頭を下げる。それだけでも、何かご利益があるように感じるのは俺の日本人としての血なのだろうか。
今年も、良い年でありますように、そして皆で仲良く暮らせますように…そう祈る心はこの世界の神にも通じるのだろうか。
初詣(?)を済ませると、早速食事の時間だ。
何と、今朝のメニューは御汁粉なのだ。
ディーが俺達の前にある深皿に鍋からお玉で掬ってくれる黒い粒々と丸い白い物体が入ったスープを怪しそうに嬢ちゃん達が見ているけど、…食べて驚くなよ。
「先ず聞いておきたいが、、このスープはアキト達が住んでいた国の食べ物で間違いないのじゃな?」
アルトさんがスプーンで御汁粉の上に顔を出した白玉を突きながら聞いてきた。
「間違いない。これはお祝いにしか食べられないほど貴重な料理なんだ。村の雑貨屋で偶然似た種類の豆を手に入れたんで作ってみたんだが…美味く出来たかどうかは食べてみないと分らないよ。」
俺の言葉を聞いて4人が、姉貴の顔をジッと見ている。姉貴が食べてみて大丈夫そうなら食べようと言う魂胆がみえみえだぞ。
そんな注目を浴びているとは全く姉貴は知らないようだ。目の前に山盛りにしてもらった御汁粉を見て幸せそうな顔を浮かべている。
しばし、その匂いを堪能した後におもむろに大きなスプーンを深皿に差し入れると、白玉を救い上げた。白玉には潰した小豆モドキが良い具合に絡まっている。
大きな口を開けると、そのまま口の中にスプーンを慎重に運び入れると、口を閉じてモグモグと咀嚼し始める。
嬢ちゃん達はジッと固唾を飲んで姉貴の動きを、1動作も逃さずに見続けていた。
「美味しい!…何年ぶりかしら。この世界に小豆があったなんて、やはり神様は私を見ていたのよね。これは、私に対するご褒美だと思うわ。」
「ミズキよ。少し訊ねたいが、この物体はどんな味なのじゃ?」
「蕩けるような甘さ…でいいのかな。甘さの中にちょっとした苦味がたまらないわ。そして、口の中の食感も良いわね。…ああ、食べる時は白玉をちゃんと噛んで食べないとダメよ。飲み込んだりしたら喉につかえちゃうから。」
甘い…の言葉にリムちゃんが恐る恐るスプーンの先にちょっとだけ御汁粉を取ると、しばらくジッと見ていたがやおら口の中にスプーンを入れた。
そしてリムちゃんの戸惑った顔が、驚愕の表情に変化する。
次の瞬間。猛烈な勢いで御汁粉を食べ初めた。
「御代わり!」
リムちゃんの声に、ディーが微笑みながらお玉で深皿に御汁粉を入れてあげる。
その姿に圧倒されてしばらく固まっていた3人だったが、食べ物と分かった事から注意深くスプーンを皿に向かって伸ばしていく。
そして、食べた瞬間、顔が溶け出した。リムちゃんに負けない速さで御汁粉を食べ始める。
あっと言う間に大鍋で作った御汁粉は嬢ちゃん達+姉貴に食い尽くされてしまった。残りは俺の皿にある御汁粉だけだけど、5人の視線がその皿に集まっている。
手元に引き寄せ、なるべく彼女達の顔を見ないようにして食べたけど、何か殺気すら感じるんだよな。
そんな食事を終えて皆でお茶を飲んでいるけど、やはり甘い物を食べた後はお茶が美味しく感じられる。
暖炉の傍に胡坐を書いてお茶を飲んでいる俺に、サーシャちゃんが振り向いた。
「何時もアキトには驚かされるの。村に帰ったら山荘の料理人に教えて欲しいのじゃ。」
サーシャちゃんの言葉に他の3人もうんうんと頷いてるぞ。
村に着いたらまた作ってあげる事で納得して貰ったけど、これも屋台で売り出せるかな?
別荘のテラスに出て、寒風の中でタバコに火を点ける。西に離れた所で移民団の人達が修道院の塀の石積みをしている。何かしていないと退屈なのかもしれないけど、周囲数kmの石塀は完成するまでにどれ位かかるか検討もつかない。
そんな事を考えながら作業を見ていると、リムちゃんが俺を呼びに来た。
「お兄ちゃんにお客さんだよ。」
はて、誰だろう?…特に思い浮かばないぞ。
まぁ、行けば分るだろうとリビングに入って行くと、3人の男がテーブルから立ち上がった。
「お久しぶりですね。…こちらにおいでと聞いてやってきました。」
確か、ロディーさんだったかな。さて、果たして材料は見つかったのだろうか?
「どうでしたか?…材料は見つけられましたか?」
「はい。見つけました。…そして、3人で途方に暮れていたのです。この3つをどうしたらグラスに出来るのかまるで検討が付きません。」
確かに、材料を見ただけでは分らないと思う。だけど、俺だって詳細を知っている訳ではないから、これからはヒントを与える事になる。そのヒントを元に彼等が試行錯誤して作り出す事になる。
「ネウサナトラムで陶器を作る窯をみましたか?」
「はい。凄い物だと皆でゆっくり見させてもらいました。」
「陶器は粘土を高温で焼いて作ります。周辺に陶器の破片があったはずです。」
「記念に破片を頂いてきました。表面が滑々なのが印象的でした。」
俺はその言葉を聞くと、ディーが運んできてくれたお茶をゆっくりと飲んだ。
「似てるでしょ。」
「何と…あぁ!!」
どうやら3人は気が付いたみたいだ。反応はいいぞ。良い職人になれそうだ。
「陶器の表面には上薬という微細な鉱物を水に溶かしたものを塗ってあるんです。高温で焼くと鉱物が溶けて陶器の表面をあのように滑々にします。」
「では、この鉱物を粉にして熔かせばグラスが出来るんですね。」
若い男が俺に聞いて来た。
「そうです。但し、幾つか問題があります。
先ずは、どれ位温度を上げられるか。鉄を溶かす程の温度が必要です。
次に、鉱物の混合比率がおぼろげです。大体7対3位から初めて経験を積むしか手はありません。
そして、これが最後ですが、炉の形状がどんなものか俺には分りません。」
「鉄をも溶かす炉ですか…。そして、この鉱物の比率ですね。そういえば7対3と言いましたね。ここには3種類がありますが…。」
「この黒い塊は燃えますよ。それこそ木炭よりも高温を出す事が出来ます。中々火を点けるのが難しいのですが一端火がつけばフイゴで風を送り続けることで高温を持続出来ます。…木炭でも良いんですが、そうすると周辺の森が無くなります。」
「どちらを多く入れるのですか?」
「こっちですね。これを単体で溶かすには、今の技術では不可能でしょう。こっちの材料は融け易くするために入れるようなものです。」
2人が質問して、残りの1人が熱心に紙に書き取っている。
「所で、シャボン玉を作って遊んだ事がありますか?」
「どんな遊びですか?」
そう言えばこの世界に石鹸は無かったな…。
「泡が出る液体に管の先端を付けて、フーっとやると丸い玉が出来るんですよ。」
「あぁ、バブーですね。子供の頃良く遊びました。」
「鉄の管の先端に溶けたグラスを付けて、同じように吹くとふくらみますよ。前回みせたグラスのカップはそうして作ったものです。粘土より柔らかくて色んな形に変形できます。ただし、極めて高温である事を忘れないで下さい。」
「今の話だと、鋳物工房が参考になりそうですね。鉄をどうやって溶かしているかも含めて1度見る必要がありそうです。」
「ところで工房はどこに作るんですか?」
「サーミストの港の近くです。石炭は南方より船で運んでいますから。それにのこりの2つも大森林地帯で見つけることが出来ました。」
「水車を置ける場所に工房を開くと、フイゴを人を使わずに済みますよ。先ずは今の話を元に試してみてください。始めから上手く作ろうなんて考えない事です。」
そう言うと俺はタバコに火を点ける。
「確か、アキト様の望んでいたのはグラスの板とのことですが、板はどのように作られるのですか?」
「熱した鉄板の上に熔けたグラスを載せて同じように熱した鉄板で押さえれば良いと思っていますが、これもやってみないと分らないです。…こんな感じで俺は多分こうすればと言うような事は言えますが、必ずそれで良いという訳ではありません。そこは勘違いしないで下さい。俺もグラスを作ったことは無いんです。」
「分っています。それでも、あのグラスのカップがある以上出来る事は分かっているのです。そして、アキト様という人が、分からなくなれば教えていただけるのですから、ありがたいと思っています。」
「では、早速我等は鋳物工房に出かけて見ます。それでは、また。」
テーブルから立つと俺に頭を下げて部屋を出て行った。
俺としては頑張れ!としか言えないのが残念だ。それでもベネチアガラスなんかは14世紀頃から作られていると聞いた事がある。案外早くガラスの板が手に入るかも知れないな。
「あら?帰ったの。」
「うん。多分王都の工房へ行ったと思うよ。」
「私達もそろそろ村に帰らない?…やはり、落着けないと言うか…。」
ちょっと言い辛そうに姉貴が口を濁す。
まぁ、判らなくも無い。俺だって帰りたい気分だ。でも、このまま移民団を残して良いのだろうか?
「移民団の人達は責任を持って5月までお預かりしますとブリューさんが言っていたわ。4月にはモスレムからジュリーさんが先発隊を迎えに来ると連絡があったしね。」
姉貴の事だ。俺に話す前に全て段取りを決めていたんだと思う。
そして、春になったらあの2人を送り出すことになるんだな。
ちょっと寂しくなるな。
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そして、1月の下旬に俺達は待望のネウサナトラムに帰ってきた。
村は厳冬だ。家の暖炉に火を焚くと、自分達の部屋に帰って武装を解く。そして普段着に着替えると直ぐに、10ヶ月近く留守にしていた家の埃をみんなで払う。掃除が終った所で早速譲ちゃん達が暖炉の前にスノービューの毛皮を敷いている。
結構目立つな。これをセリウスさんが見たら何というかな…。
ミーアちゃんが暖炉の上に例の象牙を飾るんだろうと思っていたら、御后様に預けてあるって言っていた。
確かに王宮の玉座の脇辺りが相応しいのかも知れないけど、多分後で届けて貰えるって言っていたから、御后様辺りがイゾルデさんやアン姫と一緒に狩りのおねだりのダシにでも使ってるのかな。
掃除が終って皆がテーブルに着くとディーが熱いお茶を入れてくれた。姉貴が台所の方に行くとケークを皿に切って持ってきた。
いつ手に入れた!…と聞きたいところだが、疲れた体には甘いお菓子とお茶が一番。皆で美味しく頂く事にする。
「夕食には間があるのじゃ。我等はする事があるから、アキトはギルドに到着の報告と状況を見てきて欲しい。」
アルトさんはそう言って皆で暖炉の前に移動して行った。毛皮が暖かそうだな…。
厚手のマントを羽織ると外に出る。ピューっとリオン湖から吹く風が頬に痛い。湖は全面結氷のようだから、何も無ければ明日はチラでも釣ってみようかな。
そんな事を考えながら。膝ぐらい積もった雪の小道を歩いて通りに出た。
「今日は!」
そう言ってギルドの扉を開ける。シャロンさんのいるカウンターに片手を振ると、シャロンさんが小さくなったように思えた。良く見るとルミナスちゃんが店番をしていた。
「今帰ったよ。俺と姉貴、アルトさんにミーアちゃんとサーシャちゃん。リムちゃんにディーの7人だ。」
ルミナスちゃんが分厚い帳簿に俺達の名を記載した。
「はい。終りました。ご苦労様です。」
何かちょっと大きくなったみたいだな。
シャロンさんは奥の事務所にいたみたいだけど、俺の声にカウンターまで出て来た。
「大分、遅かったですね。でも全員無事に帰ってきてくれて嬉しいです。…そうだ。どうせ、依頼は1枚も無いですから、暖炉の傍で冒険の話を聞かせてください。」
そんな訳で、2人にお茶をご馳走になりながら10ヶ月に及ぶ冒険の話をする羽目になってしまった。
俺の話を、膝の上で拳を握り締めながら聞いているけど、ひょっとして行きたい何て思っていないよな。
話しながら、ふとそう思ってしまった。