#301 約束の地は?
アトレイムの別荘に着いて1月も経った頃。
別荘のリビングには各国の要人が集まった。エルフの移民団の最終的な入植地を決める為と入植が軌道に乗るまでの期間、移民団の援助をどの様に行うかについて話し合う為だ。
やってきたのは、アトレイムからはブリューさん姉妹。エントラムズからはサンドラさんが来たぞ。そしてモスレムからは御后様だ。さっきからサンドラさんと昔話をしている。それに、モスレムのジュリーさんだ。まぁ、同じエルフだからね。定期的なエルフの里との交信もしていたみたいだし。最後は、アン姫だ。サーミストのオブザーバーとして全権を委ねられたらしい。でもアン姫はモスレムに嫁いでいるからちょっとおかしな話にも思えるんだが、集まった連中はそんな事は気にしていない様子だ。
ケインさんとクレシアさんが遅れて席に着いたところで、話し合いが始まった。
「先ずは、移民団が脱落者を出さずにアトレイムまで来られた事は喜ばしい限りじゃ。」
御后様が、口火を切った。
「ケインから話を聞きました。アキト様達が一緒で無かったなら、半分も残っていまい。との言葉を聞いて驚くばかりです。私が幼少の頃の移民では無事に辿り着いた者は10人に1人程度でしたから…。」
「数十人程度なら何処の王国でも問題はあるまい。しかし、500人という数は1つの村に匹敵する。それ程の人数を直ぐに町村に割り振れば要らぬ軋轢も生まれよう。」
御后様の顔は厳しい顔つきだな。やはり一箇所へ入植する事は出来ない相談か…。
「これは、各国への相談でもあるのじゃが、モスレムに一箇所だけ適地がある。…それは、カレイム村じゃ。」
御后様が表情も変えずに呟いた言葉にジュリーさんが、ビクっと体を震わせた。
「あのカレイム村…ですか。今は誰も住んでおりません。魔族の進攻以来20年近く時が流れています。今はただの荒地ですよ。」
「そうじゃ。だが、かつては数百人の村人が生活していた場所でもある。山を切り開くより容易であり、良い耕作も出来るに違いない。そして、周囲はアクトラス山脈の大森林に囲まれておる。」
確か、カレイム村って魔族の襲撃にあった村だよな。アルトさんが呪いを受けた地だときいたことがあるぞ。
「確かに適地です。…ケイン。魔族の襲撃で廃村となった村がアクトラス山脈の中程にあります。その地であれば、各国の領民と仲違いもせずに静かに暮らせますが…。」
「我等は里より種苗を携えてきました。その地でこれらを育てる事ができるでしょうか?」
「全てを育てる事は困難かと思います。しかし、カレイム村は4季があり、冬は雪に閉ざされる場所です。かの地で育てられなければこの周辺諸国で育てられる場所は無いでしょう。」
ケインさんの問いにジュリーさんが答えた。ジュリーさんにも余り良い想い出は無いはずだが、他国からの干渉を抑えられ、モスレム内での土地割譲に異論が出ない方法としては適しているのではないだろうか。
それに、移民団にとってそれは過去の出来事だ。ある意味他人事であるから、放棄された村を自分達で再建する事へのわだかまりはないと思う。
「我等にとって願っても無い場所のように思えます。」
案の定、ケインさんの顔は喜びに溢れている。
「となれば、来春までの辛抱になるの。ネウサナトラムとほぼ同じ山麓にある。我等が住む村の雪が消えた後に先発隊を出して、村の再建を図るが良かろう。そして、1月後に残りの移民を送れば問題は無かろうと思う。」
「しかし、最初の年は作物は収穫できません。円滑に村が機能するには数年の月日が掛かるものかと…。」
「村の維持費じゃな。確かに問題ではあるが、良い土産を婿殿達が持ってきおった。アトレイムに灰色ガトルの毛皮を贈ったそうじゃな?」
突然、御后様が俺に聞いてきた。思わずお茶を飲み込み損ねそうになったぞ。
「はい。5匹分を贈りました。エントラムズとモスレムにも通過時に5匹分を贈ろうと思っています。それでも残りは20匹分あります。これは商人相手に競売をしようと思っています。」
「それは、少し貰い過ぎです。アトレイムは当座の居住を許しています。モスレムが居住地を提供する見返りは納得出来ます。
ですが、エントラムズは通過のみ。5枚は多すぎます。3枚を頂いて残り2枚はサーミストに贈られては?」
「それは、サーミストからの援助の見返りとして頂けるという事ですね。」
サンドラさんはアン姫に小さく頷いた。
「確かに貴重な毛皮じゃが、分配はそれで良いじゃろう。所で婿殿。残りの20枚の競売。我等に任せて貰えぬじゃろうか?…例の商会の良い披露目にもなるじゃろう。」
「待ってください。アトレイムの精々半年にも満たない滞在とモスレムの永住に対する贈り物が同じでは、アトレイム王家が領民から笑いものになります。アトレイムも2枚お返しする事にしましょう。」
折角上手く運んでいたのに、ブリューさんに水を注されてしまった。とは言え、確かに釣り合いが取れない事も確かだ。
「モスレムには、別に毛皮を贈りましょう。リムちゃんを呼んで来て。確か彼女が持ってるはずだわ。」
俺はリビングを出ると、部屋で皆でスゴロクをしているリムちゃんを呼んできた。
早速御后様を見つけて「お婆ちゃん!」って駆け寄って行くと、御后様も目を細めて頭を撫でている。
「リムちゃん。お婆ちゃんへのお土産をここで渡せるかな?」
姉貴がリムちゃんにそう言うと、リムちゃんは腰のバッグから大きな袋を取り出した。
そして、ゴソゴソと取り出した毛皮を見るなり、全員が目を見張る。
「これをお婆ちゃんのお土産に持ってきたの。倒すのが大変だったけどお兄ちゃんとディーお姉さんがいたから何とかなったよ。」
ガタンと音がする。ジュリーさんが顔を真っ青にしてその毛皮の所まで歩いてきた。
「スノービュー…。その名で里に伝わってきた獣です。エルフの魔道師を何人倒してきたのか…。名とその姿は伝わっていましたが誰も倒した者はおりません。見てはならない北の猛獣と長老から話を聞いた事があります。」
「大森林のワンタイにも似ていますね。でも、毛触りがまるで違います。」
アン姫が毛皮を撫でながら言った。
「値段は付けられぬか…。正に宝よのう。じゃが我は武者震いが止まらん。何としても1度狩りをしてみたいものじゃ。」
やはり…。気を付けないと道案内を依頼されそうだ。あとで皆にも注意するように言っておこう。
「じゃが、これでモスレムの王宮に面目が立つ。婿殿、感謝するぞ。」
「アキト様。まだお持ちじゃありませんこと?」
サンドラさんがニコニコしながら俺を見ている。この人は危険だと思っていたが、俺の勘はやはり当たってしまった。
「リムちゃんがもう一枚持っているはずです。これは、多分嬢ちゃん達が暖炉の前に敷いてしまうでしょう。売る事は出来ません。後は…、ミーアちゃんが変った獣の牙を持っていますが、記念品だと言っていましたから…。」
「見せては貰えるのでしょう?…大丈夫。頂く事はしませんわ。欲しければ自分で狩ればいいのです。」
アン姫はそう言い切った。まぁ、確かにそうなんだけど。多分、無理だと思うぞ。
「分りました。一応頼んでみます。…リムちゃん。ミーアちゃんに例の物を皆に見せてって、頼んでくれないかな?」
リムちゃんは、はい!って御后様に毛皮を渡すとトコトコとリビングを出て行った。
「婿殿。…ひょっとして、このスノービューを越えるものか?」
恐る恐る訪ねてきた御后様に、俺は小さく頷いた。
「間違いなく格上です。地の利を利用して何とか倒しましたが平地ではどうなっていたか分りません。」
「お兄ちゃん、呼んだ?」
「あぁ、例の牙を披露してあげて。皆見たいと言ってるんだ。」
俺の言葉に、ミーアちゃんは頷いて、腰のバッグから大きな袋を取り出した。そして袋の中から丸太を包んだような布包みを取り出した。
「まさか、下顎ごと持って来たんですか?…急ぐ理由は分かりますけど…。」
アン姫の言葉が止まった。
まさかそれが1本の牙だとは誰も思わなかったようだ。投槍程の長さがあり、腕位の太さで先端が鋭く尖っている。
「…そのような牙を持つ獣が北にはおるというのか?」
「レグナスなぞ問題になりませんね。」
「でも、何という光沢なのでしょう。これを材料にした工芸品はさぞかし高値で取引されるでしょうね。」
「これは、今晩が楽しみですね。当然その戦いの顛末もお聞かせ頂けるのでしょう?」
う~ん。これは、失敗だったかな。だけど後で判った日には別な問題が出てきそうだから、これで良いのかも知れないけど。
ミーアちゃんが、象牙を布でクルクルと巻いて袋に詰めて退席する。
「さて、良い物を見せて貰ったが、我はこの贈り物でモスレム王宮に顔が立つ。そして食料援助も行なえよう。」
「有難うございます。」
御后様の言葉に、ケインさんとクレシアさんは深々と頭を下げた。
丁度昼食となった所で、アルトさん達が平べったく焼いたパンに野菜と肉や魚等を挟んだ昼食を持ってきた。皆に配り終えると、ディーが木製のカップにお茶を入れて回っている。
「アトレイムのパンは小麦粉じゃな。ライ麦と違って味が良いのう。」
「エントラムズも似たようなものです。王宮でも毎日が小麦粉とはいきませんわ。」
流石は姉妹。早速食の話題に入ったか。
俺は、どちらかと言うとネウサナトラムの黒パンが懐かしいぞ。
「あら?…この食材は初めてよね。こくがあって、舌触りは滑らか、肉ではないようだけど、果物とも違うわ。エルフの里で手に入れたの?」
「このような食べ物は流石にありませんよ。…確かに美味しいですね。」
そこにディーが薄いパンの表面に融けたような物が乗っている物を持ってきた。少し焦げ目があり香ばしい匂いが辺りに満ちる。
早速ナイフで切り分けると、小皿に乗せて皆の前に並べる。
「何と食欲を掻き立てる匂いじゃな。表面が融けておるが、何かの脂を乗せているのかの?」
御后様がピザモドキにガブリと齧りつく。残ったピザモドキを口から話すとスイーっとチーズが伸びた。
「これは、また…。婿殿じゃな。降参じゃ。いったいこれは何じゃ?」
御后様が、残りのピザモドキを頬張ると俺に聞いてきた。
「怒らないで下さいね。それはチーズと呼ばれる保存食です。狩猟民族の族長に掛け合って毛皮と交換しました。お蔭で荒地は無事に通る事が出来ました。」
「ふむ。灰色ガトルの毛皮で彼等の縄張りを通るか…。彼等も喜んだに違いない。しかし、このような食品を彼等が作っておるとはのう…。」
「この食品を直ぐに料理に使ったという事は、アキト様は以前からこの食品を知っていたのですか?」
テーブルの上の大皿に1つ残ったピザモドキを横目でにらみながらシグさんが聞いてきた。
「良く知ってますよ。だから、最初に怒らないで下さいと念を押したのです。それは牛乳、牛の乳から作られた物です。」
「「なんじゃと(なんですって)!!」」
全員が俺を睨みつけた。
「俺は、何故皆が牛の乳を飲まないか。そしてその乳から作った加工食品が無いのかは判りません。でも、王都で流行しているケークというお菓子を食べた時、確信しました。やはり、この国にも乳製品があるとね。
ケークを作る職人さんの秘密でしょうが、間違いなくケークには乳製品が使われています。そして、作れるとすれば誰が…と言う疑問が沸きました。その答えがここにあるチーズです。」
「何故に我等は乳製品を食せぬのかのう…。理由が判らぬ。」
「お乳は幼児の食事と決め付けていたからではないでしょうか?…このように多用途に使え、食事を豊かに出来るのであれば、直ぐに領民に広がるでしょう。」
御后様の独り言にジュリーさんが答えている。
「でも、美味しい事は分りましたが、遊牧民はこのチーズを私達に売ってくれるでしょうか。彼等との交易は物々交換が原則です。そして、私達には交易手段となる相手側との交渉も出来ません。それは御用商人達も同じです。」
「商会にこれを進呈します。」
俺は、バッグから青銅の板をテーブルに取り出した。
「パイ…なのか?」
御后様が俺に聞いてきた。
「はい。チーズ1個とチーズ2個分の塩が交換比率です。アトレイムの西の森の更に西にいる部族が応じてくれます。」
「パイは全ての部族に有効じゃ。そしてパイを持つ物は彼等に害を与えられる事は無い。我等には読めぬがそういう言葉がその板には彫られていると聞く。」
何かジンギスカンのパイザみたいな感じだな。でも、それがあれば安全に取引が出来る訳だ。
「御用商人が幾ら金を積んでも、このパイを手にする事は出来なかったと聞く。良いのじゃな。この価値は毛皮どころでは無いのだぞ?」
「俺は商人ではありません。商会で使ってください。狩猟民族のみが持つ物はチーズだけでは無いでしょう。それに我等だけが発展し、彼等を取り残すのは問題があります。その辺りはよろしくお願いします。」
その後は、アン姫の求めに応じて旅の出来事を皆に聞かせてあげたのだが、段々と御后様とアン姫の目付きが怪しくなってきたぞ。
来年の春には飛び出して行きそうだから、ちゃんとクオークさんと王様に手綱を握っていてもらわねばなるまい。