#003 知らない世界
道の無い山中を歩くのは容易ではない。
見知らぬ山なら尚更だ。
山裾と思われる方向に藪を払いながら進んで行く。
俺の前に道は無い。俺の後ろには道はある。という状態だ。
途中の沢で、小休止を取る。冷たい水で顔を洗うと頭までスッキリする。
残り少なくなった水筒に水を補給して、再び下山を始めた。
急斜面の山肌を何度か下りる内に、傾斜を殆ど感じない場所まで来た。
深い森の中を歩いている感じだ。
時折、ギャーっという変な声で鳴く鳥達が頭上を飛び交い、何度か猪のような獣(大きな牙が左右に2本づつはえていた)を遠くに見かけた。
「だいぶ、歩きやすくなったね」
「うん。……でも、この森、何処まで続くんだろ?」
「歩いてれば、その内出られるわよ。コンパス見ながら同じ方向に進んでるんだから。」
山や森で遭難する原因の一つに方向を見失うことが上げられる。
岩や立木を迂回する内に、方向が判らなくなるのだ。俺達は常に一方向、南に向かって進んでいる。
時計の時刻で昼を知り、岩の上で携帯食料を食べる。
固形燃料でお湯を沸かし、コーヒーを作って姉貴と分けて飲む。
「……ご免ね」
「謝る事なんかないよ。良く俺を選んでくれたって感謝したいくらいだし。姉さんとは、離れたくないし……」
いきなり、俺は姉貴に抱きつかれた。しかし、此処は岩の上、此処でそんな風に抱きつかれると、物理の法則は正しいもので……。
ドシン!と下の藪に2人とも落っこちてしまった。
「……ご免ね!」
赤い顔で、とっさに体を入替えて下敷きになった俺から体を離していく。
とりあえず俺は立上がり、店開きした装備をザックに押込み、森の中をまた歩き出す。
今度は姉貴が先頭だ。
姉貴の長い丈のGシャツの背にはザックとクロスボーが乗っている。
あのザックには、分解したクロスボーと2丁のハンドガンそれに弾薬ポーチが入っていたはずだが、それを取り除いた状態であるのにザックはまだ膨らんでいる。……謎だ。
森の巨木を避けるように姉貴が先導する。
たまに、手元を見るのは、コンパスで方向の確認をするためだろう。
1時間程度歩いていると、前方が少しづつ開けてきた。
立木も細くなり、間隔も次第にまばらになったが、逆に藪が深まったような気がする。
そして、突然に前方が開けた。
草原に出たのだ。
低い段丘がずっと南に続いている。
東と西の景色も森と草原であり、振りかえれば2000m級の山並みが連なり、その奥には、富士山のようにも見える一際高い山が鎮座している。
人家は確認できない。広い視野の中に畑らしきものも存在せず、煙すら見えない。
「……姉さん。何も無いみたいだけど」
「そうでもないみたいよ。立木に薪取りした痕跡があるわ」
姉貴は、いつの間にか取出した小型双眼鏡で広い草原を監視していた。
手渡してくれた双眼鏡で確認すると、確かに鋭利な刃物で枝を切取った跡が見える。
200m程東のその場所に俺達は向かうことにした。
草原の草は見た事が無い草だったが、草丈が20cm程であり、歩くのには余り支障にはならず、数分で問題の立木までたどり着いた。
確かに、誰かが意図的に枝を切取っている。
周囲を見ると、森の中に踏み固められた小道が続いており、所々の立木に薪取りの跡が見える。
「誰かいるみたいね」
姉貴の呟きに俺は首を縦に振る。
異世界の住人……。俺達と同じような姿なのだろうか、それとも目が3つとか、手の代わりに触手が付いてるとか……。
「たぶん、私達と同じような姿だと思うよ。ほら!」
姉貴の指差した地面には靴の跡があった。
靴跡は、足の大きさが15cm程であり、30cm程度の間隔で交互に続いている。2足歩行をする者で、靴を文化として持っていることが判る。
でも、この大きさだと子供ぐらいじゃないか。ガリバー旅行記が頭の中に過ぎる……。
子供位の背丈が標準なら俺達は十分に巨人だ。
さらに草原を注意深く見ると、東に向かって草が踏まれている場所があった。
森は小道を形成していたが、草原では草の勢いが強く、小道までには至らないみたいだ。
姉貴は先に行きたかったようだが、草原に獣がいないとも限らない。
薪の心配が無い森の傍らで今夜も野宿することにした。
2人並んで焚火を見つめる。
携帯食料をコーヒーで流し込むと、後は明日まで交代しながら焚火の番をすることになる。
「姉さん。……ちょっと、気になることがあるんだけど、聞いていい?」
「なぁ~にかな?」
「姉さんのザック……。いろんな物を出してもまだ膨らんでるのは何故かなって?」
「それはね……。このザックが魔法のザックだからなの。……10倍入っても、重さは15分の1。…良いでしょ」
「それと、先に言っておくけどアキトの銃とポーチも魔法がかかってるわ。だから壊れることはないわ。弾も1日で6発補充されるし……」
「あまり撃てないってことだね。……解った」
だったら、俺のザックもそうしてくれ!と言いたいとこだけど我慢するの男の子だって言い聞かされてる。
銃が壊れずに使えることは嬉しい限りだ。1日で撃てる数は最大で18発。しかし次の日は6発になる。M29の威力を考えると大型の獣が対象となる。とりあえず逃げることにすれば、それほど使用する機会は無いだろう。
「はい!」
姉貴が薄い銀色のケースを俺に渡してくれた。
横に小さな突起がある。
突起を押すと、ケースが開き……中に5本のタバコが入っていた。
「内緒にしてるみたいだけど、……知ってるのよ。沢山は入ってないけど、1日にその本数なら許してあげるから」
ちょっと気まずい思いではあったが、「ありがと!」と返事をして、早速1本を取出して、焚火から枝を取って火を付ける。
ぷかーーっと煙を吐出すのを面白そうに見ていた姉貴は、ザックから小さな袋を取出すとキャンディを1つ口に入れた。
「気分転換を図ってくれるものは、必要だよね~」
知らない世界に姉貴と2人で、誰にも会わず2日を過ごしていたことで、確かに少しナーバスになっていたかも知れない。
少し前向きになる必要がありそうだ。
明日は、草原の道らしきものを辿り、人家を見つけよう。薪取りをする以上、火を使う者であるはずだし、切口を見た限りでは金属を加工する技術を持っていることが判る。
原始人ではなく、少しは文明を持った者に合えるかもしれない。
そして、俺達を受入れてくれるなら、何の問題もない。
何時の間にか姉貴が寝入っている。
肩に掛かる重みも近頃は気にならない。満天の星空に小さな2つの月が見えている。
どちらも半月だが、寄添うように空に浮かぶ月は俺達2人のようだ。
月が30度程右に移動したら姉貴と交代して貰おう。俺は焚火を見詰めながら、この世界で2本目になるタバコに火を付けた。