#296 入浴は籤運しだい
移民団は黙々と西を目指す。
疲れが溜まっているのか、あまり私語が聞えない。出発した頃はガヤガヤと聞こえてきたが、この所その話し声が聞えなくなった。
1日の移動距離も、ディーの話では段々と短くなっているようだ。
やはり、脱落者が出ない内に何とかしなければと思う。
その夜の焚火を囲む話し合いで、その事を話題にしてみた。
「やはり、アキト様もそう考えましたか。実は私もなのです。」
ケインさんは移民団の代表者だから常に全体に気を配っているのだろう。
「そういえば、近頃は子供達の歩く姿を余り見かけません。子供達はカリバンの曳く荷車に乗っています。…そういう事だったんですね。」
そんな会話が続き、次の休憩日にはもう1日休みを増やす事が決まった。たった1日増えるだけではそれ程疲れは取れないかもしれないけど、もう1日休めるって言う事で精神的な疲れは癒せると思う。
「風呂でもあればゆっくりくつろげるのにね。」
「確かに、ずっと入っていませんからなぁ…。」
俺の呟きのケインさんが相槌を打つ。
そうなんだ。もう2ヶ月も入ってない。体の汚れは、数人纏めて【クリーネ】で汚れを落としてもらうんだが…、確かに清潔なのは理解で来ても、日本人としてはやりきれない所がある。
何度、ディーの袋から木桶を持ち出そうとしたことか…。
その都度、姉貴から「周りを見なさい!」って注意されてた。
「休みが1日増えるなら、天幕用の防水布で代用出来るのではないでしょうか?」
クレシアさんが良い案を出してくれた。
杭と簡単な囲いを作って防水布を広げ、そこに【フーター】でお湯を満たす。【フーター】の使い手は大勢いるから、問題ないって説明してくれた。
「男女別に作ればゆっくりと入れます。多分1度に10人以上は入れるでしょう。」
その言葉に、早速有志を募って次の休息日に実行に移す事になった。
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そして何時も通りに、行軍5日目の夕暮れが始まろうとした時、移民団の前を歩いているケインさんの笛が鳴った。
全員の歩みが止まると共に、何時もの夕食作りが始まる。
この頃は静かで何時の間にか夕食が終っているのだが、今日は少し違ってた。
ガヤガヤと話し声が聞こえてきたのだ。
「皆、楽しみにしていたんですよ。」
俺達が焚火を囲んでいる所にケインさんが訪れた。
「やはり、ちょっとした変化がうれしいんでしょうね。」
「そうですね。後は明日の計画が上手く行く事を祈るばかりです。」
俺の言葉に、そう返してケインさんは次の焚火を見に行った。
移民団の責任者だからな。結構大変みたいだ。
ガヤガヤと騒がしい物音で目が覚めた。
隣を見ると姉貴は爆睡中だ。ノンレム睡眠からレム睡眠に移ったら寝相が極端に悪くなるから、今朝は助かったと見るべきかもしれない。
天幕の奥を見ると嬢ちゃん達も何時の間にか起き出したようだ。
まだ、5時を回ったばかりだから休息日の一日は皆のんびりしているはずなんだけど…。
とりあえず装備を身に付け天幕を出ると、皆せわしなく何かを始めたぞ。
「アキトさん。おはよう!」
後を振り返ると、ニコニコ顔のケインさんが立っていた。
「今日は皆生き生きとしてるでしょう。魔道師隊とお嬢さん達は移民団の男達を率いて森に出かけました。上手く行けば午後には風呂に入れますよ。」
あぁ、そうだった。それで、皆頑張ってるんだな。
アルトさん達も、協力してるというよりは、自分達が入りたいんだと俺は思うけどね。
「我々は、ここで待っていましょう。」
ケインさんのその言葉に、近くの焚火の傍に2人で腰を下ろす。
「どうぞ。」と言って差し出されたお茶をこんな朝早くに飲むのも久しぶりだ。
タバコを取出して、薪を焚火から取り出して火を点ける。
やはり、早朝の一服は美味いと思う。段々とタバコの本数が増えるような気がするけど、姉貴に貰ったシガレットケースに入っている本数は6本だ。姉貴に内緒でパイプを買う事も視野に入れとかなければなるまい。そんな事を焚火の反対側でパイプを楽しむケインさんを見ながら考えていた。
「「帰ってきたぞ!」」
移民団の人達が森を見ながら大声を上げている。
立ち上がって皆が見ている方向を見ると、ディーが大木を2本小脇に挟んでこちらに歩いている。嬢ちゃん達は焚火用の薪を運んでいるようだ。そして、その後に2人して木を運ぶ移民団の男達が続いている。
俺達の野宿場所まで大木を運んできたディーは、焚火の近くで早速杭を作り始めた。
ディーの剛剣で大木を身長程に切り分けると、移民団の連中がそれを斧で小割にして、先を尖らせる。数本出来上がると、誰かがそれをどこかに持っていく。
しばらくすると、天幕の外れで杭を打つ音がカツンカツン…と聞えて来た。
「何が始まってるの?」
眠そうな顔の姉貴が何時の間にか俺の隣に座ってる。
「例の風呂だよ。アルトさん達は朝早くから頑張ってるみたいだよ。」
「ふ~ん…。そうなんだ。…で、何時入れるの?」
「昼前には、入れそうだ。と言っていましたよ。」
俺達に朝食を届けてくれたクレシアさんが姉貴に応えてくれた。
乾燥野菜と干し肉のスープに硬いビスケットのようなパンは俺達の定番だ。
それでも、パンをスープに浸して柔らかくすると結構いける味なんだよな。俺達が言葉少なく食事をしていると、ケインさんが思い出したように話し出した。
「実は、1つ問題が出てきました。移民団のこれからに左右しそうな重要な問題です。」
俺は急いで残りのスープの具を掻き込むと、ケインさんを注目する。他の皆も食事を一時中止してケインさんの話を聞く体勢に移っている。
「問題と言うのは…。」
そう切出したケインさんの言葉に全員が、ゴクリと唾を飲み込む。
「…風呂に入る順番です。誰を先にしても問題が起こりそうです。」
はぁ…って俺達は脱力した。
しかし、意外とこれは重要な問題とも言える。皆が楽しみにしている割には、一度に入れる人数は限られている。当然順番待ちとなるのだが、その順番をどうするかは確かに問題だと思う。
「もう1つ、楽しみを増やせば良いじゃないですか。籤引きで決めるんです。」
姉貴の案に俺はなるほどね。って納得したけど、ケインさん達は首を捻っている。籤引きという事をやった事が無いのかな?
「作っているお風呂の数は幾つですか?…それと、何人ぐらい1度に入れます?」
「男性用と女性用が2つずつの4個を作っているようです。この移民団は男性と女性がほぼ同数ですからね。…それと、我等が用意した防水布は大きな物ですから、多分一度に10人は余裕で入れるでしょう。」
姉貴の問いに、ケインさんが風呂の建設現場に目をやりながら応えた。
という事は、1度に10人ずつ入れるとしても、2つのお風呂で20人。250人が風呂に入るには、13回に分けなければならないのか…。
「袋を2つ。それに、紙片を500枚用意してください。用意できたら、紙片に1を20枚、2を20枚と言う風に13まで作ります。これをもう1つ作れば準備は完了です。」
「なるほど、袋の中の紙片を手に取るまでは順番が分らないという事ですね。…それなら、最初に袋から紙片を取り出す人が有利であるとは限らなくなりますね。使えますね。」
ケインさんは直ぐにどこかに出掛けて行った。早速、籤を作り始めるのかな。
そして、風呂の上に天幕を張ると、魔道師隊の連中が【フーター】でお湯を簡易風呂に入れ始める。
それを見ていた移民団の人達が大勢風呂の天幕に集まってきた。
ケインさんは籤の説明をして、男女別に袋から紙片を取り出させている。
「やった!」、「くそ!」とか言う声が聞え始めた。
まぁ、これは籤運というやつだから、誰を怨む事も出来ない訳だ。そんな感じで風呂の順番が決まったところで、皆が待ち望んだ入浴タイムとなった。
午後のお茶を優雅に楽しんでいる所に、さっぱりした顔付でケインさんが現れた。
「おや?アキトさんは未だでしたか?」
「はい。皆が終った頃にのんびりと入らせてもらいます。大きい風呂に一人で入るのが好きなもので…。」
「そういう考えもありましたな。次は私もそうしましょう。…しかし、ふしぎなものですね。【クリーネ】で汚れは取れているはずなのに風呂に入ると、何故かすっきりする。そして何より疲れが取れた感じです。」
それは分かる気がする。風呂には色んな効用がある。勿論熱い湯に長く浸かるのは寿命を縮めかねないが、それなりの湯加減なら精神的なリラックス効果が極めて高い。
最後に夕方近くになって俺も急造の風呂に入ってみたが、深さは50cmほどしか無いがお湯の中でゆったりと足を伸ばせるのは久しぶりだ。
明日も入りたいけど、明日は撤去して布を乾かすって聞いたから、俺が今回の最後になるんだろう。
何か定期的に入りたくなってきたぞ。
夕食の時でもケインさんに提案してみよう。
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お風呂の次の日は、何時もの休息の日と同じように薄いパンを女性達が焼き上げている。
男達は荷車の整備や薪の調達に加えて、昨日の防水布を広げて乾かす仕事が増えたけど、嫌がる様子もなく皆で布を広げていた。
そして次の日は、空が白み始めた時に朝食を済ませるとケインさんの笛を合図に俺達は西に向かって行軍を開始した。
ダリル山脈の峰も大分低くなってきた。それと共に北からの風が吹き始めた。季節は晩秋に向かっている。
ネウサナトラムの狩猟期もそろそろ始まる頃だ。今年は俺達がいないけど、屋台は何時もの様に御后様達が頑張って出店するんだろうな。うどんは山荘の調理人や近衛兵が作るだろうし、団子や串焼きも何とかなるはずだ。ザラメ焼きは、微妙な所だな。
そんな事を考えながら歩くのも楽しくなる。
俺達がいなくてもそれなりに御后様達は楽しくやってるに違いないと思うと、ちょっと寂しい気もするが、狩猟期の祭りは盛り上げて貰いたいものだ。
そんな、ある日。ダリル山脈が突然低くなって、西の山並みが遠くに見える。
ひょっとして、ダリル山脈の切れ目に出会ったのかもしれない。
昼食時間を長く取って、その間に急遽ディーにダリル山脈の調査を依頼した。
「ダリル山脈を老人や子供が越えられるか。そして南側がどうなっているのかを確認して頂戴。」
「了解しました!」
姉貴の指示にそう返事をしたディーは3対の羽根を広げて地面を滑るようにして森に消えていった。
「ディーさん1人で大丈夫なのですか?」
ケインさんが心配そうにディーが消えた森を見つめている。
「大丈夫です。偵察がディーの本来の仕事ですから。」
そうは言ってもしばらく振りの単独任務だ。俺もちょっと心配になってきたぞ。
ディーが戻るのは夕刻だろうという事で、今夜はここに野宿の天幕を張り出した。
出かける前に、周囲に生体反応はありませんって言っていたから、獣に襲われる事も無さそうだ。そうは言っても【カチート】で周囲に障壁を張っていく。
夕食が終ってお茶を飲んでいると、見張りの魔道師が大声を上げる。
「南から光を散らしながら何かが近づいてきます!」
どうやら、ディーが帰ってきたようだ。さて、明日の進路は南か西かどちらになるのかな?