#285 凍った山野
なだらかな峠までの坂道を上っていくと急に前方が開ける。
峠の頂上は50m四方の小さな広場になっており、その中央に東西伸びる石の壁がある。そして、真ん中には、3m程の横幅がある門になっていたが、その門は開け放たれていた。
「門の高さに驚いているな。…この門の高さは12D(3.6m)じゃ。この季節、峠の関所は積雪が4D以上にもなる。厳冬期ならこの門は見えなくなるぞ。」
こんな低い門で良いのかなって高さ2m程の門を見ていた俺に、アルトさんが教えてくれた。
石塀の陰で休息を取りながら全員にアイゼンを履かせる。アイゼンと言ってもブーツの底に合わせた鉄の枠に数本の短い鉄の釘をつけたようなものだ。これをしっかりと革紐でブーツに取り付ける。
皆の持っている杖も先端に鉄の鋲を取り付けてしっかりとクサビで固定する。
念の為に、嬢ちゃん達のベルトには鉄のワッカを通して、ザイルを通しておいた。ザイルの末端はディーがしっかりと腰に固定している。
俺と、ディーが急造のハーケンを握り、滑落時にはこれでブレーキを掛けるつもりだ。
姉貴は、嬢ちゃん達と同じように杖だけど、まぁ、大丈夫だろう。運動神経は良かったようだし…。
「さて、これからは下り坂だ。アイゼンは履き慣れないかも知れないけど、氷面を歩くときは役に立つ。ここで慣れといてくれ。」
そう言って俺が先頭に立って歩き出す。その後を嬢ちゃん達が歩き、姉貴とディーが最後尾だ。
峠の関所を抜けると九十九坂が続いている。雨樋の中を歩いているような気がするけど道も両側ののり面も凍りついている。
ガツガツとアイゼンで足元の氷を削りながら進むのは骨がおれる。いっその事、このまま滑っていった方が早いような気がしてきたぞ。
嬢ちゃん達も問題なく坂を歩いている。1時間程して最初の休憩を取った時までに、転倒したのは姉貴だけだった。アイゼンを履いて転倒するとは意外に器用なのかも知れない。
坂道が少し緩やかになった所で昼食を取り、休憩を終えると再び坂を下りていく。
そして、のり面の高さが街道とそれ程差が無くなった所で、今日の野宿場所を探し始める。
昨日と同じように吹き溜まりの場所を見つけて、今夜も雪洞を掘った。山では雪洞も掘れるが、山を下りたら今度は天幕になる。
夕食後に少し坂を下りて展望が開けた場所から山裾を見下ろすと、遠くに村の明かりが見える。
距離は10km以上離れているだろうけど、そろそろノーランドの連中と接触する可能性が出てきたようだ。
「見えるか?…あれがノーランドの峠に一番近い山村だと思う。我もこちらには来た事が無いゆえ、事情が分らん。しかし少なくとも明日の昼には東に進路を取る必要があるじゃろう。」
何時の間にか俺の後ろにアルトさんが来ていた。
確かにその通りだな。そして、出来れば余り煙も上げたくない。炭も少しは用意してきたけど、足りるかな?
そんな事を考えながら雪洞の中で毛布に包まった。
次の朝。ディーが一晩中掛かって作った消し炭を籠の中に入れて出発する。
麓の山村が霧のように包まれているのは朝食を作る煙の為だろう。
昨日と同じ装備で慎重に、緩いけど何処までも続く坂道を下りていく。
そして、麓に広がる森林地帯に差し掛かったとき、俺達は進路を東に取った。
森の中は吹き溜まりがあちこちにある。とりあえずアイゼンを外してブーツに紐を巻いているが滑るより、突然にズボリって雪に足が入ってしまう事の方が多い。
森を30分も進んだ頃に昼食を取る。煙を出さないように消し炭を熾してお茶を沸かす。残った炭火でパンを炙り薄いハムを挟んで食べた。
休憩時間を使って、全員の靴を革のブーツから雪靴に代えて森を進む。雪靴は少し足底が前後に広がっているから、それ程足を取られずに進む事が出来る。
1時間毎の休憩時にディーが進路を修正してくれるから、ほぼ問題なく東へ向かって俺達は進む事ができる。
そして日が落ちる前に、森の中の少し広い場所で3回目の野宿の準備をする。
早速冬用天幕の出番だ。ディーの担いでいたザックから、天幕を取り出して俺とディーで設営する。その間に、姉貴達は通常の天幕を張っていた。
「あの天幕にお風呂を作って!」
そんな身勝手な姉貴の依頼だが、それには俺も賛成だ。天幕と一緒に入っていた袋からディーに木桶を出して貰って、天幕の中に据え付けた。後は入る毎に俺が【フーター】でお湯を張れば良い。
姉貴達がディーの邪魔をしながら食事をつくっている間に、俺は森を探索しながら枯枝を集めておく。今の内に更に消し炭を作る為だ。
シチューに黒パンの夕食を終えると、嬢ちゃん達がお風呂に入りたがる。
早速【フーター】で木桶にお湯を張ると、2人ずつ入っているようだ。
さっぱりした顔で、「次の人は温いと思う。」ってミーアちゃんが報告してくれた。次は姉貴だな…。そう思いながらお湯を交換する。
そんな感じで全員がお風呂に入り終えると、交換した衣服を姉貴が纏めて【クリーネ】を掛けた。洗濯がこの魔法1つで済むんだから、御婦人方には必需品だと思う。
冬用天幕に皆が入っても、ディーは黙々と焚火で消し炭を作り続けている。
そんなディーを見ながらタバコを吸っていると、ディーがお茶を入れてくれた。
「現状で周囲に脅威となる獣はおりません。そして、雪レイムも全く感知できません。この森でしたら相当数の雪レイムがいると思うのですが…。」
森が静か過ぎるとディーは言っているのだろう。確かにここまで来たけれど雪の上に足跡さえなかったからな。
「警戒は続けてくれ。何もいないって言うのは、安全という事じゃ無いからね。」
後をディーに任せて、俺も冬用天幕にもぐり込んだ。
2日程森の中を東に進んだところで、今度は北に進路を取った。
森が林に変わり、林が雪の残る荒地に出ようとしたところで、林の中で野宿を行う。
次の早朝に、ディーが上空2kmまで上昇して一気に周辺の偵察を行う。
「見渡す限りの荒地です。集落は有りません。また、この近くで活動しているハンターもいないようです。」
ディーの報告で、俺達は荒地を進む事になった。
雪靴を防水処理されたブーツに履き替え、杖の金具を取外す。そして万が一に備えて嬢ちゃん達はクロスボーを背負いボルトケースをベルトに付けた。
先頭はディーが投槍を片手に進んで行く、その後を姉貴、嬢ちゃん達と続いて殿は俺の役目だ。
行軍は何時ものように1時間毎に休憩を取るけど、【アクセラ】で身体能力を強化しているから、それ程疲れる事はない。でも、こういうのは蓄積するって聞いた事があるから、基本に忠実にだ。
まばらに生えている潅木の細い幹を根本から切り取って薪を作っていく。途中からだと、俺達に気付く者がいないとも限らない。
朝、昼、夕刻の3回、ディーに上空からの監視を行って貰うが、ここはまだ早春にも程遠い環境だ。
「10km以内に人の痕跡はありません。」延々とその言葉が続いた。
そんなある日の事。朝出発前のディーの監視結果が変わった。
「北東から獣の群れが近付いています。推定で約120匹。リスティン級の大きさと推定します。」
「このまま進むと、どの位で接近する?」
「1時間は掛からないでしょう。」
姉貴を見ると、クロスボーを取り出してる。…殺る気だな。そして嬢ちゃん達も同じように準備を始めたぞ。
「狩猟期じゃないんだから、狙うのは1匹だけだぞ。…それに食べられそうな場合のみだ。見て肉食獣ならこっちが危ないからね。」
そんな俺の言葉なんか聞こえないかのように、姉貴を中心に手筈を決めているようだ。
溜息を1つつくとバッグからショットガンを取り出しておく。そしてポケットに弾丸を数発入れておけばとりあえず俺の準備は出来た。
ディーは投槍の先端を小さな砥石で研いでいるけど、それで狙うつもり何だろうか?
殺気が ジャジャ漏れの状態で俺達は北に進んだ。そして30分程進んだところで小さな雪煙を見つける。
ツアイスを取り出して確認すると、なるほどリスティンに似た獣が群れをなしてこちらに走ってくる。リスティンと違うのはその毛皮が豊かな体毛に覆われている事だけだ。
さて、どうやって狩るのかな。と姉貴達をみると早速陣形を整えている。
どうやら斜めに陣を構えるようだ。ディーを先頭において、直ぐ斜め後ろにはサーシャちゃんだ。そしてアルトさん姉貴、ミーアちゃん、リムちゃんと続いている。
そんな感じで姉貴達が並ぶと、ちょいちょいと手招きされた。
「アキトはサーシャちゃんの後にいてね。イザとなったらサーシャちゃんを守るのよ。」
だったら、最初から俺がサーシャちゃんの位置にいた方が良いような気がするぞ。
「判った。何とかするよ。」
姉貴にそう言ったものの、具体的にはさっぱりだぞ。
そんな事を考えている内にどんどんとリスティンモドキが俺達の方に向かって来る。
リスティンモドキは俺達を認めて回避するように動くが、100匹を越える群れはそれ程急激に方向を変える事が出来ない。
それでもどうにかギリギリで俺達への直撃は避けられると思った時だ。
突然群れの右側面に【メルト】が炸裂した。
数匹の獣が驚いて後足で立ち上がる。
そこに一斉にクロスボーからボルトが発射され、止めにディーが投槍を放つ。
時間にして2秒にも満たない時間の出来事だ。
「【カチート】。」と姉貴が叫び声を上げると俺達の周りに防壁が現れる。
群れに対して斜めに陣を構えたのはこのためだな。リスティンモドキは防壁に当っても横に反れるだけだ。
確かに、1匹だけ仕留めただけで群れへの影響は殆どない。
群れが去った後で皆で獲物を捌く。
体毛が多い毛皮をシート代わりに使うために皮を丁寧に剥ぎ取る。内臓は穴を掘って埋め、肉は夕食と明日の分を除いて、軽く炙って袋に詰めた。
そして、久しぶりに焼肉を頂く。塩コショウのみの味付けだが、スープばかりだったから美味しく頂ける。
栄養が偏るって姉貴は皆に干した果物を配っていたけど、お茶でも良いような気がする。
1週間程全く獣は見なかったが、この寒さの中でも獣達は暮らしているんだな。
そんな事を考えながら焼肉に舌鼓を打つ。




