#283 ユング達の旅立ち
村の冬は何事もなく過ぎ去り、村を1m程の深さに埋め尽くした雪も少しずつではあるがその高さを減らしている。
そして、遂に通りが普段通りの姿を現そうとしている時に、ユング達が村に帰ってきた。
山荘からの知らせを受けて、俺と姉貴が出かけると、山荘のリビングでは、ユング達と3人の男達それに御后様がお茶を飲んでいた。
侍女の案内でテーブルに着くと、早速ユングが話を始めた。
「約束通りに、測量技術を教えたぞ。明日は、東門の広場にある子午線の測量原点から、街道に向って測量を始める。
測量隊は3隊あるから、第1と第2部隊がサナトラムの町まで共同で測量を行ない、その後は第1部隊は王都へ、第2部隊はモスレムへと分かれる。
第3部隊はこの村の測量を行った後で、測量データを御后様に預ける。その後は、先行した第1部隊と連絡を取り、測量点を確認した上でサーミストに向う。」
あらかじめ、部隊には説明したのだろう。ユングの話を頷きながら3人の男達は聞いていた。
「これで、この村での俺の役割は終ったと思う。例の話の通り旅立つ事にしたい。出来れば報酬として銅を少し分けてもらいたいのだが…。」
「いかほど入用じゃ?」
ユングの要望に、直ぐに御后様が聞いた。
「出来れば2G(4kg)程用立てて頂きたい。」
御后様は侍女を呼ぶと小声で何事か話している。そして用を仰せつかった侍女は直ぐに部屋を出て行った。
「直ぐに用立てる。じゃが、天文台の構築と測量技術の伝授を銅地金2Gでは安すぎないか?」
「それで結構。…そして、明人。たまに通信は送るが、明人の方でも何か分かれば俺達に伝えて欲しい。バビロン経由なら可能だろう。」
「あぁ、勿論だ。…そして、全てが終れば、また会おう。」
「勿論だ。」
そう言って、ユングは俺の手を掴んだ。
「じゃが、困ったのう…。測量で得た結果を元に地図を作る者がおらん。」
御后様は困り顔だが、あの顔はポーズだな。ユング達を引き止めたいようだ。
「それは、この国で何とかしてください。幸い、この地には美月さんがいます。そして彼女を補佐する明人もいるのです。」
「そうじゃのう…。婿殿達にまた苦労をかける事になりそうじゃの。」
「その話ですが、フリーナ様はどうでしょうか?…昨年伴侶を亡くされましたが、その聡明さは評判です。そして彼女の友人達も…。」
測量隊の隊長の1人、エリルさんが御后様に話す。
「ふむ。フリーナの話は聞いた事がある。そうか…。伴侶を亡くしたか。フリーナも確か下級貴族であったな。伴侶が亡くなれば…子供は幾つじゃ?」
「子供は4,5歳と聞いております。確か女子であったかと…。」
「となれば、フリーナの嫁いだ貴族も断絶することになるか。僅かな蓄えを使いながら子を育てるは苦労の連続じゃろう。不憫な話じゃ。…しかし、この作業は温情で行う物ではない。…ジュリーに調べさせ、使えると判断すればこの地に呼び寄せようぞ。」
多分、来るんじゃないかな。そしたら、リムちゃんも妹が出来たようで喜ぶだろうな。
「基本的に地図作りは単調な作業だ。忍耐強ければ良い。後は慣れになるだろう。」
ユングは誰でも良いように言ってるけど、俺は違うと思うぞ。哲也の悪い癖は全て周りの人間が自分と同じ位の頭を持ってると思うことだ。
哲也のように、人は何時もテストで100点は取れないことを、こいつはまだ理解できていない。
「出来れば天文台の方も観測者を募集して頂きたいのですが…。」
「そう言えば、まだ見ておらぬが出来たのじゃな?」
「はい。内装はマケリスさん達が行なってくれましたから、何時からでも住む事が出来ます。春から東門の広場から天文台までの小道を作りますから、そうなれば…。」
「分かった。それもジュリーに頼むとしよう。確か2家族が生活出来ると言っておったな。」
俺とユングが御后様に頷いた。
扉が開くと、近衛兵が重そうな包みを抱えてやってきた。
一旦、御后様に中身を告げると、御后様はその包みをユング達に渡すように伝えている。
近衛兵がユング達のテーブルの上に包みを載せて、その包みを解いた。
中から現れたのは銅の地金だ。
「これで良いじゃろうか。約3G(6kg)はあるはずじゃ。」
「有り難くお受けします。…ディーの使うレールガンを我等は、このベレッタという銃で使います。その弾丸は銅という制約があります。これより長旅でどんな怪物に出会うとも限りません。この報酬が何よりです。」
「それでも限りがあるじゃろう。それとは別に、これを持っていくが良い。」
そう言って侍女に何かを告げると、侍女が急いで部屋を出て行った。
直ぐに戻った侍女は、近衛兵を連れている。その兵が持っていたものは、長剣だった。
受取ったユングが鞘から抜いて刀身をジッと眺めている。
ユングが持っているナイフはダマスカスだ。刀身は30cm位だから、それを握って戦う機会は殆ど無いだろう。だが、長剣ならばそれなりの鍛えがあれば彼等ならば十分な得物になる。
「有り難く、頂きます。」
ユングはそう言って御后様に頭を下げた。
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次の日。俺達は東門の広場に集まった。
何時の間にか子午線が通る広場の真中に小さな石壇が出来ている。そして中央に銅版が埋め込まれ、南北に伸びる線とは別に真中に東西方向の短い線が交差している。
どうやら、あの交差点が測量原点となるらしい。
三脚に載せられたトランシットから真直ぐに先の尖った錘が吊るされている。その錘の先端は、総量原点の中心に真直ぐに下ろされていた。
トランシットの水平を水準器で何度も確かめながら微調整をすると、エリルさんがトランシットを覗き込んだ。
「87.32度でプラス0983だ。」
1人が素早く手帳に数値を書き込むと、エリルさんが覗いたトランシットで拡大された視野に写る小道の先に立てたポールに刻まれた数値とトランシットの水平目盛りを読む。
「数値確認。トランシット反転で再確認します。」
トランシットを180度回転させて同じように測定を行なう。
一回測定する度に2人で目盛りを確認し、機械を反転させてもう2回。都合4回の測定は個人の読み取り誤差と機械の誤差を最小にするためだ。とユングが小声で教えてくれた。
「3級測量点の測定を終了しました。作業を継続します。」
「あぁ、今の調子なら問題ない。俺が教える事はもう無いから、後は皆で国の全域を回って測量をするんだ。そしてその調査結果は御后様に渡す事。いいな。」
ユングはそう言って測量隊を激励する。
そのまま、東門からユングとフラウが出て行こうとする。
「待て、もう出掛けるのか?」
「そうだ。考えてもみろ。殆ど地球の裏側だぞ。俺達はこれから街道を北に進み、凍った大地を東に歩くつもりだ。寒い方が獣は少ないだろう余計な心配をしないで済む。」
俺に振り返ったユングがそう応えた。
「有難う。哲也、…色々と世話になった。」
「何の。友達じゃないか。…じゃぁな。連絡を待ってるぞ。」
そう言うとフラウを促がして北門を出て行った。2人とも、その背中には御后様から貰った長剣を背負っている。
俺達も、もう直ぐ出発するけど、ユング達は一足先にククルカンの歪みを探すのだ。
そして、その旅は俺達が想像するよりも遥かな道なのだろう。
「行っちゃったね。」
「あぁ、ディーよりも高性能らしいから問題は無いと思うけど、…心配だよね。」
そんな話をしながら、ユング達が山裾の小道を歩いて行くのをジッと見ていた。
最後に、こちらに振り向いて手を振る光景を見て俺も手を振った。その後直ぐに山裾を周りこむようにして2人の姿が消えて行った。
何年掛かるか判らない遥かな旅だ。ユング達が着く前に俺達も何とか歪みの対策を考えるか、探すかしなければならないのだ。
俺達の隠れ里への旅はそんな手掛かりを探す旅でもある。
家に帰ってくると嬢ちゃん達が暖炉前に荷物広げていた。腰のバッグには、魔法の袋が大小1個ずつ入る。全員5倍収納なのは同じだ。
大きな袋には衣服と予備の食料を入れて、小さい方には3つの袋を入れようとしているようだ。食器類と予備のボルト、それに爆裂球だな。
問題は、お菓子を入れるところが無いらしい。
そこにディーが帰ってきた。ユリシーさんのところから、大きな木の桶を引き取ってきたみたいだ。ついでに簡易テントを2つ雑貨屋で買ってきてもらった。
「どうしたんですか?」
ディーの質問に姉貴が笑って嬢ちゃん達を指差した。
まだ、どれを諦めるか思案している嬢ちゃん達の姿がそこにあった。
それを見たディーが自分の部屋に戻ると、大きな袋を持って嬢ちゃん達の所へ行く。
「これに衣類を入れてください。直ぐには使用しないものですよ。これに入る位の分は私が持っていけます。」
ディーの申し出にたちまち嬢ちゃん達は衣類を整理して一纏めにし、ディーの持ってきた袋に入れた。
ホッとした表情になった嬢ちゃん達がテーブルに集まってくる。
「そろそろ我等も準備を始めたのじゃが…、出発は何時頃じゃ?」
「もう少しで、王都から食料品が届くわ。それが届いたら直ぐにでも出発よ。」
アルトさんの質問に姉貴が答えている。
「そういえば、銃の弾丸は揃ったの?」
「言われた通り、1日に5発ずつ増やしたぞ。100発以上溜まった所で、終わりにしたのじゃ。」
それだけあれば大丈夫だろう。俺だってそんなものだ。
「問題は、旅のコースよね。御后様は、カナトールから進むのが一番って言ってたけど、今の状況では混乱するだけだわ。
となると、道は2つ。サナトラムの町から砦を通ってノーランド王国へ向い、その後北西方向に向う方法と、後はアトレイムの西から北に向かう方法があるわ。」
「ノーランドは歪人達の国じゃ。かつてリザル族を追って遥かコンロンから来た種族とエルフの一族の混血なのじゃが、エルフの面影は全く無い。醜い小人達の種族で今も禁断の魔術を使っておると聞いた事がある。」
アルトさんがミーアちゃんの入れてくれたお茶を飲みながら教えてくれた。
となれば、アトレイムの西から北を目指す方法になるのか?
「となれば、アトレイムからじゃが、これも問題が無い訳ではない。カナトールの緑野を奪わんと虎視眈々とカナトールの西に陣を張っておるはずじゃ。」
もう1つのルートについてもアルトさんは否定した。
「では、隠れ里へ向う道は…。」
「そう結論を急ぐな。…我はこの道が良いと思う。」
アルトさんは俺と姉貴がのぞいていた世界地図に細い指でルートを示した。
それは、ノーランドの東を大きく迂回して北に行き、そこから西に向かう方法だった。
「旅の距離は3割増し程度になるであろうが、ノーランドの東は大型の獣がうようよしている荒野じゃ。そこを通る旅人がいるとはノーランドの誰一人として想像する者はいまい。」
そう言って楽しそうにアルトさんが微笑む。
俺と姉貴は思わず顔を見合わせる。…そして、互いに深く頷いた。