#282 冬用天幕
村に初雪が降って数日後。庭の石畳をディーと俺で綺麗に掃き取った。
そこに2人で冬用天幕を設営するのを皆が周りで興味深そうに見守っている。
構造的には、家の屋根を切り取ったようなシンプルな天幕だ。2重の布で作られており、外側の布には薄くウミウシの体液を塗って防水対策を施している。
内側の布は、密に織られた木綿だが、内外の布の間に空間を設ける事で保温性能を持たせたつもりだ。幾ら早春から初冬に掛けた旅とは言え、出かける先は北国だから防寒対策は万全に越した事はない。
太さ5cm長さ1m程の柱を2本接続した柱を2本作り、その柱の間に天幕を吊り下げるようにして張り終える。柱を固定するロープや、天幕をピンと張るロープは近くにあった石や椅子で固定する。
柱を手で揺らして動かない事を確認すると、俺達を見守っていたギャラリー達に顔を向ける。
「こんな感じかな。…実際にはロープは鉄の杭で固定するんだけどね。」
俺の言葉を聞くと、返事もせずに嬢ちゃん達が早速に天幕の中に潜り込む。
「床もあるようじゃな。」、「狭い…。」、「この中で何人寝れるの?」
色んな声が天幕の中から聞こえてくる。
「これで、全員寝れるの?」
「一応、6人用だ。…でも5人で寝るには十分だと思うよ。座る分には全員が中に入れるはずだ。」
いくらディーがいると言っても、焚火の番は複数必要だろう。それなら、その分を見越して天幕を作ったほうが良い。
問題は天幕内の暖房が無い事だ。これは人体の発熱を外に逃がさないような工夫に頼るしかない。その為の2重構造だが、果たして上手く機能するのかがちょっと心配なところだ。
「しばらく中にいなければ、使えるかどうか判らぬ。我等が調査するから家に入っていても良いぞ。」
天幕の出入口からアルトさんが顔を出して、そう言うと首を引っ込める。
「じゃぁ、よろしくね。」
天幕の外から嬢ちゃん達に声を掛けると、汗が急激に冷えてきた体を温めに急いで家に入った。
暖炉に薪を数本投げ入れ、その前に座り込んでタバコの時間だ。
ゆっくりとタバコを楽しんでると、姉貴がコーヒーを入れてくれた。姉貴もシェラカップを持って俺の隣に座り込む。
「後は何が必要かな?」
「食料だけだと思うな。姉さんも、出来ればアルファ米等の携帯食料を貯めておいて欲しいな。それと弾丸だ。」
「食料は、全員の10日分は確保したわ。弾丸もとりあえず100発は確保してある。…そうだ。アキトに予備のパイナップルを渡しておくね。」
そう言ってポケットから手榴弾を取り出して俺の膝にポンと置いた。急いで腰のバッグに詰め込んでおく。
「ザイルは60mの物を3本手に入れたし、小さめのスコップとツルハシも2個ずつ袋に入れてある。…問題は道が無い事だよな。ディーのGPS機能で方向と距離は何とかなるとしても、相当歩く事になるのは確かだ。」
「当日履くブーツ以外に代えのブーツと雪靴それにカンジキと似たような雪靴に付ける物は用意しているよ。」
「となれば、残りは服装と装備だな。…服装は革の上下で良いとしても下に着る暖かな物は必要だ。それに厚手の外套もね。ミーアちゃん達は背が伸びてるから去年の物が使えないかもしれないよ。」
「そうだね。午後にでも皆と一緒に雑貨屋に行ってみるわ。」
少しずつ装備を確認しながら揃えねばならない。
天幕や橇の補修に使う小型のノコギリや釘、それにカナヅチだって必要だ。これは以前姉貴がくれた大工用具セットで十分だが釘は入っていなかったよな…。
「ついでに、使えそうな物があったら買ってきて欲しいな。…釘も少し買っておいて。」
姉貴は俺に頷くと、シェラカップを2個持って台所に行った。ディーと一緒に昼食を作るようだ。
暖炉の脇のカマドから良い匂いが立ち上り始めたところで、外の天幕内で居住性を確認している嬢ちゃん達の様子を見に出かけた。
天幕の入口も2重の布で作ってある。なるべく天幕内の暖気が逃げないようにする為だ。
それを捲りながら天幕に入ると、嬢ちゃん達が毛布に包まりながらスゴロクをしていた。
「どう?過ごし易いかな。」
「少し寒いが我慢出来ぬ程ではない。毛布を被れば丁度良い感じじゃな。」
「意外と過ごしやすい。でも、夏に出かけるのでは暑くにゃらないかなって思うけど…。」
ミーアちゃんの意見は俺も考えた。でも、暑ければ中の空気を逃がせば良い。そのために風を通す穴も考えてある。
「出発は3ヶ月も先だ。気が付いたことがあれば遠慮なく言ってくれ。…それと、もう直ぐ昼食だよ。」
嬢ちゃん達はおれの言葉で随分と時間が立っていることに気が付いたようだ。直ぐに、スゴロクを片付けて毛布と共にバッグに詰め込んでいる。
俺は一足先に家に戻る事にした。
「皆でスゴロクをしていたよ。」
テーブルに着いて姉貴に報告する。
「この寒さの中でスゴロクが出来るなら十分じゃない。」
そう言って俺に微笑む。そこに、バタバタと足音を立てて嬢ちゃん達が帰ってきた。早速テーブルに着くと、ディーの方を見ている。
そんな嬢ちゃん達の視線を嬉しそうに微笑みながら、熱いスープを入れた深皿をディーが運んできた。結構、人間らしくなってきたような気がするぞ。
ハムと野菜のスープはディーの好物の1つだ。味を理解してから度々作ってくれる。
俺達も好物だから有り難く頂いている。このスープには、ちょっと焦げ目が付いた黒パンが良く合うのだ。今日はパンに薄くコケモモのジャムが塗ってあった。
「このジャムはまだあるのか?」
「…試作だからね。来年の狩猟期にリザル族が持参する話は出来てるんだ。俺達の屋台で売る手筈だから、それまでは後1瓶あるだけだよ。」
首を振りながらサーシャちゃんに言った。
「果物が手に入れば、ジャムは作れるのじゃな?」
何か思いついたようにサーシャちゃんが聞いてきた。姉貴が頷いてるけど、その悪戯っぽい目で俺を見るのは止めて欲しいと思う。
「ところで、あの2人はどこに行ったのじゃ。」
「ユング達は、マケトマムで測量を実践しながら教えてるよ。本格的な測量は来年の村の雪解けを待って、この間広場に埋めた子午線上の測量原点から始めるようだ。」
「ディーがいれば直ぐに出来そうじゃが…。」
アルトさんの呟きを俺は微笑んで聞いていた。
確かに、ユング達とディーの3人で行なえばかなり正確な地図を短期間で作れるだろう。だが、それはジェイナスの住民に短期間での利益は与えるだろうけど、長期に渡って利益を与える事にはならないはずだ。
測量の技術はある意味数学の実践でもある。そして科学技術の応用でもあるのだ。
その技を自分の物にしてこそ、初めて自分達の目的に使用できると思う。
トントンと軽く扉が叩かれる。
ディーが応対に出ると、御后様が立っていた。早速、ディーがテーブルに案内する。
「食事中とは失礼じゃったな。」
そう言いながら、ディーの入れてくれたお茶を美味しそうに飲んでいる。
「申し訳ありません。家は食事時間が少し昼を前後しますから…。」
「良い良い。…それより婿殿。商人達が例の件を実行する者をこの村に送るそうじゃ。あれだけの物を見たのじゃ。彼等も直ぐに行動に移ったようじゃな。」
恐縮する姉貴に御后様が気にせずに話し出した。
例のガラスだな。原料のサンプルも貰ってきたから、先ずは原料の調達からだ。それに、炉の温度を上げる為の燃料も必要になる。先ずはその辺からだな。
「冬には狩りもままなりませんから、ここで待ちましょう。先ずは材料の調達をお願いしなければなりません。」
「うむ。我も楽しみじゃ。…ところで外の天幕はどうしたのじゃ?」
「あれは、来年の旅に必要な物じゃ。外の寒さでも、あの中は温かじゃ。」
サーシャちゃんが御后様に報告している。
「ほう…。冬用の天幕なのじゃな。後で我も見てみたいものじゃ。」
「おばあちゃん、行こう!」
リムちゃんが御后様の手を取って外に出ようとする。
何時の間にか昼食は終ったようだ。
「そうじゃな。我が説明しよう。」
そう言ってアルトさんも立ち上がったけど、アルトさん説明できるのか?
そんな会話が続いて御后様と嬢ちゃん達は家を出て行った。
俺と姉貴は顔を見合わせる。
「まぁ、良いんじゃないかな。御后様も退屈してるんだし…。」
「でも、あんな物に御后様は興味あるのかな?」
確かに気にはなる。ひょっとして…。
「カナトールの動乱を何とかしようって話があったよね。あれから2年近くになる。介入する時期が遅くなればなるほど事態は泥沼だ。となれば当然冬の装備も必要だろう。その為に使えないかと思ってるんじゃないかな。」
「何とかしなくちゃね。…リムちゃんの故郷だもの。」
「姉さん。それは違うぞ。…リムちゃんの故郷はここだ。ミーアちゃんと一緒にね。」
「ご免。そうだよね。ここが私達の故郷なんだよね。」
姉貴の気持ちも分かるが、リムちゃんは俺達の妹だ。そして、カナトール王国は今は無い。将来、リムちゃんがカナトール地を訪れる時はあるだろうが、その時どんな気持ちでその地に立つかは俺達には想像できない。
バタバタという足音と共に扉が開くと5人が家に入ってきた。
「外は寒いのう。じゃが天幕の中は天国じゃ。」
そんな事を言いながら御后様がテーブルの席に着く。嬢ちゃん達が座ったのを確認して、ディーが皆にお茶を入れてくれた。
「母様は気に入ったようじゃ。」
アルトさんがぽつりと言った。
「やはり北西で使う事を考えておりますか?」
「婿殿には隠せぬのう…。その通りじゃ。」
そう言って御后様が溜息を付く。
「ユリシーさんに作ってもらいました。天幕1つの収容人員を言えば作ってくれるはずです。」
「明日にも出かけるとしよう。北西には、400を送る。少しずつ取り込むつもりじゃ。大軍を送ればいらぬ刺激を隣国に与えよう。そちらは我等4カ国が何とかする。婿殿達は隠れ里に行くが良い。」
俺達にそう言うと、御后様は山荘に帰って行った。
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それから、数日過ぎた昼下がり、3人の壮年の男が俺を尋ねてきた。
「私は、ラジアン殿達の求めに応じて不思議な器を作るように命じられた者です。
私がロディー。隣がジェル。そして、3人目がレドモンと言います。
我等が目にしたのは、融けない氷で作られた不思議な、そして美しい杯でした。
どうか、我等にあの融けない氷の作り方をお教え下さい。」
融けない氷か…。言いえて妙だな。
「教えましょう。でも、それには材料が必要です。この3種類の材料を探してください。」
俺は、バッグから3つの包みを取り出した。
「この結晶体はシリカと呼ばれています。これはトロナ主に塩湖の周辺で見つかります。最後はこれです。燃える石と呼ばれる石炭です。
この3つが是非とも必要になります。そして、多分作れたとしても、貴方達が見た杯よりは見劣りがするでしょう。
最初から、あのような透明な物を望まぬ方が良いでしょう。色々と試行錯誤を繰り返せば、このようなガラスの芸術品も出来るようになります。」
そう言うと、彼等の前に色ガラスで作られた小さな昆虫を差し出した。
「これは、…色がつけられるのですか?」
そういったのはジェルさんだ。俺は頷いて肯定を示した。
「とは言うものの、このような結晶は見たことが無い。」
レドモンさんが首を振って嘆いた。
「意外と身近にあるかも知れません。…この中の石炭については目処が立っています。詳しくは、モスレムの王都でクオークさんを訪ねるのが良いでしょう。とすれば、残りは2つです。」
「この3つの品は我等が預かっても宜しいでしょうか?」
「どうぞ、持ち帰ってください。それが無いと比較出来ませんからね。…俺達は来年春から冬まで少し長い旅に出ます。出来れば再来年の年明けに、貴方達の調査結果を知らせてください。」
テーブルの向こうで3人は顔を見合わせながら低い声で話をしていたが、俺に向き直ると力強く頷いた。