#279 幸せになるには?
「…なるほどのう。やはり早々に4カ国を統合する事は無理のようじゃの。」
俺の家に朝から訪れた御后様は、昨日の次世代の国王達との協議の内容を聞いてそう呟いた。
「多分、各国の現国王達も将来構想についての明確な絵姿を持っていないのではないかと。それで、彼等たちにもその説明が出来ないことから、共通の認識を持てないんだと思います。」
「婿殿の考え方で良いと思う。我も明確な姿を思い浮かべる事は困難じゃ。」
「実は…。」俺は昨夜の出来事を御后様に話した。色々な統治機構はあるが、それら全てに種々の課題があり、完成された形態はあり得ない。
どうしても個人の思惑が絡む以上、常に課題は発生するであろうし、それを看過すれば重大な齟齬が生じかねない。
「そんな事を考えている時に、カラメルの長老が現れました。全体の統治機構を是正するための仕組みをその中に入れ込め。と言っていました。
カラメル族の治政は長老による共同統治みたいですが、それでも問題はあるみたいです。」
「やはりのう。彼等は我らよりも遥かに長い政治経験があるにも係らず、そのような話になるのであれば、全体を見渡して齟齬のある場所を常に監視する機関を設ける事もやはり大事じゃと思う。
婿殿とカラメルの長老との関係も知りたいところじゃが、その助言はありがたいものじゃ。」
銀のパイプをクルクルと回しながら呟いた。直ぐに、パイプに火を点けてあげると、「すまんのう。」って礼を言ってくれた。俺も、タバコに火を点ける。
「行政は何とか行けるでしょう。でも、司法と立法は?」
俺の言葉に姉貴が口を開く。
「司法は裁判だよね。将来的には問題だけど、現状ではこのままで良いと思うわ。前に聞いたでしょ。嘘がばれるって…。」
確か、神官達の裁定だったか、そんな話を聞いた事があるな。だから、誤審が無いと言っていた。不服であれば、ってやつだから、この世界は2審制を取っている事になる。
それを体系化すれば良い訳だから、比較的容易に行えるだろう。
「問題は、立法よ。先ず基本となる法律を作って、それに合うように生活、習慣等から沢山の法律を作らなくちゃならないし…刑法と民法と商法、税法も考えなくちゃならないし、大変よ。」
「じゃが、各国とも現行の法律はあるのじゃ。基本となる法律を定め、それに合うように現行の法律を見直せば良いじゃろう。」
御后様が姉貴に答えた。
確かに、それも手であると思う。全て1から作るのではなく現行法令の文章を変更する方が早いし、抜けが起こる事も少ないだろう。
「それに、各国の文官をこれに参加させて、将来の官僚組織として活用させてはどうじゃろうか?」
「となれば、残りはその法律の審議を誰が行うかです。」
「ふむ、それは…難しい事になるのう。」
御后様はパイプを仕舞って、お茶を1口飲む。
「確かに問題じゃ。それは国の代表者が裁定する事になるが、代表者は誰の代表者かで審議が左右されるの。」
姉貴と俺が頷く。
「ですから、作られた法律の審議を始める前に審議の拠り所となる憲法を制定する必要が出てきます。俺としては、次の世代の国王達である現在山荘に集まっている王子達にこれを決めて欲しいと思っているのですが…。」
「新しい王国には次の世代の意見を反映させるか…それも良い考えじゃ。じゃがのう、急がずとも良い。クオーク達が議論を重ねれば重ねるほど良い物が出来るじゃろう。」
御后様はそんな事を言い出した。
急がずとも良い…。それは施政の急変に戸惑う既施政者と民衆の戸惑いを可能な限り避けようというのだろう。
「とは言うものの、出来るものは早めにしておこうと思っておる。その手始めは軍の再編じゃな。」
「それは、セリウスさんとケイロスさんが頑張っているんじゃないかと思うんですが?」
御后様の話に俺が応えた。
「まぁ、頑張ってはおるようじゃ。防衛は問題が無いじゃろう。じゃがな、反攻となれば…。」
この国の戦は何故かしら戦力の順次投入だ。全体の兵力が半分程度になった時、はたして、それまでの戦の仕方を変える軍略家が現れるだろうか?…サーシャちゃんの指揮で全体が動くのはまだ先だろう。亀兵隊の指揮で実績を積み、将来的には…、という事だと思う。
「アルトさん達が王都に行っていますから、頼んだものが出来るまでは、セリウスさん達の手伝いをしていると思いますよ。」
「そうじゃったな。少しはマシになると良いのう。」
今まで違った政治を行なっていた4カ国が統合しようというのだ。しかも戦をせずに平和的に話し合おうというのだから、色んな問題も出てくるだろう。少しずつ変えて行って、気が付いた時には統合が終っていた。というのが理想なんだけどね。
御后様は昼近くまで俺達と話し合った後で山荘に帰って行った。
クオークさん達との協議は今日は夜に行われる予定だ。各国の王子達はクオークさんの案内で陶器を作る登り窯の見学に行ったようだ。
彼等も陶器は見た事があるからかなり興味を持っているはずだ。場合によっては自国での生産を試行するかもしれないが、クオークさん達には3年の経験がある。
直ぐに追い越される事は無いだろうが、品質等の更なる向上を模索する事になるだろう。それは良い事に違いないが、森林資源の枯渇に繋がらぬようにせねばなるまい。
ん!…このたとえ話は使えるぞ。今夜はこの話から、憲法と法律の話をしてみよう。
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その夜。山荘に昨日のメンバーが集まった。
侍女が俺達にお茶を入れると、部屋から出て行く。それを待って、俺は口を開いた。
「今日は皆さん方が陶器を焼く釜を見に行ったと聞いています。それを例にして憲法と関連する法律の考え方を皆で考える事にします。」
黒板に紙を張ると、炭で簡単な図を描く。
陶器と窯と薪、それに人だ。そしてそれらの関連を矢印で示す。
「こんな感じです。登り窯には素焼した土器と薪を入れて5日以上窯で薪を燃やせば陶器となります。…これに、費用を入れて見ましょう。」
5日間で使用する薪の値段、都合8日間の人件費、窯の値段そして陶器の値段を簡単に書きこんだ。
「大体の数字です。ここではっきり判るのは、陶器作りに投入した金額よりも生産された陶器の値段が遥かに高いことです。」
ここで、話を区切って皆の顔を眺めた。
「その点が魅力的です。多分10倍以上の資金を回収出来ます。私も国に帰ったら、早速窯で陶器を作ろうと考えています。」
モンドさんが興奮気味に俺に言った。
「多分、皆さん全てが魅力を感じた筈です。…それでは、この陶器作りの課題が何かを考えて下さい。…世の中に良い事ばかりあるはずがありません。この陶器作りには、王国を崩壊させかねない危険な課題が潜んでいるんです。」
皆、考え始めたぞ。隣の妹や将来の自分の片腕に相談もしているようだ。
換えのお茶をディーが持ってきた。そんな事は関係ないように数人がまとまって話を始めている。少しは議論になってきたかな。
そんな時、ブリューさんが片腕を少し上げて、俺の注意を引く。俺がブリューさんに注目した事が分かったのか、全員がブリューさんを見た。
「陶器作りの最大の課題…それは、薪の伐採ですね。」
俺は深く頷いた。
「この国の木材の利用は大きく3種類。建材、暖房、調理用の薪、そして鉄を作るための炭の生産用だ。これに陶器作りが加わると、今までの木材の生産バランスが崩れる恐れが多分にある。今は問題が無くとも、少しずつ森は無くなり、森で狩れる獲物も少なくなるだろう。そして、最後には森も獣もいなくなる。」
王子達は互いに顔を見合わせる。そこまでは考えが及ばなかったのかも知れない。
「俺達がここで陶器を作り始めた理由を知ってるかい?」
「村人に働く場を提供する為だと聞いた事があります。」
「働く場があれば、そこで収入を得られる。そして冬に村の外へ働きに行く事も無い。家族が一緒に暮らせるんだ。
陶器作りには陶器を焼く人だけじゃない。薪を取る人、素焼きを作る人、粘土を掘る人、そんな人達に食事を作る人…。沢山の人手が必要だ。
という事は、陶器で得た収入を沢山の村人に分配できる。」
皆がジッと俺の話を聞いている。自分の国でやってみようと考えているんだろうな。
「作れば作るだけ村人に入る報酬は増える。なら、もっと作れば良い。
ここで、2つの課題がある。
1つ目は、陶器作りが全ての村人に関わっているかというとそうではない。富みの不均衡が起きるんだ。
2つ目は、作れば作るほど、森の木が伐採される。材木として育てるには30年以上掛かるんだ。それが無造作に伐採されかねない。」
俺はタバコに火を点けて、お茶を一口飲んだ。
「なら、どうすればいいか。…一番簡単な方法を俺達は選んだ。陶器の生産に制限を付けるんだ。年2回の窯焚き。そして、伐採した数だけ苗木を植える。そして、年2回の陶器製作を貧しい村人に手伝って貰えるなら、それによって得られる金額は、それ程多くはないから、他の村人に羨まれる事も少ない。」
「富の不均衡は、不平の元になります。怠け者では仕方ありませんが、働いても貧しい者がいることは確かです。それをアキトさんは是正しようとしていたのですか?」
エントラムズのディートル君だな。ミーアちゃんはまだ渡さないぞ。
そう思いながらも俺は頷いた。
「俺の世界の憲法に、…すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。と書かれています。最低限の生活には皆さんも色々と意見があると思いますが、俺は冬に暖炉を温める薪があり、1日3回の食事が取れる事を目標としました。」
「この国を含めて、憲法と呼べる物が無いから、自分の国の憲法で物事の基本を考えていたという事ですか?」
「そう思って頂いてかまわない。」
「全ての法律の元になる憲法ってどんなに凄い法律なんだろうと思っていましたが、なるほど、国民生活の基本を纏めたものなんですね。」
「それ程沢山作る必要は無いと思う。そして、その憲法でさえ、変える必要が生じる場合もある。人の価値観は状況に応じて変わっていく。それを縛る必要はない。」
「何か憲法を考える時のコツみたいなものは無いんですか?」
「コツは無いと思うけど、判り易いことが基本だな。さっき俺が言った、俺の国の憲法の1つだけど、判り易いだろう。そして、当たり前じゃないか。とも思ったはずだ。分かり易く、誰もが納得するのが憲法だと俺は思っている。
そして、この憲法で言った事を実現するにはどうすれば良いかを議論して法律を作り、それを実行するのが政治だと思う。」
「確認しますが、アキトさんはアキトさんが暮らしていた国の王族では無いんですよね。そして国政に携わっていた家系ではないんですよね。」
「全くの庶民だ。俺もミズキもね。…だけど、俺達は国政に参加できる権利を持っている。その権利を行使する為に、短い人でも9年間。長い人では、20年以上も勉強をする事になる。少なくとも9年間は国が無償で勉強を教えてくれる。」
彼等は再び顔を見合わせる。最低で9年間の教育を誰もが受けるという事に衝撃を受けたようだ。
「教育については、モスレムの大神官が考えてくれている。連合王国の子供達は等しく3年間程度の教育を受ける事が出来るようになるはずだ。」
「大神官様も動いておいでなのですか?」
そう動いてるよ。御后様も暇だって言ってたしね。そして、大神官の危惧も俺には分かるつもりだ。
そんな事を考えながら俺は頷いた。
「さて…、ではどうしたら、連合王国の国民それは王族の皆さんを含んでだが、幸せになれるかを議論しようか。」
俺の言葉を口火に、早速熱い議論が始まる。
この具合なら結構早い段階で草稿が出来るかも知れないな。そんな事を考えながら姉貴と顔を見合わせた。