#275 グラスの魅力
3日目にサーシャちゃん達はリスティンを15匹狩って村に戻ってきた。今年も昨年同様両側に石の付いた紐を投げ転倒させてから仕留めたようだ。
背中に全く傷の無い毛皮はそれだけで値を吊り上げていた。
「…リザル族の狩りを見学させて貰ったのじゃ。」
サーシャちゃんの言葉にミーアちゃんとリムちゃんが頷いた。両手にミタラシ団子を持って食べていたから2人とも話す事は出来ないようだ。
「リザルの戦士は別格じゃ。彼等が兵士ならばと思うと、背筋が寒くなる。【アクセル】と【ブースト】を使ったアキト並の身体機能を持っておる。
そして、彼等の狩りの基本は待伏せじゃ。群れを遠巻きに追い立てながら、途中に配置した狩人が投槍で倒していく。しかも投槍を投げる瞬間まで何処に隠れていたか分らぬのじゃ。」
まるでレンジャー部隊だな。しかも狙撃兵並みに隠れる事ができるみたいだ。
「参考になったかい?」
「参考にはなったが…、出来ればリザル族の部隊を作ってみたいものじゃ。彼等にクロスボーを持たせたらと想像すると、是非とも欲しくなる。」
「リザル族は戦争を好まないからね。諦めるしかないと思うけど、彼等と俺達とで何が違うか、そしてそれをどうすれば補えるかを考えれば、新たな兵種が出来るかも知れないね。」
「…それは我への課題じゃな。我には仲間がいる。皆で考えてみようぞ。」
種族の特徴と彼等の得意とする戦法を考えて、それからリザル族と同様の動きをするための工夫が必要だろうな。単純に魔法で補う事も可能だろうけど、サーシャちゃんが描いている兵種とは少し違うと思う。
獲物は少ないけど、サーシャちゃんとしては大きな収穫があった訳だ。
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その夜。狩猟期の定例になろうとしている御用商人達との会見が始まろうとしていた。
俺達が山荘のリビングに侍女に案内されて入った時には、会食が終っていたようだ。御后様を交えて皆でお茶を飲んでいた。
「遅くなって申し訳有りません。お詫びに酒と肴を用意しました。」
俺の言葉を合図に侍女達がトレーにワイングラスとザラメ焼きを細く千切った肴を入れた真鍮の皿を持ってきた。
御用商人達の前にワイングラスが置かれると、彼等は驚きの表情でそれをジッと眺めている。
「どうですか。そのワインが入った容器はグラスと呼ぶ代物です。肴は今狩猟期で販売している品物ですが、どうぞ召し上がって下さい。」
俺の言葉に御用商人達は恐る恐るグラスに手を伸ばしてそれをしっかりと掴んだ。
御后様と姉貴が優雅に飲んでいるのをみて、恐々とグラスの縁に口を着ける。
ゴクリ…と同時に喉がなる。
そして、ジッと手の中にあるグラスを見ていた。
「これは…、いや、このグラスを私に譲ってくださいませんか?…金は幾らでも、望む金額をお出しします。」
モスレムのラジアンさんだったな。
「それは、私からの贈り物という事で…。それに、そのグラスは大森林地帯の南方の地下世界、『バビロン』で入手した物で、私の懐は痛んでおりません。どうぞ、お持ち帰り下さい。」
俺の言葉が信じられないのか御用商人達は互いに顔を見合わせている。
「これ程の至宝を我等に与えるという事は、その代価を別な形で要求なされるおつもりですかな?」
この人は…確か、アトレイムの御用商人だ。
「良くお分かりで…。そのグラスを貴方達で作って頂きたい。」
俺の言葉に、ざわざわと商人達が隣人と話を始める。
ひとしきりざわめくとラジアンさんが俺に顔を向ける。
「静まらんか。モスレムの御后様がおいでになるのだぞ。…さて、アキト殿。1つお聞きしたい。この水晶で作ったような器…グラスと言いましたかな。それは、我等に作ることが出来るのでしょうか?」
「そのグラスと同じものを1年後に持って来い。とは俺は言いません。そのグラスがどれだけの年月を掛けて技術として確立したかを知っているつもりです。
そのグラスにしても、ガラス職人と言われる人が1日で何個も作っているのです。しかし、ガラスの製造技術とそれを加工する技能が無いとグラスは作れません。
俺はガラス製造の基本技術を教える事は出来ます。しかし、その加工技術はこうするんだという事は教える事は出来ますが、それをやって見せる事は出来ません。
それでも、俺としてはガラスを作って頂きたいんです。」
「なるほど…。作り方は知っているが、作った事は無い。という事ですな。しかし、陶器もさることながら、このグラスの商品価値はどれ程になるか判りません。低いという事では無いですよ。値段を付けることすら出来ない位高価な物に思えるのです。」
でっぷり太った商人が言った。いとおしむようにグラスの表面を指で撫でている。
「何が必要ですかな?…誰も引き受けないなら私が引受けましょう。」
「待て待て。我等は引き受けぬとは一言も言っていないぞ。」
商人達がまた騒がしく話し出した。
「静まれ…。我等は御用商人。一介の小商人と同じように目先を考えるな。」
またしても、ラジアンさんが一喝して場を収める。
「いいか、アキト殿はわざわざ我らの集まる席上でこのグラスを見せてくれ、そして我等に賜れた。
という事は、アキト様は我等にこう言っているのだ。『これが欲しければ俺の事業を手伝え』とな。多分、アキト様の求める物はこのグラスでは無いが、グラスと同じように作れる物だろうと思う。だから、我等にこれを贈って我らの興味を引いたのだ。」
俺は苦笑いを浮かべる。さすがモスレム王国の御用商人だけの事はある。
「流石ですねその通りです。…ガラスは粘土細工のように色々な形を作ることが出来ます。そして、色もね。」
そう言って小さな布包みをエントラムズの御用商人に手渡した。
「娘さんにお渡し下さい。」
受取った商人は恐る恐る布を解くと、中から蝶の形をしたガラスの彩色ブローチが出て来た。
「これは…、こんな高価な物を…。」
貰った商人以外の商人達も驚いて、そのブローチを見ていた。
「ガラス技術が発展すれば、先程のグラスは10L程度で購入出来るんです。そのブローチも20L程度の価値だと思います。安く作れるんですよ。
そして、俺が欲しい物は、このガラスを板状にしたものです。それからが、ホントの計画になります。」
商人達が一言も聞き漏らすまいと俺に注目する。
「温室を作りたいんです。ガラスの板を壁と天井に張り巡らせれば、冬でも植物を育てる事が出来ます。雪の中、新鮮な野菜の取入れが出来ます。バビロンから沢山の種を持ってきました。この種こそ至宝と言うべきでしょう。」
「何と!…冬に野菜を育てたいがために、ガラスを必要としているのですか…。」
商人達は呆れているようだ。
「でも、アキト殿のその計画を進める上で必要となるガラスは、他の目的にも転用できる。その転用と商売は我等に任せるという事ですな。」
俺は頷いてその問いに応えた。
「これは、いよいよ我等も共同で物事を成す時が来たように思えますな。
…どうだろう。各家から金貨20枚を元手にこの事業を共同で行なう事にしては?
成果は我ら資金を出した者で分ければよい。大きくなるようであれば、各家で職人を分ければ事業を拡大出来るだろう。
我にとって金貨20枚はさほどの出費ではない。このグラスの代金としても満足出来る金額と思うが…。」
ラジアンさんの話に商人達が頷く。
「やはり、この集まりは正解でした。…我等で段取りをして代表者をアキト殿に派遣します。」
「それにしても、このグラスが10Lですか…。」
「数百年後にはそうなりますよ。最初に作るときは設備費や研究費等が嵩みますから、金貨で購入する事になるでしょうね。」
「なるほど、陶器と同じですな。作る程に安くなる…。」
「芸術品なら別でしょうけどね。陶器もそんな感じですよ。高いものは高い。そして庶民の使う物は極端に安い。俺はそれで良いと思ってます。」
そんな話が一段落付いた時、商人の1人が皿に盛られたザラメを摘む。
モグモグと食べていたが、ゴクンと喉を鳴らすと俺に顔を向ける。
「これは、いけますな。…酒の肴に合いますよ。どこで手に入れました?」
「二束三文で売られていた食材ですよ。モスレムを始めとして皆さんの国ではあまり食べる人はいないようです。」
どれどれ…、と他の商人も手を伸ばす。
「確かに、美味い。だが、何故これが売られていなかったんだ。」
「俺も良く理解できません。でも美味いでしょ。これはアトレイムの海で取れたものです。」
「何ですと!…これが我が国の海で…。」
アトレイムの商人は驚いている。
「どんな物が商売になるかは分からぬものだ。アキト殿がハンターで良かったと今日程思った事はないわい。しかし、実に先を見ていなさる。」
「そうでもありません。この食べ物も、俺の国では庶民の味です。俺が好きだったんで何とか探そうとしてたんですが、昨年アトレイムで取れる事が判りました。それで、早速屋台で出してみたんですが、中々の売れ行きです。」
侍女がグラスに新しくワインを注ぐ。ザラメを肴にひとしきり歓談が続き、俺達は夜遅く山荘を辞した。
「今度は、ガラスなんだ。」
「温室を作れば、冬でも新鮮な野菜が食べられるよ。大規模に作って王都に卸すのも良いね。」
そんな事を姉貴と話しながら家に帰る。
リビングでは、ディーが1人で俺達を待っていた。嬢ちゃん達はとっくに寝たみたいだ。アルトさん以外は狩りで疲れてただろうし、アルトさんは精神的に疲れてるんだろう。
俺達も直ぐに風呂に入るとベッドに入る。
狩猟期4日目の朝、今日はサーシャちゃん達はお休みだ。朝日が昇ってもまだ布団の中にいる。
俺達は今日も屋台をしなければならない。10日も過ぎれば俺達も交替で休む事になるだろうけど、御后様達はやたらに元気が良い。俺達が最初に休む事は対外的に出来ない状況だ。
眠そうな顔で起きてきた姉貴とアルトさんは一緒に井戸に出かけた。
その間に、ディーがお茶を入れてくれた。食事は、売り物を頂けば良い。
「「おはよう。」」
まだ眠そうな2人だけど挨拶は出来るようだ。「おはよう。」って俺も応えると、お茶を飲んで眠気を覚ます。
「…そう言えば、御后様が黒リックが足りない…って言ってたわ。」
そんな話は早く言って欲しかった。俺はうどんの捏ね方を教えなければならないんだぞ。
「う~ん…。困ったな。俺にも予定があるし…。」
俺と姉貴で腕を組んでいると、ミーアちゃんが部屋の扉から顔だけ出してこっちを見てるのに気が付いた。
「私達で釣ってくるわ。…今日は休みだし、カタマランを借ります。」
「お願い出来るかな。道具は船に乗ってるから、それと、サーシャちゃんとリムちゃんは泳げないから、腰に浮きを必ず付けさせてね。」
ミーアちゃんはうんうんと頷いている。
アルトさんも行きたいような目をしてるけど、屋台の方も大事だぞ。