#266 バビロンからの帰還
バビロン中枢部には3日程厄介になった。
せっかく訊ねたのだからと、土産の話になった時にアルトさん達が望んだのがグルカだった。それも、ダマスカス鋼のグルカだ。
サンプルは姉貴がクナイを提供しながら、「ご無理を言ってすみません」ってお願いしていたな。
サンプルと言えば、俺達が持ってきた水樽と非常食、それに爆裂球と滑車を使用したクロスボーもサンプルとして提供した。
中々興味深いような事を言っていた。技術水準とDNAの改変の調査を行うそうだ。
どう見ても人間の女性にしか見えないオートマタの1人?に案内されて施設の見学に歩いただけでも3日も掛かってしまった。
地下の居住区の窓に緑の風景が映っているのを見て、ホログラムとは判っていても違和感がまるで無い。嬢ちゃん達は本物と思っていたみたいだけど…。
動力区と制御区は劣化防止の為に窒素100%であることから窓越しの見学になったけど、何か学校で行う工場見学の雰囲気だったな。
生産区では各種の野菜や穀物が水耕栽培されていた。
土を全く使用しない農業は、御后様の興味を引いたらしくしきりに案内の女性に質問していた。
そんな見学の合間にきちんと俺達に食事が出される。
「リクエストはありますか?」
そんな事を聞いて来たのだが、生憎とジェイナス世界の料理は理解されないみたいなので、俺と姉貴の好きな料理になってしまった。
そんな事だから、カレー、ラーメン、ピザ、お寿司…色々と食べたかった物をリクエストしてみたけど、どれもきちんと俺達の前に現れた。
「中々種類が多いのう…しかも全てが美味じゃ。」
御后様はそんな事を呟きながらカレーを食べていた。
そして、4日目の朝。俺達は最初の部屋に案内された。
俺達がテーブルに着くと、壁の前に老いた神官がホログラムで投影される。
「バビロンは生きておる。後2,000年は機能を保つだろう。我の助言が必要なら尋ねるが良い。お前達ならそのまま入れるだろうが、お前達の子孫ならばこれを使うが良い。」
そう言うと、女性の1人が小さな金属のケースを持ってきた。
ケースの中身は銀色の小さな笛だ。
「ただ吹くだけで良い。監視ロボットはその笛の持主と、持主の周囲3m以内の人物をバビロンの正式な来訪者とみなす。
後は、こちらが全ての操作を指示しよう。そうすれば、この場に訪れる事が出来るはずだ。」
やはり、塔を守る警備ロボットを使うようだな。
だが、それも必要な事なのだろう。知識は善にも悪にもなり得る。
「そして、土産の品だが、グルカは10個作った。柄はそのままで良かったな。
青年の願いは種とレシピ…覇気が無いようにも思えるが長い目で見れば王の願いとも取れる。
娘の願いは、トランシットと望遠鏡だな。それにガラスの製法と加工のマニュアルか…。地図作りとは地道な作業になるぞ。
荷物は今運んでくる。お前達の荷物でここに置いていける物は残して、荷を詰めるが良い。
そして、最後にお前達と行動しているオートマタだが、記憶槽をコピーさせて欲しい。代償として、機能のバージョンアップを行う。」
10人近くの女性が沢山の荷物を運んできた。
俺達が荷物の選別を行っている間に、1人の女性に連れられてディーが部屋を出て行く。
嬢ちゃん達はダマスカス文様の浮かぶグルカにご満悦だ。
俺だって、これでいろんな料理が出来ると思うと口元が自然にほころんでくる。
姉貴が依頼した荷物は大荷物だ。測量用の器具が5式とは…、広げられた荷物を見て俺達は開いた口がしばらく塞がらなかった。
そして、望遠鏡は俺のツアイス並に小さい物が10個、フィールドスコープが10個。それに何故か天体望遠鏡だ。
理由を聞くと、「経度の原点には天文台が必要!」って力説してた。
「この笛はどうするのじゃ?」
「俺達は問題なく通れると思います。後世の者が訪れる時に使用できるようにクオークさんに託してはどうでしょうか。」
「我が王家で管理する事になるのか…。荷が重いのう。」
御后様はちょっと心配そうだ。
部屋の扉が開き、ディーが戻ってきた。
どんなバージョンが追加されたか興味はあるけど、外見は全く変わっていない。
そして、ディーと一緒に出て行った女性が俺達に2冊の本を渡したくれた。
日本語とジェイナスの言葉で書かれた俺達の会話記録だ。
クオークさんの土産はこれで決まったな。
壁際に老いた神官のホログラム浮かび上がる。
「準備は出来たようだな。
本来は、武器の類も渡したかったのだが、爆裂球と呼ぶ物体を調査して、エイリアン達の意図を理解したつもりだ。
D-8823のバージョンアップに合わせて専用武器を渡そうとも思ったが、それは断念した。
それと、我の長い観測期間に2度、数秒間のみ発生した歪みがある。
場所は、数年前に発生した場所がここだ。そして、ここに2年程前に発生している。」
壁面にジェイナスの地図が示され、その場所が赤く点滅して表示される。
その一角は、俺達がこの世界に迷い込んだ場所に他ならない。
だとしたら、もう一角は…地図ではアトレイムの北西に位置した場所にも、俺達と同じような運命を背負ってやって来ているのかも知れない。
もし、そうだとすれば目立つ筈だから、その内会えるかも知れないな。
「D-8823に、我との通信機能を追加した。人類の歴史と全ての科学技術は我と共にある。判らなければ聞くが良い。答えられるものは答えよう。では、お別れだ。」
俺達はホログラムに頭を下げるとオートマタの女性に連れられて部屋を出る。
床に乱雑に散らかした樽や非常食がちょっと気になったけど、女性はスタスタと先を急ぐので俺達は女性の歩調に合わせるようにバビロンを後にした。
リフターとエレベーターを乗り継ぎ塔の広間に来た。
外壁の扉を開けると、塔を周回して警備を行っているロボットがいる。俺達には興味を示さないけど、ちょっと心配だ。
「バビロンのAIは貴方方を識別しています。危害は加えません。」
その声に勇気を出して、俺が先行する。
なるほど、俺を気にも留めていない。それを見ていた残りの皆が扉を出る。
皆が揃ったところで、塔を振り返ると塔の出入口にまだ女性の姿が見える。
俺達が手を振ると、その女性はおぼつかない手付きで手を振って答えてくれた。
「行こう!…船長が待ってる筈だ。」
俺達は一路船へと歩き出した。
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浜に戻ると、レオナ船長達が焚火を囲んでいる。良くも薪があったものだと焚火を見ると、空になった水桶だった。
俺達に気が付くと、さっさと焚火を消して小船を用意している。
「予定より早かったな。…それでバビロンには辿り着けたのか?」
「最深部まで行って来ましたよ。そして色々と知る事が出来ました。」
それは何よりだ。と言いながら俺達を何回かに分けて船に乗り込ませてくれた。
そして、俺達が全員船に乗った事を確認すると急いで船を岸から遠ざける。俺とディーも櫂を漕いで手伝ったが、何を急いでいるのか分からない。
「あれを見てみろ。」
200m程沖に出た所で、レオナ船長が北東の海岸を指差した。
そこは、まるで赤いインクをバケツで撒いたように真っ赤に岸辺が彩られている。
「あれは、カニじゃ。…何万匹というカニで岸が溢れておるぞ!」
アルトさんの声を聞いて俺は双眼鏡で岸を眺めた。
うじゃうじゃと遠くの岸辺からどんどんやって来る。確かに茹で上げたような赤いカニだ。小さいから食べる事は出来ない何て考えてたが、奴等が肉食なのを思い出した。
「この船まで泳げるんでしょうか?」
「いや、奴等は岸辺を離れられん。ここまで離れれば一安心だ。」
それでは、あのカニは何を目指して集まったのだろう?
その時、カニの集団の中から突然丸太が立ち上がった。そして、カニの群がる丸太はくの字に折れるように曲ると、カニの群れの中に崩れ落ちた。
「丸太モドキを襲ったらしいな。数匹なら丸太モドキの餌になるが、食われる前に仲間を呼んだようだ。」
丸太モドキが倒れた場所にはたちまち小山のようにカニが群がっていく。
食ったり、食われたり…ってやつなのだろうけど、こうして一部始終を見てると丸太モドキが哀れに思えてしまう。
帰路につくのは明日の朝にする事にして、今夜はここで船を泊める事になった。
潮が濁っているのが気になるけど…まぁ、ここは船長の勘を信じよう。
その夜、俺と姉貴はコーヒーを飲みながらのんびりと当直に立っていた。
コーヒーを飲み終え、シェラカップを水で濯ぐとポイって舷側から海に水を捨てた。そして、ふと波が無い事に気が付いた。
「姉さん。海ってどんなに静かでもさざなみ位は立つよね。」
カップをバッグに仕舞いながらそんな事を姉貴に聞いてみた。
「そうね。でも、ここはまだ入り江の中だから、波が静かなのかも知れないね。」
姉貴が海を覗き込みながら言った。
「動体反応多数検知しました。本船の周囲50mを囲んでいます。」
ディーが突然俺達に異常を告げる。早速姉貴が上空に【シャイン】を放ち周囲を明るく照らしだした。
「何だ!」
俺の大声で数人が目を覚ました。【シャイン】の光球に驚いて目を瞬いていたが、海面で蠢く物を見て、回りの者達を起こし始めた。
「どうやら、海草のコロニー近くに船を泊めてしまったようだな。…どれだけコロニーが大きいかで戦闘時間が異なるが、ざっと見た限りでは稀に見る大きさのようだ。」
流石、船長。全く動じていないと言うか、ある意味諦めにも聞えるような感じで俺達に話してくれた。
船員達は船長の言葉に背中の片手剣を引き抜いた。そして舷側に散っていく。
「肉食海草はそれ程動きは早くない。だが疲れることを知らず、そして次々と襲ってくるのだ。…最初は我等が攻撃する。我等が疲れる前にお前達と入れ替わる。良いな!」
海面から2m程海草が身を伸ばしている。そして俺達の船を取り囲んでからは、少しずつ包囲を狭めている。今は20m程先まで来ていた。
姉貴がもう1個光球を上空に放った。真昼とまではいかないが周囲が更に明るくなる。
シュン…と風を切ってブーメランが飛んでいくと数本の海草が半分程に切断された。
「ほう…その武器は戻ってくるのか。なら適当に間引いてくれれば助かる。」
船長の言葉に、ディーは戻って来たブーメランを手にして、また放り投げた。
「リムよ。投槍を装備するのじゃ。…あやつは茎を切った位では恐らく動きを止めぬじゃろう。船に落ちた海草をそれで突き刺し海へ捨てるのじゃ。」
リムちゃんは御后様に力強く頷くと、早速投槍を取り出した。2本取り出して1本は帆柱に立てかけている。リムちゃんだけじゃ足りなくなったら誰かに手伝って貰う心算のようだ。
【アクセラ!】と姉貴が魔法を発動する。これで俺達全員身体機能が2割増しとなる。
長時間の戦いであれば疲れ知らずにしておく事に越した事は無い。
「来るぞ!」
船長の声に振り返ると、舷側の直ぐ脇までウネウネと動く海草が来ておりその先端の口をこちらに向けている。
良く見ると口の回りに昆虫のような複眼が並んでいる。それで俺達を見ているようだ。
そして口には触手と鋭く短い歯がぐるりと取り囲んでいるのが見える。
えい!っと船長が片手剣を振り下ろすと、簡単に茎が切断され切取られた口の部分は海中に落ちた。
漕ぎ手達も思い思いに片手剣を振るっている。
海草は口の部分を切り取っても、茎だけを俺達に向けて襲ってくる。
たまにそんな海草に足を取られて急いでその茎を切取る光景も見られた。
「交替だ!」
俺は、声を上げた船長に素早く駆け寄って交替した。
グルカの一閃で面白いように簡単に茎が切り取れる。しかし、切っても切っても後が続くのだ。
「交替だ!」の声に姉貴や、御后様達も交代していく。そして嬢ちゃんず達もその交替に加わった。
何時しか俺達は舷側より片足分内側に立っていた。
切り落とした海草の口の部分が船の中に落ちてくると、リムちゃんが次々に投槍で突き刺して海に捨てる。
あまりに船に落ちているのでサーシャちゃんがリムちゃんを手伝い始めた。
「交替だ!」
俺の叫び声に漕ぎ手が直ぐに代わってくれた。
30分程度で次々と交替していく。正味15分程度の休憩だが、俺達には充分な休息と言えよう。
空が白む頃、ようやく襲ってくる海草の数が減ってきたのが分かるようになってきた。後1時間も続ければ、この災厄も何とかなるだろう。
「あれを見るのじゃ!」
アルトさんが突然海草を切りながら陸地の海面を指差した。
そこには、おびただしい海草が波に浮んだ上をこちらに向けて移動してくる赤いカニの群れだった。
【メルト!】と姉貴の魔法がカニの群れの中で炸裂する。
ドォンっとカニが波の上で爆ぜた。それでも後から次々と海草を渡ってくる。
「船長!一旦、俺達と代わってくれ。全員でカニに爆裂球を投げる。上手くいけば海草が途切れてこっちに近づけないだろう。」
直ぐに俺達は海草斬りから解放されると、バッグから爆裂球を取りだす。
リムちゃんを除く7人で一斉に爆裂球をカニの群れに投擲した。
連続で炸裂する爆裂球で海面には大きな水柱が次々に立っていく。
その影響で海草が吹き飛ばされて海面が見える。
「もう一回だ。…用意、投げろ!」
またしても海面に水柱が立って、カニが渡れる海草が吹き飛ばされる。
「こちらも終わりだ!…急いで櫂を取れ。脱出するぞ!」
船長の指示の元、漕ぎ手と俺にディーは櫂を取ると、一目散にこの入り江を抜け出した。
入り江を出ると、ホッとしながらゆっくりと櫂を漕ぐ。そして、陸地にそって帰路についた。