#262 船旅
次の日、俺達はケルビンさんに連れられて港まで歩いて行った。
ケルビンさんの館の前の大通りをそのまま南に歩いていけば、10分も掛からずに港に出る。
海に面して東西に200m程石畳の護岸が続き、3本のこれも石作りの桟橋が沖に100m程伸びている。
陸側には30m程護岸の擁壁から離れて倉庫が建ち並び、その並びに溶け込むように事務所や商店が店を構えている。
早朝なのに人通りの多い港の石畳を歩いて行くと、突然ケルビンさんが立止まって俺達を振り返った。
「あれです。元は軍船ですが、近場の運送には極めて便利です。」
そう言って指差した先には…艫と舳先が異様にせり上がった船が泊まっていた。
どう見ても、俺にはバイキング船としか見えないぞ。
「30人と荷物を20GL(グラ:1GL=約200kg)程運ぶ事が出来ます。私の方から操船をするための船乗りを12人提供致します。この船なら、大型商船から小船に乗り換えずに目的地に行けるでしょう。」
ケルビンさんの説明を聞きながらバイキング船に近づく。…成る程、数人の屈強な男達が出航の準備をしている。
「レオナはいるか?」
船の前に着くとケルビンさんが男達に怒鳴り声を上げる。
「何だい。今が一番忙しいんだ。もう直ぐ客人が来るからね…。って、ケルビンの旦那じゃないか。」
船の上から、赤毛の30代と思われる女性が現れた。
「その客人を連れてきた。ワシの上得意様なのだ。彼等を望む所に連れて行って欲しい。」
「ほう…。珍しい取り合わせだね。男は1人、まぁまぁだね。後は、私の年代からお嬢ちゃんまでとはね。いいよ。上がっておいで。」
「レオナは私の姪なのですが、商人にはならず船乗りの道に進みました。腕は確かで、今では船長を任せられるまでになりました。そして、商船の護衛が出来るほど腕も確かです。」
足場板を渡って船に乗り込んでいく俺達にケルビンさんが言った。
「それでは、吉報をお待ちしております。…レオナ頼んだぞ。」
ケルビンさんは俺達にそう言うと、船を離れて桟橋の邪魔にならない所に歩いて行った。
「ケルビンの旦那に頼まれちゃ仕方が無い。早速出航するから邪魔にならない場所にいてくれ。」
レオナ船長はそう言って、俺達を船の中程に追いやる。
「櫂を取れ。微速前進で面舵だ!」
舳先のしゃくれ上がった船飾りを掴んで体を固定したレオナ船長が命令する。
両舷に男達が走り左右に5人ずつで櫂を取ってゆっくりと漕ぎ始める。艫の男が舵棒を握って体全体を使って舵を切り始めた。
そして、俺達を乗せた船は徐々に桟橋を離れ港の中に進んでいく。
桟橋を見ると、ケルビンさんが手を振っている。そして嬢ちゃん達も負けない位に手を振っていた。
「元々この船は片舷に10人が座って櫂を漕ぐんだ。今回は半分の人数だから、あまり速度は出せない。まぁ、良い風があればそれなりに進む事は出来るぞ。」
舳先付近に陣取った俺達を見てレオナ船長は説明してくれたが、それなりに船は進んでいる。
港を出て、大きな入り江を抜けると外洋になる。
「帆を上げよ!…陸より10M(1.5km)を進むぞ。」
男達は櫂を船に引き入れると、力を合わせて帆柱に帆を上げ始めた。四角形の帆は真中に大きな菱形が描かれている。多分、ケルビンさんの紋所なんだろうな。
帆桁から伸びたロープを舷側に固定すると、船の速度が増したのが判る。
「帆も良いんだが、風にあまり逆らえない所が難点なんだ。常に都合の良い風がある訳では無いからね。」
確かに、この帆の張り方では風に逆走するのは無理だ。風の方向に対して40度前後の角度でしか進めないと思うぞ。
三角帆の使い方は、まだこの町までは伝わっていないようだ。
昼食はサレパルと水で済ませて、沿岸伝いに東に進むと、大森林地帯が見えてくる。
陸路では変な生物が沢山いたけど海ではまだ見かけない。この沿岸部にもそんなのがいるんだろうか?
ちょっと気になってレオナ船長に聞いてみた。
「大森林みたいな生き物がいるかって?…あぁ、沢山いるし、怖い場所もあるんだ。」
船長も手持ち無沙汰だったんだろう。俺達の輪に入ってパイプを楽しみながら、それらの話をしてくれた。
「大森林地帯の浜辺では宝石が見つかる事が良くあるんだ。仕事にあぶれた船乗り達が小遣い稼ぎに出かけるんだが…。」
幽霊が船を押さえる…。
これは良く聞く話だ。川の流れ込む河口付近では海水の相と水の相が混ざらずに漂う場合がある。船は水の相に浮んでいると、表面の海水の相をいくら漕いでも進まないという訳だ。
人を食べる浜辺…。
普通に歩いていて、何かを見つけて立止まるとそのまま砂の中に引き込まれる。まるで浜辺が人を食べるような光景となるらしい。
これも、理由がある。極めて細かい砂が十分な水を含んでいると、固体と流体の双方の性質を合わせ持つ。衝撃には固体。衝撃が消えれば液体となるから、歩いていた人間が立止まると砂の中に引き込まれるのだ。
ブルブルと震えている嬢ちゃん達を見ながら満足げに微笑んでいる。
「そして、生物だが…。」
軍隊カニという名前のカニがいるらしい。甲羅のおおきさは5cmもないらしいのだが、肉食という事だ。そして、一番恐ろしいのは、集団で狩りをするらしい。10匹程度ではなく、その狩りの規模は何万匹という数になる。
「1匹なら、何も怖いことは無い。だがあいつ等の怖さはその数にある。」
丸太モドキというのは巨大な肉食性の尺取虫らしい。
海岸に転がって近づいてくる獲物を待っているそうだ。近づいてきた獲物に素早く襲い掛かり頑丈な顎で齧り付くと言っていた。
「私らは精々岸辺止まりだ。陸地の奥にはどんな奴がいるか判った物じゃないぞ。そして、岸辺の海だが…。」
肉食性の海草。
海面付近にいる鳥等を食べているようだが、巨大なコロニーだと船を襲うこともあるらしい。蛇のように身くねらせ、イソギンチャクのような口をした先端部をもたげて襲ってくるそうだ。
「それ程素早い奴じゃないから、これで切りまくれば何とかなるさ。」
船長はそう言って背中に担いだ片手剣を叩いた。
巨大海蛇。
話を聞くとアナコンダが海にいるようなものだ。頭は水面から30cm程しか出せないと言っていた。
「船には入り込めない。奴が恐ろしいのは水中に落ちた時だけだ。後は、ザンダルーと名前も定かでない肉食魚もかなりいるぞ。」
要するに何処も油断できないって事だな。
後は、砂浜には近づかず、海には落ちないようにすれば良い。
何時しか船は大森林地帯の河口を過ぎていた。
日が落ちる前に、レオナ船長は船を岸辺に近づける。この辺りには結構入り江が多いから、そんな入り江の1つに船を泊めて錨を下ろす。
「今夜はここに船を泊める。まだこの辺りにいるのはザンダルー位のものだ。船を下りない限り危険は無い。」
炭火を熾し大鍋を掛けてスープを作る。硬く焼しめた黒パンはスープに浸さないと食べられない。
そんな夕食を食べて、魚油のランプの下で横になって俺達は休む事になった。
「中々風情があるのう…。ゆったりと揺れる船はまるでゆりかごのようじゃ。」
御后様はまんざらでもない様子だ。
「夜になると、やはり光って見えますね。…ほら、あそこです。」
俺はボンヤリと闇の中に浮ぶ光を指差した。
「あれが目的地じゃな。…バビロンじゃったか、クオークは我らの故郷じゃと言っておったが、我等の故郷はモスレムでよい。」
「俺もそう思います。俺達が探る目的は我等に害を及ぼすか否かの判断で良いと思います。」
姉貴と嬢ちゃん達は寝ているようだ。舳先でディーが見張っているから何かあっても十分対応出来るだろう。
俺と御后様は取り留めの無い話をしながら遥かな目的地を眺め続けた。
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次の日は無風だった。
5人の漕ぎ手に俺とディーも加わり、櫂で船を岸沿いに進めていく。
「結構、力があるな。」
レオナ船長は俺とディーの櫂さばきを感心して見ている。
姉貴達は船べりに集まって、岸辺を望遠鏡で眺めている。
たまに動物が岸辺にいると、声を出して教えあっているぞ。そんな彼女達に姉貴と御后様が図鑑を広げて、生き物の名前と特徴教えていた。
「そろそろ危険な区域に入る。舷側から離れていてくれ。」
船長の指示に嬢ちゃん達は渋々と舷側を離れたけれど、精々50cm位離れただけだ。
そして、前と同じように岸辺の観測を続けている。
「あそこの海鳥を見てみろ!」
俺とディーは櫂を漕ぐ手を休めて、船長の指差した方向を見る。姉貴達も見ているようだ。
指先で示された海域には沢山の海鳥が海中にダイブを繰り返している。小魚を狙って狩りをしているようだ。海面にも10羽程海鳥が浮んでいたが、その海鳥を取り囲むように水中から何かが伸びてきた。
水面を滑走しながら飛立とうにも、周囲はうごめく緑褐色の物体で塞がれている。
徐々に包囲は狭まり、そして海鳥はうごめく物体に絡み取られて水中に沈んでいった。
「あれが、肉食の海草だ。所々、海の色が変わって見えるところがあるだろ。あれが海草のコロニーだ。あの近くに船を止めると、面倒な事態になるが、船を動かしている分には襲ってこない。それに、コロニーから60D(30m)程離れていれば船を泊めても支障はない。」
「流石大森林の浜辺じゃな。変わった生き物がおるのじゃ。」
御后様は感心してるけど、嬢ちゃん達は舷側から随分と距離を開けたぞ。
俺もしばらく呆然と見ていたけど、やがて元の位置について再び櫂を漕ぎ出した。
夕暮れを前に船を止める場所を探していると、巨大な何かが水面に頭を出して泳いでいるのが見えた。
「あれが海蛇だ。この距離なら襲ってこないだろう。」
船長はそういったけど、右手には銛を持っていた。
海面の色を注意しながら見て船を泊める。
そして、日が暮れると魚油のランプを舷側に3個ずつ並べる。
「船に上がってくる生物がいないとも限らない。今夜は交替で見張りを置く。」
最初の見張りは嬢ちゃん達だ。まぁ、アルトさんがいるし、ミーアちゃんは勘が良い。何かあれば爆弾娘のサーシャちゃんが爆裂球をポイだからその音で全員が起きることは間違いなし。それまでは安心して眠れるぞ。
「アキト、交替だよ。」
姉貴の能天気な声で起こされた。時計は2時を過ぎている。これから皆が起きるまでは俺とディーが当番だ。もっとも、ディーはずっと起きていたようだけど…。
「かなり生物がいるようですが、船に近づいてくる物はありません。」
ディーの報告に少し安心して、タバコを取り出す。ジッポーで火を点けると黒く浮かび上がる大森林地帯の夜の姿を眺める。
蛍のような発光生物がいるのだろうか。時折群れをなして青い光が瞬いている。
船長の話だと、大森林地帯は大きく南に張り出した半島のような形状をしているそうだ。そして、南に行けば行く程に生物はその姿を異様なものに変えるか、その生態を変えているそうだ。
「大型生物、南方より急速接近中です。」
突然ディーが叫び声を上げる。
俺は急いで投槍を持つと右舷に駆け寄って南方に広がる海を見た。
白い水煙を上げて凄い速度で何かが近づいてくる。
そして、2M(300m)程沖合いの岩礁の手前で大きなその姿が水面を割って現れた。
平べったいその姿は動物よりは昆虫に近いようにも思えるが、大きな顎にガッチリと海蛇を捕らえていた。
バシャン!っと大きな水音を立ててその巨体は海底に消えていった。
水音に驚いて何人かの船乗りが眼を覚ました。
訳を話すと、つまらなそうな顔をして横になる。
「ダガムと俺達は呼んでいる。川にも小さな奴は住んでるはずだ。通常は親指程の大きさらしいが、この海域では荷馬車3台分位にまで大きくなる。奴は船は襲わないから、安心しな。」
船乗りの1人が俺達にそう言うと、仲間と一緒に横になる。
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港を出て5日目の夕刻、俺達はようやく大森林地帯の南端に着く事が出来た。
目の前に巨大な塔がそびえている。そして、その塔の上部にある窓からは光が漏れ、更にその一角から1本の細くて赤い光が真直ぐに虚空に伸びていた。
船を、岩礁に接触させないように慎重に岸辺に近づけると、浜辺目前の位置に船を止める。
水深は3m程だろう。これ位浅いと、肉食の海草は襲って来ないらしい。
今夜はここで泊まって、明日の早朝に岸辺へと上陸する。