#249 鳩時計の使い方
ジャブローに西側から入ると、炊事の煙が大型天幕の裏手から立ち上っている。
ガルパス専用の大型天幕でバジュラから下りると、甲羅をポンポンと叩いて御后様のいる天幕へと足を運んだ。
「ただいま、戻りました。」
「うむ、ご苦労じゃった。」
何時の間にか、リムちゃんと御后様それにアン姫様も大鎧を着ているぞ。
一瞬誰か判らなかったけど、御后様もアン姫様も大鎧を着て機嫌が良さそうだ。テーブルの横に兜が置いてあるけど、ちょっと邪魔なような気がする。
「中々勇壮な姿ですね。」
「アルト様達の鎧を見て気に入りましたので…作らせましたが、どうやら間に合いました。義母様も気にいった御様子でしたよ。」
アン姫が嬉しそうに応えてくれたけど、俺は前の鎖帷子の方が好きだったぞ。
俺は、御后様の隣に座って、早速に地図を眺めた。
亀兵部隊の配置が少し動いている。
機動バリスタの2つの部隊が西に移動しており、其の少し前に強襲部隊が配置されていた。突撃部隊は西の狼煙台から南に移動したままだ。
「この配置は西の上陸部隊への備えですか?」
「備えというよりは、迎撃じゃな。…敵部隊500程が先行しておる。どうやら、ドラゴンライダーであることが先程の連絡で判明した。後続は徒歩じゃから、段々と距離が離れておるようじゃ。」
だから、アルトさんが待ってるわけだな。その後にサーシャちゃんがいるという事は、バリスタを打ち込んだところへ、アルトさんが強襲を掛ける手筈なんだろう。
「王宮の方はどうなっているんでしょう。サーシャちゃんが全ての上陸船を破壊できたとは思えませんし、その後ディーも沖の船を攻撃に行きました。」
「最後の連絡では被害軽微との事じゃった。日が上がってからは通信が出来ぬゆえ、王都への補給を行なう際に確認する手筈になっておる。…補給はリムに任せるが情報収集の為にジュリーを同行させるつもりじゃ。」
そんな話をしている間に、従兵が朝食を運んできた。
黒パンサンドに具の少ない野菜スープが朝食だ。
朝食が済んで、お茶を飲みながら一服していると、ジュリーさんが天幕に入って来た。
「準備が終了しました。早速出かけてきます。」
ジュリーさんは御后様に告げると、リムちゃんを連れて出て行く。
リムちゃんが鎧に着せられた様にも見えるけど、革鎧よりは格段に防御力が高いからね。
リムちゃんが天幕から出るときに俺に手を振ったので、俺も慌てて手を振ってあげる。リムちゃんはニコリと笑って出て行った。
そんなリムちゃんを微笑みながら御后様とアン姫が見ている。
「仲がよろしいんですね。」
「一応、兄貴ですからね。」
アン姫にそう応えておく。言外に、兄貴は辛い時もあるんだよ。と匂わせたつもりだが果たして理解されたかどうか…。
「今夜には連合王国の正規軍もやって来よう。婿殿もしばらく休むが良い。ミク達は今夜に備えてもう寝ておるぞ。」
御后様は、昼間の大きな戦闘を考えていないようだ。
俺としては、ドラゴンライダーとアルトさんの戦いが気になるところだが、戦はこれからも続く事を考えて、一休みさせて貰う事にした。
「それでは、休ませて貰います。…何かあれば起こしてください。」
「うむ。それ程案ずることはない。アルト達は先の戦役でドラゴンライダーを下しておるが、相手の実力を過小評価する事はあるまい。それに、北にセリウスがいる事も幸いじゃ。真直ぐサーシャの方に進んでおる。」
御后様はアルトさん達を信頼しているようだ。
俺は御后様に頭を下げると、起床する天幕の簡易ベッドに横になる。
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目を覚ますと、辺りが薄暗い。
タオルを持って池の傍に行くと、何と泳いでる奴もいるぞ。
そういえば、アルトさんがサーシャちゃんが毎日泳いでるって言ってたけど、この荒地では風呂もないから、水浴びが出来るのはちょっとした贅沢だな。
後で俺も泳いでみようと思いながら、池の傍らで顔を洗うと、天幕に戻って簡単に着替えをする。
そんな事をしていると、段々と辺りが暗くなってきた。ジャブローは灯火管制をしているから、やがて闇に飲み込まれていく事になる。
大型天幕に入ると、テーブルに着いているのはジュリーさんとアン姫の2人だった。
「御后様はつい先程お休みになられました。リムちゃんも一緒です。」
「どんな感じなんだい?」
ジュリーさんが魔道師の杖を使って、配置と状況を話し始める。
「王都の東には、テーバイ正規軍が3段に陣を構えてます。王都の北の城壁に沿って野外に柵を作ったようです。更に、この場所にも柵を作っていますから、攻撃は足を使って攻撃して退避を繰り返しているようです。
東の敵軍は獣が主体ですが、獣達の分布はこの範囲に留まっています。」
ジュリーさんの杖が示した所は、完全に王都の東側だ。
「王都は本日も早朝に1度、昼に2度の大蝙蝠の攻撃を受けています。対空用クロスボーとテーバイとモスレムの魔道師により撃退されています。迎撃率は3割程度ですが、ミーア様の報告では沖に帰る途中で力尽きるものもいると言っておりました。
空からの爆裂球で、南の楼門付近と城壁の一部が破損しているようです。
味方の損害は負傷者が多数発生していますが、サフロで治る程度のものです。」
「テーバイの市民は無事なんだろうか?」
「テーバイの王都を作るに当り、ミズキ様の意見を取り入れて民家を石作りの長屋にしたそうです。負傷者も発生しておりますが、それは戦見物をしていた者のようです。」
何処にもいるんだな。安全圏で見物するなら未だしも、爆裂球が降ってくる真下で見物する奴の気がしれん。
「そして、王都の西側ですが…。
ミーア様は監視所で待機状態です。
サーシャ様は後方に下がり、先程リム様が爆裂ボルトの補充等を行なっております。監視所の南西10M(1.5km)付近に駐屯しております。
アルト様は敵ドラゴンライダーの前4M(600m)付近にいます。
セリウス様はドラゴンライダーの側面6M(900m)付近に展開しています。
ジャブローは屯田兵の8割が就寝中です。弓兵も半数が休んでおります。ミクちゃんとミトちゃんは夜間通信の傍受と送信を担当しています。常に3人の弓兵が一緒にいますから心配は無いでしょう。」
ミク達も仕事を始めたみたいだ。
「俺の部隊については何か指示があった?」
「いえ、何も。…元々救援部隊ですし、何も無いという事はそれだけ我が軍に問題が発生していないという事です。ここで、のんびりとしていてください。」
そうは言っても…、と思いながらも従兵の出してくれた夕食を頂く。肉入りサレパルもだいぶ慣れてしまった。
お茶を飲みながら、ふと気が付いて、アン姫に昼間のサーシャちゃん達の戦いを聞いてみた。
「ミケランさんが昼過ぎにここに来て教えてくれました。アルト様が低い柵を2重に組んだ場所にドラゴンライダーが押し寄せたそうです。
柵に動きを取られた所を、サーシャ様がツルベ撃ち。混乱した相手に爆裂ボルト付きの矢をアルト様が射掛けて、側面にミケランさんが投石器で爆裂球を一斉に投げ付けたと言っていました。
ドラゴンライダーが後退した後には50人以上の亡骸が放置されていたと言っていました。負傷者も多数でているはずですから、3割は削減出来たと思います。」
「御后様は、空母の数が増えた事を気にしていました。ディー様が1艘破壊しましたが、夕刻迄に3艘に増えています。
そして、南の上陸部隊は動きこそありませんが兵力を増強する可能性が高いとの事です。更に東西の陽動部隊も増援軍が確認されています。もはや陽動の範囲を超えているとの事でした。」
だとすると、後数日でミーアちゃんの部隊は動きが取れなくなりそうだ。
本来の夜襲部隊の本領が発揮出来なくなりそうだぞ。
弓兵が駆け込んでくる。
「報告します。王都と監視所間の連絡を傍受しました。監視所から大蝙蝠の発進を連絡しています。空母3艘からの発進です。そして、箱舟1つが軍船に曳かれて動き始めたと言っています。
王都からは、出撃待機を指示しています。」
「ご苦労様。また信号があれば知らせて欲しい。ミク達をよろしく頼む。」
「勿論です。」
弓兵はそう言って出て行ったけど、あの2人は弓兵の部隊が頂きます。って俺には聞えたぞ。
弓兵の言葉をアン姫がメモしている。俺は、そのメモの上に時刻を入れてあげた。これで御后様が読んでも大まかな時系列を頭に描く事が出来る。
そういえば、せっかく作った鳩時計をここにおいておけば役立つんだけどね。
「しかし、作戦を考える場所に時計が無いのは不便ですね。」
「そうですか…。正規軍の指揮所はありませんよ。大体、このような地図さえありません。簡単な地図は部隊配置に必要ですからありますけれども。」
「でも、時計がどうして必要なのですか?」
俺の話にアン姫が不思議そうに応えると、ジュリーさんは逆に質問してきた。
「それは、この地図の精度に関係します。この地図はディーが作成したものでその精度は1D(30cm)以下だと思います。どちらかといえば俺達がこの地図を読み取る時に生じる誤差の方が大きいでしょう。
いいですか…、この縦横の線を俺と姉貴はグリッドと呼んでいます。この1マスの大きさは俺達の使う単位で1km…、この国の単位で約6.6Mに相当します。
ここで面白いのは、正規軍が1時間という時間単位で行軍可能な距離が、グリッド4つ分だという事です。
部隊の移動速度と位置がわかれば、1時間後、2時間後に配置がどのように変化するかこの地図上では予想する事が出来るのです。」
「時計があれば、先を見通せるというわけですね。」
ジュリーさんの呟きに俺は頷いた。
「まぁ、限界はありますけどね。それでも、絵地図で作戦を立てるよりは遥かに正確な予想になりますよ。王宮の作戦室では姉貴が地図と時計と物差しを持って作戦を考えてるはずです。」
「確かに目盛りの付いた棒を持っていましたね。…なるほど、あれで敵との距離を正確に計って部隊を動かしていたのですね。それでは、私の鳩時計を一時提供しましょう。」
「持ってるんですか?」
「時間を計るという考え方が面白いので1台購入しました。」
そう言うと、ジュリーさんはバッグから魔法の袋を取り出して、鳩時計をテーブルの上に置いた。
俺は、従兵に天幕の柱にクギを打つように頼んで、そこに鳩時計を掛ける。
錘を巻き上げて腕時計の時刻に合わせると、振り子を動かした。
現在の時刻は午後8時20分だ。
「この時計で、4時頃に夜が明けます。夜は残り約8時間ですね。」
弓兵が天幕に駆け込んできた。
「監視所から王宮へ連絡です。…夜間攻撃部隊の発進を確認。以上です。」
アン姫が早速メモを取る。
「受けた時間を記入しておいた方がいいよ。時計の見方は分かるよね。」
「クオーク様から教えて頂きました。8時25分ですね。」
「だね。そして王都への攻撃時間が分かったら、そのメモに付け足しておけば良いと思う。」
「王都よりジャブローへの連絡です。…対空クロスボーを泥濘地の南に位置せよ。左回りで帰る大蝙蝠を打ち落とせ。以上です。」
「フェルミ頼めるな。」
「了解です。対空クロスボーの他に、屯田兵で【メルト】と【フュール】を使える者を同行させます。」
「【サフロ】術者もな。場合によっては爆裂球が降ってくる。なるべく東の外れに位置した方が良い。」
フェルミは直ぐに天幕を出て行った。
「王都に了解の連絡。それとフェルミからの連絡があった場合は王都にも知らせてくれ。」
弓兵は俺の言葉に頷くと天幕を出て行った。
早速、アン姫が駒を動かし、メモを残している。
従兵の入れてくれたお茶を飲みながら一服を楽しんでいると、弓兵が天幕に入ってきた。
「王都からアルト様、サーシャ様それにセリウス様に連絡です。…攻撃待機。夜襲を準備中。以上です。さらに、ミーア様に連絡。夜襲準備。完了次第連絡せよ。以上です。」
「これは、ミーア様がドラゴンライダーに夜襲を仕掛けるという事ですね。」
「その結果によってはアルトさんが追撃するって事だと思う。…セリウスさんは保険だね。動かないと思うよ。」
「王都への攻撃始まりました。」
天幕の入口にいた屯田兵が俺達に大声で伝えてくれる。
アン姫が先程のメモに時間を記入している。ここにも遠雷に似た炸裂音が聞えてきた。
「ミーア様の発進連絡から40分後ですね。少し時間が長すぎませんか?」
「たぶん、発進に手間取ったのと、集合した後で攻撃に移った為だと思う。散発的に攻撃するよりは集団で攻撃した方が爆撃は効果的なんだ。ただ、この方法は落とされる大蝙蝠は多くなるんだけどね。それだけ、敵に戦力があると考えるべきだろう。」
弓兵が天幕に走りこんできた。
「ミーア様に出動命令が下りました。セリウス様にも連絡が送られています。西に4M(600m)移動して突撃体制を維持せよ。以上です。」
始まるな。セリウスさんを移動させたのはミーアちゃんの移動場所を確保する為だろう。夜襲は南から北に向かって行なわれるはずだ。
時計を見ると、9時半に近づいている。
王都への空襲部隊が入替る頃だな。さて、姉貴の考え通りに左回りで帰るかどうか…。
姉貴の動きは西側に限定しているけど、東側はテーバイ正規軍だけで大丈夫なんだろうか。