#240 海の向うの異変
4月を迎えた村は少し活気を帯びてきた。
まだ村の周辺には雪が残っているけど、村人達は段々畑に暖炉の灰を撒くのに忙しい。灰は肥料にもなるし、雪解けを促がすと言う事らしい。
陽だまりにはもう雪は無くなって山菜も顔を出す。これを狙ってラッピナの活動も活発になるからガトル達も数匹の群れでラッピナを追い駆け始めているようだ。
家の嬢ちゃん達も、それに合わせて動き出す。
ロムニーちゃんは、リムちゃんとルクセム君と一緒に山野草を採取してるし、アルトさん達はガトル狩りを始めた。もっとも、まだガルパスは山荘の厩舎でお休みしてるから、村の近場を走り回ってるけどね。
俺と姉貴はディーと共にテーバイ戦の事前調整だ。
兵站はラジアンさん達にお任せだけど、問題もある。その1つが水の輸送だ。
「泉の水量がそれ程多くないのよ。1日の水量が150樽前後だと言っていたわ。派遣軍には1日50樽分の水使用を認めてくれるそうよ。」
「何か俺の家の台所の蛇口位の水量だね。50樽だと1樽40ℓ位だから…ちょっと足りないような気がするけど。」
俺の言葉に姉貴が頷く。
「そうなの。足りないよ。…出来れば井戸を掘りたいんだけど、王都の周りだと水脈が変わる可能性があるのよ。それで、ディーが探してくれたのは此処なんだけど…。」
姉貴が指差した場所は水場から更に北西に3km程の所だった。周囲から比べて5m程低い窪地が半径500m程に広がっているようだ。
「私も見てきたんだけど、この窪地には薄く草が広がっているのよ。窪地を登ると一面の荒地で所々に小さな草叢があるくらいなんだけどね。」
「水脈が地上付近まできてるって事かな。自噴できずにいるのかも知れないね。」
「派遣軍をテーバイに向かわせたときに少し掘ってみるわ。もし新たな水場を確保出来るなら、将来的にはこの地に村を作ることも可能になるわ。」
「それと集積所の設置場所を何処に作るかが問題ね。王都に近ければ大蝙蝠の爆撃で大損害を受けるだろうし、離れすぎては各部隊への供給に支障が出る。更に、マケトマムとの補給ルートの確保と物資の護衛も問題よ。」
姉貴はそう言って席を立った。台所の方で何やらごそごそと音がする。しばらくすると木の器に焼き菓子を入れて持ってきた。テーブルの上において早速もぐもぐと食べている。
俺も固いビスケットのような菓子を1つ取って口に放り込む。
ディーが気を利かせてお茶を入れてくれた。
「この窪地を集積地にすれば良いじゃないか。王都から結構離れているから同時攻撃にはさらされないと思うし、戦場は王都から南西の浜辺付近に集中するんじゃないかな。だとしたら、この場所は部隊への供給場所に丁度いいよ。」
それにこの場所なら、集積した物資を茶色の天幕で覆えば丁度良い迷彩になりそうだ。主戦場から10kmは離れているし、王都からも5km近く離れている。敵からすれば戦略的価値が無い場所だ。
「集積地が明確なら、数km間隔でルートの目印を杭で示せば迷わずにたどり着けるはずだ。荷車10台の輸送部隊を3つ作り、輸送、帰還、休息のサイクルで運用すれば良い。3t程度を定期的に運べるはずだ。」
「荷車は牛に引かせるんだよね。となると護衛は…。」
「荒地は牛が一番良いし、護衛は輸送部隊毎に数人のハンターを雇えば良い。それに、輸送ルートの途中に休憩所を作って発光式信号器を備えておけば、万が一の事態にも対処出来ると思う。」
「でも、それだと休憩所間の距離が長くなって、夜間しか信号の遣り取りが出来ないわ。」
「何も無いよりはマシだと思うよ。少なくとも出発、到着の信号は夜間送れるしね。」
簡単に休憩所のスケッチを描く。1.5m程度の柵で囲った30m四方の休憩所だ。柵は2重にしておけば少しは役に立つだろう。そして端の方に高さ5m程の見張り台を作る。6m四方の簡単な小屋の屋根を利用すれば良い。
「こんな感じかな…。屯田兵の待機組に作ってもらえば良いと思うんだけどね。」
「これだと、10人程度の常駐になるわね。…確かにこれがあれば安心だわ。テーバイからマケトマムまで繋ぎ狼煙のシステムがあるけど、これが出来れば狼煙の人員をこちらに廻せそうね。」
こんな感じで、兵站のシステム作りを少しずつ形にする。
最後には商人達と運用に関してもう一度調整する必要があるだろうけどね。
・
・
4月も後半になると村人の農作業もピークを迎える。
周辺の森も薄い緑が見え始め、リオン湖の氷もすっかり解けた。
ようやくガルパス達も暖房の効いた厩舎から出て、嬢ちゃんず達と元気に走り回っている。
そんな中、御后様がジュリーさんを伴って訊ねてきた。
挨拶もそこそこにテーブルの上に地図を広げる。
測量もいい加減な地図だがおおよその事は判る。その地図は海の向こうの南方3国の地図だった。
「これはケルビンより貰った地図じゃ。渡りバタムの被害が見えてきた。良いか…。」
そう言って御后様は地図の上に炭で色を塗り始めた。
御后様が作業を終えた時には、2つの国土が殆ど塗りつぶされていた。
「2カ国の春小麦は全滅じゃ。モスレムにも援助を要求してきたが、まぁこれは国同士の取り決めに少し色を付けて援助したらしいがの…。
次の収穫は秋じゃが、それまで国民を養えるかが問題じゃ。穀物を買う為の換金作物…絹の生産にも支障が出ているらしい。となれば、相当数の領民が餓死するであろう。商人の話だと、隣国へ逃れる者達が街道を埋めているとのことじゃった。」
「マケルト、スマトルの領民や貴族は隣国のカムラム王国に移動しているようです。ですが、カムラムとて2カ国の領民を受け入れる程の国力はありません。
モスレムを初めとした周辺諸国は平民としての難民を受け容れ始めていますが、数はそれ程でもありません。」
「マケルト、スマトルも国政に逆らう者達を追放しているようじゃ。我が国に難民としてやってきた貴族は全て先王の一派じゃ。いわゆる穏健派じゃな。
そして、強硬派の貴族が2カ国に残ったということは…、大戦争が始まるぞ。
問題となるはその方向じゃ。カムラムを狙うか、はたまたテーバイか…。」
御后様はディーの入れてくれたお茶を軽く頭を下げて受取った。
俺も、一口飲んで頭を整理する。
「…では、テーバイを攻めてくる可能性が少なくなった。という事になるんですか?」
「いや、高まったと考えるべきじゃ。…カムラムは小さな国じゃ。場合によっては戦う事無くスマトルに併合する事も出来る。両国から難民を受け容れているが、その中に正規軍が紛れていないとも限らぬ。内外から攻められて瓦解するのは目に見えておる。」
御后様の言葉に俺達が考え込んだ時だ。
扉がドンドンと勢い良く叩かれた。早速、ディーが扉を開けると、そこにはセリウスさんが立っていた。
セリウスさんは、俺達の座るテーブルに走ってきた。
「此方においででしたか。…王宮から至急の知らせです。マケルト王が急死したもようです。」
そう言うと、御后様の顔を見る。
「まぁ、座れ。…異国の事じゃ。そう直ぐにモスレムへの影響があるとは思えん。それと、急死の仔細はわからぬのか?」
「詳細は不明ですが、商人の話では至って健康だったと聞いております。」
「という事は、暗殺が考えられるのう…。穏健派を追放した訳はこれじゃな。だとすると、スマトル王は、マケルト王も兼ねる事になりそうじゃのう。」
俺と姉貴が怪訝そうに御后様を見た。
「スマトル国王は先のマケルト国王の娘を后に迎えています。急死した国王は若く、まだ后を娶っておりません。そしてその王位を継ぐ王族がマケルトにはいないのです。」
「では、スマトルは2カ国の軍備を持つことに成るんですか?」
「そうなるのう…。そして、労せずにカムラムを手に入れることが出来るじゃろう。スマトルの先王の妻はカムラム王家より嫁いでおる。カムラム王としても暗殺されるよりは、国を譲り高位の貴族となるほうがマシじゃろう。」
俺は驚いて口を開けた。
「それでは、3カ国の軍備をスマトルが持つことになりますよ。」
「その通り…大戦になるという事じゃ。王都ではトリスタンと国王がさぞや悩んでおるじゃろう。
じゃが、先に約束した連合国としての派遣軍亀兵隊120人と正規軍400人は何とか出来ると思う。
テーバイ軍約2000人と派遣軍900人で、迎え撃たねばなるまい。万が一にもテーバイがスマトルの軍門に下る事になるならば次はモスレムが狙われる。」
「テーバイに攻め入るのはどれ位になるでしょうね?」
「ミズキが前に言っていた。兵を割るのは愚策であるとな。我もその言葉に賛同する。そして、先王を幽閉した現スマトル国王は戦術家じゃよ。迷わず全軍を投入するじゃろう。…もっとも、我等の牽制をするために港町や漁村を襲うやも知れん…。」
「それが、本格的な侵攻に繋がる可能性がある以上、海辺に正規軍を貼り付けねばならないという事ですね。」
姉貴が厄介な事だと呟いている。
「で…、どうするのだ?」
セリウスさんが会話に割って入った。
「どうするって、言われても…、今のままですよ。こちらから仕掛けることも出来ません。そして、派遣軍はあくまでテーバイの要請を受けてからですから…。」
ドン!っとゴツイ拳がテーブルに打ちつけられる。
「みすみす侵攻を見逃すというのか?」
意外とセリウスさんって激高タイプなんだな。
「スマトル軍は一気に侵攻しませんよ。先ずは交渉です。我が軍門に下れ!って言ってくるはずです。
テーバイ女王がその交渉を蹴ってから10日位で全軍がやって来るでしょう。私達に要請が来るのは、交渉を終えて直ぐか、又は沖にスマトルの軍船を確認してからのどちらかですね。出来れば交渉決裂後が望ましいんですけど…。」
「俺は座して待つ事は好かん!」
セリウスさんはそう言ってお茶を一気に飲み干した。
「ちょっと良いですか?…要請が無ければ派遣は出来ない事は理解出来ます。でも、水場の調査と井戸の試掘であれば、200人程度を工兵として派遣できませんか?」
俺の提案に御后様が身を乗り出した。
「水場があるのか?」
「ここにありそうです。将来的には派遣軍の物資の集積所に丁度良い場所ですし、水が無ければ思うように戦う事も困難でしょう。」
そう言って地図の一点を示す。
「それ程、王都と離れておらぬようじゃが…。」
「王都の北西30M(約5km)程になります。ここなら、王都を爆撃する大蝙蝠の部隊にも気付かれ難いと思います。それに、早くに作れば柵や見張り台の建築も可能です。」
「1案じゃな…ミズキよ。これは交渉可能と思うのじゃが…。」
「その方向で交渉しましょう。了解が得られれば、ネイリー砦から兵を出しても宜しいでしょうか?」
「かまわん。そして我等もネイリーに移動しようぞ。ミズキは一足先に立つが良い。我等はユリシーに頼んである物を受取り次第向う事にする。」
いよいよ俺達が動く事になるのか。
そうは言っても、村でやる事は少し残っているから1週間程は掛かるだろうな。
明日はユリシーさんのところに行って状況を確認してみよう。
俺がそんな事を考えていると、御后様とジュリーさんそれにセリウスさんが「そういう事で…。」なんて挨拶をしながら帰って行った。