#175 指揮官の座
砦は一辺が60m程の四角い柵で囲まれた構築物だった。そして、東に面した柵は更に300m程2m位の高さで南北方向に伸びている。その柵から森側には50m位の横幅で乱杭が無数に突き立てられていた。
砦の入口は西側にある。森に向って真直ぐに幅3m位の道が続いているが森の中の道は工事中のようだ。出来ていれば其方を通ったに違いない。
俺達は森を出ると、南に歩いて砦の道に出た。そして、その道を使って砦に進む。
砦の門は開放されており、2人の兵隊が俺達の誰何を行なう。
グレイさんがそれに応えると、俺達は砦の中へと入っていった。
元々が200人程度を考えていた砦だから、それ程大きくはない。それでも砦の中には2階建てのログハウスと石造りの小さな小屋が南北の柵際に1棟ずつあった。
砦を囲む柵の4角には数mの頑丈な櫓が柵の高さより1m位低く作られている。そして、そこには投石器が設置されていた。
俺達はグレイさんに連れられて、南側のログハウスに入っていく。
3段の階段を上がり入口を入ったところは、教室位の部屋だった。中央に大きなテーブルがあり、10人位の男女がテーブルの上に乗せた大きな地図を眺めている。
「新人を連れて来たぞ。それと、アキト達が到着した。」
地図を睨んでいた全員が一斉に俺達を見る。
「ご苦労さまです。…グレイ。ハンターの方はアルザス達に紹介してあげなさい。」
グレイさんはジュリーさんに軽く頭を下げると、ブレインさん達を引き連れて出て行った。
残った俺達の前に全員が整列する。
姉貴は御后様から貰った短剣をバッグから取り出して、片手でそれを皆にかざした。
「御后様の御下命により、モスレム王国東部戦線の指揮を執ります。」
姉貴の言葉に整列した仕官達が姉貴に一斉に答礼を行なう。
「前指揮官のアンです。謹んで指揮権を御譲り致します。」
「アン姫とアイアスさん達には引き続き、この場で私の幕僚を務めていただきます。そして、アイアスさんには屯田兵500の指揮を頼みます。」
一瞬、ガリクスさんとミランダさんの顔に驚きの表情が走る。
「それでは、アイアス殿の指揮する兵が100から500になるということですか?」
「そうです。これからの戦には屯田兵の参加が是非とも必要です。そして、屯田兵の全体を指揮するものはおりません。この指揮をお願いします。至急、屯田兵の各部隊長と指揮系統の確認をしてください。」
「拝命しました。早速出かけます。」
アイアスさんは幕僚を連れて部屋を出て行った。
そして、この場には俺達3人とアン姫にジュリーさん、そして亀兵隊の10人隊長3人が残った。
「さて、状況を教えて下さいな。ジュリーさん。」
姉貴の問いにジュリーさんはニコリと笑って、従兵にテーブルの椅子を並べ替えさせる。そして、俺達に奥の椅子を指差した。
「どうぞ、お座りください。」
俺達が示された椅子に座ると、俺達の対面に立った。
「この先、何人の兵が集まるやも知りませんが、東部戦の指揮権をミズキ様が任された以上、常にその席に着いてください。そこが、モスレムの指揮官の席になります。」
そんな重要なポジションの割には、普通の椅子だよな。
食堂の椅子よりは上等だけど、革張りでもないし、肘掛だって着いてないただの椅子だ。
「アキト様はその左、アルト様達は出かけてますが、席は右になります。ディーさんはアキト様の従者ですからアキト様の左手に…。そして、アン姫と私はテーブルの左。配下の者は全てミズキ様の対面になります。右手は伝令用に常に空けておきます。大勢を呼ぶ場合でもテーブルの左右までは椅子を配置しますが、ミズキ様と同じ方向でテーブルに並ぶ事は許されません。」
意外と面倒なしきたりがあるみたいだ。でもジュリーさんがいるから、その辺は面倒を見てくれるだろう。
「それでは、現状をお話しします…。」
ジュリーさんが話してくれたことは、俺達がある程度想定していた範囲であった。
この砦より南方に200Mの場所に、小さな砦を築くとともに、この砦の東10Mを基点として南北方向に杭を1M間隔で打っていると話してくれた。
ただし、この方向で国境を定めた場合は、南に500Mも行くと森の中に入ってしまうそうだ。現在の杭打ち作業はその森を伐採しながら南に進んでいると言っていた。
「このまま何事も無ければ、後2週間程で海に出ることになるでしょう。杭の東西は30Dの範囲で立木を伐採しておりますから、国境を越える者の発見は容易だと考えております。北の方向については、終了しました。この砦の位置は、泉の森全体から見ればかなり北に寄った位置にあります。」
「それが、この地図ですね…。」
「はい。大至急作らせましたので、概要程度に見て頂いた方が良いでしょう。」
絵地図だな。大まかな位置は分かるけど、起伏がまるで分からない。方向はある程度意識して描いてあるが、これで作戦を考えるのは無理な話だ。
「アルトさん達はどうしてますか?」
「亀兵隊をそれぞれ10人率いて、国境の監視を行なっています。今夕には帰ってくると思います。」
姉貴はしばらく考えていたが、ディーを呼ぶと何事かを頼んだようだ。直ぐにディーが部屋を出て行った。
「先ずは正確な地図作りからです。ディーに頼みましたから2日で出来るでしょう。次に、何時戦端が開くか予断出来ません。現在の備蓄状況を至急調べて下さい。食料と水、爆裂球、矢等です。最後に屯田兵を収容する施設を早急に作る必要があります。これについては、アイアスさんに頼みましょう。…そうですね。朝と夕方にここに集まって状況の整理をしましょう。南の砦の責任者にも、朝には集まってもらいましょう。」
姉貴の話を聞いて「了解しました。」と頭を下げる。そして、傍らの従兵に素早く指示をして連絡に走らせた。
ずっと立ったままのジュリーさん達に姉貴が座るように促がす。
ジュリーさんが座ると、従兵達がお茶を運んできた。これからはフリートークになる訳だな。
「ギルドで、西のカナトールが動いていると聞いて驚きました。そして北のノーランドの動きもおかしいと聞いてこの国の行く末を案じる日々でした。」
アン姫が心配そうな顔をして言った。
「西はイゾルデさんが行く予定ですし、ノーランドに対してはネウサナトラムに御后様がおります。ここにはアン姫がいますからモスレムは安泰でしょう。」
「私はまだまだですわ。義父上の命によりジュリーとここに来た時は、途方に暮れる日々でした。でもアルトさん達が来てくれて少し安心したところに、今度はミズキさんが来てくれました。これからは安心して眠る事が出来ます。」
姉貴にアン姫が応えた。やはり最初は不安だったに違いない。それを考えると御后様って身内思いなのかも知れないな。
「この建屋の2階の部屋をお使いください。従兵が後でご案内致します。食事はこのテーブルをご使用ください。」
話を聞いてみると2階は仕官室として使われているそうだ。これで全部塞がってしまったらしい。もし戦になったら、2000人位駆けつけるんだけどその士官は何処で寝るのかちょっと心配になった。
おおよその状況を聞くと、俺達は部屋に引き上げる。従兵の後に付いて部屋の角にある階段を上ると、砦の内庭に向ってテラスの様に通路が並び柵側に部屋が並んでいる。
「ここになります。」そう言って従者が部屋を開けてくれた。
2段ベッドが2つの小さな部屋だ。これが、東部戦線を預かる司令官の部屋だとすると、一般兵士はタコ部屋に雑魚寝なのかも知れない。
特に置いておく荷物も無い。部屋の片隅には真鍮の水差しとコップが置いてある。
「さてと、司令官殿。これからどうしますか?」
姉貴にそう言って振り返ると、ニヤリと口元だけが笑う。あまり良くない事を考えている時にする癖なんだけど、俺は治すべきだと思うぞ。
「そうね。アキトにはチェスの駒を幾つか作ってもらおうかな。駒の種類は…。」
姉貴が指示した駒はルークとクイーンそしてナイトとポーンだ。相手用として円筒と四角柱が欲しいと言っていた。まぁ、暇つぶしには丁度いい。早速薪を貰って作り始める事にする。
姉貴は部屋に篭って思索中だけど、意外とお昼寝かもしれない。
日当たりのいいログハウスの入口の階段で、サバイバルナイフを手に細工をしているとグレイさんに声を掛けられた。
「また、細かい事を始めたもんだな。ちょっと来い。皆に紹介する。」
そう言って俺を立たせると、門に向って歩き出す。
近くにいた兵隊に俺をハンター達の所に連れて行くと告げて、森へ向う真直ぐな道を歩き出した。
「俺達は森の傍にテントを張っているんだ。…砦は狭いだろ。息が詰まる。」
そんな事を話てくれる。
20分も歩くと、道は林の中に入る。この道は森の途中で消えるそうだが、ハンター達は荒地から見えない場所にテントで集落を作っていた。
テントの群れの中心に焚火を焚いていたが、砦からはまるで見えなかったぞ。
「ここで火を焚いても砦からは見えない。それ程大きな焚火ではないからな。少しボンヤリと明るい所があるってとこだ。…こっちだ。」
焚火を取巻いているハンターのところに俺を連れて行く。
「連れ出して来たぞ。こいつが銀1つの虹色真珠を持つアキトだ。あの嬢ちゃん達のリーダーだな。」
そこにいたのは、アルザスさん、カイラムさんにサラトガさん達だった。その他に2人のハンターがいる。
「俺は、ミゲル、黒8つだ。」
そう名乗ったミゲルさんは耳がたれて口先がにゅうっと出ている。犬族って感じだな。
「ミリネアにゃ。黒6つにゃ。よろしくにゃ。」
ミケランサンと同じ言葉使いは何となく安心感がある。
「ブレインはテントの設営中だ。その内来るだろう。」
ネコ族の女性が俺に木製のカップを渡してくれた。この匂いは蜂蜜酒だな。ちょっと飲んでみると…お湯割でなくモルトだ。結構きついぞ。
「アン姫には悪いが、まだ新参だ。俺達を使いこなせるかが心配だったが、アキト達が来てくれたとなれば少しは安心できる。…やはり戦になるのか?」
「その確率は高いです。東西と北からの同時攻撃の可能性があります。北に備えていたのですが、もうすぐ冬ですから兵力の移動は無理だろうと言う事でここに移動してきました。」
俺の話しをハンター達は真剣に聞いている。
「すると俺達の役目は…。」
「姉貴が考えてます。俺は陽動だと思いますけど…姉貴はたまにとんでもないことを考えますからね。」
「その話はアンドレイに聞いた事がある。ネウサナトラムで2年続けて狩猟期の首位を飾ったと言っていた。そして、その作戦はお前の姉が立案したと言っていたぞ。…たしかこうも言っていた。アキト達の狩りは入念な計画と準備だ。たった半時の狩りに2日準備をするような奴だとな。それが成果に繋がるのだろう。正直な話、ザナドウの話は信じられなかった。しかし、他の参加者の話を聞くと皆ザナドウの嘴を見たという。次に狩る機会があれば俺も参加したいものだ。」
ミゲルと名乗ったハンターが俺に言った。アンドレイさんと同じ位の年代なのかな。
「私はあの嬢ちゃん達の方が驚いたにゃ。剣姫様は見たことがあるから凄いことは確かにゃ。でも…残りの2人の嬢ちゃんの腰の剣は何にゃ!…あの剣の柄は角でも骨でも無いにゃ。何かの牙にゃ。それはどこで見つけたのかにゃ?って聞いたらアキトが倒した奴から引っこ抜いたって言ってたにゃ。いったい何を倒したにゃ?」
この世界にはあれ程の牙を持つ獣はいないのか…。黒6つになるハンターが見たことも無いというからには、やはり珍品ではあるようだ。
ミリネアさんの耳元でぼそっと呟く。
「暴君…ですよ。」
ミリネアさんが飛び上がった。
「そんにゃ…。」って言ったきり静かになってしまった。過去にレグナスと何かあったのだろうか?
どうやら、新参の俺達を彼らなりに確かめたかったらしい。彼らの目に適ったかは分からないが、夕暮れが近づいたので砦に引き上げることにする。ハンターの代表はアルザスさんらしい。俺と一緒に砦へと歩いて行く。
砦へと続く道を半分程進んだ所で遠くから土埃を立てて何かがやってくる。あの走りは嬢ちゃんずに間違い無いだろう。
たちまち俺達に近づき、人が歩く速度に落として俺の脇に並ぶ。
「来るとは言っていたが、北の守りは良いのか?」
「ニードルの知らせを受けて御后様に依頼された。来年の4月までここにいる。」
「それは助かる。まだ先遣部隊の影も見えぬが、油断は出来ぬ。」
それだけ言うと、ガルパスを駆って砦に入っていった。
ちょっと埃にまみれてる姿をみて、体や服をちゃんと洗ってるんだろうかと思ってみたけど、砦に井戸ってあったのかな。後で確認してみよう。
ログハウスの1階にある部屋には結構な人数が集まっている。
ジュリーさんに言われた席に着くと、何時の間にかディーも帰って来ている。
そして、夕方の状況確認が始まった。