#172 3人の旅立ち
狩猟期が終ると、櫛の歯が抜けるようにギルドの登録ハンターが減っていく。
何時もの村の静けさが、また戻ってくるのは嬉しいような寂しいような複雑な気分だ。
昨日、イゾルデさんが数人の近衛兵と共に王都に帰っていった。そして、今日。嬢ちゃんずがマケトマムに旅立っていく。
遊びに行くんだったら、どんなに嬉しい事か…。だけど、嬢ちゃんず達を待つのは防衛戦だ。相手の規模が不明なだけに、戦端が開かれた場合には苦戦するのが目に見えている。
ネウサナトラムの東門の広場に俺達は集まった。
「いい、とにかく出来るだけ沢山爆裂球を買っておくのよ。そして、投げたら逃げる!いいわね。」
姉貴が、ミーアちゃんに言い聞かせている。ミーアちゃんは小さく頷きながら聞いているけど、俺としてはアルトさんがアルタイルに乗って突撃するんじゃないかと心配だ。
たぶん、俺と同じような心配をしているのだろう。御后様がアルトさんとサーシャちゃんに、指を折りながら注意しているようだ。
シルバー、アルタイル、チロルの鞍に着けられた皮袋はそれ程膨らんでいないけど、魔法の袋にありったけのボルトと矢を入れていたし、着替えも十分に持っていくようだ。
インディアンルックに革のブーツを履いて、頭は厚い革の帽子だ。帽子の庇部分が顔の方に折れるようになっており、目の部分には甲虫の薄い羽が挟みこまれている。マケトマムの東の荒地は広大な荒地だ。パトロールで砂塵が目に入る事等も考えていたのかも知れない。
「これは、お弁当。途中で食べてね。」
キャサリンさんが各自に2個ずつ、小さな袋を渡した。たぶん黒パンサンドだろうけど、嬢ちゃんずは一気にマケトマムに向かうだろうから、確かに2個はいるだろうな。
最後に俺が亀達の頭を撫でながら嬢ちゃんずを頼むと1匹ずつに、キャベツ程の丸い野菜を鞍に付けられた袋に入れていく。(任せろ…)というような思念が俺の頭に浮かぶのは、やはりこの亀はただの亀ではないということなのだろう。
「それでは、出かけるのじゃ。東は任せておけ。…アキト後を頼むぞ!」
そう言うと、シュタっってアルタイルに飛乗った。サーシャちゃんとミーアちゃんもそれに続く。
ユリシーさん謹製の薙刀を小脇に抱えると、「行けー!アルタイル!!」の掛け声と共に砂塵を上げて街道への小道を爆走して行った。向こうから誰か来ないかちょっと心配になってきたぞ。あの勢いだとこの世界初めての交通事故を起こしそうだ。
「行っちゃったね。」
「あぁ、行きおった。無事じゃとよいが…。」
姉貴の呟きに、御后様も呟きを重ねている。
「大丈夫ですよ。向こうにはジュリーさんもいるんですから。」
「それもそうじゃが…やはり無茶をせぬかとな。」
俺にそう応えた御后様の懸念の少しは理解できる。防戦はアルトさん好みでは無い筈だ。有志を募って遊撃戦を始めるんじゃないかと思うけど、一撃離脱を心がけていれば被害を最小限に抑えられるだろう。姉貴の言っていた爆裂球を沢山ってのも、姉貴なりにそれを想定しているんじゃないかと思う。
あっという間に尾根に隠れた3人を見て俺達はギルドに戻っていく。
俺達だってやることがある。その相談をせねばならない。
ギルドのホールの窓際にテーブルを寄せてアンドレイさん達が待っていた。
俺達が空いている席に着くと、ギルドの奥からセリウスさんもやってきた。
シャロンさんとキャサリンさんが皆にお茶を入れてくれると、俺達の作戦会議が始まる。
「先ず、依頼の内容を話しておく。モスレムの王宮から期間未定の依頼だ。依頼の内容はネウサナトラム村の防衛とローランド街道の防衛援助だ。参加資格は黒3つ以上。報酬は1人1日銀貨1枚。防衛に必要な機材それに食事と宿も王宮が負担する。」
「かなりな報酬だが、獣の襲来の話も聞かないぞ。それにその待遇は魔物襲来の時と同じだ。いったい何が起きるんだ。」
「モスレム防衛戦じゃよ。東西が呼応したように国境を犯す可能性があるのじゃ。それにノーランドの動きも怪しい。…レグナスの牙を知っておるか?」
「今回の首位をとった奴らだ。途中でグライザムの大型にやられて仲間を失ったと聞いている。」
アンドレイさんが呟く。
「彼等の仲間3人を殺したのは亜種じゃ。通常の2倍程大きく、手足はそれぞれ4本。【アクセラ】に【ブースト】を重ね掛けしてようやく素早さが同じになる。体を覆う剛毛も比べものにならぬ。我の技量を持ってしても腕を切断する事が叶わなかった。」
アンドレイさんと見知らぬ2人のハンターは息を呑んだ。
「その時に、ディーがもう1人を見つけておる。我らに加担せず、亜種がやられた時はもういなかったそうじゃ。そして、亜種の首にこれがあった。婿殿の話では亜種を操る道具ではないかということじゃ。」
御后様は革服から例のマッチ棒を取り出した。
「東西に呼応して北も動く可能性がある。じゃが、ノーランドとは大きな戦にはなるまい。…もう直にアクトラス山脈は雪に覆われる。大規模な軍を移動する事は兵站を維持する事が出来ぬ。じゃが、種は撒けるじゃろう。人狼、灰色ガトル、亜種、魔物…それらを使って騒ぎを起こせば東西の兵力をこちらに差し向けねばならぬ。」
「我らの任務は、その討伐という訳ですか?」
見知らぬハンターの1人が言った。この風貌…トラ族だな。そしてもう1人はネコ族の女性のようだ。
「相手による。亜種は銀持ちが5人でどうにかじゃ。警戒を担当する者達と討伐をする者に分けて相手の出方を待つ。」
御后様が皆を見渡した。
「ネコ族の勘の良さは折り紙つきじゃ。奴等の送り込む獣を探知して欲しい。」
「俺はガラムナだ。ネリーと組んで当たろう。レベルは黒7つだ。」
「俺達もカルミアがいるから問題は無かろう。」
「俺とミケランもネコ族だ。役には立つと思うのだが…。」
御后様はその申し出を頷きながら聞いていた。そして、懐から折畳んだ紙を取り出す。
「これは、この村周辺の地図じゃ。先程の組み合わせで探査をしてもらいたい。ガラムナ達はここじゃ。アンドレイはここじゃな。この辺りはセリウスに任せようぞ。」
そう言って、御后様の指差した場所は、ガラムナさん達がグライトの谷の西側の森で、アンドレイさん達の持ち場は東門の北に広がる森だ。そして、セリウスさん達の場所は北門の北に広がる森だった。
「この森の西側に現れた時はどうなるのですか?」
ジャラムさんが怪訝そうに御后様に聞いた。
「この先はリザル族が監視をしてくれるじゃろう。リザル族はモスレムの民、この国が滅びるのを指を咥えたまま見る事はない。リザルの戦士の勇猛さは知っておろう。」
「聞いた事がある。石の槍でグライザムを倒すと…。では、我等の任地はこの範囲と言う事でいいのだな。」
「そうじゃ。見つけ次第、黄色の狼煙で合図を送れば我等が駆けつける。」
「失礼だが、レベルは如何程に…。」
御后様の返答に再び問うた。
「我は銀1つ。そこな若者と娘が銀1つ。そして、今お茶を入れている娘が赤1つじゃ。」
「赤1つは無謀じゃないのか?」
「ギルドの水晶球が反応しないのじゃ。何を倒しても赤1つ…。100を越える獣を一撃で倒しても全くレベルが上がらぬのじゃ。実力は銀4つを越えておる。」
「そんなバカな!」
アンドレイさん達が大きな声で叫んだ。
「我も驚いたが、偽りはない。その証に…ディー、お前の長剣をこの男に持たせてみよ。」
御后様の指示に従って、背中の大剣を抜いてアンドレイさんに渡した。
ディーの大剣を片手で受取ったアンドレイさんが慌てて両手で握った。やはり片手では無理みたいだ。
「この剣を使うのか?…確かに赤1つでは、これを使うのは無理だ。」
「そんなに重いのか?」
ガラムナさんが持たせて見ろと手をアンドレイさんに差し出す。やはり片手で持ったガラムナさんだったが、持つことは出来ても、振るう事は無理なようだ。
「昔、サーミストの武器庫にドワーフの鍛えた誰も振るう事の出来ない長剣があると聞いた事がある。たぶんこの長剣もその類なのだろう…。」
「類ではなく、そのものじゃ。半ば伝説になっておる使うことの出来ない長剣がそれじゃ。サーミストの王に褒美として与えられたものじゃ。」
その言葉を聞いたガラムナさんはテーブルを離れて大剣を振るおうとした。大きく上段に構えたが、やがて諦めた様に大剣を下ろす。
「ダメだ。もう少し軽ければ俺にも使えようが…この重さで剣スジが定まらん。」
ディーがつかつかとガラムナさんに近づいて大剣を受取る。
そして、片手で斜め上段に構えるとクルクルと大剣を振るって背中の鞘にパチンっと仕舞う。
それを目を丸くしてアンドレイさん達が見ている。
「恐れ入った。確かに赤1つの実力ではないようだ。其方の2人は虹色真珠…問題はないようだな。」
ガラムナさんの言葉にアンドレイさん達が頷く。
「では、早速偵察を始めてくれ。我等は狼煙を待っておる。それと、相対する事は、逃げられぬ場合のみじゃ。先ずは逃げる事を考えよ。」
御后様がそう言うと、セリウスさんが4つの黒い爆裂球を取り出した。それをアンドレイさんとガラムナさんの前に置く。
2人はそれぞれ爆裂球を取ると仲間を連れてギルドを出て行った。
「でも、セリウスさんが偵察を始めると、ギルド長の仕事はどうするのですか?」
ちょっと心配になって聞いてみた。
「狩猟期が終れば後は冬支度だ。ギルドの仕事も少なくなる。シャロンがいれば事足りる。」
それって、責任放棄みたいな感じがするぞ。
でも、一時は掲示板からはみ出していた依頼書が今は10枚程度ぶら下がっているだけだ。
この依頼書はキャサリンさんとルクセムくんに任せよう。
俺達もギルドを後にして家に戻る。
俺達の家の前で御后様と別れて家に入る。嬢ちゃんずがいないから、ちょっと静か過ぎる。昼に近い事もあって暖炉に薪を投げ込むと、朝の残り物のスープを温める。
俺と姉貴とディーの3人の食事は寂しいものだ。それでもディーがスープだけでも付き合ってくれるから嬉しいけどね。
もぐもぐと黒パンを齧りながら、ふと思い出したある事件を姉貴に聞いてみた。
「御后様とスロット達の勝負ってどうなったか知ってる?」
「あれね。引き分けだったらしいわよ。…確かどちらも売れた枚数は221個だったってネビアが言ってたわ。それで、来年は交互に店をやることになったみたいだけど…。」
どっちも頑張ってたからな。それに近衛兵達も頑張ってた。完全にうどんの作り方を覚えたみたいだから、兵隊を何時止めても屋台で生活出来そうだ。
御后様達の総売上は分からないけど、俺達の総売上は530杯、1590Lだ。俺達3人近衛兵5人の8人で山分けと言う事で、1人当たり180L。意外と少ないけど、まぁ楽しんだ事は確かだ。来年も頑張ろうと屋台と道具を綺麗に洗ってから兵舎の横に片付けた。
「ミーアちゃん達はどの辺りかな?」
「あの速度で行ったら、サナトラムの町の手前位じゃないかな。俺達と同じでどっかにガルパスを停めてお昼を食べているんじゃないかな。」
「そうね。アルトさんが一緒だから目的一直線だけど、その辺は心得てる筈よね。」
う~ん…。とりあえず頷いておく。でも、そんなアルトさんの行動にちゃんとブレーキを掛けていたのはミーアちゃんだったぞ。
今夜はマケトマムに向う街道の途中で一泊して、明日にはマケトマムに着くはずだ。