#149 短剣
森を歩くのは結構疲れるんだけど、千匹以上の獣達が移動した経路は、道と呼べるほどに歩き易い。
低木はなぎ倒され、茂みは根こそぎ引き抜かれたようだ。見通しが良く、意外と獣の大群を上手く使えば道路工事が容易に出来るんじゃないかな。
最初は、この移動経路を辿れば直ぐに東の荒地に出るのではと思っていたが、進むにつれコース取りに疑問が出てきた。
どちらかと言うと、この獣道は南を目指している。
調査期間は2日間だ。俺は自分に【アクセル】を掛けると、少々危険ではあるが、一気に調査速度を上げる事にした。
俺の5m程前をディーが走っている。時速10km程度の速さだからマラソンしてるような感じだけど、俺が無理できないからこれ位の速度で十分だ。
走るにつれ、泉の森の概要が分かってきた。
村近くでは、歩いて1日で森の東に出るから、東西方向の大きさは20km前後だろう。だが、南北方向は途轍もなく長い。
昼に一旦休憩して、ディーに移動距離を確認したところ30km程であった。日暮までに後20kmは行けるだろうが、森が無くなる気配は今のところ無かった。それよりも、森が深くなっている印象を受ける。
俺達は獣道を伝って走っているが、両側の森の中は巨木や低木が密集したジャングルみたいに見える。なんだか大森林地帯に何時の間にか入り込んだような気もしてきた。
それでも、たまに見掛ける獣達は見知った連中ばかりで鎧ガトルやオオトカゲもカンガルーもいない。数頭で移動する群れを2回見掛けたが、それは子供を連れたイネガルだった。
その夜は、木に上って梢にロープを張って寝ることにした。といってもロープを体に巻きつけて寝るのではなく。少し大きめのハンモックのようなものだ。網目は粗いけど両端を縛れば安心して網の中に寝ることが出来る。腰のベルトに1本ロープを結んでおくのは安全の為だ。
そして俺が寝ている間に、ディーに周辺の調査を行なって貰う。
調査ポイントは2つ。東方向への森の大きさと、西方向の小川までの距離だ。確かこの森の中を支流が流れているはずだ。
次の朝、俺が目を覚ますと梢の先にディーが待機していた。
下に下りて焚火を作り、お茶を沸かしながらディーの報告を聞く事にした。
「この地点を中心に東、西、南の3方向の調査を終了しました。東方向に15kmで森が開けて荒地になります。西方向に5kmで水流を確認しました。川幅4m程度ですが昨日の朝に渡った水流よりも水量があります。南に8kmで小さな湖を確認しました。ほぼ円形の湖で直径は1.5km程です。」
南方向の調査は予定外だったが、湖があるのか。そして森は、3角形の形でアクトラス山脈の尾根を頂点として南に広がっているという事になる。
後1時間、獣の作った道を南下する事にした。
【アクセル】状態で1時間走った時、ディーが立止まった。
「動体探知しました。前方200m。個体数1です。」
双眼鏡を取出し、低い姿勢でディーの指差す方向を確認する。
それはゆっくりと移動するアンモナイト…ダラシットだ。
ここまで来ると、結構危険なやつがいるみたいだ。獣の通った道は、まだまだ先に続いているが、調査はここまでいいだろう。最後に湖を見て帰ることにした。
獣道から西に3km程進むと湖が見えてきた。
獣たちを誘導してきた者達には、この存在は分からなかったかも知れない。獣道から離れすぎているし、森も密集している。
森を開発するのであればいい水源になるだろうけど、ダラシットがいるのではね。しばらく開発は無理だろう。
そして、俺とディーは昼食も取らずにひたすら獣達の作った道を北上した。
途中で道の真中をのそのそと歩いていた亀をディーが捕まえたんだけど、どう見ても陸亀だ。
甲羅の大きさが1mはある。それを両手で持って走っているんだけど前がちゃんと見えてるのか心配だ。
それでも、夕方には丸太で作った橋まで来る事が出来た。向こう岸では10人位の兵隊がこの橋を守っていた。
俺達が渡ると、早速丸太を回収している。これも安全の為の措置なのだろう。
兵隊の1人が「詰所に行ってください。」と告げたので、柵の傍にある詰所に向かって歩き始める。
どうやら、俺達が最後だったようだ。
ディーが両手で持ってる陸亀を見て皆驚いていたようだが、サーシャちゃん達が早速、ディーにおねだり攻撃を開始している。
ディーは詰所をサーシャちゃん、ミーアちゃんと共に出て行った。それをアルトさんが羨ましそうに見ているけど…。
「ガルパスじゃな。婿殿、どこで手に入れたのじゃ。」
「今日の昼過ぎでしょうか、獣の通った跡を道代わりにして帰る途中でのこのこと歩いていたのをディーが捕まえました。」
俺は陸亀捕獲の経緯を御后様に説明した。
「あの亀は、スマトルより更に南方の生き物じゃ。草食で人に危害を加える事は無い。そして、使い道がある。荒地での輸送じゃ。あの大きさであれば大人2人分の重さを運ぶ事が可能じゃ。それも人が走るぐらいの速さでな…。大方、獣使いどもの荷を運んでおったのじゃろう。」
「となれば、ますますスマトルの動きが気になりますな。あれだけの数の獣を引き連れこの森まで来たということは、この国に対する侵略とも取れますぞ。」
ダリオンさんが御后様に告げる。
「侵略となれば…。いや、想像で話すのは問題じゃ。ここは、ジュリーの到着を待てばよいじゃろう。ところで、森はどうじゃった?」
「私達は森の北部に行きましたが、前にここに来た時よりも獣の数が減っているように思えます。ミケランさんが森の上の方にはクルキュルが沢山いると言っていましたけど、2日間で見かけたのは3匹です。それ以外の大型の獣は見掛けませんでした。」
姉貴もミケランさんの話を覚えてたみたいだ。
「俺の方は獣の踏みつけた道を使ってひたすら南下した。50kmは走ったと思う。」
「50km?」
「約330M位だと思います。それでも、獣の通り道は森を使っています。当初、直ぐに荒地の方へ向うものとばかり思っていましたが…。その地点から東に100M以上進まなければ森は無くなりません。また、10M程度の湖がありました。森の中に流れる泉からの小川の支流は水量がかなりあります。恐らく、南にもう1つの泉があると思われます。獣はあまりおりませんでした。今日の朝にダラシットを見かけました。そこから引き返してきました。」
「婿殿、【アクセル】で一気に走って調査したようじゃな。…泉の森の南は盲点じゃった。この森がどのように広がっておるかを調査したものはいない。じゃが、婿殿の話を聞く限りでは、南方向に大きく広がっておることになるの。それも東に向ってじゃ。」
御后様はしばらく考え込んでいた。
「まぁ、この件は先でよいじゃろう。我等の調査も同じような結果じゃ。森に獣が少ない。あれだけの獣を率いて来たのじゃから、多くがその食料となったのじゃろう。しばらくは泉の森での狩猟は厳しいものになるようじゃ。それが、判れば我等はここを引き上げるぞ。…ダリオン。明日からは小川に沿って柵作りじゃ。我等はジュリーの到着を待って引き上げるが、アンとダリオンはジュリーが持ってくるであろう国王の指示に従うのじゃ。」
そして、俺達は村の宿に引き上げる。すっかり暗くなっているので、俺達の隊列に合わせて光球を上げて、周囲を照らしながら歩いて行った。
やはり、宿のベッドは寝心地がいい。暖かい食事の後はベッドに入ってぐっすり眠る事が出来た。
次の日、ギルドに出かけてとりあえずの危機が去った事を報告する。
これで、俺達がここに来た目的は達成したんだけれど、ジュリーさんが気になるので、俺達は彼女の到着後に村を出る事にした。
例の陸亀は、サーシャちゃんにシルバーって名付けられてサーシャちゃんとミーアちゃんの乗り物になっている。
亀だと思って侮る無かれ、姉貴が普通に走る位の速度が出せる。
古い毛布を甲羅に乗せて乗っているのだが、それを見た御后様が、村の雑貨屋に専用の腰掛を作らせてるらしい。
さっきも、元気良く2人で亀に乗ってカンザスさん達の様子を見に行った。
それを見ながらのんびりとギルドのホールで皆でお茶を飲む。
「サーシャめ、我も乗ってみたいのに…。」
アルトさんがぶつぶつ呟いている。
それは俺だって乗ってみたいと最初は思っていた。でも、さっき亀が角を曲がる時、ドリフトターンで曲ったのを見て俺は止める事にした。よくあんな曲り方をしても、あの2人が落ちない事が不思議でしょうがない。
「そうじゃ。婿殿にはまだ渡しておらなんだな。」
御后様が、思い出したように言うと、俺の前のテーブルに銀貨を3枚置いた。
「この前の夜襲の時の報酬じゃ。皆で分けると少なくなるが、皆も頑張り通したのじゃ。均等割りで1人300Lとなっておる。」
ちょっと嬉しい金額だった。姉貴の前に銀貨を手でスイっと動かしたら、1枚を回収されてしまった。でも残り2枚。早速大事にバッグの中の小さな袋に入れる。圧倒的に銅貨が多いけど、意外と使う場所は限られてるから、これだけでも心に余裕が出来る。
「あのう…風習についてお聞きして宜しいですか?」
姉貴がおずおずと御后様に訊ねた。
「なんじゃ。もちろん知る範囲で教えようが…。」
「例えばですよ。娘を嫁に出す時に準備しないといけない物って、この前の短剣以外にあるのでしょうか?」
「面白き質問よな。フム…。これはアンに応えて貰うのがよいじゃろう。」
御后様は姉貴の質問をアン姫に振り向けた。
「色々とありますが、王族、貴族と庶民では少し風習が異なると思います。しかし、ミズキ様は虹色真珠の保持者、王国内では貴族と同格かそれ以上になります。ですから、私の婚礼に両親が準備したものが参考になると思います。」
そう前置きをして、指を折りながら話を始めた。
「まず、例の短剣ですね。その他には…衣装ダンスに化粧台、もちろん中身込みですよ。それにお茶のセット…私の場合は、銀製品でしたけど。後は、母がこの鎖帷子を父がこの片手剣をこの国に発つ前の夜に渡してくれました。」
ちょっと武具が問題あるけどなんか日本的な話だな。
あれ?…花嫁衣裳とか、披露宴の衣装はどうなるんだ。ひょっとして、レンタル?
「式は神殿であげた後に披露宴を後日でしたよね。その時の衣装はどうなるのでしょう?」
姉貴も気付いたようだ。
「神殿の式に用意する物は、この短剣と銀貨2枚です。庶民の場合は分かりませんが…。」
「指輪は必要ないんですか?」
「何故、必要なのですか?」
「あれ?…互いに指輪の交換をするとか…。」
「ミズキの国とはだいぶ違うようじゃの。この国では指輪等の宝飾品を互いに贈ることはせぬ。短剣があればよいのじゃ。じゃが、その短剣も片親や両親ともなくなった場合は神殿で用意してくれる。」
「でも、何故短剣が必要なのですか?俺にはそこが解らないんですが。」
姉貴もうんうんと頷いている。
「この間の短剣を覚えておるか?」
「はい。装飾が綺麗な俺の目にも一目で高価なものだと判る品でした。特徴的なのはその鍔が鞘にしっかりと髪の毛を編んだ紐で結ばれていた事です。」
「あの時、我は言ったと思うが、あの髪の毛はマリエッティの母親の物じゃ。そして、その髪の毛を切る事が出来るものは未婚の男子、それも結婚の相手に限られておるのじゃ。さらに、その髪の毛を切った相手が、その短剣の持ち主に対して不義を働いたならば、その短剣を相手に使っても罪に問われる事は無い。…神殿で行なわれる式は、神の前で互いに誠実である事を誓い、花嫁の短剣の戒めを解く事にある。その戒めが解かれた事をもって神殿は2人の結婚を認めるのじゃ。」
何と物騒な結婚式だ。それって、悪い事をしたらこれで刺してもいいよ。って事を公にする事じゃないか。しかも片方のみで、男の方にメリットが無いような気がするぞ。
「婿殿は呆れている様じゃの。じゃがのう…これ程の嫁をクオークは貰ったのじゃ。それを考えれば、それ位の戒めを解く位何でもない事じゃろうよ。」
そう言って御后様は笑い出した。アン姫は顔を赤く染めている。
「あのう…俺はマリエッティさんの短剣の戒めを解いた事になりますが、それって、後で問題になりますか?」
「マリエッティが生きておれば重大な事件じゃが、生憎と亡くなっておった。…短剣を両親から贈られた娘が亡くなった場合は、父親がその戒めを解くのが一般的なのじゃが、あのような事態じゃ、せめて未婚の男子に切らせることにしたのじゃ。ダリオンではマリエッティもイヤじゃろうからの。」
ちょっと安心した。化けて出られたら俺だってイヤだ。
「ちょっと待ってください。確かあの時、御后様はアルトさんも持っていると言っていましたよね。」
「当然じゃ。婿殿に名目とは言え降嫁したのじゃからな。じゃが、戒めを神殿で婿殿が解くとは思えぬ。それを解くのは…。」
「え~い!。それ以上は、たとえ母様と言えど許さぬぞ!」
アルトさんが顔を真っ赤に染めてグルカを抜いている。
「判った、判った…。そう、うろたえるな。」
御后様が笑いながら、アルトさんをなだめている。
でも、ちょっと気になるから後で誰かに聞いてみよう。
「あのう…私は持っていませんけど。」
「そうじゃったな。ミズキの両親がいないとは聞いた事がある。我が用意しようぞ。」
微笑みながら応えてくれた御后様に姉貴が深々とお辞儀をしている。
「じゃが、何故急に、婚礼の話等を聞くのじゃ。」
少し冷静になってきたアルトさんが姉貴に訊ねた。
「前にセリウスさんが言っていたの。ネコ族の寿命は人より短く、その分成長が早いって。だから、そろそろミーアちゃんの嫁入道具を揃えた方がいいのかなって…。」
ミーアちゃん今年で15歳だ。後どれ位俺達といられるんだろう。
高校を出て直ぐに結婚する人だっていることを考えると、確かに姉貴の考えも理解できる。早速、短剣を取り寄せるか…。ネウサナトラムに帰ったら、ユリシーさんに職人を紹介して貰おう。少し早い気はするけど、慌てて準備するよりは遥かにマシだと思う。