#140 新たな産業を考えよう
その夜、セリウスさんが訪ねて来た。
テーブルに着いて、早速用向きを俺達に話し出した。
「この間のガトルの群れだが、2つの事象が重なってこの村に現れたようだ。1つは、サナトラムの町と王都のギルドで大規模なガトル狩りを行ったおり、かなりの数のガトルが北に向かって逃走したらしい。もう1つは、北に逃走したガトルを狩る依頼を受けたハンター達が、狩りに失敗した事だ。」
そう俺達に告げたセリウスさんの顔は苦い表情だ。
「だが、最大の問題は、狩りに失敗したガトルの逃走先にこの村があることを知っていながら村のギルドに連絡をよこさなかった事だ。…俺が新任である事が裏目に出てしまったようだ。」
「それって、ある意味虐めじゃないですか。」
「そこまで酷くはない。今回の件でも、特段相手のギルドに抗議することは出来ない。ハンターの依頼は何時も成功するとは限らない。また、近隣のギルドが共同して事に当たる事もよくある事だ。…まぁ、今回の件を王都のギルドに報告した時には驚いていたようだったがな。彼等としては、所轄する王都と町からガトルの脅威は取り除いたということで満足していたらしい。その逃走先は範疇外、まして複数の群れを作るなぞ想定外の話だ。…ここで、俺の新任の問題が出てくる。連絡を要する事までには至らないが、仲間内であれば連絡するということはギルド内でもあるのだ。村のギルド長が交替したらしいが良く知らないものが後を引き継いだ。…これでは連絡なぞ来ない。」
要するに、ギルドでの知名度が不足してるって事なのかな。それはこの村についても似たりよったりの気がする。
そもそもネウサナトラムって名前自体がサナトラムの町に依存する衛星村を意味してるようだし。ある意味、モスレム王国にこの村有りと国内にその存在をアピールできれば、自然に村のギルドの知名度も上がるんじゃないかとは思うんだけどね。
「新任ギルド長には避けられぬ問題じゃな。」
ちゃっかりと何時の間にかテーブルに着いていたアルトさんが呟いた。
「確かにそうです。2、3年もすれば少しずつ改善はするでしょうが…。」
「でも、これを機会に村の知名度を上げるというのも有りですよね。」
「俺もそう考えたのだが、具体的にどうするかを考えると何も浮かばぬのだ。」
姉貴の前向きな言葉にセリウスさんが応えた。
「ある意味、この村は有名ではないのか? 狩猟期があるし、陶器の製作も行っておる。」
「だが、狩猟期はある意味ハンターの祭りだ。陶器に至っては製作をこの村でしていることすら知らない輩ばかりだろう。」
確かにその通りだと思う。狩猟期で賑わうのは一時期だ。それに、この村の農作物でさえ村人の消費量に足りないのだ。おのずと収穫祭をするような雰囲気にはならないのだろう。冬の仕事もあまり無い。雪レイムを狩るか、暖炉の傍で毛糸を編む位の手仕事で長い冬をどうにか乗り切っているのだ。
この村の知名度を上げるには、やはり産業の育成が必要なのだと思う。
「単純にこれをすれば村の知名度が上がるという方法はないと思います。幾つかの事項を拡大していく必要があります。」
「幾つかの事項って?」
姉貴が訊ねてきた。
「1つ目は、村の拡大だ。何時までもネウサナトラムではなく、独立した名前にする必要がある。2つ目は、村の規模の拡大。人口を増やすことだ。3つ目が産業の育成。最後が流通手段の確立ってとこかな。」
「まるで国造りじゃな。」
「確かにそうですね。でも、町や、村の経営は国家の経営と似ている気がします。国との違いは軍隊を持たない事。独自の法律を施行しないこと。それに貨幣を作らないこと位じゃないですか。」
「それをやったら確かに独立国になるな。」
「では何が一番大事かというと、やはり経済でしょう。商取引を増加させられれば、自然に人は集まり、知名度も上がる事になります。」
「それは、俺も村長も同じ意見だ。村長はこの村の創設者の1人だ。だいぶその時の仲間は減ったらしいが、何れ大きな村にと考えてリオン湖の辺に村を作ったらしい。俺の相談に、商人が集まらねば村は大きく出来ないと言っていた。」
「では、村長も村を大きくしたいという事ですか?」
「そうだ。だが、その手段が思いつかないと言っていた。確かに、村には産業が無い。お前達が冬の産業として始めた陶器作りも、ある意味特権階級の商人達との取引だ。一般の商人が立ち入り出来るものではない。」
陶器作りは少しでも村人の仕事を増やそうと思ってしたことだ。そして、それはクオークさんに引継いでいる。大量生産に結びつかない以上一般の商人に陶器が渡る事は無いだろう。
そうすると、村人の仕事が増えて、尚且つその取引が一般商人に委ねられるような産業の育成という事になる。
はたして、そんな都合のいい産業があるんだろうか?
「普段何気なく使っているような物を、作ればいいんじゃないかな。」
「何時も使っているものといえば、先ずはこれじゃ。」
アルトさんが取り上げたものは木のカップだ。
「これだって、使ってるわよ。」
そう言って姉貴が取り上げたのはスプーンだ。
そんな提案を姉貴が手元のメモ帳に書きとめている。
「紙もいいな。」
俺が呟いたのを姉貴が書きとめた。
「布はどうじゃ。我が国は交易で手に入れておるが、値段は売り手市場なのじゃ。」
う~む、どれも今ひとつピンと来ない。
でも、産業なんてそんなものかもしれない。この村で唯一と考えるから難しいのであって、色々作ってそれが労働と見合ったものであれば、村の生活は豊かになり、それを取引する商人も集まってくるはずだ。更に村人が豊かになれば購買意欲も増すので、やはり商人は集まるだろう。場合によっては村に店を構える商人も出てくるかもしれない。
「俺から1つ提案なんだけど…。」
「「なんだ(じゃ)。」」
「いろいろ、やってみようよ。いろんな製品を作って、商人に商売が成り立つかどうか判断して貰うのはどうかな。」
「ただ、それを作るのにどれ位時間が掛かったかをきちんと記録しておいてほしい。姉さんに教えるだけでもいいよ。」
「それが役にたつの?」
「うん。例えば、このカップを1人で1日で5個作れたとすれば、1日の労働で得られる村人の平均的な労賃が15Lだとすると、1個3L以上で売ればいいことになる。値段と労働時間の情報が欲しいんだ。そうすることで、より収入の良い仕事を探せるという訳なんだけどね。」
う~ん…と皆は考えている。
「アキトの言う事は何となく分ったわ。後は皆で色々とやってみる事になるんだけど…。必要な軍資金はとりあえず私が立て替えます。ただし、それが完成して売れたらちゃんと返してね。それと、同じ事を始めないように、始める前に私に申告してください。始めるのは先着順という事にします。今晩ゆっくり考えて、明日の晩にまたここで話を続けましょう。」
そして、その夜はお開きになった。
早速、嬢ちゃんずがアルトさんを中心に相談を始めたようだ。何を始めるかはちょっと楽しみではある。
姉貴もテーブルに突っ伏して考え込んでいる。それをディーが心配そうに見ているけど、これは姉貴の考え込んでいる姿だから、別に心配する必要は無いぞ。
俺は、扉を開けて外のテーブルに行くと銀のケースからタバコを取出す。ジッポーで火を点けるとゆっくりと煙を吐き出した。
実は、もう何をするかを決めていたのだ。
俺は、紙の製作をするつもりだ。確か木の繊維質を細かく砕いて漉けばいいはずだ。
どの木を使うかは試行錯誤、漉きのやり方も試行錯誤…だけど、古くから紙は作られていたんだからそれ程難しいとは、この時はまだ思わなかった。
ベッドに入っても紙を作る行程を考える。結構な手間が必要になるけど、一度作ることが出来れば量産はできるはずだ。
次の日は、朝からディーと一緒に近くの森に出かけて、木の枝を切り皮の繊維を確かめる。繊維ができるだけ細く、そして木の皮を剥くのが容易な木を探すのだ。
ディーが一緒だと、獣等の見張りを任せられるので安心して調査できる。
そして、その夜。誰が何を始めるかについての話合いを始めた。
「まず。我等からじゃ。我等はこの森の木を使って深皿とカップを作るぞ。じゃが、木を削る道具が欲しいのじゃ。このカップをどのような道具でどのように作ったかが分かれば良いのじゃが…。」
「アルトさん達は木工製品ね。その疑問は王宮の工房に訪ねたほうがいいんじゃないかしら。どうしても分らない時はアキトに相談すれば何とかして貰えると思うよ。でも、それは最後の手段にして頂戴。」
姉貴の言葉に渋々アルトさんが頷いた。
「俺は、製材だ。板と柱を作ることにする。家造りで散々板を挽いたからな。それなりに量産が出来ると思う。」
「セリウスさんは製材と…。頑張ってくださいね。」
「俺は、紙を漉く。森で見つけた潅木で物になりそうなものを見つけたんだ。」
「アキトは紙漉きね。ものになれば、御用商人がやって来そうね。」
「それでは、私の番です。…私は、時計を作ります!」
「時計って、どうやって作るの?それに、ここには標準時も無いんだよ。」
俺は思わず叫んでしまった。
「アキトが考えるような物じゃないわ。私が作ろうとしているのは鳩時計。家にあった鳩時計を覚えてるでしょ。あれは殆どが木工製品よ。少し金属部分はあるけどね。」
その発想は何処から来るんだ。と思いたくなるような衝撃だ。
でも、冷静に考えると、鳩時計に高級な仕掛けは無かったような気がする。確か振り子と連動した歯車機構で出来るはずだ。動力は重りだったし…。
「それで、アキトにお願いなんだけど、しばらくディーを私のアシスタントにしていいかしら。」
「そうだね。機械部品の設計にはディーが必要だと思うよ。ディー、しばらく姉さんを手伝ってくれ。」
「了解しました。後ほど基本仕様を教えてください。」
そんな訳で、俺達の試行錯誤が始まった。もっともセリウスさんはひたすらノコギリを挽く毎日だったけどね。