#124 大森林で役立つものは
あれから2日後、俺達は荒地にある最後の集落を後にして南の森に入ろうとしている。
集落は荒地の小高い丘にあって、結構見晴らしが良かった。
遥か南に2つの山が森の緑の中に浮かんでいた。そして南に広がる森はずっと地平線の彼方にまで続いていた。
大森林地帯の大きさが1つの国程に広いと言う事が実感できる。
それでもクローネさんは、あの森の中には少ないながらも荒地があると言っていた。
俺達は、その荒地伝いに野宿をしながら彼方に見える山を目指す事になる。
荒地の外れで俺達は歩みを止めた。小休止と思っていたが、クローネさんが辺りをキョロキョロと見渡している。
「…あったにゃ。」
高さ1m位の石柱を見つけて、クローネさんが駆け寄っていく。そして俺達を手招きしている。
急いで石柱まで行くと、クローネさんが説明してくれる。
「道標にゃ。ここから09の方向に30Mにゃ。」
確かに石柱には09-30と記載されているけど…。
「どういう意味ですか?」
姉貴が地図に道標の位置を書き込みながら質問する。
「ここから、こっちの方角に30M歩くと荒地があるにゃ。そこで野宿ができるにゃ。」
クローネさんがそう言って指差した方向は、南南西だ。それを09と言う事は、16方位を使用している事になる。
後は、見晴らしの利かない森に入って方向を見失う事がないようにすればいいだけだ。姉貴がミリタリーコンパスを持っているし、俺だって2cm程の小さなコンパスは持っている。バッグの中のポーチを漁って小さなコンパスを取り出して胸のポケットに入れておく。
クローネさんも何やら腰のバッグから取り出した。
「これからは、これが頼りにゃ。」
俺達に見せてくれたものは、紐の付いた10cm程の棒状のものである。
「こうして、使うにゃ。」
紐の上部を摘んで棒を吊り下げると、棒はクルクルと廻っていたが、やがてピタリと静止する。
「私が動いても、この棒の向きは変わらないにゃ。」
要するに、原始的な磁石と言うわけだ。これで定期的に歩く方角を見ながら進めば、大森林の中で迷わずに済むだろう。
「なるほどのう…。これは、そうやって使うものじゃったか。」
アルトさん達3人がバッグから同じような紐付き磁石を取出した。
いったい何時の間に購入したんだか。いや、それよりも何に使うのか分らないものを購入するのも問題があると思うぞ。
「村の雑貨屋で、大森林にはこれが必要だと言われて1個づつ購入したのだが、武器ではなかったのじゃな。」
どうやら、紐を持ってクルクル廻して相手を叩く武器だと思っていたらしい。でも、そんな使い方をしたら直ぐに紐が切れるとは思わなかったようだ。
そんな事があった後で、クローネさんを先頭に森の中に踏み込んでいく。
先頭は投槍を持ったクローネさんとミーアちゃん。その次にアルトさんとサーシャちゃんが続き、サーシャちゃんは棒の先に括りつけた例の磁石を持っている。なんか提灯を持っているような感じに見えるのが微笑ましいが、一番重要な仕事でもある。立木を避けている内に方向を見失ってしまうからだ。方向がおかしくなった時は直ぐに前を歩いているクローネさんに連絡している。
そんな、2人の後ろに姉貴が歩数を数えながら歩いている。たまにコンパスを取出して、ミーアちゃんのフォローをしているようだ。
そして、最後は俺が後方を確認しながら歩いている。とは言え、森の中の見通しは悪い。精々100m程度でしかないから、後方の確認頻度を上げながら皆の後を付いて行く。
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一方、その頃…。(ダリオンさん視点)
「ようやく森に入ったようじゃの。」
「それにしても、アルトさんは磁石を知らなかったのですか?」
「申し訳ありません。王国では使用する場所等ありませんでしたし…。」
「まぁ、これで1つ知恵がついたというものじゃ。気にせずとも良い。」
御后様達は相変わらずだ。
あれから、森を踏破して森の中をうねって流れるこの川原で今夜は野宿となる。
森の道中は確かに危険だが、御后様達の敵になるような生物はいない。
先頭をアン姫とイゾルデ様が歩き、その後を俺とユリシーが続く。ジュリーが俺達の後ろで最後が御后様という編成で森を歩いてきた。
方向はユリシーの持つ磁石とやらで常に確認されているから迷う事はない。
不意に獣が飛び出してきても、イゾルデ様の槍で一突きだし、前方の怪しい繁みには躊躇せずにアン姫が矢を放つ。周囲の怪しい繁みにはジュリーが【メル】を放って確認し、飛び出してきた奴を御后様が長剣で切り捨てている。
俺は近衛兵の隊長だが、ここでは警護する対象から警護を受けている。俺達の王国に近衛兵は必要なのだろうか…。
「ほれ、焼けたぞ!」
ユリシーが、焚火で炙っていた魚の串を焚火の傍から引き抜いて渡してくれた。
「あぁ…。美味いな!」
「そうだろうとも。リリックには負けるが、この川の魚も捨てたもんじゃない。」
そう言ってユリシーも串焼きの魚を齧りだした。
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南南西に30D、即ち4.5Kmとなるのだが、森の中は予想以上に歩き辛い。
少し進むと直ぐに太い立木があるし、その立木だって動かない事を確認してからでないとやっかいだ。
一々ミーアちゃんが片手剣で根っこを叩いている。歩く立木は傷を負った反対方向に逃げ出すから危険は無いんだけど、これまでに10本以上は俺達の進路から逃げ出している。
その上、ヤマヒルが俺達に結構近づいてくる。身近な繁みがガサガサ動くと投槍で突くのだが、たいていはヤマヒルが姿を現す。
そして、それ以上に厄介なのは、ヤドリギとアミゴケだ。ヤドリギは、高い枝から蔓を伸ばして蔓に触れるものを絡め取ろうとする。
磁石を何時も眺めているサーシャちゃんが、何度か蔦に絡まれそうになってたけど、その都度アルトさんや姉貴に切り払われていた。
アミゴケは、沢山のコケが集合してクモの網のように姿を変えて、立木の間に網を張り巡らしており、触れると粘着性のコケが体を包もうとする。
どちらも蔦や糸の表面に小さな針を持っており、その針で獲物の体液を吸い取るみたいだ。
そんな、吸血植物を避けたり、切り払ったりしながら進むので、俺達の進行速度は普段の三分の一程度に落ちている。
クローネさんが30M先で野宿すると言う意味がようやく分ってきた。この森を1日かけて進める距離は10kmに満たないようだ。
「見えてきたにゃ。今日はあそこで野宿にゃ。」
クローネさんは俺達に振り返えると、左前方を指差した。
その方向は…。森が開けて荒地になっている。
どうやら、少し西にそれて歩いていたみたいだけど、ちゃんと目的地が見つかるのだから大したものだ。
足元に注意しながら俺達は荒地へと進んでいった。
荒地は周囲50m程度の広場だ。早速、皆で藪を投槍で突付きながら安全を確認する。
そんな中、姉貴が石柱を見つけた。
石柱の頭部には、8-40と彫られている。
と言う事は、真南に6kmで次の何かがある訳だ。
荒地の藪から薪を集めると、姉貴が【カチート】の魔法で、俺達の周りに障壁を展開した。これで、一安心できる。
早速、荷物を下ろして、鍋とポットを火にかける。
姉貴とクローネさんが、乾燥野菜と干し肉を使ってスープを作っているとミーアちゃんが皆の食器を用意した。
スープが出来上がると早速食事だ。皆は、硬く焼きしめてある黒パンを齧りながらスープを頂いているけど、俺は、スープに浸して柔らかくしてから頂く。
食事が終ると、お茶を飲む。
この世界のお茶は緑茶ではなく、麦茶のような味だ。色んな葉や豆等が入っていて、健康にいいと皆が言ってる。
そんなお茶をカップに入れてもらうと、早速タバコを取出す。やはり食後にはこれが一番だ。
皆の顰蹙をかわないように、風下に移動してタバコに火を点けた。
まだ、夕暮れ時だが、今日はこれでお終いになる。火の番がいらないというのもありがたい。
嬢ちゃんずは、魔法の袋から粗い布を取出して地面に敷くと、毛布を半分に折って中に潜り込んだ。
まだ寝るには早いんだけど、疲れたんだと思う。体力だけじゃなくて気疲れもあるからね。
俺達も、焚火に薪を継ぎ足すと寝る準備を始める。
起きていても、森から虫達が集まってくるのを見るだけだし…。
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一方、その頃…。(ダリオンさん視点)
ジュリーが作ってくれた野菜スープとアン姫が弓で仕留めた川魚が今日の晩飯だ。
魚を弓で仕留めるのは初めてみるが、鏃は通常の奴ではなくフォークのような形状をして先端が1本1本鋭く尖っていた。そして、20D位の糸が付いている。
川原から水中の魚を狙って矢を射り、当たるとその糸を引いて取り込むのだ。
「このぐらい簡単ですわ。」なんてアン姫は言うが、中々出来るものではないだろう。
ユリシーと酒を飲みながらパイプを楽しむ。
俺達はあまり疲れていないが、御后様達は大丈夫なのだろうか。見敵必殺の行動で一直線に進んできたから、一体どれ位の生き物が犠牲になったのか見当もつかない。最後の方では、動く木どもが先を争いながら逃げていたような気がする。
「ヤドリギとは気が付かなんだ。おのれヤドリギめ、我が可愛い孫を…。」
「明日はヤドリギを重点的に倒します。娘に手を出すとどうなるか…。」
ふと、御后様達を見ると、そんな会話が聞えてきた。
御后様とイゾルデ様は完全に頭に来ているな。しかし、明日俺達の前に現れるヤドリギはサーシャ様に絡みついた奴とは違うと思うんだが、それでいいのか?
「まぁ、御后様達には、御后様の考えがあるのじゃろう。それに、先にヤドリギを片付けておけば、後から来る方は絡まれずに済むしのう。」
俺の顔色を心配したのか、ユリシーが酒を飲み干しながら言った。
「確かにな。どうも俺は心配性でいかん。」
「だが、明日は残念だがヤドリギはおらん。この川原を下っていくのだからな。」
「森を行くのではないのか?」
「川原だ。この川を渡れる浅瀬がずっと下流にある。そこを渡った対岸が明日の野宿場所だ。」
御后様達はそれを知っているのだろうか…。
まぁ、それも明日には判る事だ。そう考えると、俺は毛布を被って焚火の傍に横になった。
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ふと、寒さで目が覚める。
傍らの焚火はすっかり火が落ちている。急いで薪を重ねて火を点けた。
パチパチと薪がはぜて、森の闇を焚火の明かりが照らし出す。
【カチート】の障壁の周りには相変わらずウネウネといろんな虫達が集まって、障壁を破ろうと頑張っているみたいだ。
そして、そんな虫を狙って別な虫や植物も来ている。
ある意味、ここだけで一つの食物連鎖のピラミッドが出来ているようだ。その頂点にいるのは、遠くから虫を触手で掠め取っていく食虫植物の大きくなった奴だろう。
焚火が消えていたので障壁に近づきすぎたのか、今夜はよくその姿が判る。
大きさは、太さ1m高さ3m位で根が変化したと思われる触手をいくつもウネウネと動かしている。そして、幹の頂上が口のようだ。花びらを思わせるようなヒラヒラした赤い葉の中心に口があるみたいだ。歯があるかどうかはここからでは見ることが出来ないが、グシャ!っという咀嚼音が聞こえるところから、鋭い歯があるのだろう。
ポットを振ると、水音がする。火の傍において、お湯を沸かす事にした。
バッグからシェラカップを取出すと、木をくり抜いて作った水筒から、蜂蜜酒をカップに少し注ぐ。そしてお湯で割って飲む。
銀のケースからタバコを取出して、火を点ける。
モゾモゾと毛布が動くと、姉貴がガバって毛布を跳ね除けて体を起こした。
「はっ!…。??」
キョロキョロと辺りを見てるところを見ると、夢でも見たのだろうか?
俺の方をジッっとみていたが、毛布から起きだすと、焚火にあたっていた俺の隣に座る。
そんな姉気に、蜂蜜酒の入ったシェラカップを渡す。
「変な夢でも見たの?」
「夢なのかな…。誰かに呼ばれたような気がしたんだけど…アキト、呼んでないよね?」
たぶん夢なんだろうけど、ちょっと気になる。
「呼んでないよ。さっき寒くて起きたんだ。それで焚火をしたんだけど…。」
「そうなんだ。でも、確かに呼ばれたのよ。こんな森の中で、誰が私を呼ぶんだろ。」
「俺は、夢だと思うよ。それを飲んでもう一度眠れば、たぶん忘れてしまうよ。」
姉貴は、俺の言葉通りカップの蜂蜜酒を一気に飲み干して、自分の毛布に包まった。しばらくすると、姉貴の寝息が聞えてきた。疲れてるのかな。結構、神経使ってるみたいだし…。
上を向くと、ポッカリと開いた空に無数の星が見えた。
そういえば、暦はどうやって作るんだろう。確か、昔は星を観測して作っていたような気がする。暦は農作業をする上で欠かすことができないはず…。
クオークさんもそんな話はしていなかった。
明日にでも、アルトさんに聞いてみるか?
朝にはだいぶ間がある。焚火に薪を放りこんで、俺も自分の毛布に包まった。