夏のタイムマシン
『夏のタイムマシン』
それはアメリカという海の向こうの超大国が、その超科学で空に浮かんだウサギの宮殿に遊びに行こうとしていた、普通の蒸し暑い夏の夜だった。
ここは明治のとある元勲が作ったとっても由緒正しい大学。しかし、その構内をこの時間にうろうろしている学生諸氏達は、数年前に誓った青雲の志もいまや昔、夜のとばりが降りるまで、サークル棟で喧々諤々のサークル内人間関係論を戦わせて、青春の貴重な一ページを破っては捨て、破っては捨てしているのだった。
その不夜城とも言うべきサークル棟のある一室。そこでは夜を徹して百物語のキモ試しをしていた。時刻は午前2時ちょっと前、とうとう99話目の怖い話が終わったようであった。
「さあついにラスイチだぞ」薬師丸という小太りの上級生が眠そうな目をした下級生たちを見渡して、言った。
「途中で超疲れて帰ろうかと思ったけど、もうココまできたら100話目も聞くしかないね」と、目の下に少し隈が浮かんできた、このサークルで紅一点の上級生、小林。
「じゃあ、100話目、行ってみよう」と独り異常に元気な薬師丸。
しかし、みな互いの顔を見渡すばかりである。
「おい、当てるぞ」薬師丸がいつもの強権を発動しようとしたとき、小林がひざを叩いて、部室の片隅を指した。
「あ、上田くん、まだ何も話してないよね、上田くんトリね、けってー」
一同拍手で迎える。
「まさか、ねーってことはねーよな」
上田は紙コップに注がれたコーラの上に伏し目がちにしていた目を、上げて言った。
「・・・あるよ、とっときのが」
上田のいつもと違う声色にみなにわかに気色ばむ。
「実はお前ら、一回オレに殺されてるんだ」
「はいつまんなーい」と小林が言い終わる前に
「まあ続けろよ。はい、からの?」と薬師丸
「お前ら、時間って過去から未来に向かって一方通行に流れるものだと思ってるだろ」
「そりゃそうだ」
上田の諭すような語り口に、いつのまにか室内の下級生たちは膝をぐっと抱え耳を傾けていた。
「ところがその流れってのは必ずしも一定じゃないとしたらどうする。『第一鉄鋼』ってあるだろ、最近急成長した、あそこの役員はその流れを変えることが出来る。さらにこの間、世界長者番付で一位になった投資家にとっても時間の流れは一定じゃないんだ」
「どういうことだよ」
「あるところに金を払うと時間が巻き戻るんだ、カセットテープみたいにね」
「いくらくらいかかるんですか」下級生の一人が口を開いた。
「アフリカの小国が丸々植民地に出来るくらいの金だ」
みな緊張の糸がプツンという音を立てて切れるのを聴いた気がした。
「そんなお金学生に払えるわけないじゃないですか」また別の部員がつっこむ。
「考えてもみろよ。オレがどんだけ時間を巻き戻したか話さないうちに、早合点しないでほしい。この大学は日本でも有数の名門、そこから社会の中枢に潜り込んで、ゆくゆくはそれくらいの金の帳簿をごまかすくらいできるかもしれないぜ」
「はぁ、まぁ」なにか保険の営業トークに乗せられているような、腑に落ちなさを一同感じていた。
「このまま行くとお前らはオレと一緒に会社を立ち上げる。最初のうちは楽しかった。まさにサークル感覚で仕事ができ、しかも業績は右肩上がり、すべて夢のようだった。しかし、あるとき利益の配分を巡って険悪なことになった。俺はカッとなってお前らを銃で撃ち殺した。やらなければやられていたかもしれない。そのあとすぐに俺は後悔した。そこではたと気がついた。今のオレには金だけはある。この金を使ってなんとかして大学のときのような毎日を取り戻したい」
「それでタイムマシンに出会ったと」
「ああ、今思えばあのとき俺は冷静さを失っていたのかもしれない。あやしげな広告にあった『タイムマシン売ります』の文字に引き付けられた。その価格は馬鹿げていたが、もしガラクタなら訴訟を起こせば取り返せそうな気がした。俺は会社の資産をそのタイムマシンにつぎ込んだ。」
「・・・」
「次の日、小さな箱と説明書、カプセルが届いた。小さな箱には『戻りたい日』とスイッチだけが付いていた。カプセルの方は飲めば時間の逆行から記憶を守ってくれるという。俺はカプセルを飲み『戻りたい日』を決め、スイッチを押した。まさか本当に時間が巻き戻るとは思わなかった。気が付くと大学の入学式の日だった。それからオレはキャンパスでお前らと再び知り合いになった、このサークルに来てな」
「そういえば最初から妙に馴れ馴れしかったよね」小林が茶々を入れる。
「タイムマシンで戻ってきたことは正解だった。しかし、カプセルを飲んだのは間違いだった。あの小さな箱が今日も世界のいたるところで押されてると思うと、ほんとうのことなんて何もなんじゃないかと思う。歴史上の成功者、偉人、みんなスイッチを押してたんじゃないかと思うと、何も信じられない。ところで、今日はアポロが月面着陸に失敗する日だったな、ちょっとテレビをつけてくれ」
薬師丸がリモコンに手を伸ばし、電源をつける。
テレビではリポーターがアポロの月面着陸見送りを伝えていた。
「おまえ、なんで知ってるんだ!」と薬師丸
「本当だったのよ!今までの話全部!」と小林
一同がいっせいに神か悪魔が目の前にいるような目で上田を見る。
「アメリカ政府はきっとこの事実を歴史から消すだろう、あたかもデモテープを巻き戻して録音しなおすようにね」
その言葉の末尾がカセットテープの停止ボタンを押したときのように低くなったかと思うと、一瞬すべてが止まった。次の瞬間、上田の台詞が逆再生され始めた。一同の上田を見る目が嘲笑的な目に戻っていく。タイムマシンの存在に対する衝撃が知識が、紙に字を書いてる映像を巻き戻すように、時系列にそって消えていく・・・。
「さあついにラスイチだぞ」薬師丸という小太りの上級生が眠そうな目をした下級生たちを見渡して、言った。
「途中で超疲れて帰ろうかと思ったけど、もうココまできたら100話目も聞くしかないね」と、目の下に少し隈が浮かんできた、このサークルで紅一点の上級生、小林。
「じゃあ、100話目、行ってみよう」と独り異常に元気な薬師丸。
しかし、みな互いの顔を見渡すばかりである。
「おい、当てるぞ」薬師丸がいつもの強権を発動しようとしたとき、小林がひざを叩いて、部室の片隅を指した。
「あ、上田くん、まだ何も話してないよね、上田くんトリね、けってー」
一同拍手で迎える。
「まさか、ねーってことはねーよな」
上田は紙コップに注がれたコーラの上に伏し目がちにしていた目を上げずに言った。
「ご、ごめんないん・・・」と上田が言うか言わないかの内に薬師丸の鉄拳が飛んだ。(終)