悲しきコーヒー豆
「ここが、この学園の玄関口よ」
私の隣で、エリーシャは狭い世界から解き放たれた子犬のように、目を輝かせながらを学園の顔を眺めている。
アドレイド? 校舎に!? えっと……その……。
喉乾いてるの?
い、いえ! その……。
分かってる。私の名を呼びにくいんでしょ?
は、はい……。
怯え、遠慮、そして隔絶。そんな退屈な視線なら、私は前世から今世に至るまで、飽食するほど味わってきた。けれど、目の前の彼女の戸惑いだけは、私の荒みきった心にチクリと、鋭利な棘のように、凝りもなく刺さる。向こうでも、ここでも。私も最初はエリーシャみたいに純粋になりたかった……。
ねえ、エリーシャ? あなたがここで遠慮したら、私の好意が無視されたみたいで寂しいの。私もしたくてしてるから、その気持ちを受け取ってくれるのが一番嬉しいのよ。だからお願い。ね?
マ、マナ。
そうよ♪ ンフフ♪
ンフフ♪ 緊張の糸が解かれたように、エリーシャの笑顔が溢れ、私の心も解ける。ま、また胸がシキシキする……。
この校舎は私のお祖父様が資金を出したから、名が刻まれているのよ。
す、凄いですね。
でもトロフィーのように飾られてるに過ぎないわ。手掛けたのは腕の立つ職人達よ。彼らは人知れず、この芸術を建てた。刻まれるべきは彼等の名なのに。
そう言われると、少し物悲しい気持ちになりますね。
エリーシャ、あなたって本当に……素晴らしい子ね。
マナ。
エリーシャと見つめ合う。
むかし憧れていた自分が目の前にいる。鏡でも幻でもない。そこに実在するエリーシャには、絶対に私のような人生は味わわせない。そう感じさせてくれる。
じゃあエリーシャ、案内の続きよ。
はい♪
校舎に入ろうとした時、なぜかタイミングよく物陰から金髪キャラが姿を現した。
この人、久し振りに見たわ。
マナ、久し振りだな。
馬鹿作家丸出しみたいなオウムになったじゃない。
ごめんなさい。どちらのモブキャラ……失礼、どちら様だったかしら?
私の毒舌は、もはや呼吸と同じ。
「相変わらずだな。幼馴染の俺でなければ、意味不明な呪文と恐怖で石化しているぞ」
思い出した。確か……トリスタンね。私、アーサー王よりロビンフッドの方が好きだったのよね。それでルートによっては、エリーシャを庇って本当に石化される人。でも好感度が一定値を上回っていると、エリーシャの温かい涙的な物で石化が解けると。私も溶けかけているけど。
それでトリスタン。私に何か用?
ああ、君が親切に人助けとは。一体何を企んでいるんだ?
別に、なにも。
嘘をつけ! おっと、君は嘘しかつかなかったな〜。いいか、その子は俺が案内しよう。
「企む? この子に惚れかけているあなたの短絡的な正義感は理解するけれど、すべてはあなたの盛大な勘違いよ」
「なっ!? 惚れているだと!? 俺は昔から、お……」
言いかけた言葉をグッと飲み込むトリスタン。ゴホンッ! 君はエリーシャだろ?
は、はい……。でもどうして私の名を?
この学園に通う者なら、誰でも知っているさ。ここは貴族以外は入学できない学園だからな。君は知らずの内に、既に人気者なのさ。
悪意に満ち、壮絶な虐めを行おうとする幼馴染の私を、遠くから悲しく見つめながらエリーシャを救う為に行動するトリスタン。極悪非道な悪役令嬢の私が放つ、使い古された『威圧』という名の香水のせいで、勇気なく誰もやらない『逆らい』を、冒頭で迷いなく披露し、ヒロインの手を引き、華麗に救出していくトリスタン。
ああ、でもかわいそうなトリスタン。彼の心は、最初から最後まで、私という「幼馴染の悪女」と、エリーシャという「可憐な光」の狭間で、コーヒー豆のように細かくすり潰される運命。それが本来のシナリオ。のはず。




