婚約破棄されましたが、浮気相手に殴られた際に前世のボクシングの技術を思い出しました。なので正々堂々と拳で反撃しますね
「男爵令嬢エミリア・ノックアウト! ただいまをもってこの僕――シルフィード王国公爵家が嫡男ラルフ・ボンボルドの名において、貴様との婚約を破棄する! 異論は認めない……くくく、ざまぁ」
…………は?
私は目が点になった。
婚約破棄?
貴族同士が誓った婚約を?
こんな突然で一方的に?
あと〝ざまぁ〟って何ですか?
ざまぁみろの略称?
「ラルフ様……おっしゃられた意味がわかりません」
エミリア・ノックアウトこと私は、震える声でたずねる。
ラルフ様は綺麗に切り揃えた茶髪の前髪をファサッとかきあげる。
「はっ、これだから最下級貴族は困る。今どきは平民でも識字率が上がって大抵の言葉の意味が理解できるというのに、仮にも貴族令嬢が人間の言葉もわからんとはな。しょせんは男爵家の娘というわけか……くくくく、ざまぁ」
いやいやいやいやいや。
言葉はばっちり理解できますよ。
ただ、あなたがどうして今になって婚約破棄なんてしてきたのか理由が知りたいだけです。
だって今は私と貴方の婚約披露パーティーの最中なのですよ?
しかも始まって五分も経っていないんですよ?
ここはあなたの実家であるボンボルド家の大広間なんですよ?
貴族たちが色々な場所から今日のために集まってくれたんですよ?
馬車で何日もかかる遠い場所から来てくれた貴族もいるのですよ?
冗談でした、では済まされませんよ?
そしてほら、あそこには私の両親もいますし、貴方のご両親もおられますよ?
ちゃんと話は通してあるんですよね?
あと〝ざまぁ〟の使い方は絶対に間違っていると思いますよ?
私はラルフ様のご両親を食い入るように見つめる。
はい、ダメエエエエエエエエエエエエエエッ!
あなたのご両親はどちらとも顔が真っ青ですよ!
血の気が引きまくって唖然としてますよ!
ということは、あなたが口にした婚約破棄は一方的にあなたが独断で決めたことと決定しましたよ!
などと思っていると、ラルフ様は「そんなことはさておき」と胸を張る。
「もちろん、貴様と婚約破棄する理由は他にもある。さあ、ここへ!」
ラルフ様は貴族の子息や令嬢たちが集まっている場所に顔を向ける。
(――まさか!)
私は婚約破棄の理由を一瞬で看破した。
女だ!
きっとラルフ様は私以外の貴族令嬢と恋に落ち、その貴族令嬢と結婚するために私と婚約破棄をすると言い出したに違いない!
私は貴族令嬢たちを必死に見渡す。
(一体、誰なの! 横から獲物をかすめ取るような真似をした泥棒令嬢は!)
私の視界には泥棒令嬢と思しき二人の貴族令嬢を視界に捉えた。
一人は子爵令嬢のルルアン・カトレーゼ。
黒髪黒目のショートヘア。
確か年齢は17歳くらいだろうが、見た目には十代前半の少女にしか見えない。
でも、ラルフ様はロリコン趣味ではなかったはず……。
続いて私は二人目の貴族令嬢を見やる。
紫色の縦ロール。
年齢は16歳だったはず。
そして身長が私より10センチは高い170センチもある。
侯爵令嬢のマルチル・シュトレーゼさん。
年齢以上に大人びた体格と顔つきをしている貴族令嬢。
(……いや、彼女も違う)
マルチルさんも現状にひどく驚いていて、どう見ても演技には見えない。
(誰? 一体だれが泥棒令嬢なの?)
私が貴族令嬢たちを見回していると、とある一人の人間が私とラルフ様の元へ歩み寄ってきた。
……………………え?
私の思考は一瞬で停止した。
こちらに歩み寄ってきたのは貴族令嬢ではない。
貴族令息たちの集団から出てきた男性である。
年齢は20歳ぐらいだろうか。
流麗な黒髪を背中まで伸ばし、顔立ちも女性に近い中性的な顔立ちだった。
だが、男だ!!!!!
なぜなら、彼の着ている服はスーツだからである。
でも、待って。
もしかしたら男装が趣味な貴族令嬢ということもあり得る。
なので私は彼の喉元を注視した。
「――――ッ!」
喉ぼとけがある。
それによく見ると胸がペッタンコで、股間が微妙に膨らんでいる。
やはり男だ!!!!!!!
「皆の者、紹介しよう! 彼こそ俺の新しい婚約者である、同じ公爵家のエドワード・シュナイザーだ!」
えええええええええええええええええええええッ!
と大広間に驚愕の叫び声が響き渡る。
あ、これは私の声じゃないわよ。
この場に集まっていた貴族諸侯たちの魂の叫びね。
「ら、ラルフッ! き、貴様は気でも狂ったのか!」
ラルフ様のご両親が全身を震わせながら声を上げる。
「俺は正気ですよ。というか、そもそも俺は最初から女になんて興味はなかったんだ。なので俺はエミリアと婚約破棄してエドと添い遂げます」
衝撃のカミングアウトだった。
どうやらラルフ様は生粋の男色家だったらしい。
まあ、でもラルフ様のご両親にしてみたら予想外の展開だったみたい。
「そ、そんな馬鹿なことが押し通ると思っているのか! どこの世界に男同士で結婚する貴族がいる! 男同士では世継ぎが産めないではないか!」
ごもっとも。
貴族という集団は既得権益以上に世継ぎを求めるものだ。
そして男同士ではどんなに互いを愛していようと子供は産めない。
これは神様が人間に与えた理であり業というものだ。
しかし、ラルフ様はどこ吹く風だった。
「くくく、その点はご安心を父上。私の新たな婚約者であるエドは魔術省の若手の中でもエリートであり、錬金術師の家系。そのエドは何と長年の研究で男同士でも子供を産める秘術を編み出したのです」
えええええええええええええええええええええええッ!
これは今度こそ私の心の叫びだった。
愛の力はときとして人知を超えると流行の恋愛小説に書いてあったが、実際の世界で男同士が子供を産むなど神の禁忌に触れる行為だ。
そんなことは本当だったとしても認められない。
「……本当に男同士でも世継ぎが産めるのか?」
…………おや?
ラルフ様のお父上様、なぜ急に勢いがなくなってしまったのですか?
一方、ラルフ様は得意げな顔で「もちろんです!」と答える。
「数か月後には俺たちの間に子供ができたという証拠をお見せできると思います」
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやッ!
どうやってそんな証拠を見せられるのよ!
ラルフ様、いくら何でもそんな言葉を信じる人間なんて――。
「わかった。その言葉を信じよう」
「え!」
私は思わず声を上げた。
「世継ぎが誕生するのならワシたちはもう何も言わん。そして子供ができた暁には、お前に正式に家督を譲ろう」
「父上、納得していただき感謝の極み」とラルフ様。
「ボンボルド卿、私はラルフ様を生涯愛すると誓います」とエドワードさん。
直後、ラルフ様は私に顔を向けてニヤリと笑った。
そして――。
「ざまぁ」とつぶやく。
だから何が〝ざまぁ〟なのよ!
などと私がキッとラルフ様を睨んだときだった。
「貴様、何だその顔は!」
ドンッ、と私のお腹に重い衝撃が走った。
「がはッ!」
私は口から大量の唾を吐き出し、身体が「く」の形に折れ曲がって吹き飛ぶ。
何とエドワードさんは女の腹にボディブローをかましてきたのだ。
きゃあああああああああ!
周囲からけたたましい悲鳴が沸き起こる。
一方の私はお腹から全身に広がった痛みと衝撃で床に倒れた。
そのときだった。
私の脳裏に突如として前世の記憶がよみがえった。
といっても前世では女性だったということと、私たちがいる世界とは異なる世界に存在する格闘技――ボクシングを会得していたということだけわかった。
ボクシング。
蹴りや投げ技、関節技などはない。
純粋に両手の拳だけで一対一で闘う格闘技である。
私はそんな前世の格闘技を思い出した。
同時に不屈の闘志が炎のように湧いてくる。
私は片膝に手を添えて立ち上がった。
お腹に鈍痛があるが関係ない。
今の私はボクサー令嬢なのだから。
「へえ、俺の一撃を食らっても立ち上がるのか」
エドワードさん……いいえ、女の身体を殴る最低男なんてクソ野郎で十分。
そして、そんなクソ野郎に何としても一撃を返したい。
私はそう思いながらファイティングポーズを取ったときだ。
「その意気や良し!」
と大広間に甲高い声が響き渡った。
私を含めた全員が声の聞こえたほうに顔を向ける。
「る、ルーシェ王子!」
ウルフ様もといゴミ野郎が慌てふためく。
無理もない。
声を発した主は、この国の第一王位継承権を持っていたルーシェ・シルフィード様だ。
黒髪黒目のイケメン王子である。
「ど、どうしてルーシェ様がここに?」
ゴミ野郎が動揺した理由を私は察した。
ルーシェ様は今日の婚約披露パーティーに招待していなかったのだろう。
「ふん、この俺の情報網を甘く見るな。貴族たちの催しなどすべて把握している……まあ、それよりも随分と面白いことになっているようだな。一方的に婚約破棄をしたばかりか、まさか新たな婚約者が同性とは」
ルーシェ様は私に視線を移す。
「そなた、エミリアといったな。その構えから察するにこのまま尾を引くつもりはないということだな」
「はい、その通りです!」
私は毅然とした態度で答えた。
「私も貴族令嬢の端くれ。こんな不当で不条理な婚約破棄などされてはノックアウト家の恥です」
「ほう、では具体的にどうしたい?」
「試合を申し込みます!」
私が魂を込めながら叫んだ。
「クソ野……エドワードさんと私を素手のみの殴り合いで勝負させてください! それでエドワードさんが勝てば私は潔く身を引きます」
ふむ、とルーシェ王子はあごをさすった。
「すると、そなたが勝ったら婚約破棄を取りやめろとラルフに要求するつもりか?」
「いいえ、私が勝っても婚約は破棄させていただきます。ただし、思いっきりラルフ様の顔面を殴らせてください!」
ルーシェ王子は盛大に吹き出した。
「面白い女だ……よし、決めた。そなたが勝ったら俺の妻にしてやる」
この発言は凄まじいの一言だった。
私が勝ったらルーシェ王子と結婚することになるなんて。
私が唖然としていると、ルーシェ王子はゴミ野郎ことラルフとエドワードことクソ野郎を交互に見る。
「おい、お前たちもそれでよいな。言っておくが、婚約破棄はできても俺との約束は破棄できんぞ」
それは神の声に等しかった。
ルーシェ王子との約束を守らなければ、二人は即処刑されるだろう。
「ぼ、僕は構いません」とラルフことゴミ野郎。
「は、はい。俺も異存はありません」とエドワードことクソ野郎。
こうして私とエドワードのボクシング試合が行われることになった。
会場はこの大広間である。
「リングを作るまでしばし待て」
ルーシェ王子の行動は早かった。
専属の部下たちに特設リングを作るように命じる。
専属の部下たちは命令通りにリングを作った。
リングと言っても私とエドワードを囲むように専属の部下たちが一辺5,6メートル間隔に立ち、その部下たちが両手でロープを持って特設リングにするという原始的なものだった。
でも、これでいい!
このリングの中だけは聖も邪もなければ、女も男もない!
あるのは互いの拳で相手を殴って倒すことのみ!
「お前たち用意はいいな?」
審判はルーシェ王子が務めることになった。
私とエドワードはうなずき、リングの中央へと歩を進める。
「ふん、ラルフ様は俺のものだ。お前みたいな薄汚いブス令嬢は観衆の前でボコボコのギタギタにしてやる」
エドワードは上着を脱ぐと、私の隣の床に「ぺっ」と唾を吐く。
威嚇か脅しのつもりだろうが、ボクシングの技術を思い出した私は動じない。
なので私は堂々とエドワードに言い返した。
「それはこちらの台詞ですわ。床に唾を吐き捨てるような野蛮な貴族令息は、私の拳で完膚なきまでに叩き潰して差し上げましょう」
おおおおおおおおおおおおおおッ!
私の啖呵に貴族諸侯たちはドッと沸いた。
そしてなぜか私とエドワードのどちらが勝つかの賭けまで始まった。
「お前たち、互いを牽制するのはそこまでだ。あとは拳で語り合ってもらおう……だがその前に」
ルーシェ王子はエドワードに鋭く踏み込むと、全体重を乗せたボディブローを叩き込んだ。
ドズンッ!
凄まじい衝撃音が鳴り、エドワードは「ごはッ!」と身体を折り曲げて大量の吐瀉物を吐き出す。
「これで条件は五分だな」
どうやら私がお腹を殴られたことをチャラにしたと言いたかったらしい。
でも、幼少の頃から貴族令嬢の作法以外にも乗馬や剣術で身体を鍛えていた私にはわかる。
今の一撃はたとえるなら小型の破城槌の一撃に等しい。
その衝撃は筋肉を超えて内臓にまで衝撃が伝わったに違いない。
うん……何か吐き出した吐瀉物に血が混じってるし。
正直なところ、ダメージはエドワードのほうが上だ。
倒れなかったにせよ、両膝がガクガクと笑っているのがその証拠だった。
では、私は試合を中断しろと口にすべきか?
答えは否だ。
お腹を殴られたということに関しては互いの条件に一致している。
なのでエドワードを憐れむ必要など微塵も必要ない。
「では、これより試合を始める……レディ、ファイッ!」
ルーシェ王子は上から下にかけて大きく手刀を切る。
試合が開始されたのだ。
「ま、待て……俺のダメージが」
エドワードはファイティングポーズを取るどころか、お腹を押さえながら試合の中断を懇願しようとした。
無理いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!
私はヒールを脱ぎ捨てると、素足の状態で真っ直ぐ飛び込んでいく。
余計な駆け引きは使わない。
私の前世のボクサーとしてのスタイルは近接戦闘!
ならば正面から突っ込んで全身全霊で殴るのみ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
私は両手の拳をエドワードに叩き込む。
ドンドンドンドンドンドンドンドンッ!
まだまだ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ」
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ!
「ぎょぼえあろたッ!」
エドワードは意味のわからない言葉を上げながら吹っ飛んだ。
やがて何度も転がりながら仰向けになって止まる。
死んではいない。
エドワードの顔はぐちゃぐちゃになり、胸骨やあばら骨も何本も折れただろうが、それでも何とか生きている。
「勝者――エミリア・ノックアウト!」
ルーシェ王子の高らかな宣言とともに、ドドドッと歓声が沸いた。
でも、終わったのはエドワードの殴り合いだけ。
まだ本命が残っている。
私は何度か深呼吸をして息を整えると、キッとラルフを睨みつけた。
「ひっ!」
ラルフはご主人に躾けられる前の子犬のようにビクついた。
まさか、この期に及んで婚約破棄を解消するなんて言わないでしょうね?
などと思っていると、ラルフは激しく動揺しながら「じ、実に見事だった。その見事さに免じて婚約破棄を破棄しても構わんぞ」とふざけたことを抜かした。
なので私はニコリと微笑むと、疾風のような速度で間合いを詰め、ラルフの顔面に渾身の右ストレートを叩き込んだ。
ゴシャッ、というトマトが潰れた音が耳朶を打つ。
顔面を潰されたラルフは、大量の鼻血を噴出させながら仰向けに倒れた。
そして身体を「大」の形にさせてピクピクと痙攣している。
その姿はひっくり返ったカエルのように滑稽な姿だった。
「いや~、実にスカッとしたぞ」
そう言ったのはルーシェ王子だ。
「エミリア・ノックアウト。そなたのような女性はこの国に二人といない貴族令嬢だろう。いや~、大いに気に入った。約束通り、俺の妻になってくれ」
「ほ、本当にございますか?」
「第一王子に二言はない」
ルーシェ王子は私の手を取ると、グイッと強く引いて抱きしめてきた。
「俺がお前を死ぬまで幸せにしてやる」
その言葉はすべてを失いかけた私には天の声に聞こえた。
ならば、私のすることは一つ。
私は軽く抱きしめ返し、「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と口にする。
その後、私は本当にルーシェ王子と結婚して王妃になった。
多くの子宝にも恵まれ、私は何の不自由もなく一生を幸せに過ごした。
一方、ラルフとエドワードはこの一連の騒動で爵位を剥奪され、実家からも勘当されて貧民となり、やがて路傍で朽ち果てたのは言うまでもない。
〈Fin〉
読んでいただき本当にありがとうざいました。
そして現在、異世界恋愛作品の新作を投稿しております。
【完結】悪役毒妃の後宮心理術
ぜひとも一読していただけると幸いです。
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