第四話 依頼
昼下がり。リュネルとソランは、街を抜けて郊外へと向かっていた。
目的は、料理人から依頼のあった「珍しい香草」。
日光を浴びると甘い香りを放ち、夜には匂いが変わるという特性を持つ植物だ。昼の香りは健胃・食欲増進、夜の香りは鎮静が強い――料理の向き不向きが出る、気難しい香草でもある。
「なぁ先生、もしこれで鍋作ったら絶対うまいよな!」
道すがら、ソランはすでに食欲全開だ。
「……依頼主は料理人で、僕たちは食べる側じゃないんだよ」
「わかってるけど! 想像したらよだれ出るだろ! 昼の香りでさっぱり、夜の香りで〆のスープ……」
「夜の香りは眠くなるから、仕事中はやめておいたほうがいいかな」
「仕事中に食う前提はやめろってば」
街道脇には春の名残りが揺れ、風は新緑の匂いを運ぶ。
転移ポータルの青い石柱を通り過ぎ、丘陵地帯へ抜けると、空は一段広くなる。地平線の手前で、羊雲の群れがのんびりと溶けていった。
「この先の丘に自生してるはず。地図の印、覚えてる?」
「任せろ。二度通ったとこは忘れない」
ソランは胸を叩いた。彼の記憶力は時々、偏りがあるのが難点だが、地形や戦闘の間合いも驚くほどよく覚えている。
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香草が自生しているという丘は、風が通り抜ける広々とした草原だった。
一面に揺れる草の海の中、ところどころに小さな白い花をつけた草が混じっている。花弁は薄く、日の角度で半透明に変わる。葉の縁に微細な毛があり、触れると指先がほんの少しだけ温まるのが面白い植物だ。
「これだね。うん、良い香り。特徴どおりだ」
リュネルは身を屈め、丁寧に葉を一枚ちぎって香りを確かめる。
昼の今は爽やかな甘さ。後味に柑橘と青草の中間のような清涼感。夜になるとまた違う香りを放つという。
「ノクディア、か夜と昼って感じかな」
「この匂いが夜には変わるんだろ?面白いな」
ソランは指で葉の表面を軽く撫でる。
「よし、採るのは花の周りの若葉から。茎は傷つけないようにね。株を弱らせると次が育たない」
「オッケー。先生、束は二十だっけ?」
「念のため二十二。品質落ちたら嫌だから、余剰で帳尻を合わせる」
「よーし、俺も探す!」
ソランが勢いよく飛び出し、がさがさと草をかき分けた。
その瞬間――。
「うおっ!」
草むらから、丸っこい小動物が飛び出してきた。
ウサギに似ているが、牙が生え、背中の毛が逆立っている。耳の先端が草色に染まり、尾は草穂のようにふさふさしている。
「うおっ!?ウサギ!鍋にできる?」
「ソラン、待って!あれはガビットだよ、護草獣かな。畑や草原を守る魔獣だ」
「えぇー、でも美味そう……」
「護草獣を食べた話をここで広めたら、農家に出禁にされるよ」
ガビットはソランの声に反応したのか、勢いよく飛びかかり、彼の背中にしがみついた。
「うぉ!コイツっ、離れねぇ!」
「……だから言ったのに」
リュネルはため息をつきながらも、指先で魔法の印を描いた。
風が巻き起こり、護草獣をふわりと引きはがす。
「ほら。君は草を守るのが仕事だろう?ここで大人しくして」
風に運ばれた護草獣は、ふわりと草むらへ戻っていった。尾をぴんと立て、草の上を滑るように消えた。
しかし――その直後、ソランが草むらに手を突っ込んだ。
「お!また何か動いたぞ!」
「だから落ち着いてって……」
がさがさ、と音を立てて出てきたのは、ガビットの群れだった。十匹、いや十五。みんな小さいのにやけに勇ましい。
「マジか、こっち来た!?まさか包囲されてる?」
「ソランが騒ぐから刺激してるんだよ」
「だって! こう、もふっとしたのが――うわ、増えた!」
リュネルは呆れつつも両手を広げ、群れの前に立った。
「静かに……僕たちは敵じゃない」
掌の前で、音のない風の幕がふるふると揺れる。草の香りをやさしく循環させると、護草獣たちは鼻先をひくひくさせ、満足そうに群れへと戻っていった。
「ほら、君はね、ちょっと魔力が強すぎる。脅かすつもりがなくても、子どもたちはびっくりしちゃうんだ」
「オレ、そんなに強面か?」
「強面じゃなくて、・・・眩しすぎるの」
「それ、褒めてる?」
「ほめてるほめてる」
ソランは尻もちをつき、肩で息をしている。
「……俺、今日一日で寿命縮んだ気がする」
「大げさだなぁ。君が余計なことをしなければ、何も起きなかったよ」
「うぅ……でもガビット、美味そうだったな。……鍋」
「とりあえずそこから離れようか」
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リュネルは小刀の先に魔力を集める。青い魔力を帯びた刃先は滑るように葉を刈っていく。一枚一枚丁寧に葉を摘み、湿らせた保存紙に挟んでいく。
ガビットに(ソランが)翻弄されながらも、必要な分の香草は十分に採取できた。
「よし、今の状態なら香りは保てる。保存はあっちでなんとかするだろう」
「分かった」
ソランは保存紙を丁寧に容器に入れていく。その手はかすかに震えていた。
「それにしても、こんなところに生えてるなんて意外だったな」
リュネルは立ち上がり、腰をさすりながら草原を見回した。
「…薬草摘みなら、何度か、来てたけど、な」
最後の一枚をしまい容器の蓋を慎重に、ぴっちりとしめた。
「…あぁー、神経使ったぜ」
「……保存紙は品質維持だけじゃなくて、ある程度なら外的な刺激からも保護してくれるよ」
「……先生」
「ん?」
「それ先に行ってよぉーー」
ソランは涙目でリュネルを見上げて叫んだ。
丘の向こうで、午後の光がゆっくりと傾き始めていた。
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街の中央広場から一本外れた路地に、小さな料理店があった。
木製の看板はまだ新しく、香ばしい匂いが通りに漂っている。開店間もないのだろう。扉の蝶番はきちんと油が差され、表の黒板には“本日のおすすめ:白身魚と春菜の蒸し物”の文字。
香草の束を抱え、リュネルとソランは店の扉を開いた。
「失礼します。依頼の香草を持ってきました」
「おおっ! 待ってました!」
迎えに出たのは、若い料理人だった。
白いコック服に袖をまくり、日に焼けた頬が健康的に赤い。前掛けには粉の指跡が残り、手はよく洗われて清潔だ。
「本当に助かります!これで明日の晩餐会に間に合います!」
「晩餐会?」
リュネルが首を傾げる。
「はい。貴族様の集まりがあって……私の料理を披露する機会をいただいたんです!」
料理人は目を輝かせて胸を張った。
「ここで結果を出せれば、王都の料理人組合にも顔が利くかもしれません!」
「…それは良かった」
「それにしても、流石アルカナ堂さんです。扱う物の品質が良いですよ。最近は品質の悪い物や、よく似た別の食材を掴ませる輩もいるそうですから」
料理人は何気無く言ったが、その言葉にリュネルの顔が一瞬曇る。
「先生に限ってはそんなことはあり得ねーけどな」
ソランは腕を組んでにやりと笑う。
「あーあー、って事はこれを使った料理が“勝負の一品”ってわけだな。うーん……絶対うまいだろ」
「そりゃあもう!せっかくなので試食してみますか?」
「えっ!? マジで!?」
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香草を使った小さなスープが振る舞われた。
透き通る出汁の中に浮かぶ香草が爽やかな香りを放ち、蒸気が鼻腔をやわらかく撫でる。
一口飲んだソランは感動のあまり目を丸くし、思わず立ち上がった。
「……うまい!」
「体の芯から温まる感じがします」
「でしょ?肉と合わせたらもっとすごいんです!」
料理人が胸を張る。
リュネルもスプーンを口に運び、柔らかな笑みを浮かべた。
「なるほど……味だけじゃなく、消化を助ける効能もあるみたいだ。体にもいい。茎の切り口の処理も丁寧なので、えぐみが出ていない」
「さすが先生……食レポすら専門家だ」
ソランがぼやく。
「正直な感想さ」
料理人は照れ笑いをしながらも、包丁の背でまな板をとん、と軽く叩いた。
「本番はこの香草を、白身肉のすり身と合わせて、蒸したあとに軽く炙るつもりで。香りを逃さないように」
「炙りの火が強いと香草が負けそうですから、遠火が良いと思います」
「はい!」
ソランがこっそり鍋の縁に伸ばしかけた指を、リュネルは無言で掴む。
「……ひっ」
「ソラン」
「はい…」
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料理人は礼を言いながら、ふと真剣な顔を見せた。
「実は、晩餐会に出る料理人は私一人じゃないんです。王都からも腕利きが呼ばれていて……正直、場違いなんじゃないかって思うこともあります」
だがすぐに拳を握り、瞳を輝かせる。
「でも、チャンスは掴まないと! 私の料理で、この街の名を刻んでみせます!」
その言葉に、リュネルは静かに微笑んだ。
「いいじゃないですか。夢を持てるのは強さです。僕も応援しますよ」
「ありがとうございます!」
ソランはスプーンをなめながら、ぽつりと呟いた。
「……にしても、“貴族の晩餐会”か。俺たちには縁のない世界だな」
その言葉に、リュネルは一瞬だけ表情を曇らせた。
(縁が“ないまま”でいられたら、どれほど楽だろうか)
――だがすぐに笑みを取り戻し、軽く首を振る。
「さあ、依頼はこれで完了だね」
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報酬を受け取り、料理人と固く握手を交わす。手は料理人らしく温かく、節がしっかりしている。
「本当に助かりました! 次はもっと腕に自信を持ってお見せできるようにします!」
「楽しみにしてます。無理に香りを引き延ばさないようにしてください。素材が良いなら、余計な手間は必要ありません」
「はい!」
店を後にしながら、ソランは満足そうに腹をさすった。
「いやー、依頼で腹まで満たされるなんて最高だな!」
「君は得しかしてないね」
「そういうとこが先生のいいとこだよ!」
「褒めてるのか、皮肉なのか」
「両方」
賑わう街路を歩きながら、二人は笑い合った。
角を曲がると、露店の男が声を張る。「香草お買い得! 今朝の丘の――」
ちら、とリュネルは視線を止めた。
――束の間に挟まれた一本、葉の色が、少し違う。
(混ぜ物、かな……。彼が言っていたのはコレかな?…知っててなのか、知らずに掴まされてしまったのか)
彼は心の中で一つ印をつけ、歩を速めた。
店へ戻る道のりで、ベルギスから借りた麻袋が肩に心地よく食い込む。
「そうだソラン、今日の……ソラン?」
隣を歩いていたはずのソランが数メートル後ろで止まって何かを凝視している。
「……肉まん」
「なに?」
「買ってっていいかな?」
ソランは屋台で売られている肉まんを見つけていた。蒸し立ての饅頭は艶やかで、湯気を立ち上らせている。
「自分の財布と相談なさい」
「先生の援助は?…」
潤んだ瞳で必死に訴えかけるソラン。その姿は主人にお願いを訴える仔犬のそれに近い……愛らしさを感じてしまう。
「…うっ、あぁ……くっ!………ーはぁ。…ベルギスとリラの分も、買ってこうな」
「ーおう!!」
こうして2人は熱々の袋を抱えて、陽が傾き出した街を温かい気持ちと共に並んで行く。
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店へ戻ると、リラがちょうど客の波を捌き終えたところだった。
「お帰りなさいませ。お二人とも、お疲れさまです」
「ただいま。留守ありがとう。売れ行きは?」
「香辛料がよく出ました。あと、お子さんの咳の相談が二件。例の乾燥草が役に立っているみたいで……“また買います”とのことです」
「よかった。飲み過ぎると喉が乾くから、その注意だけは必ず添えてね」
「はい」
ベルギスは奥でつっかえ棒を取り付けていた。
「戻ったか。柱は補強した。これで少々の風なら大丈夫だ」
「助かる。さすがだね」
「当たり前のことをしただけだ」
彼は照れ隠しなのか、最後の釘を打ち付ける音をいつもより大きくした。
「あれ?リュネルさんその包みは何でしょうか?」
リラはリュネルが抱える袋に目がいった。
「あぁ、お土産です。夕飯にでも」
「…饅頭か?懐かしいな。どうしたんだい?」
ベルギスはリュネルの肩越しに袋を覗き込んだ。
「……僕も甘いよな」
「・・・何かあったのは分かった」
リュネルはそのままゆらりと店の奥に消えた。そんなリュネルの背中をベルギスとリラは微笑ましそうに見ていた。
扉の鈴が軽やかに鳴り、夕暮れの街に人々の声が遠ざかっていく。
(…そろそろ閉めるかな)
リュネルは一息つき、帳場の片隅に置かれた古い帳簿、アルカナ堂の前店長――祖父の帳簿に視線を落とした。
今日も一日が終わる――そう思うたび、彼は胸の中で小さく頷く。
〝素材屋として、ここで生きる〟。その確かな実感と共に。
ページの端には祖父の細い字で「傾聴と共感、無知は罪、探究は呼吸」と走り書き。
(うん、わかってるよ、おじいちゃん)
外では日が沈み、橙から紺へと空が色を変えていく。街灯がぽつりぽつりと灯り、夜の気配が深まる頃、
遠く、中央都の方角で、鐘が静かに二度、鳴った。




