第24話 叡智の宴(シンポシオン)①
自動馬車の揺れが心地よい――などという、優雅なものではまったくなかった。
軋む車輪、車体のたわみ、石畳を踏むたびに腰に響く鈍い衝撃。
リュネルは窓辺に頬杖をつき、見慣れない景色の移ろいを目で追いながら、内心で小さく嘆息した。
(……苦手なんだよなぁ、会合って)
今回向かっているのは、セレストリア。
各国の代表による白塔会議や黎明議会が置かれる、国際の中心都市である。
そして今回そこで行われるのは、不定期開催の「錬材師の定例会合」。
錬材師――特殊資材を鑑定し、その加工や流通の是非を見極める資格を持つ者。
資格を持つ者は大陸でも一握りしかおらず、現在その数はわずか九人。
リュネルは、その最年少として名を連ねていた。
(そもそも、わざわざセレストリアでやる必要ないだろう。通信魔法と投映魔法を上手く組み合わせれば、遠距離でも映像会話が可能だろうに……)
窓の外では、緩やかな丘が続いている。
最初は自国リュネルたちの故郷・ルキフェリア王国の馴染み深い草原だったが、国境付近から樹種が変わり、風に乗る匂いもわずかに違ってきている。
湿り気、土の粒径、風の温度。
錬材師としての感覚が、目に映らない情報を拾い始める。
「主、また考え込んでおるな」
低い声が耳に届き、右隣――誰にも見えない席に座る“気配”が目を細めた。
姿を隠しているが、リュネルにしか見えない使い魔――ルーガルだ。(厳密にはルーガルのスキルである不可視術によるもの)
車内の座席に、普通に腰掛けているように見えるのが、むしろ不思議なくらい自然だった。というかルーガルは人の姿をとっている。耳と尻尾は健在だが、護衛のしやすさを考慮して人ーー獣人の姿での同行になったのだ。
「……別に。セレストリアはポータルで行けないから嫌なだけさ」
肩を竦めてみせるリュネルに、反対側の空間がふわりと揺れた。
「かの国はその役割故、簡単に行けない様にされている、と、お主の祖父が言っておったな」
今度は左隣から、低くよく通る声。
黒豹の姿をした使い魔――オルフェウスだ。
もともとはリュネルの祖父の使い魔であり、今は受け継いでリュネルの側についている。
今回は錬材師のみの会合のため、ソランたちは留守番。
その代わりの護衛として、ルーガルとともに同行してくれている。
窓の外、遠くに薄く見えてきた山並みを眺めながら、リュネルはため息をついた。
「それにしたって……どこかポータル作れそうなところ、ないかな。
地脈も安定してるし、魔力濃度だって極端に高いわけじゃない。理論上は、いくつか候補地が――」
「リュネルよ」
オルフェウスが尻尾を一度だけ打った。金色の瞳が、細く笑う。
「ぬしはよく知っておろう。“理論上は可能”と、“政治的に許される”は、まるで別物だと」
「……それはそうなんだけど」
セレストリアは、国際政治の中枢だ。
白塔に集う各国の代表者たちは、自分たちの安全保障と情報の独占を、何より重く見る。
自由度の高いポータルを開設することは、同時に“誰でもいつでも来られる”危険と地続きだ。
錬材師としての感覚でいえば、
――強力な薬品や毒を扱う実験室に、裏口を増やすようなもの。
管理できる形での出入口が少ないからこそ、“封じ込め”が成立している。
「ぬしの祖父殿も言っておった。『あの街は、世界の“緩衝液”みたいなものだ』とな」
「……緩衝液」
ぽつりと繰り返し、リュネルは少し口元を緩める。
各国の利害、力の揺らぎ、戦意と和平。
それらが一気に暴走しないように、セレストリアという器の中で、ある一定の範囲に留めておく。
「……じいちゃんらしい言い方だ」
「主は、その孫として呼ばれている。誇りに思えば良いのだ」
ルーガルが、あくびを噛み殺しながら言う。
「それは誇りに思ってるさ。ただ……」
自動馬車が大きく揺れ、リュネルの体が座席に軽く跳ねる。
腰に鈍い痛みが走り、思わず眉を寄せた。
「会合はどうにも、馴染めない」
「危険と隣り合わせの冒険や、素材屋での駆け引きは楽しげにこなすのに、ああいう“正面からの議論”は苦手なのだな」
オルフェウスの声には、どこか微かな愉悦が混じっていた。
主の“弱み”を知っているからこその、くすぐるような言い方だった。
「だって、あれは“議論”じゃなくて、“立場と責任の押し合い”だよ」
ポツリと、心の内を零してしまってから、リュネルは苦笑する。
「まぁ、だからこそ僕なんかが呼ばれるのかもしれないけどね。“現場の声”とか、“若い視点”とか。便利な看板だよね」
「主よ」
ルーガルが静かに口を挟む。
「看板は、信用の印でもある。主の存在が便利などという事はなく、その眼と知識と判断に、それだけ価値あるということだ」
「……そうかな」
「そうなのだ」
オルフェウスも、珍しくルーガルに同意して頷く。
「錬材師の席は、ただ知識があるだけでは座れぬ。素材を見抜く眼と、その“先”の影まで読む想像力が問われる。ぬしは、それを持っておる」
そう言われると、リュネルはますます視線のやり場に困る。
「……そんな大したものじゃないよ」
言いながら、窓の外へと視線を逃がした。
丘陵を越えるたびに、空が広くなる。
遠く、かすみの向こうに、細い白い線が幾本も立ち上っているのが見え始めた。
白塔――セレストリア。
魔力を帯びた石材と、緻密な結界構造。
遠目にも、それがただの「綺麗な塔」でないことが、肌でわかる。
「……見えてきたな」
リュネルは、そっと姿勢を正した。
胸の奥に、妙な高鳴りとざわめきが同時に生まれる。
期待でも不安でもない、もっと複雑な感情。
祖父がかつて歩いた場所へ、自分も歩みを進めるという、不思議な感覚。
自動馬車は速度を落としながら、白塔の林立する都市へと入っていった。
城壁はない。
代わりに、目に見えない膜――巨大な結界が都市全体を包んでいる。
馬車が境界をくぐる瞬間、肌を撫でるような違和感が走った。
魔術的“スクリーニング”。
持ち込み禁止の呪物や、過剰な魔力反応を検知するための、巨大な感知網だ。
(うちの店の簡易検査魔法を、街ごとにしたみたいなものだよな……)
アルカナ堂で使っている検査具にも、簡易的な“魔力スペクトル”を測る仕組みになっているものがある。
魔力の波長分布をざっくりと捉え、危険なピーク・健全なピークを見分けるためのものだ。
セレストリアの結界は、おそらくそれを遥かに高度なレベル――“都市規模の質量分析計”に近い役割で稼働させている。
「異常反応なし。通行を許可します」
門前の検問所で、淡々とした声が告げる。
書記官風の男が、馬車の外から一礼した。
「リュネル・アストレア様ですね。錬材師IDの登録確認致しました。
本日は会合前日につき、宿泊先へご案内いたします」
「・・・ありがとうございます」
リュネルも簡潔に会釈を返す。
礼節を持ち、しかして謙ってはならない。
こういう場面の所作は、父に厳しく教わってきた。
身についてしまえば、あまり構える必要はない。
都市の中は、各国から来た商人や役人、旅人でごった返していた。
香辛料の匂いが漂い、異国の言葉が飛び交う。
ガルディア帝国の鎧を着た兵士、セラフィア聖国の白衣の神官、ザフラ砂王国のターバン姿の商人たち。
ひとつの通りを進むだけで、大陸の縮図を歩いているような気分になる。
(……にぎやかだなぁ)
胸の奥に、妙な高鳴りが生まれる。
同時に、その下の方でひやりとしたものも蠢いていた。
この街は、「交わる」ために作られている。
同時に、「交わりすぎない」ために精密に設計されている。
市場のエリアと、各国使節のエリア、白塔のエリア。
水路と橋の配置、通りの幅、見張り台の位置。
すべてが、動線と視線と、“暴走の流れ”を制御しようとする意志に満ちている。
(やっぱり、理屈はわかるんだけどさ)
リュネルは苦笑しながら、自動馬車の揺れに身を委ねる。
案内された宿は、検問から揺られる事数分、通りを2つ越えた位置にある中規模の宿屋だった。
豪奢すぎず、質素すぎず。
外交官や学者がよく使う、“無難にして安心”な場所。
部屋は落ち着いた木目調で、窓からは白塔の先端がいくつか見えた。
調度品には宿屋のこだわりが感じられ、リュネルは好きな部類だった。
机と椅子、本棚には最低限の文献と、セレストリアの簡易地図も備え付けられている。
「主、ここならば外からの襲撃も察知しやすかろう」
ルーガルが窓辺に座り、外気の匂いを嗅ぐ。
オルフェウスはベッドと壁の距離、出入口と死角の位置を確認しながら、静かに頷いた。
「ここならば、お主が眠っていても我らで足りよう」
「……襲撃される前提で話すのはやめてくれないかな」
「今の主には当然の対応だ」
苦笑しつつも、その警戒心はありがたい。
錬材師の会合は、公に「中立」であると謳われている。
だが、扱うものがものだ。
毒物、薬物、爆薬、儀式用素材――国家機密級の情報が飛び交う場である以上、
“それを狙う者”がいないと考える方が甘い。
荷を解き、ノートを広げる。
今日の道中で気づいたことを、淡々と書き込んでいく。
ペンを走らせながら、ふと祖父のことを思い出す。
祖父――アルカナ堂の先代店主にして、かつての錬材師の一人。
彼もまた、この白塔に通い、会合に参加していた。
幼い頃、膝の上で聞かされた古い話の数々は、半分は理解できず、半分はただ格好良く思えただけだった。
『リュネル、覚えておきなさい。
毒も薬も、“扱い方”で名前が変わる。
素材そのものに善悪はない。善悪を決めるのは、人間の欲と恐れだ』
今になってようやく、その言葉の重さがわかる。
夕食は宿の食堂で軽く済ませた。
肉のハーブ焼きと穀物のスープ、粗挽きのパン。
舌に合わないわけではないが、皆と食べる食事の方が、やはり落ち着く。
(……デザートまでは流石に食べすぎだろうか……みんなは何を食べたのかな)
そんなことを思いながら、リュネルは早めに床についた。
頭の中では、明日の会合のことがぐるぐると巡っていたが、
ルーガルとオルフェウスの気配が左右にあることが、少しだけ安心をくれた。
翌朝。
セレストリアの朝は、思いのほか静かだった。
市場が本格的に動き出す前の、短い静寂の時間。
白塔へ向かう道は石畳がよく磨かれ、左右には各国の旗が掲げられている。
冷たい風が吹き抜けるたびに布地が一斉に揺れ、そのいくつかには錬金術や星図の意匠が縫い込まれていた。
白塔の根元に近づくと、魔力の密度がはっきりと変わる。
地脈に杭を打ち込むように、塔の内部から外へ向かって、規則的な魔力の脈動が広がっているのだ。
(この周波数帯、たぶん“干渉防止”が主目的だな)
野良の占術や、外部からの盗聴を防ぐため、塔の周囲では一定以上の魔法が使いづらくなっている。
魔力のノイズを意図的に上げ、特定の波長以外を“かき消す”ことで術者の魔力を乱しているのだ。
案内役の書記官に導かれ、白塔に隣接した会議棟へと足を踏み入れる。
高い天井、白い石壁、光を柔らかく反射する床。
円形の大広間。
中央には黒曜石の円卓、その周囲に九つの椅子。
すでに、何人かの錬材師が席に着き、談笑していた。
ひとりは、ガルディア帝国出身の壮年の男。
浅黒い肌に短く刈り込んだ髭、軍服を思わせる重厚な上衣。
名を、ギルデ・ガルド。
かつて前線で兵站を預かり、今は軍需と錬金素材の管理役も兼ねる“戦場出身の錬材師”。
金属精錬と爆薬・煙幕系統のスペシャリストであり、扱う素材の半分が“軍事機密”に属する。
その隣は、セラフィア聖国出身の老女。
雪のように白い髪をきっちりと束ね、胸元には聖印と小さな香油瓶を下げている。
名は、シスター・マリアンヌ。
聖堂用の油と香、奉納用素材、儀礼用の石と金属――
いわゆる“神聖なもの”の品質保証を一手に引き受ける、宗教系の錬材師。
その向い、ヴェルディア公国からは二人。
ひとりは、華やかな服装の中年女性、マリオネ・フィオレンツァ。
商家に生まれ、経済と流通に強く、商人ギルドの支部長も務めている。
もうひとりは、痩せぎすで眼鏡をかけた中年男性、ドリアン・ベルツ。
植物毒と薬草の研究者であり、“森そのものを薬棚”と呼ぶ男だ。
ザフラ王国からは、褐色の肌と琥珀の瞳を持つ男、ナジム・アル=ザフラ。
砂漠の薬草、乾燥系素材、揮発性の高い油――
“乾いた世界”の資材に通じた錬材師で、砂嵐とスコールの両方を知る男でもある。
エルナト連邦からは、青みを帯びた黒髪の女性、フェオドラ・レーン。
複数の自治都市から成る連邦の中で、学究肌の都市に属し、
冷却素材や保存術式、都市衛生に関わる素材研究を得意としている。
ベリオル王国からは、屈強な体躯の女性、ヒルデ・グレン。
寒冷地の鉱石と、凍結系の魔術素材のスペシャリスト。
彼女の扱う素材は、その方面の魔術師にとっては垂涎の的だ。
そして――ソレナ諸島から来た、南方系の男。
焼けた小麦色の肌に、海のような淡い青の瞳。
癖のある黒髪を後ろでまとめ、ゆるやかな上衣を纏っている。
名を、カイ・ナヘル。
海洋国家ソレナ諸島では、海獣の油、珊瑚、海底鉱石、潮流に育まれた特殊な藻類など、“水と塩の素材”が豊富だ。
カイはそれら海洋資材の第一人者であり、三十代という年齢で錬材師となった“若手組”でもある。
そして、最後の一席が――リュネルである
すでに故人となった祖父・アルカナ堂先代もこの席にいた為、“二代続けて”の就任だ。
(……改めて見ると、よくもまぁ、こんな面子が一堂に会したものだ)
リュネルは、内心で苦笑する。
九人の背後には、それぞれの事情がある。
九つの得意分野――それは、九つの“世界の見方”でもある。
彼が親しくしているのは、その中の二人だ。
ひとりは、先ほどのカイ・ナヘル。
初めて会った時から距離が近く、
「海はいいぞ」「今度、うちの島にも来いよ」と、さらりと誘ってくる陽気さを持つ。
もうひとりは、エルナト連邦のフェオドラ・レーン。
落ち着いた物腰で、科学的・体系的な物言いを好み、
素材の保存や衛生管理の話になると、つい語り過ぎてしまう癖がある。
この二人とは既に何度か意見を交わし、プライベートでも親交がある。
会合の前後には、少しくだけた話もするかなり親しい間柄だ。
知人と呼べるのは三人。
ヴェルディアのマリオネとドリアン、ザフラのナジム。
定例会合で、時折情報を交換し合う程度の距離感だ。
互いの専門と立場は理解しているが、それ以上踏み込まない関係に留まっている。
残りの三人――ガルディアのギルデ、セラフィアのマリアンヌ、ベリオルのヒルデ――
とは、まだ大きな会話を交わしたことがない。
名と実績は知っていて、“敬意を払うべき相手”であることも分かっているが、
個人的な距離感としては、まだ“様子見”の相手だ。
(さて、今日は一体どんな会合になるのかな)
胸の内で自分に問うて、リュネルは指定された席に腰を下ろした。
周囲からの視線が、一瞬だけ集まる。
若さゆえの好奇の色――だが、その奥には、祖父の名と、自身の実績に対する“認知”も
相変わらず見て取れた。
「リュネル殿。長旅お疲れ様でございました」
隣に座っていた白髪の老錬材師――セラフィアのマリアンヌが、穏やかに声をかけてくる。
「はい。お久しぶりです、マリアンヌ様。よろしくお願いします」
「こちらこそ。あなたのお祖父様がここに座っていた頃が、ついこの前のことのようです。
……あなたの目元は、よく似ておられる」
やわらかな笑み。
その言葉に、リュネルは少しだけ背筋を伸ばした。
「よっ、リュネル」
反対側からは、カイの軽い声が飛んでくる。
青い瞳がいたずらっぽく細められていた。
「腰は生きてるか? この街までの道は、相変わらず“揺れる”からな」
「カイさん……、お久しぶりです。以前より揺れが激しくなっている気がしましたよ。馬車で来るのを考え直したくなる程度にはね」
「ははっ。じゃあ今度はオレが迎えに行こうか?」
カイの笑い声は、南方の陽光のように明るかった。
フェオドラが少しだけ眉を上げ、控えめに会釈する。
「リュネルさん。先日の書簡、拝見しました。
“低温保存下での瘴気の揮発パターン”の観測、興味深かったですよ」
「フェオドラさんこそ、ありがとうございます。
連邦での疫病対策の報告書、とても勉強になりました。
あの“患者群ごとの曝露履歴の記録法”は、こちらでも応用できます」
「ふふ、あなたの理解が早いから、つい専門的に書き過ぎてしまいますね」
そんなやり取りをしているうちに――
書記官が入室し、会合開始の鐘が鳴らされた。
静寂の中、九人の錬材師の会合が幕を開ける。




