第23話 白昼の頁
昼下がりのアルカナ堂。
正午の喧騒が一段落し、整然と並ぶ薬瓶が午後の柔らかな光を溜めていた。
買い物を終えた常連の冒険者が、支払いの手をふと止めて、声を潜める。
「なぁ、店長さん……最近の森、どうにも不気味なんだ。足跡は獣のものに見えるんだが、やけに足並みが揃っててな。あぁ、なんて言ったら良いのか、他のヤツは気のせいって言うんだが……とにかく普通じゃない気がするんだよ」
リュネルは穏やかな笑みを崩さず、手元の帳簿に目を落としたまま頷いた。
「……そうですか。その足跡、歩幅や沈み込みの深さはどうでした?」
「深さは均一だ。歩幅も、まるで定規で測ったように同じでな。生き物特有の癖というものが一切感じられないんだよ」
「貴重な情報をありがとうございます。どうか、あまり深入りはなさいませんよう」
男は「店長さんも気をつけろよ」と短く言い残し、店を後にした。
カウンターの陰で納品された薬草を仕分けていたソランが、不快そうに眉を寄せて囁く。
「先生……あのおっさんが言ってたの」
「うん、関係してるのかもね。印象というものは案外真実の端くれを掴んでいるものだよ。人は時に嘘をつくけれど、肌で感じた違和感は誤魔化せないからね」
リュネルは心の内の地図に、新たな印を刻んだ。ひとつ、またひとつと積み上がる「不自然な証言」。
(……少しだけ、こちらから踏み出してみようか)
実害が無ければ……と深入りしてこなかったリュネルだったが、いよいよ気になってしまい本格的に行動に移し始める。
もはや錬材師、アルカナ堂店主としての範疇は超えているが、理不尽を嫌い、気になった真実を解き明かさずにはいられないリュネルの本性が、静かに鎌首をもたげた瞬間でもあった。
リュネルはソランを伴い、街の治安維持を司る兵士たちの詰所へと足を運んだ。
市民達の相談事等もここに持ち込まれる為、情報収集にはもってこいである。
応対に出た兵士はリュネルの顔を見るなり、その表情を一瞬こわばらせ、すぐに笑顔に戻した。
「リュネル様……こちらにいらっしゃるとは。本日はどのようなご用向きで」
「街外れの異変について、少し不穏な噂を耳にしてね。何か住人からの相談事はないですか?」
兵士は短く逡巡し、周囲の視線を避けるように窓辺の影へとリュネルを促した。
「……“特異な報告”は確実に増えています。ですが、上層部からは厳格な箝口令が敷かれておりまして。余計な記述を残せば、こちらの首が飛びかねない」
ソランが堪らず身じろぎし、兵士を射抜くような視線で睨みつける。
「隠す理由はなんだ? 市民の安全より大事なもんがあるのかよ」
「『理由を問うな』という命令そのものが理由です。……ですが、議場に出入りする役人連中の動きが異常なほど慌ただしい。王室騎士団の幹部層も、まるで仮想敵を目の前にしているかのような緊張感を漂わせています」
それ以上は自らの領域を侵すことになる――そう言いたげな兵士の沈黙を受け取り、リュネルは短く礼を告げて外へ出た。
「先生、やっぱり臭うぜ」
「そうだね。けれど、まだ確かな事は掴めていない。あまり踏み込みすぎないように、ね」
リュネルは口元に人差し指を当て、不敵な、それでいてどこか状況を楽しんでいるかのような危うい笑みを浮かべた。
次に訪れたのは、記録保管所の「別棟」だった。
本棟の記録が洗練された「結果」のみを記す場所なら、ここはバックアップや未整理の断片、そして「表に出す必要はない」と判断された雑多な情報が眠る場所だ。
古びた扉の蝶番が悲鳴を上げると、一人の若い調査官が駆け寄ってきた。
小柄で、まだ少年のような幼さを残した顔に、ひどい焦燥を浮かべている。
「リュネルさん! 来ていただけて助かりました」
彼から差し出された手帳には、日付の脇に小さな黒点が、まるで病の斑点のように増殖していた。
獣の異常行動、特定地点に残留し続ける高濃度の瘴気。
しかし、その記録はある日を境にぷっつりと途絶えている。
「……ここ以降のページが、白紙だね」
リュネルは淡々とページをめくる。
情報を咀嚼するほどに、不可解な壁に突き当たる。
「ええ。現場からの報告は上がっているはずなんです。ですが、私の権限では閲覧を拒絶されました。『これ以上は君の関知すべきことではない』と。残留型瘴気の変質パターンも、誰かが意図的に隠蔽しているようにしか思えない……」
調査官の震える声。
見えているのに触れられない。
知るべきなのに遮断される。
その焦燥は、インクの匂いと共に部屋に充満していた。
「政府の陰謀なのか、あるいは……」
調査官の言葉を、リュネルは無言で遮った。
「先生、これってただの魔獣騒ぎじゃねぇだろ」
「市民の不安を煽るな……という建前で、情報の統制をしているのかな。その間に、真実が逃げていくことも厭わずにね」
リュネルは目を伏せたまま暫し熟考の底に沈んでいった。
翌朝。
市場通りはいつも通りの活気に溢れていた。
農夫の呼び声、魚屋の威勢のいい掛け声。
人々は何事もないかのように日常を謳歌している。
市民の危機感など、精々「最近、少し物価が上がったかねぇ」という程度の、淡い曇り空のようなものだ。
「議場で何か揉めてるらしいぜ」
「また役人の権力争いか?」
「討伐依頼が減ったのは、軍が直接やるからだって噂だ」
噂話は生まれては雑踏に紛れては消え、また別の口から生まれる。
危機はまだ「他人事」の範疇に留まっている。
「先生、噂してる連中、ちっとも深刻そうじゃねぇな……」
ソランがぐいっと肩を寄せる。
リュネルは遠くに聳える議場の塔を見つめた。
「平和な証拠だよ。何かが起きていることは感じていても、それが自分たちの喉元に刃を突き立てるまでは、人は昨日と同じ明日を信じるものだから」
その時、雑踏の端でローブの裾がひらりと揺れ、刹那、リュネルの隣にどこからともなくヘルメスが収まった。
「リュンちゃん、朝から賑やかな“お友達”がついているぞ」
ヘルメスがさりげなく視線を流した先、市場の影から、三人を執拗に監視する男の姿があった。
「軍の情報部か、それとももっと別のか……」
リュネルは指を口に当て、考える素振りを見せる。
「捕まえるか?」
ソランがきびすを返そうとするが、リュネルは制した。
「イヤ今は放っておこう。向こうもこちらの出方を伺っているだけだ」
3人は気付かないフリをして街中を行く。
市場の端にある商人組合の支部。
商人や商売を始めようとする者はまずここにお世話になるだろう。
もちろん、物の買取も行なっているため、組合内はなかなかの賑わいだった。
リュネルは人混みを切り抜けながら、目的の人物を目指す。
帳場の男はリュネルを見るなり、苦い笑みを浮かべた。
「やぁ、素材屋さん。朝から顔を出すなんて、今日は高くつきそうだ」
「僕らの仲じゃないですか。近頃、変わったことはないか、少し伺いだけですよ」
「聞くだけならタダだな」
男はケタケタと笑う。
たがその表情はすぐに真剣なものになり、男は帳場に手をつき、声を潜めた。
「ここだけの話、特定の路線――特にリュシェンとヴェルディアからの荷に、異様なほど厳重な検査が入っている。『安全のための精査』という名目だが、本当だかどうか。おかげで市場の巡りが悪くてかなわん」
ヘルメスが机を指で叩く。
「検査、ね。止めたい荷を自由に選別しているわけだ」
リュネルは刹那に思考を巡らせる。
(……いや、止めたいのではなく、何かを『探している』のか?何の為に…)
「物流を詰まらせる奴が一番の害悪ですよ。供給が減れば価格は跳ね上がり、いずれ市民の首を絞めることになる」
男はやれやれとため息をついた。
支部を出ると、ソランが不満をつらつらと吐き出した。
「魔獣に政治、次は物流かよ。話がどんどん散らばって、わけがわかんねぇ」
「いや、すべては繋がっているはずだ。情報の統制、物流の停滞。これは意図的に行っているんだ。必ず理由があるはず」
リュネルはさりげなく通りを見やると、尾行の影はいつの間にか消えていた。
白亜の議場。
ルキフェリアの政治の中枢でもある議場。
空を突くように並び建つ白亜の建物が“高潔さ”を自負するかのようにそびえている。
塔の外階段を、書記官や役人たちが忙しなく行き交う。
だが、その様子は整然としたものではなく、むしろ壊れた機械のように空転していた。
情報の統制は、下っ端の役人たちをも混乱の渦に突き落としている。
「どういうことだ、あの報告書はまだ受理されていないのか!」
「軍の許可が下りなければ、我々には手出しできません!」
怒号に近いやり取りがあちこちで響き、書類を抱えた若者が足をもつれさせている。
組織の神経系が麻痺し、末端は錯綜する情報に振り回されていた。
「すみません」
リュネルが通りがかった若い書記に声をかけると、彼は跳ねるように振り返った。
「ひっ……な、何でしょう! 私は何も聞いていませんよ!」
「物流の検疫に関わる案件の、現在の状況を伺いたいのですが」
「存じません! 失礼します!」
書記は目も合わせず、逃げるように立ち去っていった。
「分かりやすすぎるね。上が何かを隠そうとしすぎて、下は混乱の極みにいる」
ヘルメスの言葉に、ソランが壁に拳を打ち付けた。
「議会も一枚岩じゃないみたいだねぇ。ただの隠蔽工作にしては、あまりに無様だ……。そう思うだろ、リュンちゃん」
「……それだけ、上層部も『内部』を疑い、疑心暗鬼に陥っているのかもしれないね」
塔の影は濃く、通りの手前で鋭く途切れている。
その影の切っ先に立ちながら、リュネルは境界線を見つめた。
状況証拠だけが手元にあるが、未だ決定打にたどり着けなかった一行。
そろそろソランのストレスが限界になりそうだと思ったリュネルは調査を切り上げることにした。
夕陽は長い影を作り、塔の影は市場をまたぎ通りへ伸びる。
店へ戻る途中、雑踏の奥で見覚えのあるローブの裾が再び揺れた。
ソランに笑顔はなく、纏う空気がピリつく。
ただ顎を引き、臨戦体勢をとる。
「ソラン」
リュネルが僅かに手を上げ、ソランを制止した。
「後をつけられるのは、こちらが近づいている証だよ。焦れば相手の思う壺だ」
ソランはつまらなそうに引いた。
だがそこに反発の色は無かった。
ヘルメスが片目を細め、意味ありげにソランを見やる。
「な? 坊や。コイツは昔から、急がない」
「昔?」
ソランが刺すような視線をヘルメスに向ける。
ヘルメスは咳払いをしながら明後日の方を見る。
「あー、比喩だ、比喩」
軽口の温度は軽いが、その姿勢には真逆なものをはらませていた。
アルカナ堂に戻ると、リュネルは即座に異変を察知した。
扉の「準備中」の札。
閉店にはまだ早い時間だ。
リュネルは流れるように入り口まで行き、扉に耳を当てた。
(……店内に、狼狽える女性の気配が一人)
窓から中を覗いたヘルメスが、ひらりと手を振る。
「リュンちゃん、大丈夫だ。リラちゃんがうろちょろしてるだけだよ」
扉を開けると、リラが悲鳴に近い声を上げて駆け寄ってきた。
「リュネルさん! これが……扉の前に置かれていたんです!」
リラが指し示すカウンターの上には、布で厳重に包まれた片手サイズの箱があった。
結び目は雑だが、手慣れた者の手によるものだと感じた。
リラも何かを感じたのか、むやみに触らなかったようだ。
リュネルは一度リラの手を握り、優しく頷いた。
カウンターまで寄ると、杖で包みを少し浮かせ、回転させて目を細めた。
(中身は木箱か?劇物の感じはない、魔力の類いも感じられない)
「ベルギス、透視鏡を」
ベルギスは奥の棚から小さな絹の包みを大事そうに持って来た。
中身は細やかな意匠が施されたモノクルだった。
リュネルはモノクルをかけ、包みを観た。
リュネルは「ふむ」と何か納得したのか、安全を確かめられたのか、包の紐を解いた。
中には紙が一枚、二行の短い文と花が一輪。
余計な好奇心は、身を滅ぼす。
影は、影のままで良い
署名なし、印なし。
そして何の特徴もない白紙。
(……トリカブト、か。花言葉は『騎士道』『人間嫌い』……そして『復讐』)
リュネルがその花を指で弄ぶと、隣にいたソランの肩が怒りで震えた。
「脅し、か……!」
「ああ、“忠告”の皮を被った、明確な脅しだね」
リュネルは紙を折り、ため息を吐いた。
どうしたものかと思案しているとベルギスが難しい顔で手元を覗き込んできた。
「トリカブト、か。危険だという警告か?」
ベルギスが低い声で問う。
「あぁ、だと思うよ。昔から貴族や魔術師の警告の象徴みたいに描かれるらしいし」
「…引くか?」
リュネルは一瞬黙り込み眉間にしわを寄せ思案する。
「…本気、なのかな。相手は」
ベルギスは腕を組み難しい顔をする。
「どうだろうな。お前を敵に回す事の意味を分かっていないヤツなのか、それ以上の権力者が後ろにいるヤツなのか。どちらにせよ、面倒な事にはなるだろうな」
ベルギスの言葉にリュネルはまた考え込む。
ヘルメスは軽口を挟まない。
ただ横顔を見て、細く笑った。
深い沈黙に店内の空気が重苦しくなる。
時計の刻む音、外のざわめきが大きく感じる程に静かだ。
耐えかねたリラがお茶を淹れに行こうとした時。
鈴の音が軽やかに響いた。
「失礼、リュネル様はいらっしゃるだろうか」
丁寧な所作で入ってきたのは、リュネルと歳近い雰囲気の長身で涼やかな面差しの偉丈夫だった。
ロイヤルブルーと白を基調とした儀礼服を思わせる軍服を着ており、大袈裟なほどに姿勢が良い。
皆突然の訪問者に困惑していたが、リュネルは訪問者を観察し、そして推察した。
「まずは貴方が名乗るべきでは?」
リュネルはなるべく穏やかな雰囲気を心がけた。
「…そうですね。申し遅れました、私ヒュロスと申します。我が君よりリュネル様への御伝言を預かって参りました」
ヒュロスと名乗った男は、リュネルが名乗る前に迷いなく彼の前に跪き手紙を差し出した。
「……僕はまだ名乗っていませんが」
ヒュロスは人形のような笑みを浮かべると、頭を下げた。
「失礼が無いようにと、我が君より貴方様のお話を伺っておりましたので。大切なご友人だと、仰せつかっております故」
ヒュロスは頭を下げたまま答える。
リュネルはヒュロスから手紙を受け取ると、帳場にある腰掛けに座り、皆に背を向け誰にも見せないようにした。
「御伝言しかとお渡し致しました。私はこれで」
「はい、ありがとうございました。…よろしくお伝えください」
スッと立ち上がり、リュネルに一礼し他の面々にも会釈をするとヒュロスは帰った。
リュネルは再び手紙に向き合った。
宛名も差出人も無い。
だが、上質な紙と微かにする香の香りにリュネルは笑みがこぼれそうになった。
癖のない、流れるような筆跡。
友よ、今はまだその時では無い
君まで失いたくはないのだ 今は我慢をして欲しい
君の理念に反する事は重々だ 申し訳ない
また近いうちに
リュネルは僅かに眉間に力が入る。
そして長く、長く息を吐き気持ちを落ち着かせる。
自分の中での整理はまだつかない。
面倒事は御免だが、曲がった事も御免なのだ。
強者の私利私欲、ご都合主義などもっての外。
いつだって痛い目に遭うのは一般市民なのだ。
だが綺麗事だけで生きていく事は不可能だと、リュネルは身をもって痛感している。
今の自分には守るもの、守りたいものがある。
それを自分は守りきれるのか、今この状況は危険なのではないか……。
狙われるのが自分だけなら問題無い。
だが、家族は、店は、この刺激のある平穏は……。
背を向けたままのリュネルを見つめる面々だが、誰も動こうとも、声をかけようともしない。
リュネルから動くことを待っているのだった。
長い沈黙の後、リュネルが立ち上がり皆の方を向いた。
伏せられていた青が鈍く光る
「……この件は、一旦保留にしておこう」
いつもと変わらない風に、まるで連絡事項を伝える時のように言った。
ただ、その表情は後ろめたいような、少し苦しそうにも見える。
「分かった」
1番に口を開いたのはソランだった。
「先生が決めたんならオレは従うぜ」
表情は凛々しく、いつも通り溌剌とした物言いだった。
リュネルは少し驚いた顔をした。
ソランなら自分の決定に反対はしないと知っているが、多少はゴネると思っていた。
「…ごめん」
リュネルは何だかソランの顔を見られず俯いた。
「謝るなよ、せんせ」
ソランはいつも通りニカッと笑った。
「……ヘルメスもゴメン。僕も手伝うって言ったのに…」
今度はヘルメスの方を向く。
何やら裏でもコソコソと暗躍していたらしいヘルメスが、リュネルの決定にどう思うのか。
リュネルには彼の飄々とした笑みに少し影があるように見えた。
「いんや、リュンちゃんが決めたなら仕方無いさ。
…まぁ、集められた情報だけでも収穫はあったかねぇ〜」
ヘルメスは頭をかいたあと、両手で伸びをした。
カウンター越しにリュネルと向き合うと、締まりの無い笑顔でリュネルの肩を軽く叩く。
そのまま軽い足取りで出入り口まで行き手を振りながら出ていった。
彼がどんな表情をしていたのか、リュネルからは見えなかった。
「結局あいつは何がしたかったんだ?」
ベルギスは腕組みをしながら眉間に皺を寄せる。
「よくわかんね〜ヤツだったのは分かったぜ」
ソランはカウンターに腰掛けながらやれやれと首を振る。
やはりソランは彼と馬が合わなかったようだ。
さて、中途半端な所で調査は打ち切りとなってしまった訳で、それぞれが引っかかることや言いたい事があるだろうが全員が呑み込むこととした。
「ではちょっと早いですが、夕食にしましょうか。すぐ準備しますね」
重い空気を切り替えようといつもよりトーンを高めにリラが切り出した。
こういう時のリラは結構できる女性なのだ。
リラに続いてベルギス、ソランが台所へと向かった。
変に疲れを感じたリュネルはそのままイスに座り込んだ。
「先生?大丈夫か?」
奥からソランが顔を覗かせる。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ」
「そーだよな、最近何だかんだ忙しかったもんなぁ」
リュネルが笑顔で応えてみせると、ソランはまた台所へと戻った。
ソランが奥へ行ったのを確認すると、リュネルは“ポケット”を撫でる。
手にはポケットに何か、紙が入っている手触りがする。
中を探れば、やはり紙が入っていた。
(やっぱり、あいつ入れたな)
二つ折りにされた紙は店でメモ紙に使っているモノのようだ。
リュンちゃん、今夜いつもの所で待ってる
まるで走り書きのメモだ。
角ばった読みやすい字なのが幸いで、走り書きでも読むことができる。
リュネルは小さく笑うと、紙をまた折りたたみ魔法で火をつけた。
それを作業台に置いてある器に入れ、燃え尽きるまでしばらく見つめていた。
台所からは賑やかな声が聞こえてきた。
ーー夜
酒場の奥、蝋燭の炎が細く揺れる席で隣り合ってグラスを交わす男が2人。
ざわめきは遠く、2人の周囲だけ時間が切り取られたようだった。
「やっぱり変わらないなぁ、リュンちゃんは」
ヘルメスが杯を掲げ、にやりと笑った。
「昔から真面目に“国のため”って顔してた。保管庫に侵入者ってなると、すぐ俺のとこに来てよ」
「……7割がたヘルメスだったろ」
リュネルは苦く笑った。
「俺の仲間も何人連れてかれたことか。命令だから、コレが仕事だとね」
ヘルメスは懐かしむように遠くを見る目をする。グラスの氷が溶けぶつかり合う音がする。
「命令を守らないヤツは害だと、それを信じてた事もあったんだよ」
「だろうな。俺なんか、もうその頃から“逆賊予備軍”扱いだった」
ヘルメスは肩を竦め、グラスの中身を一気に流し込む。
「でも盗んだのは食料とか燃料だぜ? 貧しい奴に渡してただけだ。全ての臣民の為とうたいながら、国民の方なんざ見てねぇんだ。見たく無いものはみねぇ、見ようとすらしてねー。…そもそも気づいてないんだ」
ヘルメスの顔が厳しくなり、グラスを持つ手に筋が浮かぶ。
いつものヘラヘラした態度とは大違いだ。
リュネルがバーテンダーに手で小さく合図をすると、ヘルメスのグラスが満たされる。
「今は……大分マシになった、と思うよ」
「・・・そーかい」
飄々とした言葉の奥で、彼の目は笑っていない。
「今も変わらねぇ。俺は“国にとっての邪魔者”で、追われる立場さ」
ヘルメスはグラスの酒を一飲みにした。
「義賊みたいな真似をしているって噂は聞いている」
リュネルの声は穏やかだが、視線は真剣だ。
「困っている人に分け与えるために、物資を横流しする……そうなんだろう?」
「へぇ、よく知ってるじゃねぇか。素材屋は情報屋でもあるってわけだ」
ヘルメスは口端を吊り上げる。
氷だけになったグラスを振るたびグラスと氷のぶつかり合う音が響く。
「そうさ。けど“困ってる奴に渡した”なんて言い訳、国が聞くかよ。俺からすりゃ、腹を空かせた子どもに食わせる方がよっぽど国のためだ」
ヘルメスはグラスを置くと、背もたれに勢いよくもたれかけた。
「でも、そのやり方じゃ敵を増やすだけだ」
「知ってる」
「けどな、俺は“自由”でいたい。縛られるぐらいなら、追われてる方がマシなんだ」
リュネルはしばし黙した。
「……変わらないね」
「変われねぇのさ」
メルケスは立ち上がり、椅子を押し戻す。
「でもアンタは変わったな。国家の番犬から素材屋に。拾って仕分けて……あの頃よりずっと人を救ってる顔してる」
「僕は僕で、背負い方を変えただけだよ」
ヘルメスはひらりと手を振る。
「じゃ、俺は風みたいに消えるさ。……リュンちゃん、またな」
その一言だけは、飄々さの奥に重みを帯びていた。
「ヘルメス」
「ん?」
ヘルメスは顔だけをこちらに向けた。
「…ウチに来ないか?君の条件を飲むよ。全部は無理かもだけど、善処はする」
リュネルは真剣に真っ直ぐにヘルメスの目を見つめる。
「リュネル、俺の答えはいつもの通りだ」
そうしてヘルメスは左手をヒラヒラさせながら行ってしまった。
彼の背を見送りながら、リュネルは杯を置いた。
(……ヘルメス、お前は本当は何をしてるんだ?)
リュネルは薄くなった酒を流し込むと、長く息を吐いた。
リュネルが代金を払おうと財布を取り出すと、バーテンダーが柔和な笑みを浮かべながら手をかざす。
「お代はお連れの方から事前に頂いております」
リュネルはバーテンダーの言葉なのか酒のせいか思考が遅れた。
「あいつ、いつの間に……」
リュネルは出入り口の方へ少し困ったような笑みを向けた。
酒場を出ると、ぬるい夜風が頬を撫でた。
石畳は月光に濡れ、塔の影が長く伸びる。
通りの向こう、そのさらに奥、議場の塔が空に黒く突き立っていた。
⸻
眠りにつく前、リュネルは店の共用棚に小さな封を置いた。
封には、三日月と太陽の印、向きを整えて人差し指を向け小さく呪文を唱える。
すると、大きな影がリュネルの後方に立った
「先生」
ソランが廊下から体ごとを覗かせていた。
その表情は元気がないというよりか、不安といったところだろうか。
「ソラン、眠れないの?」
「…先生は……怖くは、ないのか」
直球で、彼にしては珍しい質問で、リュネルは少し驚いた。
「怖いよ」
リュネルは率直に言った。
「怖いから、急がない。怖いから、念を入れる。怖いから、繋ぐ」
ソランの頬が緩む。
「……先生って、やっぱズルい」
「褒め言葉として、受け取っておくよ」
「じゃ、おやすみ」
「あ、ソラン待って」
リュネルの声にソランは向き直る。
キョトン顔のソランにリュネルはそれを渡した。
「ん?オレもう持ってるぜ?」
リュネルが渡したのは黒いブレスレットだった。ソランは既に付けている左腕を振った。
シルバーチェーンに深い青の魔法石があしらわれたブレスレットだ。
ソランは肌身離さず、それこそ寝る時も付けている。
「お守り、かな。・・・試作品だから、とりあえず君に渡しておきたくて」
リュネルは視線をソランの掌に落として口元だけを緩めた。
「・・・ん、分かった。ありがとな先生」
ソランは黒いブレスレットを既に付けているやつに隠れるように通した。
今度こそソランはベッドを目指した。
リュネルはしばらくその場で立ちつくしていた。
(お前は本当に察するやつだね)
灯が落ち、家の中の影が厚みを増す。
眠りは浅いかもしれない。
だが、朝は来る。必ず。
最後の灯を消す前、リュネルは窓から空を見上げた。
首飾りに埋め込まれた群青の魔法石が、月の光を拾い、小さく瞬く。
「……大丈夫、ここは変わらせないさ」
誰に向けたとも知れない言葉は、看板の木目に吸い込まれていく。
夜の影は濃く、しかし輪郭を持ち始めている。
素材屋の夜は、次の朝のために畳まれて、そっと置かれた
昼下がり。
街は陽気に賑わい、アルカナ堂にも客が絶えない。
リュネルは帳場に座り、持ち込まれた素材を鑑定していた。
「リュネルさん、この鉱石はどうだ?」
「うん、純度は悪くない。ただ、混じり物が多いかな……相場の3割くらいが妥当だと思うよ」
「まったく、相変わらず目ざといな」
冒険者の男は顔に手を当てて声を上げるが、その顔に不満の色は無く、むしろ笑顔である。
リュネルが冒険者への精算を行っていると、ソランが作業場から威勢よく駆け込んできた。
「先生ー! 皮剥ぎ終わったよ!」
今日も変わらず血気盛んな笑顔に、リュネルは柔らかく目を細めた。
「ありがとう。……でも床を汚さないようにしてね」
ソランの作業着にはベッタリと魔獣の血液が付いており、ソランの歩いてきた後には赤い跡が点々としていた。
「うわっ!やっばー……」
そのやり取りに客が笑い、店は温かい空気に包まれる。
「リュネルさん、この香草、次の晩餐会にどうしても欲しいんだ」
もうすっかり馴染となった料理人が声をかける。
「ちょうど良い葉が育っていますよ」
リュネルが栽培棚から香草を取り出すと、ソランがすかさず手を伸ばした。
「よーし、味見!」
「生で食べると苦いよ」
「えー、いけそうじゃん!」
「んー?じゃあ試してみるかい?」
リュネルが不敵な笑みを浮かべると、その表情にソランが後ずさる。
すかさずリラが笑みを浮かべて菓子を差し出す。
「ソランさん、こちらで我慢してください」
その横で、ルーガルが子ども客に撫でられじっと耐えていた。
狼の耳が小刻みに動き、店先には小さな笑い声が弾む。
外からは夕方の賑わいが聞こえてくる。
リュネルは帳場を整え、リラは閉店の準備を進める。
ソランは作業場の掃除に汗を流し、その横でベルギスがソランへ指示を飛ばしていた。
変わらない日常が今日もまた終わろうとしている。
リュネルは帳簿をつけ終わると、ペンを置いて静かに閉じ、表紙をそっと撫でた。




