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第17話 銀に誓う花と愛

店内は厚いカーテンに遮られ、わずかに隙間から漏れる月光がカウンターを白く縁取っていた。

いつもなら温かいランプの灯が街の安らぎを誘う時間だが、今はただ重苦しい沈黙が空気を支配している。

リュネルは外套を脱ぎ、椅子に深く腰掛けた。

その目の前には、腕を組み今にも爆発しそうなソランと、瞳に深い失望と戸惑いを湛えたリラが立っている。

カウンターの隅では、ベルギスが腕を組みながら二人を静かに見守っていた。

「リュネルさん。……密会の最中にお邪魔してしまいましたでしょうか?」

リラの声は、静かだが鋭い。

まるで冷えた薄氷の上を歩くような緊張感があった。

「密会、か。確かに、端から見ればそう見えたかもしれないね」

リュネルは困ったように微笑み、懐から一冊の古い手帳を取り出した。

それは彼がいつも肌身離さず持ち歩いているものだ。

「おい、先生。隠し立ては無しだぜ。あんた、あのカイルって野郎と何を企んでやがったんだ? リラのダチが泣いてるんだぞ。浮気の片棒を担いでるってんなら、俺だって黙っちゃいねぇ!」

ソランが机を叩き、身を乗り出す。

リュネルはそんな彼の剣幕を柳に風と受け流し、手帳の特定のページを開いてカウンターに置いた。

「いやぁ〜浮気、か。……カイルさんが聞いたら、どんな顔をするだろうね。彼がどれほど必死に、エリーナさんのために奔走していたかを知れば、君たちもきっと今の言葉を後悔するはずだよ」

「エリーナのために奔走……? どういう意味ですか?」

リラが怪訝そうに手帳を覗き込む。

そこにはリュネルの端正な筆跡で、ある植物のスケッチと詳細な観測データが記されていた。

「『プラティルナ』。別名を『月誓花げっせいか』。満月の夜、それも月光が最も強く降り注ぐ一刻の間だけ花開くという、伝説に近い希少種だ。かつてこの地を治めた王が、愛する妃に永遠の愛を誓うために贈ったという逸話があり、男性が自らの手でこの花を摘み、愛する女性に贈れば、二人は永遠に結ばれると言われている」

リュネルの声は、夜の風のように穏やかに店内に響いた。

「カイルさんは、来月のエリーナさんの誕生日に、この花を贈りたいと考えていたんだよ。だが、プラティルナは生息地が極めて限定的で、かつ特定の植生というものがまだ確認されていない。そうなれば、冒険者の知識だけでは到底辿り着けない。だから彼は、藁をも掴む思いで僕の元へ相談に来たんだ」


リュネルが語った真相は、リラたちの予想を180度覆すものだった。

数週間前。カイルは営業終了直後のアルカナ堂を訪れた。

彼はリュネルの前で、岩のように硬い表情をさらに強張らせ、深々と頭を下げたという。

『エリーナは、俺には勿体ないほどの人です。口下手な俺に、彼女はいつも惜しみない愛情を注いでくれる。だから、今度の誕生日には、何としても彼女にプラティルナを贈りたい。俺の生涯の愛を、言葉ではなく形で伝えたいのです』

カイルのその想いは本物だった。

だが、彼は極めて不器用な男だった。

自分の力だけで花を採取することにこだわり、エリーナには内緒で準備を進めようとした結果、不慣れな隠密行動が災いして、最愛の彼女に「浮気」の嫌疑をかけられるという最悪の事態を招いてしまったのだ。

「彼はね、君たちのことも警戒していたみたいだよ」

リュネルが楽しそうに目を細める。

「君たちがカイルさんの尾行を始めた日から、彼には気付かれていたみたいだよ。ソラン、君は鼻が利くし、リラはエリーナさんと仲が良い。不用意に動けばすぐに目的がバレてしまうと考えた彼は、あえて所在を晦ますような動きをしていた。僕が外出していたのは、彼が集めてきた生息地の候補地を、実際に魔力の残滓から検証していたからだ。今日、森へ向かったのは、次の満月の夜に向けた最終的な下見だったんだよ」

「……じゃあ、あの図書館や薬問屋に行っていたのも?」

ソランが呆然と呟く。

「うん。プラティルナの植生環境を彼なりに必死に探そうとしてたんだろうね。薬問屋では、採取した花を枯らさないための保存用魔法薬について相談していたんじゃないかな」

リラは、胸の奥がチリチリと痛むのを感じた。

友人を想うあまりその恋人の誠実さを疑い、あまつさえ尾行という卑劣な真似までしてしまった。

「私……なんてことを。カイルさんのあんなに真っ直ぐな想いを、浮気だなんて……」

リラが項垂れると、ベルギスが組み上げた腕を解き、低い声で言った。

「気にするな。不器用な男と、お節介な女、それに首を突っ込みたがる小僧が揃えば、よくある話だ。……だが、リュネル。お前さんも意地が悪い。リラたちが悩んでいるのに気づいていたなら、一言声をかけてやれば良かっただろう」

「そうだね、リラさんが悩んでいた時は声を掛けようか迷ったよ。でも、ソランが絡み始めてからはやめたよ。ソランは隠し事ができないだろう?カイルさんとの約束を破りかねないからね。」

リュネルは立ち上がり、窓の外の月を見上げた。

「さて、ちょうど今夜は満月だ。そして、カイルさんが森へ向かってからもう数時間が経つ。……結果を見届けに行くかい?」

リュネルがドアの方を指差した。

3人は顔を見合わせ、暫しの沈黙を経て、大きく頷いた。


リュネルに導かれ、一同は夜の森へと足を踏み入れた。

リュネルは杖を片手に森を進み、時折周囲に向けて魔法をかけていた。

深い静寂に包まれた森の奥、ひときわ魔力が濃密に渦巻く泉のほとり。

そこには月光を反射して銀色に輝く、小さな花の群生があった。

花弁は透き通るような白銀で、中心からは淡い燐光が放たれている。まるで月の欠片が地上に舞い降りたような、息を呑むほど美しい光景——それがプラティルナだった。

その泉のほとりで、カイルが跪き、一輪の花を丁寧に壊れ物を扱うような手つきで採取していた。

彼の顔は、泥と傷で汚れていた。

道なき道を切り開き、魔物の気配を避けながら、ただ一輪のために命を懸けてここまで来たことが見て取れた。

「……カイルさん」

リラが小さく声を漏らす。

カイルは驚いて振り返ったが、背後に立つリュネルたちの姿を見て全てを察したように苦笑した。

「リュネルさん……。結局、隠し通すことは出来なかったようですね」

「君の隠密スキルが、うちの子たちの好奇心には勝てなかったようだよ。……でも、カイルさん。今夜はあなたにとって、最高の夜になるはずですよ」

リュネルが指し示した先。

森の入り口の方から、一人の女性が駆けてくるのが見えた。

エリーナだった。

リラが事前に、万が一の誤解を解くために呼んでおいたのだ。

エリーナは夜露に濡れるカイルの姿を見つけると、足を止めた。

浮気を疑い、泣き腫らしたその瞳が、カイルの手に握られた、銀色に瞬くプラティルナに釘付けになる。

「カイル……? あなた、どうしてこんなところに……その花は……」

カイルは立ち上がり、真っ直ぐにエリーナの元へと歩み寄った。

彼は不器用に視線を彷徨わせた後、意を決したようにエリーナの前に膝を突いた。

「エリーナ。疑わせて、悲しい思いをさせて……本当に、申し訳なかった」

カイルの声は震えていた。

「俺は……俺は、言葉にするのが苦手だ。君がどれほど大切で、俺の人生に欠かせない存在なのか、どう伝えれば良いか分からなかった。だから、この花を探していた。君との未来が、永遠に続くように。この花と共に、俺のすべてを君に捧げたい」

銀色の光を放つ月誓花が、エリーナの前に差し出される。

エリーナは口を覆い、大粒の涙を零した。

「馬鹿ね……カイル。そんな花、なくても……あなたの気持ちは、分かっていたのに。私こそ、あなたを信じきれなくて、ごめんなさい……!」

エリーナはカイルの胸に飛び込み、二人は月明かりの下で固く抱き合った。

森の冷たい空気が、二人の体温でわずかに和らいでいく。


「……あーあ。なんだよ、結局俺たちはただの当て馬だったわけか」

少し離れた木陰から、ソランが頭の後ろで腕を組み、不貞腐れたように呟いた。だが、その口元はどこか満足げに緩んでいる。

「ソランさん。無骨なカイルさんのあんな情熱的な姿、滅多に見られませんよ。……でも、本当に良かったです」

リラはハンカチで目元を拭いながら、幸せそうな二人を見つめていた。

すると、抱き合っていた二人がようやく離れ、カイルがエリーナの髪に、優しくプラティルナを挿した。

「似合うよ、エリーナ。世界中の誰よりも」

「……もう、カイル。そんな恥ずかしいこと、どこで覚えてきたの?」

「リュネルさんに、少しアドバイスをもらったんだ。『時には直球も必要だ』と」

エリーナは赤くなりながら、カイルの服の裾をぎゅっと掴んだ。

「ねぇ、カイル。もう隠し事はしないで。……寂しかったのよ、ずっと」

「ああ、約束する。これからは、どんな小さなことでも君に話す。……君が、私のすべてだからだ」

「……うわぁ、甘い! 甘すぎるぜ、あの石像野郎!」

ソランが身悶えするように叫ぶ。

「先生、あいつにあんなセリフ教えたのかよ! 罪深いぜ!」

「ははは、あれは僕も知らないよ。ただ、最近話題になってる小説をいくつか勧めたけど、まさか参考にするとは…。まぁ、愛というのは時には過剰なほどの演出が必要な時もあるからね」

リュネルは肩をすくめ、満足げに頷いた。


街に戻り、エリーナとカイルを見送った後、アルカナ堂の一行は深夜の石畳を歩いていた。

「リュネルさん。……今回は、本当にお騒がせしました」

リラが殊勝に頭を下げた。

「友人への思い込みが激しく、リュネルさんやカイルさんの想いを汲み取ることが出来ませんでした。……私、失格ですね」

「そんなことはないですよ、リラさん」

リュネルは足を止め、彼女の肩にそっと手を乗せる。

「あなたのその正義感と、友人を想う優しさがあるからこそ、エリーナさんはあなたを頼ったんです。結果的に、僕一人で手伝うよりも、君たちが巻き込まれてくれたおかげで、カイルさんの誠実さがより際立った」

「……慰めになってませんよ」

リラは頬を赤らめ、少しだけはにかんだ。

「へっ、俺は最初から怪しいと思ってたんだぜ! カイルの野郎、あんなに鼻息荒く図鑑読んでたんだからな!」

「ソランさん、真っ先に『浮気だ!』って叫んだのはどなたでしたっけ?」

「そ、それはそれ、これはこれだ!」

賑やかな会話を背に、ベルギスが心地よさそうに笑みを浮かべる。

「やれやれ。騒がしい日常が戻ってきたな。……おい、リュネル。店に着いたら、あの『隠し酒』を出すぞ。今夜は祝杯だ」

「珍しいねベルギス、あれは特別な日の為なんだろう?」

アルカナ堂の扉を開けると、いつものように真鍮の鈴が「ころん」と鳴った。

店内には、まだ昼間のハーブの香りが微かに残っている。

看板には三日月と太陽が寄り添い、今夜の物語を祝うように星々が瞬いていた。

日常は、いつも些細な誤解と、それ以上の深い想いで編み上げられている。

リュネルは帳場に座り、手帳の「プラティルナ」のページに一言、書き添えた。

《追記:採取成功。効能は、不器用な二人の絆を永遠にする。……なお、傍観者への副作用として、重度のシュガー・ハイを引き起こす可能性あり。要注意、》

(……なんてね)

リュネルはペンを置き、静かに灯りを落とした。

店の奥からは、ソランの元気な笑い声と、それをたしなめるリラの明るい声、そしてベルギスの重厚な笑い声が聞こえてくる。

アルカナ堂の夜は、今日も静かに、そして温かく更けていった。


それから数日が経った、ある雨上がりの午後。

リラは、カウンターの隅に置かれた一枚の写真を、大切そうに、何度も見返していた。

そこには白いタキシードに身を包み、緊張で顔を真っ赤にしたカイルと、純白のドレスに身を包んだエリーナが最高の笑顔で写っている。

エリーナの耳元には、あの夜に摘まれたプラティルナを加工した、小さなピアスが銀色に輝いていた。

「……本当に、綺麗」

リラが小さく呟くと、後ろから「どれどれ?」とソランが覗き込む。

「あー、あの石像野郎、この時もガチガチだったよな。俺が背中叩いてやらなきゃ誓いのキスも忘れるところだったぜ」

「ソランさん、あれは叩きすぎでした。カイルさん少しよろけていましたよ」

二人の軽口が店内に響く中、リュネルは窓の外を眺め、柔らかく微笑んだ。

リラは写真を棚の特等席に戻すと、いつものように背筋を伸ばし、銀のトレイを手に取った。

その表情には、友人の幸せを分けてもらったような、晴れやかな光が満ちていた。

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