第11話 再会と依頼
冒険者ギルドは今日も溢れんばかりの活気と、独特の熱気に包まれていた。
そこは希望と野心が渦巻く場所だ。新たな依頼を求めて鋭い視線を掲示板に送る者、死線を共に潜り抜ける新しい仲間を真剣な面持ちで探す者、そして命を預ける装備の点検に余念がない者――。
掲示板の前で報酬を巡って揉める野太い声、武具を磨く油と錆落としの鼻を突く匂い、さらに酒場側からは昼食の仕込みを急ぐ包丁の軽快な音が響く。大広間は、幾重もの感情が交錯するいつもの喧噪に塗り潰されていた。
リュネルは受付の一角、そのさらに際という喧騒から一歩退いた場所で、ギルドの職員と静かに言葉を交わしていた。
「例の薬草ですが、今期は気候の影響もあり入荷は少なめになります。ですが、同様の効能を持つ代替素材であれば、早急に手配できますよ」
「助かります、リュネルさん。不足分が出たらその時はまた、すぐにお伝えしますので」
職員は安堵の色を浮かべ、書類が収められた控えの木箱に確かな手つきで印章を押す。短いながらも信頼の厚いやり取りを終え、リュネルは受理された書類を受け取った。軽く一礼してその場を去ろうと背を向けた、まさにその時――。
「だから、やる気はあるんです! 誰にも負けないやる気だけは、山ほどあるんですから!」
人混みの向こうから、記憶の隅に引っかかる聞き覚えのある声が響き渡った。
足を止め、リュネルの群青の瞳が自然とその方向へ向く。声の主は、つい先日ジャングルの探索区で危機から救い出した女冒険者――ソフィアだった。持ち前の不屈の精神(あるいは、無鉄砲さ)で今日も猛進しているようだ。新たなパーティへの加入を直訴しているのか、それとも無謀な仕事の相談か。
彼女の相手をしているベテランらしき冒険者は、困り果てたように首を左右に振る。
「気持ちはありがたいんだがね、お嬢さん……。酷なようだが、今の君の力量では、この依頼は到底受けられない。命を捨てるようなものだ」
「そ、そんな……! お願いします!」
しゅんと、目に見えて肩を落とすソフィア。握りしめられた申請書の角が、彼女の焦燥を物語るように手汗で少しふやけている。その健気で、けれど危うい姿を目にして、リュネルは小さく溜息をついた。
「やっぱり……貴女でしたか」
独り言のように漏れた静かな声は、雑踏の中でも不思議と彼女の耳に届いたらしい。振り返ったソフィアの瞳が、驚きに大きく見開かれる。
「リュネルさん……! こんなところでお会いするなんて!」
ソフィアの肩はなおもしゅんと落ちたままで、申請書を指先で握りしめたまま、受付の前で消え入るような声で呟く。
「もう……今ので12回目です。あ、パーティメンバーへの勧誘を断られたのも含めてますけど。私、一体何がいけないのでしょう。ほんと、やる気だけは人一倍あるんですよ」
「情熱を抱くのは素晴らしい美徳ですが、それだけでは実力が伝わらないんですよ」
リュネルは、迷える子羊を見るような柔らかい微笑みを浮かべていた。
「この前は大変な災難でしたね。……よろしければ、それを見せてもらえますか?」
彼が細い指先を差し出すと、ソフィアは戸惑いながらも申請書を差し出した。それを横からソランがひょいと覗き込み、驚愕の声を上げる。
「うわっ、マジかよ! 本当に自己紹介欄に“やる気しかない女”って書いてある! 潔すぎてすげぇな!」
「そ、それは大きな声で言わないで! 恥ずかしいんだから!」
顔を真っ赤にして抗議するソフィアに、リュネルは困ったような苦笑を漏らす。
「……ソラン」
リュネルは静かな眼差しでソランを制した。
リュネルは視線を申請書とソフィア本人との間で何度か往復させ、彼女の本質を見極めるように、言葉を選ぶ間を置いた。
「ソフィアさん、握力は? 日常的に、どれくらいの重量の物を持ち運びできますか?」
「え? あの、えっと……突然ですね。…水桶なら2つ……いえ、満杯だと1つ持ち上げるのが限界です」
ソフィアは突然始まった専門的な質問攻めに狼狽えるが、リュネルはそんな反応を意に介さず、彼女の肉体から緻密なデータを引き出していく。
「呼吸は浅くなりやすく、緊張で早まるタイプですね。この前のダンジョンで、体力を底上げする魔法で足を無理やり動かした時、胸の奥に鋭い痛みはありませんでしたか?」
「あ、ありました……少しだけ。でも、我慢できないほどでは」
「なるほど、わりと我慢強い。聞き手は右ですね。――右手を。掌を上にして出してください」
リュネルは懐から小さな魔法石を取り出し、ソフィアの手の上にかざした。
淡い燐光が揺らめき、彼女の周囲を包み込む。その光は彼女の心臓の鼓動に同期し、微かに熱を帯びて温度を上げた。
「……やっぱり。貴女には体力の回復、そして仲間を一時的に強化する付与魔法の資質がありますね。これはかなり希少ですよ」
「えっ、わ、私に、そんな特殊な力が……?」
「自覚がない? 冒険者登録の際に行う素質の確認をすると思うけど……後から会得したのかな。極度のストレス下で初めて発現する能力もありますからね」
リュネルは顎に手を当て、専門的な推論をぶつぶつと呟きながら考え込む。
しばらくして、何か運命のパズルが解けたような晴れやかな表情で、リュネルは羊皮紙を広げ、そこに記されたあるパーティの名を指し示した。
「ちょうど今、補助役の一人が欠けて困っているパーティがいるんです。リーダーは非常に信用できる人だし、貴女の力をきっと活かしてくれますよ」
ソフィアは驚きと、信じがたい喜びで目を潤ませる。
「そんな……本当に……? 夢じゃ、ないんですよね?」
「選ぶのは貴女自身です。でも、ただの“やる気”だけでなく、“貴女にしかできないこと”を見せられる場所へ行った方が、貴女自身も輝ける」
ソランが横からにやりと悪戯っぽく笑う。
「よかったな! これで“やる気しかない女”は本日をもって卒業だ!」
「だから! その名前で呼ばないでってば!」
ソフィアの悲鳴に近い叫びに、周囲の冒険者たちの間にも温かな笑いが広がった。その笑いは決して悪意ではなく、不器用な新人の門出を祝うような、肩の力を抜く種類のものだった。
ギルドの喧噪が続く中、リュネルはソフィアの申請書を丁寧に畳み、受付の職員に声をかけた。
「すみません。本日、グレイス隊長はいらしていますか?」
「はい、先ほどまでギルドマスターと部隊長ミーティングが行われていましたので、まだの執務室にいらっしゃるはずですよ。少々お待ち下さい」
受付の女性が奥へ消え、しばらくたって階段から背の高い男が現れた。冒険者らしからぬ落ち着いたフォーマルな装いに身を包み、すべてを見透かすような穏やかで力強い眼差しを持つ男――グレイス。
「ハハハ、あのリュネルが直接頼み事を持ってくるとはな。今日は槍でも降るんじゃないか? 珍しいじゃないか」
「僕もそう思っていますよ。だからこそ、本当に信用できる人にと思いまして」
グレイスは興味深げに片眉を上げ、ソフィアへと視線を移した。
「で、その子が例の?」
促され、ソフィアは慌てて直立不動で頭を下げた。
「は、初めまして! ソフィアと申します! 実力はまだ追いつきませんが、やる気だけは……やる気だけは誰にも負けません!」
グレイスが、思わずといった風に苦笑する。
「……ずいぶんと正直な挨拶だな」
「それしか書いていないんですよ」
リュネルが、やれやれと肩をすくめる。
「本当に、文字通り“やる気しかない女”なんですよ」
とソランが楽しそうに茶々を入れる。
「もう、やめて下さいってば! 自己紹介はやり直しますから!」
ソフィアは林檎のように頬を赤らめてソランに抵抗する。
グレイスは喉の奥で愉快そうに笑い、すぐに歴戦の戦士らしい鋭い表情を引き締めた。
「だが……リュネルが薦める人物なら、俺は疑わない。これまで彼に騙されたことは、ただの一度もないからな」
リュネルは少し照れくさそうに苦笑し、小さく手を振った。
「大げさですよ。ただ、彼女には素晴らしい資質がある。それを正しく活かしてくれるのは、貴方の隊をおいて他にないと思ったのでね」
その一言に、ソフィアは再び目を潤ませる。今まで、これほどまでに自分という存在を正面から評価してくれた人々はいなかった。自分でも自信を失い、半分ヤケクソでこの場に立っていた彼女にとって、それは魂が救われるような思いだった。
「わ、私を……仲間に入れてくださるんですか……?」
「ああ。ちょうど腕のいい補助役を探していたところだ。歓迎するよ、ソフィア」
「……展開、早っ!」とソランが驚きの声を上げる。
「信頼って、そういうものだからね」
リュネルは満足げに笑って受け流した。
「ありがとうございます! 私、一生懸命頑張ります!!」
ソフィアは、体中の水分がすべて枯れ果てるのではないかというほどの勢いで涙を流した。リュネルとソランはそのあまりの激しさに若干引き気味だったが、グレイスは百戦錬磨の冒険者らしく、和やかな表情で頷きながら彼女の熱意を笑って受け止めていた。
一旦、ソフィアを落ち着かせて席へ促した後、グレイスは表情を一段と引き締め、声を落としてリュネルに向き直った。
「それと……ちょうど良かった。実は、少し厄介な依頼が入っていてね。君の深い専門知識がどうしても必要なんだ。リュネル、力を貸してくれないか?」
「……これまた急ですね。ですが、分かりました。詳しくお聞きしましょうか」
「そうだな。込み入った話になる。明日の朝、改めてギルドで顔を合わせよう。そこで詳細を話す」
こうしてソフィアは新たな居場所を見出し、リュネルたちには次の依頼への糸口が示された。
別れ際、ソフィアは地面につくほど深く頭を下げる。
「本当に……本当にありがとうございます。リュネルさんには、なんとお礼をしたら良いか。私、死ぬ気で頑張ります! やる気だけじゃなく、私にしかできない特別なこと、必ず見つけてみせますから!」
「そんなに意気込まなくて大丈夫ですよ。まずは呼吸を整えて、よく食べて、よく寝るところから始めてください」
「りょ、了解ですっ!」
目は真っ赤に腫れていたが、その顔は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。
彼女の新たな門出を祝福するように、高い窓から差し込む昼の光が、彼女の背をやわらかく押した。
翌朝、冒険者ギルドの大広間。
昨日までの爆発的な喧噪とは打って変わって、朝の落ち着いた時間帯だったが、依頼の受注や報告に訪れる者たちでやはり独特の活気がある。
リュネルとソランが姿を現すと、すぐに奥の円卓から声がかかった。
「こっちだ」
低く、けれどよく通る声の主――グレイスが席を立ち、彼らを手招きする。
テーブルの上には、数枚の古びた地図と詳細な依頼書が広げられていた。
「改めて説明しよう。今回の依頼は、西の湿地帯に位置する《苔喰いの洞》の内部調査だ」
「苔喰いの洞……」
リュネルの群青の瞳が、知識を検索するように細められる。
「確かここから西、湿地帯の最深部にある探索区ですね。1年中厚い苔に覆われていて、常に有毒な苔の胞子を含んだ毒霧が立ち込めているという、あの……」
「なぁ、そもそも何で苔“喰い”なんて不気味な名前なんだ?」
ソランが素朴な疑問を投げかける。
「洞窟一帯があらゆる種類の苔に埋め尽くされているんだよ。まるで岩肌を苔を喰らっているかのように、数百種類もの苔が複雑に繁茂している。今でも学術的な新種が見つかることがあるほどでね。ここでしか発見されていない希少な変異種もあるから、僕も素材屋として時々様子を見に行きたいと思っていて――」
「分かった、分かったから! その話また後でたっぷり聞くから!」
瞳を爛々と輝かせ、専門知識を語り出したリュネルを、ソランは慌てて遮った。グレイスはそんな二人のやり取りを、どこか微笑ましそうに眺めていた。
「――っ、失礼しました。続きをどうぞ」
リュネルが咳払いをし、居住まいを正す。グレイスは頷き、依頼書の一節を指で叩いた。
「最近、その洞窟から流出する水が下流にある村人たちの生活水源を汚染し始めている。調査と併せて、洞内を汚染している元凶――巣食っている魔獣の排除が今回の主目的だ」
ソランが力強く腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
「なるほどな。つまり、俺が派手に大暴れしていいってことだろ?」
「暴れすぎて洞窟を崩落させないでよ」
リュネルが釘を刺すように横目を向ける。
「せんせぇー、流石のオレだって洞窟をぶっ壊すほど加減ができないわけじゃ――」
「キミならやりかねない」
間髪を入れない冷徹な指摘に、ソランはぐうの音も出ずに小さくなった。
軽口に一瞬和んだ空気の中、グレイスの表情が一層の真剣味を帯びる。
「ただし、最大の問題は“未知の魔物”の存在だ。先日調査に入った偵察班の連中が、奥部で見たこともない巨大な影を目撃したと言って逃げ帰ってきた。どうやらそいつが、今まで以上の濃密な毒霧を自在に操っているらしい」
「未知の魔物……そして毒霧の操作、ですか」
リュネルは唇に指を当て、深く思案の色を浮かべる。
「繁茂する苔の種類と環境を鑑みると、呼吸系、あるいは胞子を媒介する器官に特異な発達を遂げた変異種かもしれません。正体を突き止めない限り、洞窟の本格的な探索はおろか、安全な素材収集もままならないでしょうね」
「君に頼みたいのはまさにそこだ。俺たちは戦う術は持っているが、未知の素材や環境異常に対する知識はどうしても乏しい。毒霧の正体を解明し、無力化の方法を見つけなければ、根本的な解決は望めないんだ」
ソランがにっこりと相好を崩し、リュネルの背中を景気よく叩いた。
「ほら見ろ、やっぱり先生の出番じゃないか!」
「……ちなみに、ギルド専属の探索調査班はどうしたのですか?」
リュネルの問いかけに、グレイスはただ無言の、けれど全幅の信頼を寄せた笑顔で彼を見つめるのみだった。
「……はぁ。まぁ、いつもの事ですよね」
リュネルは観念したように肩を竦め、やれやれと依頼書を受け取った。
「分かりました。僕たちも調査に同行し、その未知の魔物の正体と毒霧の因果関係を解明しましょう」
「あぁ! 君ならそう言ってくれると信じていたよ」
こうして素材屋に新たな未知への仕事が舞い込んできたのである。




