1-4 納税の義務
俺が死んだのは、西暦二〇二〇年の頃だった。別にトラックに轢かれたわけでもない、病気でもない、通り魔に刺されたわけでも、非業の死を遂げたわけでもない。
ただ、職場の階段から落ちて死んだだけだった。
次に目を覚ましたのは、緑豊かな森の中だった。銀色の長い髪をした女性と、金色の短い髪をした男性の間に生まれた銀色の髪の子供、それが俺だった。
この時代には既にほとんど存在しない、ハイエルフの子供。
ハイエルフの言葉、サクルム語で“輝く”という意味のミコと名を付けられた俺は、ずっと人間が住む街への羨望が止まなかった。
だからこそ、成人してすぐに街へ出たのだった。
セレニティ国の首都ルーメン。
俺は何度か冒険者の元に呼ばれては冒険者が逝去したり、ダンジョンの中で死亡したりとして、ギルドの中を揺蕩っていた。
そんなある日、俺は現在の相棒となる冒険者の男性に出会ったのだ。
彼は何よりも税金を憎んでおり、それを支払いたくないからこそ冒険者になったのだと言って憚らない人間だった。
「君は、この世界の歴史に興味無いのかい?」
「無いね。そんなものに興味があるなら、冒険者じゃなくて政治家になってるだろ」
「ははっ、確かにそうだ」
「お前は?」
「ん?」
「お前は、なんで相棒になろうと、人間を守ろうと思ったんだ」
フィニスの言葉に思考を巡らせる。
「そうだな……多分、俺が消えたくなかったからじゃないか」
「は?」
「俺が俺として生きられるのは、この生き方だと思うんだ。だから、こうして生きているんだ」
俺の言葉に納得したのかしていないのかは分からないが、フィニスは「ふうん」と一言落としてギルドの受付へと繋がるゲートへと足を踏み入れ……冒険者にも納税の義務があることを知った。
そこからは早かった。屋敷付きの冒険者では無くギルド所属の役人になることになったのだ。
フィニスは最大限に値切ったものの、税金は値切れないという言葉に脱力していた。
フィニスと共に様々な場所を巡った。どのパーティも冒険者を亡くしたり、冒険者によって無為の死を迎えた魔力生物の姿があったりと様々だった。
その中でもごく最近のパーティでの出来事は、フィニスですら心を痛めていたものだった。
俺からの報告を聞いたイグニスが眉を顰めるほどに。
そのパーティは、理想的ともいえる冒険者と魔力生物のもと、五年間穏やかに運営されていた。
屋敷の庭の草木は綺麗に刈られ、池は美しいものの、冒険者の死によって僅かに澱んでいた。
その時は庭の澱みは冒険者の死によって生まれたものなのだと信じていた。それが違うと分かったのはゼノの話を聞いてからだった。
このパーティでは日常的に魔力生物たちによる冒険者への精神的暴行が行われていたのだ。
それは直接的な加害では無く、執事を務めていた彼女の初めての相棒への恋心を揶揄するものや嘲弄する詩を詠み囃し立てるようなもので、俺とフィニスはそれを悪質であると判断した。
その首謀者である魔力生物の処刑とパーティ自体の解体をゼノへと告げると、彼は一ヒの短刀を取り出し俺へと差し出す。
俺の相棒であるフィニスへ直接渡すことは敬意に欠けると思ったのかもしれない。
「この短刀は、ハーフリンクのミニウエレのものです。マーテルさんが亡くなった時、彼のこの刀が供をしておりました。どうか彼だけは残してくださいませんか」
ゼノからの言葉に俺は下唇を噛んで困ったという表情をフィニスに向ける。フィニスは露骨に迷惑そうな顔をしたが、それでも無言で刀を受け取った。
そして、その短刀を俺の袷へ突っ込んだ。
「俺にその権限は無いからギルドへ戻ってから聞くしかない。その結果によってはお前の望む結果にはならないかもしれない。それでも良いな?」
「はい、よろしくお願いします」
ゼノは主の言葉に笑みを浮かべ、床へ両手を突いて軽く頭を下げる。
主が魔導タブレットを開く。
「特定自治団体管理者コードE五七〇〇ー八七五〇、ギルド所属捜査官、【フィニス】だ」
『特定自治団体管理者コードE五七〇〇ー八七五〇、特定自治団体管理者名【フィニス】。魔力照合完了しました』
「権限を、冒険者コードG〇〇二八ー四四七一、冒険者名【マーテル】からギルド所属捜査官コードE五七〇〇ー八七五〇、役人名【フィニス】に移行」
『魔力認証完了、権限移行完了しました』
フィニスへ一時的に権限が移った屋敷の中で一つ柏手を打つ。そうすれば目の前にいたゼノも薄く微笑んだ顔のまま薄く溶けていく。
これで、マーテルの記憶と魔力は彼らの中から消えて、次の冒険者と繋がるまでただ眠ることになるのだ。
俺はその様子を見てから、部屋を出て彼女を苛め抜いたらしい魔族がいた部屋へと入る。そこには何も残ってはいなかった。
ただ、彼らがいた痕跡だけが残っている。
「君たちは、冒険者を殺したかったのかい?」
問いかけてももう応えは返らない。そんなことは知っていた。不意にデスクが目に入りその抽斗を開ける。
その中に一通の手紙が入っているのを見ると、既に誰もいない部屋の中を見て鼻を鳴らす。
「読むぜ」
開いた手紙にはただ『マーテル様』と書かれているだけで、それ以外には何も無い。それに息を吐きだす。
「君、馬鹿じゃないのか。伝えねば伝わらないだろう」
きっと彼等は、あの小さな女性に恋では無いが何か想いを抱いていたのだろう。
まだ二〇代ほどの女性だったという。人間からハイエルフと変化して生きてきた俺ですらまだ若い少女だと感じるのだ、ずっと魔力生物として生き、魔力生物として生活してきた彼等にとっては小さくて可愛くて仕方のない子供のようなものだろう。
その小さな子供をかわいがる方法が嘲弄だったとはあまりにも救われない。
俺は、そう思うだけだった。