1-3 納税の義務
私は自分で言うのもどうかとは思うが優秀な冒険者だった。
冒険者という職が一般的になるよりずっと前から、冒険者が公務員になる前から冒険者の一族だった。
だから、私が冒険者になるのも当然の結果だった……のだと思う。
冒険者になる前の最後の研修先になったのはノヴァという冒険者のパーティで、そこで私は運命とも思える種族、アニマリア族の狼獣人に出会った。
研修が終わった私が最初に札を取って魔力を通すと、繋がったのはアニマリア族の狼獣人、ループスだった。
ノヴァさんのところで出会った狼獣人とは違い、ループスは狼のマズルを持ち、獣性が強い外見をしていた。
その後は、まるでお花畑になったんじゃないかというくらいに浮かれていたと思う。
最初のうちは隠せていたんじゃないかと思っていた。でも、徐々にループスから掛けられた声とか、仕事のためとは言っても同じ部屋にいることとか、そういうちょっとしたことに少しずつ、ループスも私のことを好きでいてくれてるって思い込んでいた。ループスはただ、仕事として、冒険者として私のことを見ていただけなのに。
パーティが軌道に乗ってきた、冒険者になってから五年目のことだった。不意に詩を詠む声が耳に届き始めた。
それにケラケラと笑い声を上げて私の方を見るパーティメンバーたち。
それが歌合せだと気が付いたのは、彼等が顔を扇子で隠して次々に詩を詠っているからだった。
その声音と笑い声から私を嘲弄する歌だというのは分かったし、なんとなく私がループスのことを好きなことに気が付かれているんだと分かった。
途端に顔が熱くなる。恥ずかしくて恥ずかしくて、煙が出そうだった。
すぐに自室へ入ってもあの笑い声が耳に残って泣きそうだった。
喉の奥が詰まり、目の裏が熱を持つ。
でも、泣いてはいけない。
じわりと滲んだ涙を拭う。
「わたしは、つよいぼうけんしゃ、だから……」
涙に震える声が漏れて、立っていた足が震えて、でも座り込むことなんてできなかった。
きっと、座ったら私はもう立てなくなっちゃう。顔を覆って壁に凭れていると、不意に傍らに誰かの気配を感じる。
「マーテル」
優しい声。私の二人目の相棒のミニウエレだった。
「ジジイたちは怒っといたからさ、だから」
ミニウエレの言葉に頷く。
涙に濡れた「ありがとう」はちゃんとミニウエレに届いたみたいで、彼は泣きそうな表情で頷いてくれた。
けれど、人間ではない彼には、きっとわからない。「好き」という感情が、どうしてこんなにも罪にされるのか。
「私は、滑稽かな」
「そんなこと、無いと思うぜ」
でもミニウエレの表情から理解してしまう。
彼らに、私の気持ちは分からない。
いつか聞いたことがある。ハーフリンクやエルフなんかの魔力生物は、人間とはまた違ったものの見方をしていると。
魔力生物はそれぞれが、それぞれの内なる法で動いていて、だからこそ誇り高いんだと。他人に突き付けたものを自らに向ける強さ、善を快く感じてしまう心、そういったものが魔力生物にはあるのだと一〇〇年は前に存在していた冒険者の手記で、私は知っていた。
でも、さっきの魔力生物の醜悪な笑みは善だっただろうか。彼等にとっての善とは、なんなんだろうか。
ミニウエレが淹れてくれたお茶を飲みながら茫と考える。
終わりにしようと思った。全部、私が伝えて終わりにしよう。
その日は、雪の降る聖女神の月の初めだった。私があの歌合せに気が付いた日から四か月も経っていた。
でもきっと魔力生物からすれば四か月なんて“たった”なんだろうと思う。
昼にループスを呼び出すと、彼等はまたあの嫌な表情を浮かべて歌を詠む。
その視線が怖いとさえ思ってしまう自分が情けなかった。それに傷付くのも、疲れていた。
三六五日、二四時間を共にする場所で悪意に晒され続けた私の心はもうすっかり疲れ切ってしまっていた。
「ねえ、ループス。もう、知ってるかもしれないけど、……私はあなたのことが好きだよ」
ループスは少しだけ迷って、それから狼のような口元を隠す面頬へ手を掛ける。ループスは通常よりもずっと獣性が強い獣人である自分を、恥じていたからその面頬を外すことは無かった。
だから彼は、それを外すことはせず、屈んで肩に乗せていた友達のリスを床に下ろしてから部屋から出した。リスは声を上げることも無く頷いて部屋の前に後ろ脚を揃えて座っていた。
ループスは静かに部屋の障子を閉める。この部屋の中、私たちは二人きりだった。
「うん、ありがとう。俺は嬉しいよ」
静かな声だった。
最初リスが話すのはループスの腹話術だと思ってたことを思い出して思わず笑ってしまった。
それにループスは首を傾げるも、私のなんでもないよという言葉に頷いてくれた。
ループスの、こういうところが私は好きだった。優しくて、穏やかで、私を私として扱ってくれる。
外見は怖く見えるのに、実際はとても優しい。
「でも、俺はそれを受けることができない。俺はアニマリア族の獣人で、きみは人間だから。それは俺がマーテルのことを嫌いだとか、そういうことじゃない。ただ俺はマーテルとそういった関係になることを望んではいない」
ループスからの言葉に私はゆっくりと深呼吸をする。満足だった。
「ありがとう、ループス。私のせいでループスも笑いものになっちゃってごめんね」
そう伝えると、ループスは少しだけ驚いたような顔をして、それから泣きそうに顔を歪める。
「きみは悪くないよ。あれは……とても良くないことだ。確かにきみは……パーティの監督不行届きだとは思う。でも、だからと言ってきみが笑われて嘲弄されるのは違う」
何度も考えながらゆっくりと与えてくれる言葉に、私は心が晴れるような心地になった。
「ありがとう、ループス。これからもよろしくね」
そう嘘を吐いて、私はループスを部屋から出す。ループスは部屋の前で屈んでリスを肩へ乗せて去っていく。
私はそれを見届けてから魔導動物型アンドロイドの鳥を呼び出して、ギルドへ書状を送るように伝える。
私はその足で冒険者用の浴室へと向かった。その浴室には私しか入らないことは分かっていたし、誰も来ないことは理解していたから。
だから私は、その湯が張った浴槽に服を着たまま入って、ゆっくりと息を吐き出した。
「お母さま、お父さま、最後までお役目を全うできなくてごめんなさい」
両親へ言葉を落として手に持った、ハーフリンクが使っている短い刀で自分の首を掻き切る。
「ミニウエレの刀、って重いんだね」
鋭利に切り開かれた私の喉から微かな音が漏れる。
私の言葉がミニウエレに届いていたら、きっと「だろ? 切れ味も抜群なんだ」と言ってくれていただろう。
悲しいなと思った。私はきっと、パーティメンバーたちとも仲良くできていたと、そう思っていたのに……。
温かいお湯に浸かっているはずなのに全身が冷えていく。爪先が、手指の先が、冷たくてもう感覚も無かった。
来世では幸せになりたいな。
誰にも笑われず、誰にも嘲られず、ただ笑って過ごせる日々を。
ただ、そういう日々を過ごしたいだけだった。