第9話 天糸使いの歓迎
シキ・グレイヴァルドの身体に、俺の魂が入ってから、もう二週間が過ぎた。
この二週間――正直、退屈する暇はなかった。
というのも、元々“落ちこぼれ”として学園でも有名だった俺が、突然堂々と胸を張って歩くようになったのだから、最初の一週間は毎日のように絡まれた。
まあ、大体の奴は、目を合わせて気迫を込めてやればビビって引き下がる。
それでも「生意気だ!」と言ってくるしつこいのは裏庭に連れて行かれるが、一発だけ殴れば済んだ。
昔の俺なら、それだけで何日も噂の種になっていたはずだが――今は「シキが変わった」「魔力覚醒をしたかもしれない」なんて、微妙に間違った噂が先行しているおかげで、絡んでくる者も随分減った。
俺としても、面倒が減ってありがたい。
今日も朝の廊下を堂々と歩いていると、あの三人組――ヴァルド、ルカ、ジルドがこそこそと歩いているのを見かけた。
俺を見つけるなり、すごい勢いで目を逸らして、違う方向へ行こうとする。
逃がすか、とばかりに一瞬で回り込んでみせる。
「よっ」
「わあぁぁ!?」
十数メートルは離れていた俺がいきなり目の前に現れたのだ。
三人は「ひぃっ」と情けない声を上げて立ち止まった。
「お前ら、ちゃんと噂流してるようだな。よかったよかった」
そう声をかけると、三人は揃って、まるで借りてきた猫のように頭を下げる。
「も、もちろんです!」
「シキ様のご命令通りに!」
「これからも全力で流します!」
……シキ様、はやめてくれ。
思えば、こいつらとも色々あった。
一度三人まとめてボコった後、「これで懲りたか」と思っていたら、数日後にはまた三人が一斉に闇討ちを仕掛けてきた。
虚を突いたつもりなんだろうが、『心星』を鍛えれば気配察知など朝飯前。
むしろ、「あ、来たんだ、また」と思って待っていたぐらいだ。
気配を読んで、逆に裏から回り込んで徹底的に叩きのめしてやったら、さすがに二度と逆らおうとしなくなった。
絡まれるのが面倒になったので、「シキは魔力覚醒したかもしれない」という噂をヴァルドたちに流させた。
もちろん魔力覚醒なんてしていない。
星流を鍛えただけだ。
だが、それを信じて舐めてくる奴が減るなら安いものだ。
「これからも頼むぞ」
俺がそう言うと、三人は引きつった笑みで頷く。
「ま、任せてください……!」
そんなに怯えなくてもいいだろうに。
教室に入ると、ノエルとリサがそれぞれの席にいた。
二人に軽く会釈を返す。
リサは、目が合った瞬間に小さく手を上げてくれる。
ノエルも控えめに「おはようございます」と声をかけてきた。
「おはよう」
俺もそれぞれに返し、席に着く。
魔術の授業が始まる。だが、特に話は聞いていない。
正直、俺には魔術は必要ない。
前世でも魔術らしきものはあったが、最終的には拳一つで全てを解決してきた。
星流を極めれば、どんな魔術も拳で霧散できる。
二週間前よりも、星流を巡らせるのもずっと上手くなった。
だが、全盛期の自分には遠く及ばない。
二割も実力はいっていないだろう。
まだまだこれからだ。
ふと隣を見ると、ノエルもリサも、授業を軽く聞きながらも星流を巡らせているようだ。
二人とも星流を教えてから、明らかに身体の動きや集中力が変わった。
成長が意外と早いので、鍛えている側としても楽しい。
もっとも、血反吐を吐かせるほどは追い込んでいない。
これでも手加減しているのだ。
前世の弟子たちは、本当に血反吐を吐いていたし、それ以外のよくわからない液体まで吐いていた。
それを思い出すと、今の俺は随分優しい師匠だな、うん。
そんなことを考えているうちに、授業が終わる。
今日の放課後は鍛錬場には行かない。
リサに招待されて、クロ―ディア家の屋敷に行く約束をしていた。
「今日は、家に来てほしい」
リサにそう言われた時、ノエルは「私も行きたい」と言ってくれたが、リサが珍しく強い口調で断った。
「ダメ。今日は、シキだけ」
いつも以上に真面目な目つきだった。
ノエルは渋々うなずいて、代わりに「絶対に無事で帰ってきてください」と俺に小声で告げてきた。
「大げさだな。家に招待されただけだぞ」
そう返して、俺はリサと共に学園を後にする。
クロ―ディア家は子爵家だ。
子爵家ならそこまで大きな屋敷はないだろう――と思っていた。
実際に、門構えや外観は予想通りだった。
だが、屋敷に足を踏み入れた瞬間、俺はすぐにそれが違うことに気付いた。
――この屋敷、地下がある。
しかも、俺の家、グレイヴァルド伯爵家の屋敷よりもはるかに広い空間が、地下に隠されている。
この家は、ただの子爵家ではない。
「こっち」
リサが無表情のまま、俺を先導する。
長い廊下を抜け、リビングの奥の壁――そこに隠し扉のようなものがある。
リサが器用にカチリと何かを押すと、音もなく壁が開いた。
「すごいな。男爵家でここまでやるか」
「見ての通り、クロ―ディア家は普通じゃない」
リサの言葉はあくまで淡々としているが、その奥には妙な誇りがあった。
「天糸――シキが言う星流の秘術がある家だから」
「なるほどな」
俺は頷き、そのまま階段を降りる。
薄暗い螺旋階段。石の壁には無数の小さな明かりが灯っていた。
空気が一気に冷たくなる。
地下に降りると、広い空間が広がっていた。
道場というより、地下迷宮に近い。
「ここで……みんな、待ってる」
「みんな?」
俺が首を傾げると、リサは一度だけ短く頷く。
そして、リサが一歩前に出て、奥の扉を開ける。
――瞬間。
天井の隙間や壁から、数十本の矢やナイフが一斉に飛び出してきた。
しかも矢には毒や油の臭いがある。
普通の人間なら避ける暇もなく串刺しになるだろう。
「ははっ……これは歓迎のつもりか?」
思わず笑ってしまう。
矢もナイフも、俺の前に届く前に手の甲や指先で弾き返す。
剛星を張っておけば、矢もナイフも爪楊枝みたいなものだ。
「おいおい、もう少し捻りのある罠はなかったのか?」
茶化しながら歩を進めると、今度は黒装束の者たちが、四方から一斉に高速で迫ってきた。
その動きは普通の人間じゃない――星流を通した動き。
「この世界で言う、天糸使いってやつか」
――面白い歓迎じゃないか。