第8話 ノエルの事情と、婚約者の裏
ノエル・アーデルハイトは、魔術至上主義の家に生まれた。
アーデルハイト家は名門中の名門。
その魔術の力で王国の発展を支えてきたと自負する貴族家であり、ノエルの父も、そして兄二人も、王国中で知らぬ者はいないほどの天才魔術師だった。
兄レオンハルトは“第八階梯”を自在に操る。
小さい村だったら一発で壊滅させるほどの力――第八階梯。
それはもはや人間兵器という域であり、アーデルハイト家の誇りであり、家の名誉でもあった。
『ノエル、今日はどこまでできた?』
六歳の頃のことだ。
兄のレオンハルトが、魔術演習用の杖を肩に乗せて、ノエルを見下ろしていた。
『う、うん。第二階梯の火球は出せたよ』
『第二階梯? まだそれだけか?』
レオンハルトは呆れたように眉をひそめた。
もう一人の兄、ヴィクトルも口を開く。
『はっ、外れは外れなりに頑張れよ』
『うん……』
ノエルはうつむき、握った杖を強く握りしめた。
兄たちはとても優秀だった。
兄弟で比べられるのは日常だったが、ノエルにとっては苦痛以外の何物でもなかった。
『なぜあなたは兄たちのようにできないの?』
母の冷たい声。父も無言で溜息をつく。
『うちの子がこれでは、家の名が泣く』
『ごめんなさい……』
ノエルの謝罪は、いつも宙に寂しく消えた。
魔術学園に入ると、ノエルは最底辺のF組に振り分けられた。
魔術適性で下から数えたほうが早い。
入学直後、兄たちや両親はしばらく口もきいてくれなかった。
F組にはノエルと同じように「外れ者」と呼ばれる生徒が多かったが、なかでも特異だったのはシキ・グレイヴァルドだった。
魔術が一切使えない。
それでいて、やたらと体を鍛えている。
入学当初から悪目立ちしていたが、どこか不思議と気になる存在でもあった。
その彼が、ある日を境に変わった。
一週間ほど学園を休んでいた後、シキの態度は自信に満ち溢れ、目の光がまるで別人のようになった。
実力も、信じられないほど伸びていた。
魔力覚醒かと思ったが、本人は頑として否定する。
『魔術でも、魔力でもない』
そう言い切る。
その強さを見せつけられたのは、訓練場での出来事だった。
第七階梯でも壊れないとされる人型の的――それを、シキは拳一つで木っ端微塵に砕いた。
(第八階梯の威力……兄さんと同じ。いや、それ以上かもしれない)
思わずノエルはぞくりとした。
あの瞬間、自分は“人間兵器”と同じ力を持つ者を目の前にしているのだと、理解してしまった。
弟子にしてほしいと頼んだ時、彼は驚くほどすんなりと了承してくれた。
「弟子をとるのは嫌いじゃない」と、どこか懐かしげに笑ったシキの顔を、ノエルは思い出す。
彼が扱う星流は魔力や魔術とは違うもので、自分の中にも流れていたものだった。
ただ彼が言うには詰まりがあるので、それを解いてもらった。
――その時、少し変な声を上げてしまったことは、できれば忘れたい。
シキから星流を教わってから、一週間。
今までの人生で感じたことのない「力」が、自分の身体に宿っているとわかる。
どれほどの強さに至るか、想像もつかない。
だが――。
(シキの背中に、少しでも近づけるなら……)
どんなに厳しい鍛錬にも、耐える価値があった。
星流を通し、体の動きも、感覚も明らかに鋭敏になった。
魔術も少しは、扱いやすくなっている。
ただまだまだ強くなったと言うには程遠い。
けれども、シキの背中を追う日々は楽しかった。
鍛錬が終わり、屋敷に帰る。
ふと玄関で、兄の一人――レオンハルトが帰宅しているのを見かけた。
ノエルの星流の巡りがよくなってから、兄と顔を合わせるのは初めてだった。
「ノエル……ちょっとはマシになったようだな。魔力でも使えるようになったのか?」
兄のレオンハルトは圧倒的な強者の空気を纏っている。
人間兵器と呼ばれるだけの実力者だから、当然だろう。
だが前よりも、強くは見えない。
「はい……少しだけど、前よりは上手く使えるようになりました」
星流のことは、まだ家族には話していない。
けれど、魔力も星流も、巡りを意識して使えば確かに強くなったという自信があった。
「ふん……雑魚がちょっと強くなっても意味はない。身の程をわきまえろよ」
レオンハルトは冷たく言い放った。
ノエルは唇を噛みしめた。
負けるものか――そう思いながら、自室へと向かった。
ノエルはその夜、部屋の窓から静かに空を見上げた。
(私は……本当に変われるのかな)
兄たちのようにはなれないかもしれない。
でも、シキの導きがあれば――と、かすかな希望が胸に灯る。
まだ始まったばかりの新しい自分の道。
いつかこの手で、兄たちを――いや、この世界を見返せる日がくるのだろうか。
ノエルは星流の巡りを意識しながら、静かに目を閉じた。
一方その頃。
ベルフェルト家の一室――。
エリナ・ベルフェルトは、豪奢な椅子にふんぞり返り、机の上のグラスを手で乱暴に叩いていた。
「……ふざけんな!」
グラスの中身が跳ねてテーブルを濡らす。
「なんで、あんな雑魚に……!」
――シキ・グレイヴァルド。
あの婚約破棄の場面が、何度も頭をよぎる。
エリナは元々、シキに優しくしたことなど、本心からは一度もはなかった。
彼が無能だとわかったとたん、婚約者という立場を利用し、徹底的に避け続け、そしてA組の有望株と関係を深めてきた。
シキのような“落ちこぼれ”と、これ以上関わる意味はない。
(あいつ、最初は私にすがってきたくせに……)
エリナは唇を噛む。
――でも、婚約破棄の場面。
あんなに冷静に、あんなに強く突き放されるなんて思いもしなかった。
しかも、最後は自分が気圧されて、何も言い返せなかった。
『お前に使う時間などない。俺は忙しい。俺の人生に、お前など必要ない』
『痛い目を見たくなかったら、黙っていろ』
屈辱だった。
「……私が、あんな無能に負けるわけないんだから」
エリナはグラスを乱暴に机に叩きつけた。
何か、良い方法はないか。
あの無能を、二度と表を歩けなくするほど徹底的に潰せる方法。
家の名を使うのも手だ。
学園での噂、あるいは魔術師社会でのコネ――考えればいくらでもある。
ニヤリ、とエリナは唇を吊り上げた。
(徹底的にやってやる……。シキ・グレイヴァルド、無能のくせに調子に乗ったこと、絶対に後悔させてやる――)
その目には、今までの仮面の笑みではなく、露骨な敵意が滲んでいた。




