第7話 リサ
「じゃあ、鍛錬場に案内しますね」
ノエルが先導し、俺もあとをついていく。
しばらく歩くと、俺は小さく声をかけた。
「……一回、裏路地に入ってくれ」
ノエルが驚いたように立ち止まる。
「えっ、裏路地? 一体どうして……」
警戒と困惑が入り混じった顔で俺を見る。
「いいから」
そう言ってノエルの手を軽く引く。
「ちょ、ちょっと……! な、なに?」
顔を赤くしながら、ノエルは手を引かれてついてくる。
だが俺は構わず、人気のない路地裏へと入っていく。
誰もいない裏道に入ったところで足を止めると、ノエルが気まずそうに口を開く。
「……あの、弟子だからって、あなたに体を全部あげたとか、そういうわけじゃありませんから……!」
小さく目を逸らし、頬を染めている。
何を勘違いしているのか、真顔で言ってくるから面食らった。
「……意味がわからんが、どうした? いや、それより……」
わざと話題を切り替え、視線を正面に向けた。
「そこにいる奴、出てこい。学校からずっと俺たちを追っているな?」
静かに、だがはっきりと声をかける。
「えっ……」
ノエルが驚き、周囲を見回す。
俺の横にぴたりと身を寄せる。
しばしの沈黙のあと――。
薄暗い路地の奥から、ひとりの少女が姿を現した。
小柄な体、肩までのショートカットの赤髪。
顔立ちはあどけなさが残るが、どこか無表情で冷たい目をしている。
「……リサさん?」
ノエルがぽつりとつぶやく。
同じF組のクラスメイト――確か、記憶にある名だ。
リサ・クロ―ディア、だったか。
俺はリサを見据える。
「やはりお前か」
授業中からずっと感じていた妙な視線。
それこの赤髪の女だったことはわかっていた。
リサは何も言わない。ただじっと俺を見ている。
その瞳には、他の連中とは違う色があった。
次の瞬間――リサの姿がふっと消えた。
「――!」
俺も思わず目を細める。
ノエルが「えっ!?」と短く叫ぶ。
リサは俺の目の前に現れていた。
右手に細いナイフを握りしめ、その切っ先を俺の喉元に向けて突き出していた。
普通なら反応すらできない速度。
だが、俺の手は動いていて、ナイフを掴んでいた。
剛星で皮膚を硬くしているので、ナイフを直接掴んでも傷一つ付かない。
ナイフの刃先は、俺の喉に一寸ほどまで迫っていた。
「っ……」
リサはようやく表情を変えたが、軽く目を見開いただけだ。
「え、えっ!? な、なに、今の速さ……!」
ノエルが完全に状況を理解できていない。
無理もない。
リサの動きは、F組の中ではあり得ない速度だった。
魔術で今の動きができる者が、F組なわけがない。
「……面白い」
俺は思わず笑みを浮かべる。
この動き――魔術じゃない。
間違いなく、“星流”を使ったものだ。
「これは――俺に喧嘩を売った、ってことでいいんだな?」
俺の問いかけに、リサは一瞬だけ身体を強張らせた。
無表情が、ほんの僅かだが緊張を滲ませる。
俺が手首を離すと、リサは一歩下がる。
だが、こちらから目を逸らさない。
その気迫に、隣にいたノエルまでもが、僅かに震えていた。
ナイフの刃先が喉元に突き刺さる――常人なら、命が消えていてもおかしくない。
下手をすれば即死だろう。
まあ、俺だったら刺さっても死ぬことはなかったと思うが、たぶんかなり痛い目を見るだろう。
自分で治すのも面倒だし、できれば勘弁してほしい。
しばし沈黙――次の瞬間、リサがまた目の前から消えるように移動した。
その動きは、人間の目で捉えるのがやっとだ。
さっきと同じ場所まで俺たちから距離を取る。
「や、やっぱり速い……F組の生徒とは思えない……」
ノエルが息を飲んで呟く。
リサの動きについていけていなかったようだ。
そして、俺の動きにも――。
「――おいおい、いきなり近づいたと思ったら、今度は離れるのか? 寂しいじゃないか」
俺は苦笑しながら、リサの背後で話しかけた。
リサと同じように、移動しただけだ。
ただ彼女よりも高速で。
彼女達が気付くよりも前に、俺はリサの背中にぴたりと立っていた。
「っ!?」
リサが目を見開く。
その肩を軽く叩いてやると、今度こそ彼女の顔にも、驚きの色がはっきり浮かぶ。
「あ、あれ……!? いつの間に!?」
ノエルも混乱した様子で、俺がさっきまでいた場所を交互に見比べている。
リサは抵抗するのをやめて、両手をゆっくり上げた。
「……降参。試したこと、許してほしい」
口調は淡々としている。表情も、ほとんど変わらない。
もともとこういう子なのだろう。
感情をあまり表に出さないタイプだ。
「た、試したって……リサさん、喉にナイフ突き刺そうとしてましたよね!?」
ノエルが呆然と声を上げる。
「試そうとしたのは分かってる。殺意はなかったからな」
俺も補足する。
殺意もなく喉元にナイフを突き刺すとは、と感心したくらいだ。
「殺意はないからって、喉元はダメですよね……」
ノエルは半ば呆れた顔で、俺とリサを交互に見る。
まあ、普通はそうだろう。
「それで、なんで俺を試そうと?」
俺が問いかけると、リサは少しだけ顎を上げてこちらを見つめた。
「だってあなた、天糸を使っているから」
「天糸?」
俺が訊き返すと、ノエルも首を傾げて「天糸って?」と続く。
「私の家系以外で天糸を使っている人を、見たことがない。それに、あんな練度……私よりも余裕で強い。前までは、あなたが使っているところなんて見たことなかった。どうしてなのか知りたかった。それと、本当にどれくらい強いのか」
リサは淡々と説明する。
「待て待て……まず、その天糸ってなんだ?」
「あなたが使っている技。魔術じゃなくて、身体の中に糸のように巡っている力。それで身体能力を上げる。天糸。……無意識でやってたの?」
「……ああ。この世界では天糸と呼ばれているのか。俺は星流と呼んでいるが」
やはりこの世界にも星流という概念はあったのか。
名前は違うようだが。
「名前は違うけど、力は同じ。でも、そっちのほうが練度が高い。なんで?」
「俺のほうが鍛えてるからだろう」
「……まあ、そうだろうけど」
リサは一瞬だけ無表情を崩した。
悔しそうに、口の端がわずかに持ち上がった気がした。
「待って! 二人だけで通じる話しないで! 天糸って? 星流って何? 魔力とは違うのですか?」
ノエルが付いていけない話に不安そうに声を上げる。
「これから説明しようと思ってたんだ。とりあえず――お前も鍛錬場に来い」
俺はリサにそう告げる。
「私も?」
「リサさんも?」
ノエルも驚いたようにリサを見やる。
「この世界で星流――天糸を使う奴が気になるからな」
俺は簡単にそう言って、歩き出す。
ノエルの家――アーデルハイト侯爵家が所有する私設の鍛錬場が、目的地だった。
陽が傾き始める街道を進むうち、ノエルがちらちらと俺とリサの顔を交互に見ている。
不安なのか、興味なのか。
いや、その両方か。
鍛錬場に到着し、鉄格子の門をくぐって中に入る。
学校の訓練場よりはこじんまりしているが、それでも鍛錬には十分な広さだ。
薄暗い空間の中に、木製の人型的や武器の棚が整然と並んでいた。
俺たち三人だけ。
他に誰もいない、静かな場所だ。
「さて、まずはノエルに星流――この世界でいう天糸について説明するか」
俺はノエルに向き直った。
魔力とは違う、人間が生まれながらにして持っている、“星の流れ”のようなもの――それが星流。
身体の内側に流れる、小さな川みたいなもので、うまく巡らせることで、身体能力や感覚が一気に高まる。
「――これが、魔術を使わずに強くなる方法だ」
「そんな力、聞いたこともないです……」
ノエルは星流の説明を聞いて、呆然としながらも呟く。
「そうか。リサは、天糸はどこで習ったんだ? 確か、お前の家系だと言っていたが」
俺が問うと、リサは静かに頷いた。
「そう。クローディア家に伝わる秘術、天糸。家でしか教わらないし、家でも才能がある者しかできない。人間の誰もが持っている、なんて教えられていない」
「えっ、才能がある者しかって……」
ノエルが顔を曇らせる。
俺の説明と違うことに不安を感じたのだろう。
「私は一族の中でも、かなり天糸の扱いが上手くて強い。……でも、あなたのほうが、ずっと上」
リサが淡々と事実を口にする。
「そうか……」
俺は一瞬だけ残念に思う。
あれくらいで“上手い”“強い”とされているのなら、俺より強い奴はいないのかもな。
少し物足りなさすら覚える。
「まあ、俺の知っている星流は誰でも使える。ノエルも少し大変だが、できるはずだ」
「えっ、そうなんですか? 私には、才能ないってこと?」
ノエルが不安げに俺を見る。
リサがすぐに被せてくる。
「私から見たら、ノエルは絶対に才能ない」
「は、初めて私と喋ったのに……結構言うのですね、リサさんって」
ノエルは少し口を尖らせる。
「別に、事実を言っただけ」
リサは相変わらず冷たい。
――まあ、誰に対してもこういう調子なのだろう。
「いや、ノエルも使える。ただ、星流の巡りが人よりも少し悪いってだけだ」
「それって、やっぱり才能ないってことなの?」
「いや、それくらいで才能があるとかないとかは決まらん。話すよりもまずは体験するか」
「そ、そうですね。教えてください、シキさん」
ノエルが少し緊張しながらも、しっかりと俺を見上げて言った。
「ああ。じゃあまずは……服が邪魔だな、脱げ」
沈黙。
ノエルが「は?」と素っ頓狂な声を出した。
リサも一瞬だけ、いつもより目を大きく開いた。
「な、なに言い出すんですか!?」
ノエルが慌てて身体を抱え、後ずさる。
「勘違いするな。服って言っても上着だけだ。シャツまで脱ぐ必要はない」
「……びっくりしました。言い方、もっと考えてください」
「普通に“上着を脱いで”って言えばいいのに……」
リサまで淡々と突っ込んでくる。
まあ、言葉が足りなかったかもしれない。
だが、弟子の体の動きや筋肉の付き方を見ないと、星流の流れを把握できないのも事実だ。
「とにかく、鍛錬のためだ」
そう促すと、ノエルは渋々、制服の上着に手をかける。
前をはだけて脱ぐと、ふわりと銀色の髪が肩を揺らす。
シャツの上からでもわかるほど、ノエルの胸は大きかった。
その様子を、リサがじっと見ていた。
無表情のまま、ほんの少し眉をひそめる。
「そんな胸があるから、天糸が使えないんじゃない?」
思わず、俺もノエルも固まった。
ノエルは胸を隠すように両腕で覆う。
「え、えっ……本当に? 胸が大きいとダメなんですか?」
ノエルが不安そうに俺を見る。
「全然関係ないから安心しろ」
俺は即答した。
動きづらい、とかはあるのかは知らないが。
前世でも男だったから俺はわからない。
「よかった……リサさん、適当なこと言わないでください!」
ノエルは胸をなで下ろすが、リサがわずかに口を尖らせる。
「だって、重そうだし」
「それ、ただの嫉妬じゃないですか?」
「別に、そんな邪魔なもの欲しくない」
リサはそっぽを向いた。
どうでもいい言い争いは無視して、俺はノエルの身体の動きを真剣に観察した。
星流の巡り――五か所、明らかに詰まりや流れの弱い箇所があった。
前世でも詰まりがちの弟子はいたが、五か所も塞がってるのは初めて見る。
なかなか大変そうだが、やりがいもある。
「まずは、星流の巡りをよくする必要がある」
「……それって、どうするんですか?」
ノエルが不安げに尋ねてくる。
「俺が直接、巡りを正す」
「よくわかりませんが……お願いします!」
ノエルは真剣な眼差しで答えた。
リサも、じっと食い入るようにこちらを見ている。
ノエルの右肩に手を当て、そっと星流を感じ取る。
自分の星流を操るのは容易だが、他人の流れを通すのは、いささか難しい。
だが、俺なら問題ない。
星流の流れを指先からノエルの体内へ送り込む。
詰まっている場所に道を作るように、丁寧に星流をなぞる。
――その瞬間。
「ん、あっ……!」
ノエルが思わず大きな声を上げた。
その場の空気が一瞬にして止まる。
ノエル自身も、自分の声に気付いて顔を真っ赤にする。
「さすがノエル。えろい。変態」
リサが無表情のまま、淡々と呟く。
「ち、違います! なんか、身体が熱くなっただけで……っ」
「身体が熱くなっただけ……その言い方もえろい」
リサがまた追い打ちをかける。
俺も集中が一瞬、途切れそうになった。
前世から数えれば百年以上生きてきたはずなのに、今の体は若いせいか、こういうことに動揺してしまう。
「……続けるぞ。別に声を我慢する必要はない。どうせまた出る」
「そ、そんな……」
ノエルは耳まで赤くして、必死に声を押し殺す。
だが、その頑張り方もまた色っぽい。
リサが「我慢しないほうが楽」と呆れ気味に助言している。
俺は再び集中し、次の詰まりを左肩に見つけて、同じように星流を通す。
「……っ、んん……」
小さく震える声が漏れる。
指先を動かすたび、ノエルの体がわずかに震える。
肩、腰、腹、胸の下――詰まっていた星流の道を、一本ずつ通していく。
最後の一点、足のあたりに星流を送ると、ノエルが「んぁ……!」と妙な声をあげた。
リサが「ノエル、やっぱり変態だ」と冷たく言い放つ。
「だから違いますって……! ただ、すごく熱くて、ビリビリして……」
「ビリビリして……うん、変態」
「リサさん……!」
俺もいい加減、気まずくなってきた。
「……よし、終わった」
手を離すと、ノエルがその場で息を吐き、胸を押さえてしばらく動けなかった。
「大丈夫か?」
「は、はい……なんだか、身体の中が……魔力とは違う何かが、流れてる気がします」
「それが星流だ。自分の体で感じてみろ」
ノエルは恐る恐る、手を握ったり、足を軽く蹴ったりしてみる。
「本当に……なんか、力が湧いてくる感じがします」
「うん、たしかに。今ので天糸――星流が使えるようになってるみたい。すごい」
リサも冷静に評価する。
「ここからが本番だ。鍛錬は厳しいが、ついてこいよ」
俺が宣言すると、ノエルもきっぱりと頷く。
「はい、覚悟はできてます!」
その様子を見て、リサが一歩前に出る。
「私も、鍛錬に付き合いたい。シキの下で教えてもらいたい」
淡々としているが、その目には何か狙いがあるようだった。
ふむ……。
「別に良いぞ」
俺も快諾した。
何か裏を感じるが、この世界の星流使いがどれほどか俺も気になるしな。
すると、ノエルが急に不満そうな顔をする。
「ちょっと……私が一番最初に弟子になったんですから、私が姉弟子ですからね!」
えっ、そこを気にするところか?
リサがすぐに反撃する。
「私のほうが強いから、私が姉弟子」
「そんなのおかしいです! 一番最初に“弟子にしてください”って言ったのは私ですから!」
「“強さ順”が普通」
「“早い者勝ち”が普通です!」
「論理的じゃない」
「理屈じゃありません! シキさん、どっちが姉弟子ですか!?」
ノエルが助けを求めてきた。
だが、どちらでもいいことだ。
「どうでもいい。仲良くしろ」
「ええ~……わかりました」
「うん」
二人は渋々ながら納得する。
が、顔を見合わせた瞬間、また小声で「私は姉弟子」「いや私」と言い合い始めた。
俺はため息をついて、頭に手を置く。
前世にも弟子同士で序列争いする奴はいたが、今回はなかなか面倒そうだ。
まあ、それも成長の糧になるだろう。