第5話 魔術の世界を拳で
星流の巡りを意識し、心を静める。
クラスメイトたちはちらちらと俺を見ては、ひそひそと声を潜めていた。
まあ、いい。どうせ今さら何を言われようと、気にすることはない。
呼吸を整え、意識を身体の深部――星流の源に向ける。
五つの星を織り成す流れ。剛星、迅星、巧星、心星、命星。
すべてを均等に鍛え、無駄なく巡らせる。
それが前世で積み上げた自分なりの“武”の極意だった。
(まだまだだな。前世に比べれば、今の身体は未熟だが――可能性はある)
そんなことを思っていると、声がかかった。
「シキさん、起きてください」
静かで、どこか透き通った声だった。
ゆっくり目を開けると、ノエル・アーデルハイトが俺の目の前に立っていた。
距離が近いな。青い瞳が真正面から俺を見つめている。
少し驚いたが、すぐに表情を整える。
「……ああ、ノエルか。どうした?」
「次は訓練場での授業ですよ。早めに移動しないと」
「そうか。教えてくれてありがとう。君は優しいな」
軽く笑みを浮かべて言うと、ノエルはわずかに眉をひそめて、
「……なんか上から目線じゃありませんか?」
ぷいと顔をそらして不満げだ。
俺は思わず苦笑する。
前世で何年生きたか――正直もう覚えていないが、百はゆうに超えていたはずだ。
十代の少女の反応が、どこか可愛くて微笑ましい。
「気に障ったならすまない」
「……別にいいですけど」
ノエルは小声で呟くと、すぐに「早く行きましょう」と俺をうながした。
二人で教室を出て、訓練場へ向かう。
廊下を歩く間、ノエルが話しかけてきた。
「さっき……どうやって第五階梯の魔術で作られた岩を壊したんですか?」
純粋な疑問、というよりも若干の警戒と疑いが混じっているように思えた。
「見ていただろ? 指でコンコンと叩いただけだ」
「それで壊した、って……信じられません。何か魔道具でも使ったんじゃないですか?」
呆れと警戒の混ざった顔だ。
俺は肩をすくめる。
「そんなものは持っていないし、使う気もない。鍛えれば誰でもあれくらいできる」
「それは……ないと思います。私には絶対無理です」
ノエルの表情が一瞬曇る。
自嘲と諦めが混ざったような、そんな陰のある顔だった。
「できるよ」
俺は断言した。
静かに、しかしはっきりと。
「ノエルでもできるようになる」
その言葉に、ノエルの目が見開かれる。
信じきれない、けれど一瞬だけ期待を抱いたような、そんな目だった。
「……そう、ですか」
小さく呟いたその声に、俺は何も返さず前を向く。
(……いつか機会があれば、この子の星流を正してやるか)
何か強くなりたいような事情がありそうだし。
ただ星流の巡りを治すのは少し面倒なんだよなぁ、できるけど。
そんなことを考えていたら訓練場に着いた。
既に多くの生徒が集まっていた。
広い砂地に、五十人ほど。
F組の生徒は二十人ほどだったので、あとの三十人はC組だろう。
制服の袖や襟が赤いのがC組で、黒いのがF組だな。
C組の生徒たちは中央で固まって談笑しており、F組の連中は端の方で何やら大きな荷物を運んでいる。
ノエルも端のほうに歩き始めるので、俺も付いていく。
「少し遅れましたが、私たちも運びましょう」
「あれはなんだ?」
「授業に使う人型の的です。とても丈夫な代わりに大きくて重いので、普段は端に寄せてあるんですが、授業の時だけ中央に並べるんです」
「なるほど。……だが、なぜF組だけが運んでいる?」
ノエルは一瞬、口をつぐんでから言った。
「それは……F組だからですよ」
小さく苦笑いするノエル。
その横顔にはどこか諦めと悔しさが混じっていた。
(やはり、F組は差別されているのか)
視線を巡らせると、C組の連中がのんきに見物している。
その中の数人が声を上げた。
「おいF組、早くしろよー!」
「それくらい一人で運べよ、なあ? あ、そっか、身体強化が下手だから持てないのかー」
「おいおい、そんな可哀想なこと言うなよ、はははっ」
野次馬根性丸出しの声。
F組の生徒たちはみな悔しそうに顔をしかめるが、誰一人言い返せない。
ただ黙々と重い人型の的を複数人で抱えて運ぶだけだ。
「……不愉快だな」
俺はそう呟き、訓練場の端へと歩く。
そこには巨大な人型の的が十体以上、乱雑に並んでいた。
それを見て、近くのC組の生徒たちが指をさして笑う。
「あっ、でた、F組の落ちこぼれのシキじゃん」
「お前は一つも運べねえだろ!」
どうやら俺をからかう気満々のようだが、全部無視した。
俺は人型の的に近づき、そのうち一つを片手で持ち上げてみる。
「ふむ、百キロ以上はあるな」
それを軽々と持ち上げると、C組の連中の顔色が変わる。
「えっ……?」
「はっ? おい、見ろよ、あいつ……」
「な、なんであんな簡単に?」
「えっ、片手で?」
面食らった声が上がる。
「丈夫だから、投げても問題ないよな?」
俺は訓練場の中央あたりにいるC組の生徒たちめがけて、そのまま人型の的を放り投げた。
「うわっ、おい、避けろ!」
「おおおぉぉ!?」
中央付近にいた生徒たちが一斉に悲鳴を上げて飛び退いた。
人型の的は地面にドスンと着地し、砂埃を舞い上げた。
「おっと、すまんな。うるさい羽虫かと思ってな」
わざとらしく謝ると、C組の生徒たちが憤然とした顔を向けてきた。
「なんだと……!?」
「俺が運んでやるから、黙って見ていろ」
その言葉に、C組の誰もが言葉を失い、気圧されたように黙り込んだ。
そのまま端にあった人型の的を、次々と片手で掴み、中央に向かって投げていく。
「お、おい……あいつ、魔道具でも使ってんじゃ……」
「いや、持ってなかったぞ……」
「嘘だろ……」
C組の生徒たちは驚きと困惑の入り混じった声でざわつき始める。
F組の生徒たちもぽかんと口を開けていた。
十個ほどの的を運び終えると、ノエルが驚いた顔で近寄ってきた。
「ほ、本当に魔道具を使ってないんですか?」
「使っていないし、持ってもいないぞ」
平然と答えると、ノエルはしばらく俺の手を見つめていた。
ノエルは首をかしげて「……やっぱり信じられません」と呟いた。
俺はふと、訓練場の端に目をやる。
F組の生徒たちはぽかんと口を開け、C組の連中は沈黙したまま俺の方を見ていた。
「さあ、授業の準備は終わったぞ。次は何をやるんだ?」
ノエルは驚きと困惑をない交ぜにした顔で「……すごい人ですね」とぽつりと呟いていた。
F組もC組も、俺が的を軽々と持ち上げて次々に投げた光景がまだ信じられないようで、誰も口を開かなかった。
十体の人型的は中央にきれいに並び、砂埃がやっと収まる。
訓練場の奥、備品倉庫の陰から、例の男教師が現れた。
髪も服も小汚く、どこか居丈高な空気をまとっている。
名前は――やはり思い出せない。
まあ、俺の中では「岩教師」で十分だろう。岩を壊せって言ってきたから。
岩教師は俺を見るなり、目を吊り上げた。
「っ……さっきはよくも、恥をかかせてくれたな」
静かな怒りが声に混ざる。
俺は平然と返す。
「ただ壊せと言われたので、壊しただけだが」
「どんなイカサマを使ったのかは知らんが、あんなことお前ができるわけないんだ!」
岩教師は真っ赤な顔で吐き捨てる。
完全に逆恨みだな。
(何を言ってもダメだな、これは……)
ため息をひとつ、心の中で吐いた。
こういう手合いは前世にもいた。
自分が間違っていることを絶対に認めないタイプだ。
岩教師はF組の生徒たちと俺をぐるりと見回し、侮蔑の視線で言った。
「準備は終わっているようだな。F組にしては珍しく早いじゃないか」
あからさまな見下し。
それを聞いたC組の生徒たちの顔にも、普段なら同調するような笑みが浮かぶはずだが――誰も声を上げない。
全員が、ちらちらと俺の方を見ていた。
「ん? なんだこの空気は」
岩教師が眉をひそめ、C組の面々を見渡す。
C組の生徒達が、少し気まずそうに視線を逸らした。
(ああ、さっき中央で人型的を投げたのが効いてるんだな)
「おい……またお前が何かやったのか、このインチキ野郎!」
酷い難癖だ。
俺は面倒になってきて、何も返さない。
また欠伸が出そうになるのを噛み殺すと、岩教師は「もういい!」と一人で怒っていた。
そしてつまらなそうに授業説明を始めた。
教師の怒りも、C組の視線も、いちいち気にする気になれない。
ふと横を見ると、ノエルがこちらをじっと見ていた。
青い瞳に、疑念と、微かな期待が揺れている。
「……本当に、あなたの力はどうなっているんですか?」
ノエルが小声で問いかけてくる。
「さっきの岩も、さっきの的を投げるのも。魔道具じゃないなら、もしかして魔力に目覚めたんですか?」
俺は首を横に振った。
「いや、魔力には目覚めていない。違う力だ」
「違う力……?」
ノエルは首を傾げる。
「魔力では、ないのですか?」
「ああ。俺の力は、魔術でも魔力でもない」
その言葉に、ノエルはほんの少しだけ残念そうな表情になった。
「そう、ですか……」
「なんだ、魔力のほうがよかったのか?」
するとノエルは、すこし目を伏せてため息をついた。
「それは……やっぱり、この世界は魔術至上主義ですから。魔力が強い人が上に立つし、家でも学園でも、魔術さえ使えれば――」
そこで言葉を切る。小さく唇を噛んで、さらに小さな声で続けた。
「……私も、魔力は人並み以上にあるのに、うまく使えなくて。家でも失望されて、ここでも下に見られて……」
気まずい沈黙が流れる。
ノエルの横顔は、どこかあきらめに満ちていた。
「魔術至上主義、ね」
俺は繰り返す。
この世界の常識、秩序。魔術を扱える者こそが“価値ある者”だという圧力。
そんな中で生きているノエル――そしてF組の生徒たち。
この空気に、絶望しないほうがおかしいだろう。
「――的を使った魔術射撃。C組から順に魔術を的に放っていく。できるだけ強い魔術を、的の中心に当てるんだ。いいか?」
岩教師がそう言ってC組に合図を出す。
C組の生徒たちが自信満々に前へ出る。
「よし、いくぞ――『火矢』!」
最初の男が炎の矢を的めがけて放つ。第三階梯の魔術だ。
的の胸に赤い火花が炸裂し、黒い焦げ跡が残る。
二人目は両手を広げて呪文を唱えた。
「『雷撃刃』!」
雷の刃が一直線に的を切り裂き、表面に浅い切れ込みができた。
三人目は氷の魔術。
「『氷槍』!」
青白い氷の槍が的に突き刺さる。だが、表面にひびが入っただけだった。
周囲からC組同士の小さな歓声が上がる。
その横で、ノエルがぽつりと呟いた。
「私も、あれくらい魔術が使えれば……」
横顔が暗い。絶望に濡れた表情だった。
(……ノエルだけじゃない。F組の生徒はみな、こんな顔をしている。できないことを笑われ、価値がないと決めつけられて、諦めるしかない世界――か)
「次はF組の番だ。まあ、魔術をまともに撃てればの話だがな」
岩教師がニヤニヤと意地悪く告げる。
F組の生徒たちがおずおずと前に出る。
最初の男の子は、手のひらに魔力を集中し――小さな火花を生み出そうとするが、すぐに霧散した。
二人目の少女は氷の魔術を発動しようとしたが、途中で魔力が切れ、まったく何も出ない。
三人目は雷の魔術を小さく放ったが、的まで届かずに途中で消えてしまった。
「あははっ!」
「それでも貴族の端くれかよ!」
C組の生徒たちが一斉に笑い出す。
ノエルも苦い顔でその様子を見ている。
拳を握りしめ、唇を噛んでいる。
(悔しいだろうな……)
俺はノエルの肩に軽く声をかけた。
「ノエル、見ていろ」
「え……?」
俺は的に向かってゆっくり歩き出す。
岩教師が怪訝そうな顔で叫ぶ。
「おいシキ、何をするつもりだ?」
「俺は魔術ができないので、拳でいいか?」
そう言った瞬間、岩教師とC組の生徒たちが大笑いし始める。
「ハハハッ! 拳で!?」
「やっぱりお前、魔術なんてできねえもんな!」
「おーい、F組の最底辺がやるってよ!」
くだらない笑い声が訓練場に広がる。
岩教師も大声で笑った。
「そうだよな、お前はやっぱり魔術なんてできないよな! その的をサンドバッグにでもするつもりか? まあいいが、それは第七階梯の魔術でも壊れないほど硬いぞ? お前の手が壊れるだけだ、やってみろ!」
俺は無言で的の前に立つ。
深呼吸し、星流の巡りを全身に満たす。
この一撃に、魔力も魔術も必要ない。
剛星と迅星を重ねて拳に力を込める。
次の瞬間――。
一発。拳が的のど真ん中にめり込んだ。
ごうっ、と重い音が響いた。
そして的は、木っ端微塵に砕け散った。
砂埃と木片が舞い、訓練場全体が静まり返る。
「なっ……!」
「あ、ありえない……!」
「ま、魔道具か? いや、何も持ってなかった……」
C組の生徒たちが一斉にざわめいた。
岩教師も目を剥き、言葉を失っている。
俺は砕けた的の前で手を振り、ノエルに向き直る。
「ノエル、今のも魔術も魔力も使っていないぞ」
ノエルは呆然とした表情のまま、ゆっくりと口を開いた。
「ほ、本当に……どうやって……?」
C組、F組、教師すべてが俺を凝視している。
俺は静かに言う。
「俺は拳一つで――魔術至上主義というお前たちの世界を、壊してやる」
沈黙の訓練場。
だが俺の心には、静かな炎が燃えていた。
シキ・グレイヴァルドも、魔術至上主義の世界で死んでいった。
俺はこの力で――この世界に“もう一つの強さ”を刻みつけてやろう。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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