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第4話 魔術学園と星流


 自分の拳を見下ろしていた。


 さっきの一撃――本当はもう少し強く殴るつもりだった。


 けれど、拳を振り抜く直前、不意に手が震えた。


 頭では「こんな奴ら、どうにでもなる」と分かっているのに、体が拒否する。

 無意識だが、身体に怖さがこびりついているのだろう。


 ほんの数日前まで、この身体はこいつらの暴力に怯えていたのだから。


 それでも、十分に殴れた。

 ヴァルドの巨体が壁まで吹き飛ぶ光景を見て、少しだけ肩の力が抜ける。


(よく頑張ったな、シキ)


 そう思わず心の中で声をかけていた。

 もう「やられる側」じゃない。


 俺がいる限り、この身体はもう、決して下を向かせはしない。

 ふと我に返ると、ルカが顔を引きつらせて叫んでいた。


「て、てめえ、何しやがんだ!」


 ジルドは呆然としたまま、倒れたヴァルドの方に駆け寄っている。


「ヴァルド! おい、大丈夫か!?」


 ヴァルドは完全に気絶していた。

 顔は血の気が引き白目を剥き、口元からはうっすら涎が垂れている。


 しばらくは起きないだろう。


 俺は肩をすくめる。


「何をすると言ったか? ただ殴られそうになったから、殴り返しただけだが」


 冷たく言い放つと、ルカが噛みつくように睨み返してくる。


「F組の最底辺が、少し手加減したら調子に乗りやがって!」


 F組? F組ってなんだ?

 そんなことを思ったが、ルカが拳を思い切り振り上げてきた。


 拳には青白い魔力がまとわりついている。おそらく全力なのだろう。


 だが――遅い。

 俺は軽く片手を出し、その拳を手の平で受け止めて掴む。


「はっ?」


 ルカの顔に驚きの色が浮かぶ。

 信じられない、という表情だ。


「これが本気か?」


 俺は淡々と聞くと、ルカは歯を食いしばる。


「な、舐めんな!」


 今度はもう一方の拳を振り上げ、俺の顔を狙う。

 それも、同じように片手で受け止めて掴む。


 軽い。力も魔力も、俺を殴るには全然足りていない。


「ふむ、弱いな」


 俺は掴んでいるルカの拳にほんの少しだけ力を込める。

 骨がきしむ感触が指先から伝わる。


「いっ、あああぁぁ!」


 ルカは膝から崩れ落ち、俺の前で情けなく跪いた。


「おいおい、まだほんの少し力を入れただけだ。それで跪くのか?」


 冗談めかして笑ってやる。

 だが、ルカは歯を食いしばり、必死に俺の手を外そうと暴れる。


「いたいいぃぃ……! は、離せ! 離しやがれ!」

「それが人に物を頼む態度か?」


 わざと指にもう一段、力を込める。


「いっ、あ、ぐぅぅ……! は、離してください! お願いします!」


 ルカの目から涙が滲んでいた。

 俺はようやく手を離す。


 まだ骨を折るほど力を入れていなかったんだが。


(弱い奴ほど、声ばかり大きいもんだな)


 その時、ヴァルドの傍にいたジルドが叫び声を上げた。


「シキ! ふざけたことをして……! これでも喰らえ!」


 ジルドの掌に、魔力が集まる。

 火の魔術――学園のカリキュラムでも定番の攻撃だ。


 ジルドが叫ぶ。


炎牙球フレイム・ファング!」


 手のひらから人の頭ほどの大きな火の球が生み出される。

 地面すれすれに浮かび、轟音と共に俺の顔面を目がけて一直線に飛んできた。


「ちょ、ジルド、待て……!」


 ルカが青ざめて叫ぶ。俺の近くにいるから巻き添えを恐れているのだろう。

 まあ、俺には関係ない。


 火の球が目の前に迫る。


 俺は軽く拳を払うだけで、その火球を一撃で霧散させた。


 破片も爆風もなく、ただ空気に溶けて消える。


「……はっ?」

「うそ、だろ……」


 二人の声が重なった。


「これで終わりか?」


 俺がそう言うと、ジルドは目を見開き、動揺した声で叫ぶ。


「あ、ありえない……第三階梯だぞ! 魔力も扱えない雑魚が、なんで……!」


 もう一度、手のひらから魔力を発動させる。


「炎牙球!」


 再び火球が生まれる。俺はそれを見て、ふと考える。


(第三階梯……何のことだ? この世界の魔術の階級か? まあ、どうでもいいな)


 今度は手の甲で払いのける。火球は一瞬で霧散する。


「だから、効かないのはさっき見ただろ」

「う、うそだぁぁぁ……!」


 ジルドは叫ぶ。

 恐怖と混乱が入り混じった顔だ。


「この程度で俺に怪我をさせようなんて百年早い」


 そう言い放つと、俺は一歩でジルドに詰め寄り、顔面を片手で掴んだ。

 ジルドの顔面を掴み、そのまま壁にめり込ませた。


「がっ……!」


 乾いた音とともに、ジルドの体が壁に沈み、目を見開いたまま崩れ落ちる。


 情けない声を最後に、完全に気を失ったようだ。


 俺はゆっくり手を離し、壁に残った人型のへこみを見下ろす。


 こいつの火の魔術――。何度もシキの体に焼き痕を刻んだ火の魔術。


 シキの記憶にある限り、もう少し弱めだったはず。

 まあ、俺が抵抗したから強いものを放ったのだろう。


 だが、今の俺にはただの生ぬるい風のようにしか感じなかった。


 その横でルカは、まるで化け物を見るような目で俺を凝視している。


 手は小刻みに震え、膝も今にも折れそうだった。


「な、なんでお前……そんなに強くなってんだよ……!」


 弱々しい声。目の奥には、恐怖しかない。

 俺は一歩、ルカのほうに近づく。


「まだやるか?」


 そう問うと、ルカはビクリと肩を震わせて、後ずさる。

 腰が抜けているのか、今にもその場にへたり込みそうだ。


「ひっ……」


 情けない声を上げたあと、ちらりと俺とジルド、ヴァルドの倒れた姿を見比べる。

 そして、とうとう我慢できなくなったのだろう。


 ルカはひときわ情けない悲鳴を上げて、背を向けて走り出した。


「お、覚えていろよ、シキ!」


 逃げていく背中から、涙声のような捨て台詞が聞こえた。

 ……誰が覚えているか、馬鹿らしい。


 俺は、静かに肩の力を抜いた。


 辺りは再び静寂に包まれる。朝の空気だけが、妙に澄んでいた。



 三人を倒したあとの静寂。

 裏庭には、まだ朝の冷たい空気が残っていた。


 ヴァルドとジルドはその場で意識を失い、ルカは涙声で捨て台詞を吐いて逃げていった。


「……くだらないな」


 そう呟き、俺は制服の袖についた埃を軽く払う。


(……よくやったな、シキ)


 心の奥で、もう一度だけそう言ってやる。


 だが余韻に浸っている暇はない。

 今朝は魔石を金に換えるつもりだったが、三人に絡まれたせいで時間を食ってしまった。


 それに、正直どこで換金できるかもわからない。


 シキの記憶を探るが、断片的なものしか浮かばない。


(まあ、急ぐ必要はないか。どうせ今の俺には使い道もない)


 そう判断し、俺は足をF組の教室へと向けることにした。


 学園の廊下は広く、やけに冷たい。


 朝のうちから人気は薄く、時折C組やD組の生徒が廊下を歩いているが、皆俺を見るとすぐに視線を逸らした。


 この学園はA組からF組まで、成績と実力で階級分けされている。


 A組は最上位、F組は最下層。


 魔術の実力がすべてだ。


 魔術が強ければ貴族社会でも発言力が増し、逆に弱ければ家でも学園でも見下される。


 シキはF組の中でも最底辺、魔力を全く扱えない存在として有名だった。

 俺がこうして廊下を歩いていても、誰も道を譲らない。


 むしろ、わざとぶつかってきて鼻で笑う者すらいる。


 前世では最強と言われていたから、道を譲るどころか歩いていたらお辞儀をされていたんだが。


 まあ、今の俺にはどうでもいい。


 小石を蹴飛ばすような気分で、教室の扉を押し開ける。

 F組の教室には、既に二十人ほどの生徒が揃っていた。


 誰もが一様にうつむき、どんよりとした雰囲気が漂っている。


 話し声もなく、重苦しい沈黙が空間を満たしていた。


 自分の席は――と見渡すと、窓際に一つだけ空いている席がある。


 俺はその席に向かう。

 椅子に腰掛け、隣を見ると、そこにはひときわ目を引く少女が座っていた。


 長い銀髪。透き通るような白い肌。


 瞳は涼やかな青で、整った顔立ちには気品が漂う。


 制服もよく似合っているが、その佇まいは他の生徒たちと明らかに違っていた。


(……ノエル・アーデルハイト、だったか)


 シキの記憶にある名。

 侯爵家の娘、普通ならF組にいるはずがない高貴な家柄。


 だが、彼女もまた魔術の扱いが極端に苦手らしい。


 魔力の素質は高いはずなのに、魔術も使えず、魔力による身体強化も上手くいかない。


 だからここ、F組で燻っているのだ。

 そんなノエルの姿を見て、俺は思わず口元が緩む。


「なるほどな……」


 小さく呟くと、彼女が顔をこちらに向けた。

 凛とした美貌に、わずかな警戒の色が浮かぶ。


「何か?」

「いや、なんでもない」


 すぐに視線を外す。

 だが、気配だけは確かに感じていた。


 ノエルの体には、確かに強い魔力が流れている。


 だが、星流――その巡りがどこかおかしい。


 せき止められているような、捻じれているような……そんな印象だ。


(もったいないな……どこかで正しく治せれば、この子は化ける)


 星流を使いこなせる者が、この世界にどれほどいるかわからない。


 俺以外にいないのか?


 同じような概念もないのか……わからないな。


 そんなことを考えていると、チャイムも鳴らないまま教室の扉が開いた。

 中年の男教師がズカズカと入ってきて、教卓に鞄を投げ置いた。


 髪は乱れ、目元には隈がある。やる気のない男だ。


「今日は……えー、魔術学理の復習だ。教科書出せ」


 そう言って、教卓の椅子に座って教科書を適当に読んでいる男。

 俺も一応教科書を開くが、教科書の文字をあいつは音読しているだけだ。


「――はい、あとは自習で」


 そしてぶっきらぼうにそう言い放つと、あっさりと教室を出ていった。


(学び舎とはこんなものなのか? 前世では学園なんて通ったことはなかったが……いや、違うな)


 これが“底辺”の現実なのか。

 ここにいる生徒も、皆どこかで諦めきっている。


 まあ、俺にとっては都合がいい。


 変な授業に付き合う気もない。


 俺は椅子に深く座り、そっと目を閉じる。


 星流をめぐらせる――それだけに集中する。


 俺の鍛錬はどこでもできる。


 星流は五つの系統に分かれる。


 剛星、迅星、巧星、心星、命星。


 俺はすべてをバランス良く鍛えると決めている。


 呼吸を整え、意識を体内の流れに向ける。

 やがて、周囲のざわめきも、教師の無意味な指示も、遠くの音に変わった。


 しばらく、静かな時間が流れた――。


「――シキ・グレイヴァルド! 何を眠っている!」


 突然、教室に怒鳴り声が響いた。

 目を開けると、教壇の前に教師が立っていた。


 どうやらさっきの男だ。


 時間が経って別の授業が始まっていたようだ。


 それで俺が眠っていると思って、怒ってきたのか。


「ああ、申し訳ないと思っている」


 素直に頭を下げる。

 だが、教師の顔はますます険しくなった。


「その謝り方はなんだ。反省しているのか!」


 面倒だな、と内心でため息をつく。

 教師の説教など、正直どうでもいい。


 俺は思わず欠伸をかみ殺した。

 それを見て、教師はさらにヒートアップしたようだ。


「前に出てこい! 今からやる訓練をお前がやるんだ!」


 生徒たちの視線が集まる。どうやら見せしめにされるようだ。

 俺は椅子から立ち上がり、前へと歩いた。


 教壇の上には、大きな灰色の岩の塊が置かれている。


「これは私が作った第五階梯で生成した岩石だ。魔力もたっぷり込めてある。同じ第五階梯の魔術でも、まず壊せん」


 教師が自慢げに言う。

 岩には複雑な魔術刻印が彫り込まれ、鈍い光を放っている。


「はぁ……」


 授業中、教科書で軽く魔術のことを学んで思い出した。

 魔術には第十階梯まであるようだ。


 そのうち第五階梯は、現役の学生が到達できるギリギリのレベルだ。


「これを壊してみろ。魔術でも、魔力を込めた拳でもいいがな」


 教師はニヤニヤと笑っている。


「先生!」


 その時、不意に隣のノエルが立ち上がった。

 真っ直ぐな瞳で教師を見据える。


「第五階梯、ましてや第六階梯の魔術はA組の卒業生トップレベルです。そんなものを……」

「うるさいですよ、アーデルハイト嬢。これは私の授業を聞かなかった罰です。あなたには関係ありません」


 教師がピシャリと言い放つ。


「ですが……」


 ノエルは一瞬、言葉に詰まり、悔しそうに唇を噛んだ。


「アーデルハイト家の権力が学園で通じると思わないことです。まあ、あなたがその権力を使えるかどうかも怪しいものですがね」

「っ……」


 あからさまな侮蔑の声だった。

 ノエルの目に、静かな怒りが宿る。


 だが、これ以上反論はできないようだ。


(……いい子だな。俺のために立ってくれるとは、正義感が強い。可愛い子だ)


 思わず口元が緩む。


「これを壊せばいいのか?」


 俺は教壇に近づき、岩に指を当てた。

 そして、指でコンコンと叩いた。


 ふむ、この程度か。


 教師はまだ余裕の笑みを浮かべている。


「硬さの確認ですか? 言ったはずですよ。多くの魔力を込めた第五階梯の魔術で作った岩です。同じ第五階梯の魔術でも、まず壊せません」


 教師の自信は揺るがない。

 だが俺はそのまま、自分の席に戻ろうとした。


「シキ・グレイヴァルド! まだ話は終わっていません。これを壊せるまで座るのも禁止です!」

「もう壊したよ」


 淡々とそう返した。


「はっ?」


 教師が振り返ると、岩がガラガラと音を立てて砕け散った。

 魔力の輝きとともに、細かい砂塵が舞う。


 教室が一瞬、静まり返った。


「ば、馬鹿な……! い、いつ!? どうやって!?」


 教師は声を裏返して叫ぶ。


「今、叩いただろ」


 俺は人差し指を見せて、今やったようにコンコンという仕草をした。


 剛星で叩いた、それだけ。

 第五階梯と言っていたが、どれほど強いのかよくわからんな。


 しかし教室の空気が変わり、生徒たちは一斉に俺を見つめていた。


 ノエルも目を見開いている。青い瞳が驚きで満たされていた。


「ありがとな、助けようとしてくれて」


 小さく礼を言うと、ノエルは「あ……え、ええ」と小さく頷いた。

 教壇の教師はしばらく固まっている。


「わ、私の第五階梯魔術が……」


 呆然としているが、ハッとして周りを見渡す。


「きょ、今日の私は調子が悪いようだ! 自習をしているように!」


 そう言ってさっさと教室を出て行った。


 自分の威厳が完膚なきまでに砕かれたことが、相当ショックだったのだろう。


 教室にはしばらく沈黙が流れる。


 その中で、俺はそっと目を閉じ、再び星流をめぐらせることにした。



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