第14話 容赦はしない
さっきまで“被害者”として持ち上げられていた彼女は、いまや矛盾点を突かれ、目の前で化けの皮が剥がされつつある。
本人は顔を青ざめさせ、口を半開きにして言葉を探している。
何も言えない。すがるように隣を見ると、そのパートナーらしき男が前へ一歩踏み出した。
「ちょっと、いいですか?」
やけに通る声だった。
やや面長の顔に薄い茶色の髪、背だけは無駄に高い。
着ているのは上質なスーツだが、雰囲気はどこか軽薄だ。
「私、デニス・フレンです。学園A組。エリナの恋人、ということになるのかな」
デニスと名乗ったその男は、周囲に聞こえるよう、無理に明るい調子で語り始めた。
「皆さん、何か誤解していませんか? シキはF組ですよ? しかも落ちこぼれ中の落ちこぼれです。誰があいつの言葉を信じます? エリナのほうがよっぽど正しいに決まっています」
やれやれ、といった仕草で肩をすくめてみせる。
「むしろ、なぜ皆さんがシキのほうを信じているのか、僕にはさっぱりわかりませんね。婚約破棄の件も、こっちが被害者ですよ。ね、皆さん?」
エリナのほうをちらりと見る。
エリナは必死に縋るような目で頷くが、その顔にはさっきまでの自信も誇りもなかった。
デニスの言葉に、周囲の空気がわずかに動いた。
「……そう言われると、確かに」
「F組の話は、正直ちょっと信じにくいかも」
「エリナさんは今まで社交界でも誠実な評判だったし……」
若い女性たちを中心に、エリナを信じようという雰囲気がわずかに戻りかける。
(貴族社会なんてこんなもんだな。自分の目で見たことより、立場や空気を信じる)
しかし、その場の流れを一言で断ち切ったのは、重厚な声だった。
「――クローディア家が言っていた。それだけで十分です」
場に威圧感が走る。
声の主は、侯爵家当主のフィンレイ侯爵だった。
恰幅がよく、銀の髭をたくわえた男。社交界でも発言力は上位に位置する。
「……ク、クローディア家が? ただの子爵家では?」
デニスが呆然と繰り返す。いまいち意味が分かっていないらしい。
その隣で、ふっと微笑んだのは伯爵家当主のオルグレン伯爵。
「ふふ、それがわからないのは、まだあなたが学生だからですよ」
揶揄するように言い、彼はフィンレイと共にその場を離れていく。
まるで見世物が終わった後のような空気が、そこに残った。
すると、あちこちで囁き声が起こる。
「なるほど、クローディア家が情報を……」
「クローディア家の名が出るなら」
「じゃあ、シキ・グレイヴァルドのほうが信頼度が高いな」
「F組とか落ちこぼれは関係ないな」
声の主はどれも、伯爵家以上の上位貴族たち。
世間知らずの学生たちと違い、貴族社会での実際の力関係や情報戦の怖さをよく知っている連中だ。
エリナとデニスは、唖然としてそのやりとりを眺めている。
クローディア家が情報屋で、しかも貴族社会や裏社会でも特別な力を持っている――そんな現実を、いま初めて突きつけられたようだった。
(知らなかったのか。まあ、彼らはそういう危ない世界には縁がないもんな)
案の定、さっきまでエリナと親しげに話していた令嬢や青年たちも、顔を曇らせ、視線をそらし始める。
「えっと、エリナさん、ごめんなさい、私……」
「ちょっと失礼」
「うちの親が呼んでいるので……」
腫れ物に触るようにして、一人、また一人とエリナとデニスの側から離れていく。
ほんの五分前まで取り巻きだったはずの友人たちも、だ。
「なんで、あいつが信じられて……」
デニスが、小さな声で呟いた。
「俺たちが何をしたって言うんだ……」
エリナも消え入りそうな声で繰り返す。
「何も悪くないのに……全部、あいつがが……」
それを見ていると、胸の奥に重苦しいものが浮かぶ。
(――何も悪くない? 違うだろ)
お前らは、シキを殺したんだ。
俺の中には、その思いが冷たく沈んでいる。
前のシキが死んだ理由。お前らのせいで、シキの魂は潰されて消えた。
その身体を俺が引き継いで、こうして生きている。
(こんなことで、死んだシキの無念が晴れるわけじゃない。けど、お前らを調子に乗せるわけにもいかない。ここで負けたら、あのシキが本当に浮かばれない)
気づけば、エリナと目が合っていた。
「っ……!」
さっきの敵意とはまた違う、もっと鋭い、ほとんど殺意のようなものが宿っている。
エリナは唇を噛みしめ、悔しそうに顔を歪めた。
――そのまま、足早に会場を後にする。
デニスも慌てて追いかけていった。
二人の後ろ姿は、哀れなほどだった。
誰も声をかけようとしない。いや、触れてはいけない何かのように扱われている。
「ふん、因果応報」
リサが淡々と呟いた。
俺のすぐ横で、腕組みをしたまま、じっとエリナたちを見ている。
「まあ、これで全てが終わるわけじゃない。あいつら、まだ何かしでかすつもりだろうし」
ふと、会場の隅でドヤ顔をしているガイルが目に入る。
(あいつ……俺に恩を着せたと思っているのか? まあ多少は感謝しているが)
ガイルはこちらにグラスを掲げ、わざわざウィンクまでしてみせる。
俺が顔をしかめてそっぽを向くと、リサが苦笑いのような表情をした。
「父さん、調子に乗ってる」
「どうせ、またうちの娘と結婚しろとか言うつもりだ」
「当然でしょ」
「やれやれ……」
だが、根回しの力ってすごいな。
ガイルは鼻につくけど、有能なことだけは間違いない。
情報戦は最初の一手が全てだ。
あの二人――エリナとデニスがいくら足掻いても、もうこの場では挽回できない。
(でも、これでエリナが諦めるとも思えない。最後の目つき、あれは本気だ)
あの視線――まるで獣が最後の牙を剥く瞬間みたいだった。
未練も執念も、全部が入り混じった、どうしようもなくしつこい光。
ああいう女は、追い詰められた時こそ何をしでかすか分からない。
あれで全てが終わったとは、到底思えなかった。
ノエルが不安そうに小さく呟く。
「……シキさん、大丈夫ですか?」
袖をぎゅっと掴んでいる指先、少し声が震えている。
俺は肩をすくめてみせた。
「さあな。だが、もう何を言われても動じないさ。あいつがまた何か仕掛けてくるなら――」
一拍、わざと溜めてから、言葉を吐き出す。
「――次は、容赦しない」
それがどんな手だろうと、陰湿な嫌がらせでも、正面からの挑発でも。
今度こそ徹底的に叩き潰す。
二度と這い上がれないように、きっちりと――。




