第13話 元婚約者の化けの皮を
会場の前はすでに人だかりができていた。
貴族たちの乗る馬車が次々と停まり、色とりどりの衣装が華やかに並ぶ。
その中で、ひときわ目立つ姿があった。
ノエルだ。
淡い青色のドレスに身を包み、銀色の髪をゆるくまとめている。
普段は制服姿と鍛錬着姿しか見たことがなかったので、一瞬、本当に誰かわからなかった。
ノエルが俺を見つけて、小さく手を振る。
「シキさん……!」
俺は歩み寄り、そのままノエルの全身をしげしげと見てしまった。
「よく似合ってる。綺麗だな」
正直な感想だった。
ノエルは一瞬きょとんとして、それから顔を真っ赤にして俯いた。
「ありがとうございます……シキさんも、とても……その、似合ってます。かっこいいです」
――照れた時のノエルは、本当にわかりやすい。
それを心の中では娘のように思って可愛らしいと思うが、身体はシキなので想像以上にドキドキしてしまう。
まあ、こういうのも悪くないだろう。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
ノエルの手を取る。
会場の入り口には受付の使用人がいて、二人で名前を告げて入場した。
中はすでに熱気と喧噪に包まれていた。
生徒たちの声、親たちの談笑、音楽隊が奏でる軽やかな曲。
けれど、俺たちF組の存在はすぐに会場に波紋を広げる。
ちらちらと視線を感じる。
明らかに嘲笑や侮蔑のまなざし。
「……F組が来たぞ」
「恥知らずだな……」
「ははっ、勇気あるな。いや、自分の立場がわかっていないだけか?」
ささやき声が耳に入ってくる。
ノエルは少し身体を縮めるようにして、俺の袖をそっとつかんだ。
緊張しているのが伝わってくる。
「大丈夫だ。堂々としていろ」
俺はそう小声で言い、ノエルの背を押すようにして前へ進む。
ノエルは一度だけ大きく息を吸い、顔を上げて頷いた。
「……はい。シキさんが一緒なら、平気です」
正直、パートナーの存在がこれほど大きいとは思わなかった。
F組は普段、下に見られる存在だ。
だからこそ、こういう場で堂々としていれば、少しは印象も変わるかもしれない。
――だがまあ、仕掛けてはいるが。
俺たちの前に、ひときわ大きな声が響く。
「おう、シキ・グレイヴァルド! 久しいな!」
会場のざわめきが一瞬止まる。
クローディア子爵家当主、ガイルだ。
彼の豪快な声は、貴族たちの中でも特に目立つ。
ガイルが俺に歩み寄ってくると、周囲の視線が一気に変わった。
「ガイル様……?」
「なんでF組の……」
「どういう関係だ……?」
そんな声が周りで出ているのが聞こえるが、ガイルは気にした様子もなく俺の肩をばん、と叩く。
「今日は楽しませてもらうぞ、シキ!」
本当に楽しそうだな、このジジイ。
今叩いた時、星流を使ってただろ。結構強かったぞ。
「……まあ、適当に楽しんでくれ」
「はっはっは!」
豪快に笑うガイルの隣には、見慣れた赤髪の少女――リサがいた。
リサも、普段と変わらぬ無表情でこちらを見ている。
「リサも来ていたのか」
「もちろん。本当はパートナーで来たかったけど」
「そうだぞ、シキ! うちの娘がパートナーじゃ不満なのか!?」
ガイルがいきなり大声を出す。
「別にそれはない。だが今回はノエルがパートナーになった、それだけだ」
淡々と返す俺に、ガイルが満足げに頷く。
「ノエル・アーデルハイトか。ふむ……なかなか見る目があるな」
「光栄です、クローディア子爵様」
ノエルが丁寧にお辞儀をする。ガイルも満足そうだ。
周囲の視線が徐々に変化していくのを感じる。
最初はあからさまな嘲笑や侮蔑だったのが、今は「どういう関係だ?」と好奇心混じりのものになってきていた。
クローディア家は子爵家の中でも特殊な立ち位置だ。
魔術ではなく星流……天糸という秘術を用いて、裏家業をやっている。
上位貴族でも彼らを軽んじる者はいない。
裏社会での影響力を知っている者は特に。
「シキ、楽しんでいけよ。うちのリサも放っておくとどこか消えるから、適当に面倒見てやってくれ」
「ガイル、それは親としてどうなんだ」
「はっはっは!」
ガイルの笑い声が響き、周りの空気が一段和らいだ気がする。
そんな中、中央のフロアでゆったりとダンス曲が流れ始めた。
このパーティーではパートナーがいる者は一度は踊る、という暗黙のルールがある。
「ノエル、踊るか?」
「は、はい!」
ノエルが緊張した面持ちで手を差し出す。俺もそれを受け取った。
ダンスの作法など、正直自信はない。
だがノエルの動きを見て、星流の感覚で予測して合わせれば、何とか形になる。
ノエルの手は少し汗ばんでいた。
けれど、踊り始めると表情が柔らかくなっていく。
「意外と上手いですね、シキさん」
「予想通りに動くだけだ。武術の応用だな」
「……パーティーでそんな理屈を言う人、初めてだと思います」
「そうか?」
微妙に呆れられたが、笑ってもらえたのでよしとする。
ちらりと横を見ると、ガイルがリサに「よし、父さんと踊ろう!」と言っているが、リサは「嫌」とバッサリ。
ガイルが「……くぅ、つれない娘だ」と嘆いていて、俺は苦笑するしかない。
数曲が流れ、フロアを一周して席に戻った時――。
会場の中央付近に、見知った顔が現れた。
エリナ・ベルフェルトだ。
深紅のドレスを着こなし、隣には知らない男がいる。
エリナは満足げに勝ち誇った顔で周囲に手を振り、明らかにこちらを意識している。
(どうせ悪評でも広めるつもりだろう)
どこまでその余裕が続くか見ものだな。
ちらりと視線を向けると、エリナも同時にこちらを見てきた。
視線が交錯する。一瞬、彼女の瞳にあからさまな敵意が宿る。
(どうしても俺を許せない、か。だが、そもそもあちらが恋人を作ったのが先だろう)
もともと婚約破棄をしたがっていたのはエリナのほうだった。
それを、俺が先に切り出しただけの話。
どっちが悪いと責められる筋合いはないはずだが――まあ、話し合いが通じる相手じゃないのも知っている。
世の中、理屈じゃない感情が勝ることなんて、いくらでもある。
エリナは周囲の生徒や貴族たちに囲まれ、何やら嬉々として会話している。
あの調子で自分に都合のいい話をばら撒いているのだろう。
(さて、どんな言い訳を並べているか――ちょっと覗かせてもらうか)
星流を少しだけ巡らせ、意識を研ぎ澄ませる。
星流は身体能力だけでなく、五感も拡張できる。
これくらいの距離なら、会話の一部始終も容易く拾える。
「本当に困ったものですわ。シキ様、昔は私を頼ってばかりだったのに、最近はまるで人が変わったように……。突然、私にきつく当たるようになって。婚約破棄も、私が仕方なく話を進めさせていただいたんですの」
エリナが、いかにも被害者といった声色で語っているのが聞こえてきた。
俺を知る者たちが「まあ……」と相槌を打っている。
「私、ずっとシキ様を支えてきたんですよ? 小さい頃から、あの方が落ち込んでいる時も、傍で寄り添って……」
「ええ、エリナさんがいなければ、F組のシキさんなんて、いまごろどこに行っていたか……」
「殴られたなんて噂も聞きましたが、大丈夫だったんですか?」
「そうなんですの。最近は本当に手がつけられなくて……私、怖かったんです」
被害者アピール全開だな、と心の中でため息をつく。
(殴った覚えも、そんな暴力をふるった覚えもないんだが。もちろん、支えられた覚えもないな)
ふと横を見ると、ノエルがじっとエリナの方を睨んでいた。
俺の袖をぎゅっと掴んだまま、小声でぽつりと呟く。
「……あの人のほうが先に恋人を作ったのに。何を被害者みたいな顔してるんですかね。ずるいです」
いつもは控えめで大人しいノエルが、怒りを滲ませている。
その様子に、なんだか妙に嬉しくなった。
「ありがとな、ノエル」
つい、頭をぽん、と撫でてやる。
ノエルはびくっと肩を揺らし、次の瞬間、顔を真っ赤にして俯いた。
「シキさん……」
どうやら怒っているときでも、撫でると素直に照れるらしい。
可愛いな、こいつは本当に。
すると、すぐ隣でリサが腕組みをしながら一言。
「私も怒っている。あれの顔面、今すぐ潰したいくらい」
物騒だが、リサが感情を表に出すのは珍しい。
俺のために怒ってくれるなんて、正直ありがたい。
「ありがとうな、リサ」
「じゃあ私も頭、撫でてほしい」
意外と素直にそう言うリサ。
その無表情なまま要求してくるのがなんとも面白い。
「はいはい、よしよし」
リサの頭もぽんぽんと撫でてやる。
何だかんだ言って、ノエルとリサは年齢よりも子供っぽい一面があるな。
俺のほうが前世も合わせて歳を重ねている分、どうしても保護者気分になってしまう。
(もっとも、中身はオッサンどころかジジイなんだが……)
リサは頭を撫でられても表情を崩さず、「ふむ」とだけ言う。
けれど、その目はほんの少しだけ、柔らかくなっていた。
その間も、エリナの被害者演技は続いていた。
しかし、会話の空気が徐々に変わっていることに気づく。
耳を澄ませると、エリナの周囲にいた一人の令嬢が、少し鋭い声で口を挟んだ。
「あら、私が聞いた話では、エリナさんのほうではなく、シキさん側――グレイヴァルド家から婚約破棄を申し出たと伺いましたけど?」
ざわ、と微かなざわめきが広がる。
「えっ、それって本当?」
「私も同じ話を聞いたわ。どういうこと、エリナさん?」
「え、ええと、それは、その……!」
エリナが狼狽しているのが遠目にも分かる。
強がるように背筋を伸ばすが、明らかに余裕がなくなっていた。
(な、なんでその話が広まって……!)
そんな心の声が聞こえてくるような表情だ。
「で、ですが、小さい頃から支えてきたのに、いきなり婚約破棄を言い渡されたのは、やっぱり酷いと思いませんか?」
なんとか被害者アピールに持ち込もうとするエリナ。
しかし、他の令嬢や貴族たちは、首を傾げ始めた。
「でも、さっきと言い分が違いません?」
「それにその、ずっと支えていたというけど、エリナさんがシキさんと一緒にいるところなんて、見たことない気がしますけど」
「私もですわ」
「今日のあなたのパートナーは学園での恋人でしょう?婚約破棄されてすぐお付き合いを?それとも婚約破棄前から?」
口々に突っ込まれるエリナ。
彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。
俺は横目でガイルとリサを見る。
ガイルは口元をニヤリと緩め、リサもほんのり頷いてみせる。
(やはり、この二人が動いてくれたな。情報戦は彼らの得意分野だ)
思えば、ガイルはこの社交パーティーの情報をずいぶん早くから集めていた。
エリナの裏事情も、クローディア家が流せばすぐに広まるだろう。
彼らが協力してくれる理由は……まあ、少々ややこしい。
ガイルは「情報を流してやるから、うちのリサと結婚しろ!」と息巻いていたが、俺は「そちらが前に俺を殺そうとしただろ。先に仕掛けてきた借りは、これで相殺だ」と突っぱねた。
結局、貸し借りはなし。
だが、ガイルがまだ諦めていないのは明らかだ。
(油断も隙もありゃしない……)
そんなことを思っていたら、エリナの周囲では、さらに議論が白熱していた。
「私はエリナさんの話、信じていたのに……本当は違ったんですね?」
「婚約破棄を主導したのはグレイヴァルド家だって、他にも証言が……」
「エリナさん、あなた、婚約破棄される前からあの男性と親しくしていましたよね?」
「えっ、それは……違いますっ、ただの友人で……」
「でもパーティーで手を繋いでいるところを見た、という話も」
「そ、それは……!」
エリナは明らかに動揺し、顔が真っ赤になったかと思えば、すぐに青ざめていく。
その場の空気が彼女に冷たく突き刺さっている。
ようやく、彼女の化けの皮が剥がれるところが見られるかもな。




