第10話 クロ―ディア家当主、ガイル
俺は目の前に現れた黒ずくめの天糸使い――五人を、まじまじと観察していた。
全員が全身黒装束。
顔の半分を布で覆い、片手にはナイフ、もう片手には短剣、あるいは鋼糸のようなものを持っている奴もいる。
星流――この世界でいう天糸を、身体だけでなく武器にも流しているのは、まあ良いとして。
(……しかし、やはりもったいない)
天糸――星流は、武器や物体にも力を通して強化できるが、本質はあくまで「自身の肉体」だ。
俺の全盛期なら、剛星を極めた拳はどんな剣よりも硬く、斬れる。
星流を極めた者は武器を持つ必要がなくなる。
むしろ剣に頼っている時点で、鍛え方が甘いと見て間違いない。
まあ、いきなりの歓迎がこれなら、クローディア家の本気を確かめるにはちょうどいい。
「天糸の味見、といこうか」
誰にともなく呟いた瞬間、五人が四方八方から襲いかかってきた。
一人は天井から糸を使って逆さに飛びかかり、もう一人は背後から無音で接近、左右は同時にナイフで挟み撃ちにしてくる。
だが、全ての動きが見える。
星流の流れ、殺気の微かなうねり、空気の切れ方――全てが手に取るように分かる。
まず右。
ナイフを肩越しに振り下ろしてきたが、俺は身を屈めてその刃を膝で受ける。
剛星を張った膝にナイフが弾かれ、相手は一瞬バランスを崩した。
その隙に逆の手でナイフを突き出してきたが、指先でそのナイフをつまむ。
左の奴は、思い切り背中を狙ってきた。
が、俺は体をひねって逆に肘を打ち込む。
ガツン、と硬い音。手加減はしている。
天井から降ってきた三人目は、空中で体勢を変えて鋼糸を俺の首に絡めようとしてきた。
俺は首をわざと突き出すようにして誘い、糸が触れる寸前で指で摘んで止める。
そして、そのまま糸を敵ごと引っ張って、地面に叩きつけた。
「まだ甘いな」
背後から殺気。振り返るまでもなく、蹴りを放つ。
鋼糸を操る者は足を掴んで防ごうとしたが、星流を通した一撃は重い。
床に転がる音。
五人目だけは、まるで俺の隙を待っていたかのように、全体の攻防を冷静に見極めていた。
こいつだけ、やや実力が上。
刀身を薄く研ぎ澄ました短剣を逆手に構え、じりじりと間合いを詰める。
(なるほど、見えてるか)
俺も一歩下がり、わざと背中を見せる。
瞬間、五人目が殺気を高めて突進してきた。
だが、その殺気が頂点に達した瞬間、こちらの星流を全開にし、踵で床を蹴って真横に回り込む。
「遅い」
耳元で囁き、五人目の手首を極めて、そのまま壁に押しつける。
ふむ、気絶したか。
……全員、床に転がるか、壁にもたれて動けない。
「もういいか?」
俺は周囲を見渡し、残りの動きを確かめる。
みな静かに呼吸している。
殺しはしない。あくまで“試し”だ。
と、すぐ背後に強い気配。
リサか。
今度は無言でこちらに跳びかかってくる。
素早い――やはり家系の中でも天才と呼ばれているだけはある。
けれど、その動きも俺にはよく見える。
リサの手首を優しく掴み、動きを止める。
「これで、終わりでいいか?」
俺が問うと、リサはしばらく無言だったが、やがて小さく頷いた。
「……さすが」
俺はリサからそっと手を離す。
リサは息を吐き、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん。当主がどうしても試したいって言ってたから。クローディア家以外に天糸を使える奴がいるって、私から話したら、すぐに連れてこいって」
「なるほどな。それで、結果はどうだった?」
俺が問うと、地下の一番奥にある扉がギィ……と重々しく開いた。
まるで俺の問いへの答えのように。
「合格みたい」
リサがぽつりと言う。
奥の部屋にはひとり、屈強な男が座っていた。
黒髪の短髪、彫りの深い顔立ち。右頬には大きな傷。
鍛え抜かれた体躯。見ただけで只者ではないとわかる。
男は胡座をかき、俺たちをじっと見ていた。
その目には油断も緩みもない。
表社会の貴族には到底見えない。
「そこに座れ」
男が低い声で言う。
俺は躊躇なく、男の正面の椅子に腰掛けようとした――。
が、次の瞬間、テーブルがバキリと音を立てて割れた。
気づけば男が目の前、俺の首元に高速で手刀を突き出している。
(速い)
だが、その手首を瞬時に掴み止める。
男が、にやりと笑う。
「なるほど、いいな」
男の手首を掴んだまま、わずかな静寂が降りる。
その短い静寂に、俺の心の奥がじんと熱くなった。
この男――星流を結構極めているな。
武器なんて必要ない。剛星を通した拳や手刀は、剣以上に鋭い。
自然と、口元がほころんだ。
「そっちこそ」
男は手首を引いてあっさり座り直す。
床の板が重みでわずかに軋む音がする。
地下室は薄暗く、ほこりっぽい空気が、俺たちの間を満たしている。
「すまん。やはり自分で試さないと性に合わんもんだ」
そう言う男の声には、敵意ではなく、素直な興味が混じっていた。
俺はその感触に、少しだけ肩の力が抜ける。
「気持ちはわかる。俺もそういう性分だから」
自然と、口角が上がる。
すぐ隣で、リサが眉をひそめて黙っていたが、特に口を挟むことはなかった。
「名乗ってなかったな。ガイル・クローディア。クローディア家の当主だ」
「シキ・グレイヴァルドだ。知っていると思うが、こっちも名乗っておく」
あえて静かに返す。
短髪の黒髪に傷の入った顔、ガイル――正面から見ると、やっぱり只者じゃないな、と改めて思う。
「名は聞いている。魔術も使えず落ちこぼれだったそうだが――なるほど、天糸は本物だな」
真っ直ぐに見据えてくるカイの視線は鋭い。
「クローディア家は、暗殺や密偵を生業にしている家だ。表向きは商人、扱っているのは情報。それが家の看板だ」
壁際には地図や書類がずらりと並んでいる。
地下に染みついた冷気と、わずかな血の匂い。
この家がどれだけ普通から外れているか、空気でわかる。
「唯一の秘術――天糸。うちの家が名門でいられるのは、それだけが理由だ」
ガイルが手の甲をゆっくり見せる。
その指には幾つもの傷が走り、星流の気配がわずかに滲む。
「……その天糸を、俺が使ってると聞いて試しに呼ばれた、ってことか」
「その通り」
短い答え。
ガイルは軽く顎を引いて笑う。
「もしクローディア家以外に天糸使いが現れれば、秘術は秘術じゃなくなる。うちの家の存在意義そのものが問われる。だから本当に天糸なのか、どの程度か、自分で確かめたかった」
薄暗い明かりの下、リサが不安そうにカイを見ているのが視界の端に映った。
「で、結果は?」
俺が静かに尋ねると、ガイルは肩を竦めてみせた。
口元に僅かな苦笑。
「誰もお前を殺せなかった。俺も含めてな。――つまり、お前を消すことはできない」
まだ本気でやり合っていないが、そこまで実力を見抜いたか。
それに最悪、消そうと思っていたようだな。
地下の空気が、また少しだけ重たくなった。
「ふむ、ならどうするんだ?」
俺は小さく問いかける。
そして――。
「だから、リサと結婚しろ」
「……は?」
唐突に放り込まれた爆弾発言に、俺は完全に思考が停止した。
一瞬、地下の空気が重く凍る。
俺は、思わず椅子の背もたれに寄りかかっていた身体を前に起こし、ガイルの顔をまじまじと見返す。
「……いや、ちょっと待て。今、何て言った?」
念のため聞き返す。俺の耳が壊れたのかと疑ったほどだ。
ガイルはどこ吹く風だ。
無造作に組んだ腕をほどき、足を組み直しながらニヤリと笑った。
「だから、リサと結婚しろ。お前みたいな天糸の極め手を、他所の家にやるわけにはいかん。それなら、婿入りさせてウチの血筋に入れるのが一番手っ取り早いだろう?」
全く悪びれず、面倒事を解決するかのような論調だ。
「……短絡的すぎるだろ、その発想」
ため息すら出てこない。
俺は頭に手を置いて、呆れを隠さずに返す。
「貴族社会の政略結婚なんてそんなもんだろ?」
ガイルは愉快そうに肩を竦める。
「それに、ベルフェルト家の令嬢とも婚約破棄するんだろう? 問題ないはずだ」
情報を扱う家というだけあって、俺がエリナとの婚約破棄を決めた話も、当然ながら知っているらしい。
まだ俺は父親に会ってないから、話を通してもないし進んでもないのに。
「……なるほどな。さすが情報屋。だが、そう簡単に納得できる話じゃない」
俺は再び息を吐いた。
「俺は政略結婚なんてする気はない。まず、リサの気持ちを考えろよ」
そう言いながら、リサの方をちらりと見やる。
リサはいつものように無表情だが、薄暗い明かりの中で、僅かに首を傾げている。
正直、この家も俺の家や他の貴族と同じく、娘や息子を道具扱いするような場所なのかと、少し嫌な気持ちになった。
だが、ガイルは平然とリサに問うた。
「リサ、お前はどうなんだ。シキと結婚するのは嫌か?」
地下室に妙な静寂が流れる。
リサは一瞬、無表情のまま考えこむ仕草を見せ――。
「別にいい。むしろ、あり寄りのあり」
親指を立てて、そう言い切った。
「はっ? 本気で言ってるのか?」
俺の驚きに、リサは淡々と続ける。
「シキは強い。顔も悪くない。意外と優しい。何より強い。圧倒的に強い。結婚相手として申し分ない」
冗談抜きで本気らしい。
それに強いって三回言っていたが、そこまで重要なのか。
この家の連中は、根本的に何かがズレてる。
ガイルも大きく頷いて、満足げに笑う。
「だよな、リサ」
「うん」
二人とも、まるで昼飯を何にするか程度の温度感で話を進める。
いや、もう少し悩めよ、と言いたくなる。
「おい、まさか俺の娘が可愛くないから結婚したくない、なんて言うつもりじゃないよな? お前、リサを気に入らないってことか?」
ガイルが軽く脅すように、肩肘を張って俺を睨みつけてくる。
想像以上に娘想いな親父だ。
その言葉に俺の家や他の貴族とは違うということがわかった。
リサもじっと俺を見上げ、
「私じゃダメ?」
と小さく首を傾げた。
……ちょっと可愛いけど。
だが、ここで流されて結婚を決めるほど、俺は簡単じゃない。
「悪いな。俺は政略結婚で結婚なんてしたくない。それなら一人で生きていたほうがずっとマシだ」
言葉を選ばず、率直に断る。
実際、前世でも結婚とは無縁だった。
独り身のまま、死ぬまで修行と弟子の指導に明け暮れてきたのだ。
ガイルがふむ、と顎を撫でた。
地下室の明かりが彼の顔の傷を際立たせる。
「意志が固いな。まあ、それはそれで悪くない。――なら、好き同士ならいいのか?」
俺は肩を竦めた。
「そりゃ、好き合ってるなら、結婚も自然だろうが……」
そう言った瞬間、嫌な予感がした。
「よし、じゃあリサ。こいつを惚れさせろ!」
「はあ?」
思わず声が裏返る。
この家のジジイ、突拍子もなさすぎる。
しかし、リサは一瞬たりとも迷わなかった。
「わかった。任せて」
いつもの無表情に、不思議な自信を宿して頷いている。
いや、待て。本当にやるつもりなのか?
俺の意思はどこだ?
ガイルは大きく手を叩き、
「これで問題ないだろ。お前がリサに惚れたら結婚する。それなら政略結婚じゃなくて恋愛結婚だ」
笑いながら言い切る。
「いや、勝手に話を進めるなよ……」
思わず頭を抱える。
このジジイ、話が通じない。
まあ、そんな人間が当主として君臨できる理由はわかるが――本気で止めようとする気力が湧かない。
「もう好きにしてくれ」
俺は力なく言い放つと、椅子から立ち上がった。
もう話は終わっただろう。
「帰るぞ」
さっさとこの地下から出たい気分だ。
「おう、そうだな。リサ、見送ってやれ」
ガイルは余裕の態度で頷いた。
リサが無言で立ち上がり、俺の隣に並ぶ。
その時、ガイルがリサの耳元に顔を寄せ、小声で何やら囁いた。
「――ああいう奴は既成事実を作れば責任を取って結婚してくれる。隙を見せたらヤれ」
「――わかった」
「おい、全部聞こえてるぞ!」
思わず今日一番の声を上げた。
それにリサも寸分の迷いもなく頷くんじゃない!
リサは肩をすくめて、ひとこと。
「無理やりはしない。でも、努力はする」
いや、その宣言も結構怖いから。
俺はガイルの呑気な笑い声を背に受けながら、足早にクローディア家の地下から地上へと向かった。
背後からリサの足音が静かに追いかけてくる。
階段を登る途中、ふとリサを振り返る。
「……リサ、お前は本当にいいのか?」
「何が?」
「俺と結婚、とか。好きでもないのに」
「好きになるかはわからない。でも、強い人は好きだし、あなたのことは嫌いじゃない」
まっすぐな目でそう言う。
俺は一瞬、返す言葉を失った。
地下から吹き上がる冷気が背中を押す。
この家の空気に飲み込まれそうになりながらも、俺は地上の扉を押し開ける。
外の空気は冷たくて、地上に戻った安堵が、心の中に少しだけ広がった。
「……ま、焦る必要はない」
小さく呟く。
どうせ俺は、そう簡単には誰かを好きにならない。
それだけは、はっきりしている。
だが背中を見つめるリサの視線が、やけに熱を帯びている気がした。
(……本当に、この家は油断ならない)
俺は肩の力を抜き、大きく息を吐いた。
ここから、クローディア家との新しい関わりが始まるのか。
――たぶん、次の鍛錬も、もっと面倒なことになりそうだ。
俺はリサの歩調に合わせて、ゆっくりと屋敷の門をくぐった。
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