プールの底に潜む影
今日は待ちに待ったプール開きの日。
うちはこの日のために買ってもらったスカートが付いた可愛い水着に着替えて屋外プールへ友達と一緒に向かった。
「五年生になってプールに足もつくようになっているだろうけど、溺れるときは一瞬だから、中に入っているときは絶対にふざけないように」
先生が生徒の前に立って注意事項を話している中、隣の夢子がぼそっと小さくつぶやいた。
「去年のちょうど今の時期に一人の女子生徒が溺れて亡くなったんだよね」
プール開きをずっと楽しみにしていたのに、その一言でせっかくの気分が台無しだ。
「ちょっ、そんな不吉なこと言わないでよ」
うちは体育座りをしながら小声でそう言って夢子を肘で小突くと、先生から真面目に話を聞くようにと注意をされてしまう。
うちは横目で恨めしく夢子を睨んだ。
先生からの話が終わり、順番に冷たいシャワーを浴びた後、プールに入った。
火照った体が冷やされてとても気持ちがいい。
う~んと伸びをしていると、男子から「でっか」と声が飛んできて、思わず両手で胸を覆う。
「うわ~最低」
「これだから男子は」
「明美、男子の言うことなんて気にしなくていいよ」
そのまま、男子と女子で喧嘩が始まりそうになったところで、先生が手を叩いた。
「ふざけるのもそれぐらいにして、水中鬼ごっごを始めるぞ」
先生の合図で鬼ごっごが始まった。
運悪く最初の鬼になった男子がうちに狙いをつけて追ってくる。
走るのは嫌いだけど、泳ぐのは好きなんだから。
得意のクロールを披露すると、ぐんぐんと男子との距離があいていく。追いつけないと分かったのか近くの男子に狙いを変えたようだ。
ざまぁみろ!女子だからって舐めないでよね。
心の中で悪態をついている時だった、プールの端っこで渦を巻いているのを見つけた。
「ねぇ夢子。あの渦なんだろう」
「何言ってるの明美。そんなもの見えないよ」
そんなわけない。
端っこの一か所だけ不自然に渦を巻いているのは明らかだ。
鬼ごっごに夢中でうちの話をまったく聞いてない。
ちらっと、うちが指差した方向を見た後、すぐに鬼のほうへ視線を戻している。
「それより、山本君が鬼になったよ。チャンスよ明美。偶然を装ってくっついちゃいなよ」
「な、な、何言ってるのよ。山本君なんか興味ないんだから」
「顔真っ赤にして言われても説得力ないわね」
肩を竦める夢子にバサッと水をかけてやった。
「見つけたぞ、小松」
そうこうしていると山本君がうちをロックオンしてしまった。
鬼になんて絶対ならないんだから。
ばちゃばちゃとクロールをしながら泳いでいると気が付いたらプールの隅、渦を巻いている付近に近づいていた。
避けようと方向転換しようとしてできなかった。
あれ?体が思う様に動かない。
というか、渦に引っ張られている?
そう感じた瞬間、足を引っ張られる感触と共に水の中へと吸い込まれた。
まずい。
必死にもがくも水面が遠のいていく。
なんで足がつかないの?うちの胸ぐらいしかないプールなのに。
『置いてかないで』
水中にも関わらず底から女の声が明瞭に聞こえてきた。
長髪を水で濡らした顔の見えない女がうちの足を引っ張っている。
なんでとか、誰なんだとか、そもそもプールの底が真っ暗でどこまでも続いているように見えるとか、疑問が浮かんでは消える。
酸素が足りなくて何も思考できない。
ただひたすら足を動かし続けた。
『痛い、痛い。苦しい、苦しい』
それはうちのセリフだ。
足を離せ。
頭を何度も何度も蹴りつけるも足を掴む手の力は緩まない。
『誰も私のことなんて興味ないのね。辛い、辛い、苦しい、苦しい。……助けて』
だめだ、息が持たない……。
うちは一縷の希望にすがり、水面に向かって手を伸ばすと暗闇の中で強い力に腕を引っ張られるのを感じた。
一人の少女がプールで泳いでいる。
周囲の生徒や先生は楽しく遊んでいる中、一人ぼっちで泳いでいた。
不器用ながらも懸命に手足を動かして楽しそうだ。
ふいに、足を取られて水中に沈んでしまう。
必死に両手を伸ばすも水をかくだけ。
そして、誰に知られることもなくプールの底に沈んでいった。
はっと慌てて起き上がると、消毒液の匂いがするベッドの上だった。
そうだ、うちはプールで溺れて意識を失ったんだ。
それにしてもやけにリアルな夢だったな。
ふと、カーテン越しに二人の先生の話声が聞こえてきた。
「幸子ちゃんの二の舞になるところでしたね」
「俺の失態です。もっと注意深く生徒達を監督しなければいけませんでした」
「充分よ。明美ちゃんは助かったじゃない。それに、あなたは新人。今年から入ってきたにしてはよくやってるわ」
去年の同じ時期にプールで溺れて亡くなった子って幸子って名前なんだ。
あの時は溺れないように必死だったけど、ずいぶんと悲痛な声だった気がする。
放課後、うちは一人で校庭に咲いている花を摘んで木々に囲まれているプールの外側に来ていた。
そして、そのまましゃがみこみ花を立てかけて黙祷を捧げた。
もしかして彼女はうちを溺れさせようとしたのではなく、助けて欲しかったのかもしれない。
セミの声がうるさく鳴く中、見上げた空はどこまでも青く透き通っていた。