on the ferris wheel
HappyValentine❣️に有名バンドのベーシストがファンの女の子に意識してほしいお話です。2025年、日本。
バレンタインも近づき、夜の街にはハート形の装飾が浮かび上がっていた。真っ赤なリボンとピンクのバルーンがふわふわと浮かび、街の中は明るいムードに包まれている。その様子をロケ車の中から眺めながら、学は悩んでいた。
──祈ちゃんにチョコをあげたい……!
祈ちゃんというのは、学が所属しているバンドのファンで、春にライブ会場で出会った女の子である。偶然、トラブルに巻き込まれていた学を助け、無事にライブまでバイクで送り届けてくれたのだった。その後、別の場所で再会を果たし、好きな音楽であるロックで意気投合した二人は有名人と一般人の垣根を越えて交流を続けているのである。
垣根を超えてさらに、学は祈に恋愛感情を抱いているのだが、一ファンであることを公言している祈とはなかなか距離が縮まらないのが悩みだ。芸能人だからと、外でデートができないのも二人の親密度がなかなか上がらない理由にも思う。おうちデートと言えば聞こえはよいが、内実はゲームやお菓子交換といった子供のような遊びが主である。 (かといって、外で大人の遊びをしたいわけではないのだが……)
時はバレンタイン。告白とまではいかないまでも恋人同士のようにロマンチックにデートをして、チョコをあげて、今までよりも少しだけ関係を深めることはできないだろうか。せめて、こちらが好意を抱いていることをほのめかすくらいには、接近したい……、と学は思っていた。
しかし、祈と距離を縮めるにしても障壁がある。学が超人気バンドのベーシストとして活動している以上、スキャンダルには気を配らなければならない。今日のミーティングでもそのことについてバンドマスターからお達しがあった。
「いいかー、今年も写真撮られるなよ~。音楽以外の話題で目立ちやがったらぶっ飛ばすからな~。……いいか、学?」
ミーティングの時間に、バンマスが学に釘を刺す。
「わかったよ。撮られなきゃいいんだろ?」
「撮られるようなことすんなって言ってんだよ!」
バンマスが言っているのは、学と祈の関係のことだろう。最初の出会いから祈に心を奪われてしまった学の挙動不審な行動はバンド内にも知れ渡っていた。バレンタインという名目で何か行動をしようとしているのはバレバレだ。
「絶対だからな!」
「……わかった! 撮られないようにする!」
「だ~から~!」
ロケ車の中でバンマスとのやり取りを反芻しつつ、学はどうやって祈にチョコレートを渡そうか考えていた。普段なら、学の家でゲームをしたり、祈の家でライブ映像を楽しんでいるわけだが、今はめちゃくちゃデートがしたい。しかし、マスコミやファンに鉢合わせしたら、週刊誌にめちゃくちゃ書かれること必至だ。そうすれば、祈にも迷惑をかけることになる。
──デートがしたい! いや、一般人にデートがばれるわけにはいかない……! でも、チョコレートをあげたい! あげるなら、ロマンチックな場所がいい!!
学の脳内では願望と憂慮がごちゃごちゃと回っていた。
車の窓に映る自分の顔を見ながら考える。要はマスコミに正体がばれなければいいのである。そうすれば、写真を撮るために追いかけられることはないはずだ。顔がわからなければ、ファンが騒ぐこともない。いつもの変装以上に、顔を隠して行動をしよう。……サングラスをかけ、大き目のマスクをすれば顔は隠せるだろう。パーカーを羽織って帽子かぶれば外から見たら誰かわからなくなるに違いない。長い髪の毛がチクチクして煩わしそうだが、当日我慢すればいいだけのことだ。
──それなら、誰も僕のことを見破れまい……!
自らの発想に笑みを浮かべる学だったが、変装に付随して新たな問題が発生した。この案でも、祈とご飯を食べたりすることはできなさそうである。学の顔は全国に知れ渡っているのだ。一瞬でも顔の装備をはずせば、個室であっても店員にばれてしまうに違いない。そこから情報が洩れたら大騒ぎになってしまう。
バンドがメジャーデビューしてから、人並みに生活したいと一番思った瞬間だった。デートは諦めるしかないだろう。
ロケ車の窓の外には相変わらずバレンタインの風景が映っていて、恋人たちが歩いているのが見える。これから、この先の遊園地にでも行くのだろうか。うらやましさが募る。
その光景をぼんやりと眺めている学の前に、明るいイルミネーションが見えてきた。大きく回っている観覧車だ。いくつもの籠が色とりどりに輝きながらゆらゆらと揺れている。その中の恋人たちはきっと、二人だけの世界にいるに違いない。
──そうか、二人だけ、か。
その観覧車の輝きにアイデアをもらった学は祈にチャットメッセージを送っていた。
『週末、一緒に遊園地に行こ!』
観覧車、それに乗れば祈と二人だけになれるはずである。
***
バレンタイン当日の夕方。次回作の収録を終えてから、学は祈との待ち合わせの場所に来ていた。すらりとした祈の姿は見つけやすく、先に待っていてきょろきょろとあたりを見渡しているのがすぐにわかる。近づいて声をかけると、祈がぎょっとしたような顔でこちらを凝視してきた。無理もない。今日の学は素肌が出ているところは手だけという、対パパラッチ対策が完璧な不審者装備だったのだから。
「こんばんは、祈ちゃん」
「えっ、誰!? もしかして、その声、学さんですか……?」
祈は唖然とした後、周りを大げさに気にしながら学に近寄ってきた。祈も学の正体が周囲にバレないかを気にしてくれているらしい。パーカーで耳が覆われているあたりに顔を寄せて、こしょこしょ話をする。急に縮まった物理的距離にドキドキと学の心臓が音を立てた。
「外で会おうなんてどうしたのかな、と思っていたら……。せっかくのきれいな顔がもったいないです!!」
さすが、ファンは目の付け所が違う……、と学は感心したものの、顔が隠れてしまうのは仕方がない。祈とデートをするためには身分を隠して行動しなくてはならないのだ。幸い、周囲は学の変装に奇異の目を向けるだけで、正体はばれていなさそうだ。
「まったく、周りの人にバレたらどうするんですか! 遊園地だなんて。遊びたかったんですか?」
学がバレンタインにかこつけてデートしたかった、という意図は全く伝わってないらしい。学は祈に恋しているというのに、祈は純粋にファンとして学のことを好きだというのだろう。かなり、自信を無くすが、今日はせっかく外に遊びに出たのだから、存分に祈とのデートを楽しむとしよう。
「夜の遊園地ってなんだか新鮮ですね。何に乗りたいですか?」
祈がパンフレットを眺めながら、ジェットコースターやコーヒーカップに目を奪われている。迷っている様子もかわいかったが、しかし、今日の乗り物は一択である。
「今日は観覧車」
「観覧車?」
祈が聞き返しながら、向こう側にある大きな観覧車を振り返る。学は祈の手を取ると一目散に観覧車の方へと歩きはじめた。
「ゆ、遊園地は!?」
「今日は観覧車だよ!」
学は誘導員に10回転分の料金を握らせて、祈と一緒に観覧車に乗り込んだ。祈は目をぱちくりとさせて、驚いているようだった。中ほどの高さまで来たところでマスクとサングラスを外す。
「どうして観覧車なんです。しかも、10回分も……?」
祈が首を傾げて言った。それもそうだろう。単純計算で150分は観覧車に乗っていることになるのだから。祈の質問に、学はおずおずと返す。自分の気持ちを上手く言葉にできるか心配だったが、杞憂だった。早口ともいえる速度で、言葉はすらすらとあふれ出す。
「今日はどうしても祈ちゃんと一緒に過ごしたかったんだ。で、デートの、誘いだったんだよ……!」
自分で言いながら顔が熱くなっていく。こんなの、祈が好きだと言っているのと同じじゃないか。
「でっ!?」
ポカーンとした後、祈が学の言葉に慌てふためく。私はファンで、学さんは好きなバンドのベーシストで……! と口にしつつ、祈もゆでだこのように顔が赤い。
「観覧車の上ならだれも邪魔してこないから」
だから今日は僕と観覧車に乗っててください、そう続けながら学はチョコを渡した。祈が躊躇いながらも大きく頷き、それを受け取る。うれしいです……と小さな声で返事をして、祈は恥ずかしそうに縮こまっている。チョコレートの包装をじっと見つめながら、口元に笑みを浮かべている様子が可愛らしい。
意識してくれたかな……? と期待をしながら、学はもう一つのプレゼントを渡した。
「あとこれ、さっき収録した曲のデモ音源」
「でっ、ええっ!?」
祈が追加のプレゼントに驚いて、観覧車がぐらりと揺れた。悲鳴と共に、慌てて二人で手すりにしがみつき、顔を見合わせて笑う。祈は目をきらきらさせて、今日帰ったら聞きます! と喜んでいた。チョコよりもデモ音源の方で喜んでいるように見えるが、まあいいだろう。
「今日、学さんと一緒にいれて、すごくうれしいです」
地上の夜景を見ながら、祈が楽しそうに笑った。
「でも、2時間も観覧車にいたらおなかすいちゃいますね」
「ご飯買ってくればよかったな」
観覧車に気を取られて、ご飯のことなんかすっかり忘れていた。デートを計画した時には個室の話まで考えていたというのに。
祈が渡したチョコレートの包装を開けて、一粒を学に差し出す。一緒に食べましょう、という言葉と共に、まるで恋人同士のように口に運んでくれる。食べさせてくれたチョコレートは甘い。
観覧車10回分だけじゃなくて、このまま一生回って二人きりでいられればいいのに、なんて思う学であった。
HappyValentine❣️でした。