1 ☰ 悪役令嬢は私の前世での推しでした
「はじめましてですわ。わたくしの名前は青川森燕未。青川森財閥の一人娘ですの。よろしくお願いいたしますわ」
高校の入学式の日に、学生みんなが教室に入って自己紹介が始まった。私の前の席の女の子は立ち上がって、自慢げに自己紹介を始めた。すると……。
「青川森ってあの青川森なの?」
「あれは巨大な財閥じゃん!」
「すごいお嬢様だよね?」
「こんな人物が一緒のクラスにいるなんて!」
と、教室の中で騒ぎ始めた。無理もない。彼女の家族は結構有名だ。私だって知っている。
「顔は白くて整って綺麗。人形みたい!」
「桃色のツインテール、いや、ドリルになっているこれはいわゆる『ツインドリル』だ! すごく美しい!」
「声は綺麗。透明感があって癒やされる!」
「さすがお嬢様だ。容姿も口調も完璧!」
今は彼女の麗しい外見や仕草や声色のことまで話題になっている。それはそうだよね。こんな完璧な美少女、女の子である私でもつい惚れてしまう。同じ女の子なのにこんな地味な私とは全然次元が違うんだよね。
しかしその時の私の頭の中はそれとは別に、なぜかわけわからない感覚が浮かんできた。
『青川森燕未』、この名前以前どこかで聞き覚えがあるような……? それに彼女の綺麗な声も私はすごく馴染んでいる気がする。こんな桃色ツインドリルも。こんなものすごいお嬢様という設定も……。
あれ? 今設定って? なぜ私はこんな言い方を? まるでアニメやゲームみたいじゃないか。
ゲーム……か。ゲーム……。待ってこれはまさか……!
頭が……。何これ? 私が知るはずがない情報が流れてくる……。なにか思い出そうとしている。
あっ! そうだ。そういうことか。やっと思い出した!
ここは乙女ゲームの世界だった!
そして自分が前世でこのゲームやっていたことと、自分がもう死んでこの世界で生まれ変わったことも。
つまり私は……ううん、ボクは異世界転生者ってこと?
『おはぎよりその恋の風味』、これはこの世界を舞台にした乙女ゲームだ。
このゲームも典型的な乙女ゲームで、登場人物には主人公である女の子がいて、『攻略対象』と呼ばれるイケメンたちがいて、それに加えて主人公のライバルとして悪戯をする存在、いわゆる『悪役令嬢』がいる。
そしてこの美少女、青川森燕未ちゃんは、実はこのゲームの『悪役令嬢』だったんだ。しかも彼女はボクの最大の『推し』でもある。
実は前世でボクは男だった。今の私は女の子だからこれは『TS転生』ということになるね。
それでどうして男の子であるボクは乙女ゲームをやることになったのか? 実は一番の理由はこの燕未ちゃんの存在だった。
彼女の美貌と可愛らしい桃色のツインドリルはお嬢様キャラらしくとても可憐で凛々しくて、たとえ悪役でも嫌いになれなくて、むしろ気高さや冷たい態度に魅了されてべた惚れしてしまう。
ましてや燕未ちゃんに声を当てたのは石川原秋織さん、ボクの大好きな声優だった。この甲高くて透明感のある美しい声、いつ聴いても癒やされてしまう。歌も上手でアイドルもやっていたし。ボクは彼女の声に惚れて、大ファンになって、彼女の演じたアニメを全部観て、彼女の歌った歌を全部聴いている。そして普段あまりやっていない乙女ゲームまで。彼女のおかげでボクは燕未ちゃんと出会えたんだ。
今聞こえている燕未ちゃんの声は石川原秋織さんそのまんまだった。生でしかもこんな近距離でこの大好きな声を聴けるなんて有頂天になりそう。これからこの声を毎日学校で聴こえるってことになるよね。
この世界に転生して本物の燕未ちゃんと出会えて、しかも席は隣同士になって本当に嬉しい。せっかくだから絶対彼女と仲良くなりたい。今は本気でそう考えている。
「よろしくね。燕未ちゃん」
「は? 何その呼び方? いい度胸ですわね」
「あっ……」
嬉しくてつい燕未ちゃんの名前を口に出してしまった。つい前世の感覚で馴れ馴れしく呼んでしまった。今の私と彼女は初対面なのに、いきなり下の名前を『ちゃん』付けで呼ぶなんてアウトだよね。しかも相手はお嬢様だし。それが彼女の癪に障ってしまうよね。
「あなた、どう見てもどこかの令嬢ではないですわね?」
「え? えーとボクは……」
「は? 今『ボク』って? 何それ? 受けますわ。おほほほ」
しまった。前世のことを思い出して記憶が混乱した所為でつい前世の一人称を言ってしまった。今は女の子なのに変だと思われちゃう。
「いや、私は……」
「ほら、次の自己紹介は君の番だよ」
と、女担任先生(多分30代)が言った。そういえば燕未ちゃんの自己紹介が終わった後、次は彼女の後ろの席である私の番だよね。しっかりして、私。第一印象は大事だし。
私は席から立ち上がって自己紹介をした。
「あ、はい。はじめまして。私は秋川田鴎未と申します。両親は普通のサラリーマンとOLです。よ、よろしくお願いします」
これは私の今世の名前だ。そして今気づいたんだけど、この名前はゲームに全然出ていないらしい。
つまり、ゲームではこの私が主役でも脇役でも悪役でもない、ただのモブキャラだった。いや、そもそもゲームに登場していないようだ。だからモブ以下だよね。
大体もしこの私がゲームに出てくるキャラだったら前世の記憶はとっくに蘇っているはずだ。でも実際に私は燕未ちゃんと出会った時の刺激で初めて思い出したらしい。
ちなみに私はメガネっ娘で、地味なショートカットの黒髪。いかにもモブらしい外見だろう。それなりに整った顔で白い肌だけど、やっぱり燕未ちゃんみたいな完璧美少女と比べたらまだほど遠い。
「やはりただの愚民ですわね。馴れ馴れしくわたくしのことを下の名前で呼ばないでちょうだい!」
「あ、うん。ごめんね。青川森さん」
さすが悪役令嬢だ。燕未ちゃん……いや、やっぱり今後青川森さんと呼ばないとね。立場の低い人に対する彼女の態度。そのゴミでも見ているような視線。でもそんな視線が自分に向けるとなるとなんかきつい。
それにしても、やっぱり『この世界』の身分差に対する認識は強い。自己紹介の時に趣味や好きなものではなく自分の家族の事情を言うのもその影響だ。『元の世界』だったらそうはならないよね。これは世界の価値観の違いだ。
ゲーム内の舞台設定は大体現代日本そのままで、ほとんど現実世界とは違わないけど、いろんなところに相違点がある。
価値観のことの他にも、例えばこの世界ではファンタジーっぽい要素が実在するというところかな。とはいっても魔法とかモンスターとかが現れるわけではない。普通の人間は異能などが使えるわけでもない。
ただし呪いとか幽霊の存在とか、科学で説明できないものが確実に存在している。それはゲームのストーリーに影響を与える要素にもなる。それも特に決まりがなくて、ただゲーム制作者のご都合主義とも言える。この世界の人間からすれば、これは神様の気まぐれって解釈しているらしい。
そのほかにも、人間の見た目のことくらいかな。一番はっきりわかりやすいのは髪の毛の色のことだろう。この世界の日本人は緑や青や紫など、現実世界ではあり得ない髪の色が存在している。青川森さんの鮮やかな桃色の髪もそう。これはアニメなどでよくある設定だ。さすがゲームの世界ね。
その他にも例えばあれのことだよね。その……体型……とか。
「この子おっぱい大きいね。本物かな?」
「柔らかそう」
「何カップなの?」
「ちょっと触ってみたいな」
「あそこの谷間に挟まれたい」
と、クラスの男子生徒たちは喧々囂々としてうるさい。そんな彼らの視線の先はその……私だった。やっぱりそうなるよね。
「ほら男子たち、セクハラ発言は禁止」
先生はすぐ男子たちを咎めてくれたが、すでにそれを聞いた私は恥ずかしくていっぱい精神的なダメージを受けていた。
男子ってエッチなんだから。さっきからずっと私の周りから視線を感じていた。男子みんなは私の胸をじっと見つめている。
なんで私はこんな目に……。
勘違いしないように言っておきたいけど、私の胸は決して大きいわけではない。ただの普通のCカップくらいだ。
だけどなぜかこの世界の日本人女性はみんなAカップばかりで、それがここの平均で一般的だ。青川森さんもご多分に漏れず……。元の世界の標準でなら間違いなく『貧乳』と呼ばれるでしょう。だけど『貧乳』という単語はこの世界では存在しないみたい。だってこれが標準だからわざわざ呼ぶ意味はないだろうね。
それに対し、私みたいなCカップはかなり珍しいものとされている。恐らくこのクラスで私一人だけ。皮肉にも、ここではCカップが『巨乳』と呼ばれているらしい。
なんでこんな世界になっているのか? 多分乙女ゲームの世界だからかな? きっとゲームの制作者たちは巨乳に何か恨みがあるだろう。その一方、男の子たちはハイスペックが多い。
私のこの体は中学校の頃から胸が膨らみ始めたから、男の子からこんなエッチな目で見られるのは今回始めてはない。それでもまだ慣れなくて嫌で仕方がない。
更に今男だった前世の記憶が蘇ってきたばかりで、あの時の自分も女の子をこんな目で見たことがあると思うと、なんか罪悪感とか複雑な気分になってしまう。でもたとえボクがこの場にいたとしても彼らのような反応をしないという自身がある。
たかがCカップだけでこんな大騒ぎになるなんてこの世界はおかしいんだよね?
とにかく私の自己紹介はこれで終わりだ。私は自分の席に座って、次の人の自己紹介が始まった。
「わたくしより目立つからって、あまり調子に乗らないでちょうだい。この雌犬!」
青川森さんは私に向かって不満そうに言った。どうやら私は『愚民』から『雌犬』にダウングレードされたようだ。
私は全然何もしていないのに……。自分なんかは青川森さんより目立つだなんてそんなのとんでもない。私はただ地味メガネっ娘のモブでいるつもりなのに。
彼女と仲良くなりたいけど、それどころか逆に敵視されてしまった。
そして状況は急速に悪化していく。
1~3話は前置きみたいなもので、説明文が多めですが、本番が始まるのは4話です。