001─フィスラティア皇立学院─
──フィスラティア帝国
かつて、この土地は7つの小国に分かれていた。国同士は折り合いが悪く、小国同士争いが長年絶えず無法地帯。そんな状況を見かねたとある若き青年は、古くより伝承によって語り継がれていた源創魔術師と四大魔術師(以下:古代魔術師)達が住まうとされる場所に訪れた。
若き青年は、オレンジ髪をした黒い瞳が特徴的な好青年だったが、特別何か目に見えて秀でていたわけではなかった。しかしどういうわけか当時の古代魔術師達は若き青年をえらく気に入り、要件を聞いた後に二つ返事で手を貸したと言われていた。さらには各小国の長達に望まれる形で土地が献上され、大陸を治める皇帝にまで登り詰めた。
──青年の才能は、この類稀なる人に好かれる性質だったのかもしれない。
かつての小国は今日まで続く領土となり、名称は各領土を加護する古代魔術師達の名称から名付けられたというのも帝国内の誰もが知る有名な逸話だろう。
そうして誕生したフィスラティア帝国が古くより魔術先進国として名を馳せているその理由に初代皇帝と古代魔術師達の存在は必要不可欠であり、彼ら彼女らが創立者となった学院の存在は年々他国からも注目されている。9歳から10歳、研修生を含めば23歳までの身分を問わない全ての魔術児達を対象に魔術を学ぶ為の世界初の魔術士育成機関。その学院名は──
「……フィスラティア皇立学院……」
これから自身が通う予定の学院の名をぽつりと呟く少年。活字だらけの本から視線を外すとそう遠くない場所に高く聳え立つ外壁を眺める。その向こう側にあるのは、この本に記述されたフィスラティア皇立学院。
生活に必要な魔術を学ぶ為の場所。
魔術は、世に存在するすべてのものと切っても切れない関係にある。ありとあらゆる生物達は魔術の源ともなる"魔素"と、生まれつきの"潜在魔術"を持って生まれる。それは人間も例外ではない。多くは遅くとも"5回目の誕生月を迎えるまで"にその個体が持つ魔素の属性と質に見合った潜在魔術を発現する。故に帝国内の魔術児達は、6歳になる年を迎えるとこの学院に入学する事が定められていた。そこで学びを得て、自身の将来の選択を広げていくのが目的である。ほとんどの魔術児達は将来有望な魔術士になる為に、そこで自身の持つ潜在魔術や基礎魔術について学び、力を磨き、将来の道を決めていくのだ。
長い歴史の中で、優秀な魔術士達を育て上げてきたこの学院は、今や帝国外魔術児の憧れの場所とも言えた。そのため近年では、留学という形で帝国外の魔術児の受け入れも行なっている。学院の柔軟な対応はそれだけに留まらず、規程の帝国内魔術児6歳入学に稀に該当しない生徒の受け入れも行っていた。やむを得ぬ事情を持ち学院側に認められた魔術児に限っては、6歳前後の入学許可が下りるのだ。
現在、森の中で本を読むこの少年も、後者にあたる生徒だった。
「……」
白いシャツと黒いスラックスという至ってシンプルな服装で身を纏い、手入れの行き届いた艶のある黒髪と涼しげな目つき、そして極稀な紫眼を持ち、右の目元に並ぶ2つの黒子が印象的な少年。
──少年の名は、ノアフォルトス-セレシルヴァ。
数少ない親しい者達からノアの愛称で呼ばれている少年、ノアは中等部生として学院に通う前の適性試験を終えたばかりだった。
「……」
ノアは待ち人がまだ見えないことを確認すると、この学院へ向かう間際、育ての親から"暇つぶしに"と手渡された本へ再び視線を落とし、途中で読み止めた文章の続きへと目線を落とす。
──"後継者"
永久の命を持つとされる古代魔術師達。彼らはいつからか、気まぐれに選んだ後継者と呼ばれる弟子を取るようになると、これまた気まぐれに自身の魔術を伝授した。しかし、かの有名な氷黒時代以降、彼らはぱたりと表舞台に出なくなり、彼らの代弁者とも言える各領土を統べる歴代公爵達が間を取りもち、後継者選定を行うようになった。
選定が行われる時期はその時々によって異なり、数年、時には数十年と間が空き規則性はない。後継者がいつ現れるかは、彼らの気分次第とも言えるが、過去を遡り歴代後継達が選出された頃合いを見るに、古代魔術師達は示し合わせたかのように似た時期に各々の後継者を見出しているようだ。とはいえ、"第四位紅属魔術師卿"を筆頭に彼らが後継者を見出さなくなって長い年月が経った。このように期間が空いたのは過去に例がない。最後に後継者を出したのは、やはりフィスラティア学院であると──
「──お待たせいたしました」
ふと頭上から声が聞こえてきたところで、ノアの意識と視線が声を発した人物へと向けられる。そこには適性試験を終えた直後ノアを出迎え、入学手続きの為に一度この場を離れた女性の姿があった。この学院の教員もしくは従業員と思われる女性は、ノアをジッと見つめ再び口を開く。
「入学手続きが、無事終わりました」
ノアは特に表情を崩す事もなく小さく頷く。手に持っていた本をそっと閉じると、側に開いたままだった本革製のトランクケースに仕舞う。女性は準備を終えるのを待っている様子でその場から動く気配を見せない。ノアの方は荷物はトランクケース1つのみで、準備を終えるまでにそう時間はかからなかった。準備が整ったことを確認した女性は、短く声をかけるとそのまま背を向けて歩き始める。進む先にあるのは先ほどと変わらず高くそびえ立つ学院の外壁だけ。──しかし前を歩く女性は慣れた仕草でいつの間にか手にしていた木製の杖をさっと軽く振った。未だ外壁へ向かう歩みを止めないまま。
「…」
ノアは冷静に背後からその背中と杖を手にしていた女性の手を観察しながら考える。そしてさほど難しくもない推測を立てた。
──この人は杖を魔術作動の媒体にしているのだろう、と。
魔術児や魔術士は、基本的に魔術を扱う時に媒体となるモノを使用する。特定のものに体内の魔素を込める事で集中力が増し、魔素と魔術の精度が高まると言われているからだ。媒体はこの女性のように杖であったり、他にも剣や本、針などと一般的には実態を持つ物が多い。しかし必ずしも実態のある物質でなければならないということでもない。本人が魔素の質を高めることができるものであれば制限などは特に定められておらず、人によっては水であったり大気中にある空気であったりと様々。中には媒体を使わずとも魔術を自由に使える者もいるが、極めて稀な精錬された上級魔術士に限られる。
「──足元にお気をつけて」
女性は一度だけノアの方を振り返るとそのまま慣れた様子で壁をすり抜けていく。恐らく空間を歪めるような、もしくは外部からは視認できないような、そういった魔術がかけられているのだろう──と1人納得し、特に気に留めた様子もなくノアも女性に続いて壁に向かって歩みを進めた。
「……」
ノアが中へ足を踏み入れてぴたりと足を止めた。敷地内に入ったと同時に、先ほどの閑散とした暗く重苦しい空気が消え、すぐに澄んだ空気がノアの肌に触れる。
「体調は大丈夫ですか?魔術児には強い魔術ですので、人によっては当てられて酔う場合がありますが…」
黙り込んだまま立ち止まっていたからか、振り返った女性はどこか心配そうな眼差しでノアを見つめる。初めて踏み入れた土地の新鮮さを感じていたノアは、何度か瞬きを繰り返した後、人当たりのいい笑顔を浮かべ頷く。
「僕は、大丈夫です」
短く返されたその言葉通り、特に異変がないようだと確認した様子の女性はノアの言葉に小さく頷いて再び歩みを進めた。
「…」
再び女性の後に続く前に、ノアは背後を振り返る。壁があると思っていた場所には、大きな"門"が姿を現していた。観察するように数回瞬きを繰り返しノアは、そのまま踵を返すと既に歩き始めていた女性の後を追うようにやや早足で歩き始めた。
「──これから学院の本館へ向かいます。貴方には明日の日程について簡単な説明と専攻する専攻学科の最終確認などいくつかの手続きを受けてもらい、続いて別室にて振り分け所属寮の監督生と対面して頂きます」
道中、淡々と伝えられる業務連絡のようにスケジュール内容を聞きながらノアが歩みの先へ視線を向けると、女性の言う本館と思われる大きな建物の一部が遠目に見えてくる。
「先ほどの適性試験の結果より、貴方が振り分けられた所属寮は"紫寮"です。詳しい説明はこれから顔を合わせる監督生からあるでしょう。制服など学院側からの支給品については既に寮の自室に用意されていますのでご確認をお願いします。明日はその制服を着用し入学式に出席してください。それと事前にお預かり──」
ここで、女性が言葉を止める。
「貴方は事前の預かり荷物がありませんでしたね。失礼しました。続いて教材等についてですが、配布は入学式後の最初のホームルームに予定されています。もし支給品に不備などがございましたら寮長や我々職員に知らせてください」
女性から視線を向けられたことに気づいたノアは内容を理解した意味を込めて頷く。その意図を汲み取った様子で女性も頷き返し、数歩進んだ先で立ち止まる。どうやら目的の本館前に辿り着いたらしく、女性が自分の背後に立つノアの方へ振り返る。
「何か疑問等がありましたら、遠慮なくこの学院内の者に聞いてくださって構いません。これから、貴方はこの学院の生徒になるのですから」
女性は目の前に立つ少年を見つめる。
一度瞬きをして、先ほどと同じく人当たりのいい笑みを浮かべるその少年は、適正試験後、目の前に現れた時から変わらず落ち着いていた様子を崩さない。笑みを浮かべつつも、全てを見通しているような涼しげな眼差しからは、どこか他の生徒とは違う何かを感じさせる。整った容姿と身なり、そしてわずかな仕草からも見られる洗練された佇まいは貴族そのもの。事前資料によると彼は13歳の少年だったか。彼の身分や後継人は伏せられていたが、恐らくどこかの貴族の血縁者で違いはないだろう。
彼の紫眼がこちらを見つめてくる。
──紫眼を持つ者が意味するもの、それは……いや、深く考えるのは止めよう。
女性は途中でこれ以上考えるのをやめた。遅れて入学してくる生徒は稀ではあるが全くないわけではない。恐らく彼も何かしらの事情があるのだろう。年齢の割に纏ったその雰囲気が大人びていることには驚いたが、大方入学を前に緊張しているのかもしれない。最終的にそんな考えに至った女性は、これからここで過ごす新たな生徒を前にここで初めて小さく微笑む。
「──フィスラティア皇立学院へようこそ。ノアフォルトス-セレシルヴァさん」
源創魔術師の黙示録を一読いただきありがとうございます。
お久しぶりです。世埜です。
ゆっくりと地道に読み返し修正加筆中。
魔術児達の日常を早く皆様に届けられるように頑張ります。
毎月15日を目標に更新予定。※あくまで予定。
魔術児達が織り成す物語、目を通してくださる皆様にも楽しんで頂けますように。