6、無い物ねだり
6、
どれぐらいの時間、開かない玄関の前に立っていたのかはわからない。
どうにかして家に入らないと……
私はどこか開いている窓が無いか家の周りを一周して探した。どこの窓もピッタリと閉まっていて、どこにも入る隙はみつからなかった。
諦めて玄関に戻る頃には、とうとう辺りは真っ暗になっていた。そんな真っ暗な家の中で、固定電話の着信音だけが鳴り響いていた。
きっと母からの電話だ。多分心配して電話してきたのかもしれない。でもその電話は取る事ができない。
ここで待っていればすぐにお母さんが帰って来るかもしれない。そう思って寒さに震えながら暗闇の中玄関の前で膝を抱え縮こまった。
風と雨が強すぎて、わずかにつき出ている玄関の屋根も無意味だった。
「寒い……」
今、何時?あと何時間で母親が帰って来るのかもわからない。辺りは時間の感覚がわからなくなるほど暗かった。
寒さと空腹。暗闇と豪雨の音。
怖くて、寂しくて、涙が出た。
どうしてこんな所に来ちゃったんだろう?私何か悪い事した?私が悪い……?全部私が悪いの?
最悪という言葉では言い表せないほどの絶望感だった。そして、この村に来るまでの色々な出来事を思い出して泣いた。
どんなに泣いても泣き声は誰にも聞こえない。どんなに顔が濡れても雨に流される。
泣き疲れてうとうとしていると、暗闇の中に小さな光が見えた。それは本当にわずかな光だったけれど、大きな希望の光だった。
「お母さん!!」
そう叫んだ相手は知らないおばさんだった。
「美織ちゃん?美織ちゃんね?おばさん、お隣さんだけど、さっきお母さんから電話があったのよ。美織ちゃんが電話に出ないから見に行って欲しいって。どうしたの?こんな所で」
「あの……鍵が無くて……」
「そうだったの!それは困ったわね。お母さん川が氾濫しちゃって今夜は帰れないみたいなのよ。今夜はうちに泊まりなさいよ」
「そう……なんだ……」
お母さん……帰れないんだ……
お母さんが突然帰れない。別にそんな事うちでは日常茶飯事で、小学生の頃から何度も1人で留守番をしていた。でも、こんな事になったのは初めてで不安で仕方がなかった。
その不安もロボ太の家に着く頃には『助かった』という気持ちの方が大きかった。とにかく寒さに体が震えて、屋根のありがたさが見に染みた。
ここでロボ太が駆けつけてくれたら宝石なのかもしれない。だけど現実は泥だ。
あの後隣のロボ太の家でお風呂に入り、食事をごちそうになって暖かい布団で眠った。その間ロボ太は一度も姿を見せる事は無かった。
でも、感謝はしてる。後々聞いた話では、ロボ太が宿題について連絡があると診療所にいる母に電話をかけたらしく、それをきっかけに母が自宅に電話をして私の異変に気づいたらしい。あと少し発見が遅かったら低体温症で死んでたかもしれない。という話だった。
私は一度、ロボ太に命を救われた。
あの時死んでたら……きっとロボ太は泣いてはくれなかったよね。今でも泣いたりはしないかもしれないか……
人の姿になったロボ太を思い出して、また悲しくなった。あれがロボ太?信じられない。
ぼんやりと窓の外を見ていたら、いつの間にか講義が終わっていた。私は慌てて残りの黒板の文字をノートに書き写した。
次の講義室に移動すると、静ちゃんが「美織!こっち!」と手を降った。私はその隣に座って荷物を広げた。
「おはよ~!今日はいつもより遅くない?どうしたの?」
「おはよ。さっきも講義あったから」
「あ、そっか。朝一の授業も取ってたんだ」
静ちゃんは少し気まずい顔をして「美織は真面目だね~」と言って前髪を直していた。
真面目というより『人見知りのくせに家に1人でいたくない』といゆうめんどくさい性分なだけ。
私はすぐにロボ太との再会について静ちゃんに話した。それを聞いた静ちゃんは、鞄に伸ばしていた手を思わず止めた。
「はぁ!?ちょっと待って?それ部屋に入れたの!?」
「え?うん、まぁ」
「ちょっと美織何考えてるの!?そいつ絶対に怪しいって!」
講義室が一瞬無音になるほど、静ちゃんは大きな声を出した。
「まぁ、そうなんだけど……一応、ロボ太だって言うから……」
「いやいや!美織の事調べ尽くした変質者の可能性もあるでしょ!?」
「まぁ、でもその日は話をしただけで普通に帰って行ったし」
あの後ロボ太は3日後に一緒に父親の事務所を訪ねる約束をして帰って行った。
静ちゃんは呆れた様子で再び鞄に手を伸ばした。
「そりゃあさ、ずっと好きだった人と再会できて嬉しい気持ちはわかるよ?」
「はぁ?別にロボ太の事は好きじゃないよ!好きとは違って、なんてゆうか……ロボ太はいい思い出?」
そう、思い出。いいかどうかはわからないけど、とにかくもう過去の事。静ちゃんは隣に置いた鞄からスマホを取り出して、スマホを見ながら言った。
「それはさ、今が泥だから思い出が綺麗に見えるんでしょ?冷静になって考えてみなよ。当時だって実際はそこそこ泥だったと思うよ?」
「私は今が泥だとは思ってないけど?」
私にとって友達と呼べる人がいて平穏に暮らせていれば泥だとは思わない。別に彼氏も刺激も欲しいと思って無い。
「まさか!泥沼じゃないの?これ、美織の彼氏じゃない?知らない女と歩いてたよ?」
静ちゃんは人混みの中に小さく映った先輩の写真を見せて来た。
あ……そういえば……
私は静ちゃんに先輩と別れた事を報告した。それを聞いて静ちゃんは驚きもせず、納得したように頷いてスマホを鞄にしまった。
先輩にとって、私との時間はどうだったんだろう?同じ思い出を共有しても、人によって価値は違う。私にとって先輩と過ごした時間は……綺麗では無かったかもしれない。多少の人生経験にはなったとは思う。
それはきっと私の中に『ロボ太とのいい思い出』がありすぎるせいだと静ちゃんに指摘された。
「美織は気づいて無かったかもしれないけど、ずっと先輩と誰かを比較してたよ?その誰かがようやくわかったよ」
それがロボ太?まさか!
比較しているつもりは無かったけれど、無自覚に先輩を傷つけていた事を今さら知った。つまり私は被害者じゃなくて、加害者だった。
『ロボ太を好きになるはずがない』
その思い込みが、色々な人の心を傷つけていた。
「全身整形って話は怪しい気がするけど、ネックだった容姿がクリアされたんでしょ?だったら何も迷う事は無いんじゃないの?」
静ちゃんに「もう素直になったら?」と言われたけど……
「今度は中身が変わった気がして、何かが引っかかるんだよね」
「だったらそれ、もはや別人じゃん」
話をしていると、いつの間にか先生が来ていて講義が始まっていた。映像を見る授業のようで、講義室はすぐに薄暗くなった。映像が始まっても静ちゃんはヒソヒソと声量を落として話を続けた。
「外見も中身も違うとか、それってもう別人じゃない?」
「そっか……」
確かに私の思うロボ太と外見も中身も違えば他人になる。
「まぁ、この際別人でもいいんじゃない?」
別人でもいい?別人だったら結局先輩と同じになる。
「美織はどうなの?ロボ太とは別として、その人はアリなの?無しなの?」
ロボ太じゃないなら……結局価値なんかない。きっとこの先もずっと『思い出』と誰かを比較し続けてしまう。
「このままじゃ彼氏とか絶対無理じゃん!!」
思わず思いの外声が大きく出てしまった。静ちゃんになだめられてそのまま頭を抱えた。
どうしてこんなめんどくさい自分になったんだろう?
ロボ太がロボ太のままでいてくれたら……いつか自分の気持ちに気がついて……告白?告白してどうするの?
あのままロボの姿のままでいたら、その先は無い。結局無い物ねだりなんだと自覚した。